17日㈫10時から、神宮寺町の千住院の隣りにある忠魂碑にて、綾部地区自治会連合会の自治会長の皆様方や遺族会の役員さんと共に綾部地区戦没者慰霊祭に参列した。戦没者の霊を慰め、不戦の誓いを新たにした。
午後は国交省福知山河川国道事務所から並松地区の由良川築堤の担当者が来られて、明日開催される景観検討会議の内容について説明を受けた。
早期の工事着工を改めて強く要望した。
17時に綾部小学校に行き、82年前に綾部尋常高等小学校(綾部小学校の前身)の子ども達が描いた絵をドイツから預かってきた東京芸大の大学院生の田中直子さんが来られて、関係者での懇談会に出席した。
当時、日独伊防共協定が締結され、それを祝って森永製菓主催の小学生絵画コンクールが行われたそうだ。日本からは400万点の応募作品があり、そこから14万点が選考され、ドイツに送られたそうだ。
そのうち、綾部の子が描いた絵を含む、約300点を田中さんがドイツ人女性から預かり、描いた子ども達を探してほしいと依頼されたとのことだった。
そのドイツ人女性は絵を父親から引き継ぎ、大事に保管しておられたらしい。彼女の父親は戦後、教会で処分されそうになっていた絵を見て、引き取ってきたとのことだ。他にも綾部の子の絵はたくさんあったのかもしれない。
時代に翻弄されながらも、時を超えて故郷に里帰りできた作品を観て感慨深かった。
1年ほど前に、田中さんが綾部小学校に問い合わせの連絡をされ、それを受けて調査を始めた校長先生からの依頼で、当時、これらの絵を描いた子どもで存命の方がいないかを調べるのに協力した。
当時、1名が芦屋市で存命であることが分かったが、この1年のうちに亡くなられた。しかし半分ほどは、ご兄弟などのご遺族と連絡が取れた。
上町の田所卓さんのお姉さんの絵があったので、田所さんにお姉さんの同級生で健在の方々を聴き出し、上野町の米田比呂子さんと出会って、一気に同級生の皆さんの消息が分かった。
戦時中でありながら、当時の生活の様子や綾部の町並みなどが良く分かる明るい絵が多く、どんな時でも綾部の子ども達は明るく元気に育っていたんだろうと思った。