四方源太郎日記(京都府議会議員・綾部市選挙区)

これからの綾部のために、さらなる「挑戦」を!

無になる。とらわれない。

2024年05月20日 | 歴史の探求

20日㈪朝7時半から綾部公民館の挨拶運動のため、綾部大橋西詰へ。

 つがいのカラスが仲良く並んで、ずっと由良川を眺めていた。

 11時から大本長生殿白梅殿において、綾部大本協賛会(川端勇夫会長)総会に出席した。

 来賓挨拶では「大本弾圧の負の歴史を綾部大本協賛会はプラスに替えてきたと思う。今、NHK朝ドラで放送されている『寅に翼』の時代が大本弾圧の時代と重なるが、あれだけすでに法制度や裁判制度ができていた近代国家で、近代以降の世界で例のないレベルの国家による宗教弾圧が実施された。綾部市民は直接この弾圧に関与したわけではないが、二度とああいう時代に戻してはならないという気持ちを胸に刻み、人権侵害に対して世界一敏感でなければならないと思っている」と述べた。

 あわせて、弾圧の痕跡が残る熊野新宮神社にある出口王仁三郎聖師の歌碑のことも紹介した。

ご参考 2021年5月9日blog「大本開祖の白藤」

 

 夕方には亀岡から張本昌義くんが来てくれて、福祉政策のことに関して意見交換。

 大義の会(四方八洲男会長)例会に出席した。20名ほどの方が参加された。

 今日のゲスト逗子市長福知山公立大学副学長富野暉一郎先生。10数年前からの知り合いではあるが、政治家時代のお話を聴かせていただいたのは初めてのことだった。

 最初は天文学者を目指す大学院生、中小企業の経営者、米軍住宅反対運動家、逗子市長、大学教授を経て、現在は地域公共政策士を養成する地域公共人材開発機構の理事を務めておられるそうだ。

 大学教授の鎧を脱いだ人間「富野暉一郎」としての率直なお話で、大変興味を持って聴けた。話の随所に、昔の活動家の雰囲気が出てくるのも面白かった。

 「正しいからといって物は売れない」「学者は正しいと思い込んで、それを主張する」「売り込みをやめて、相手の話を真摯に聴くことによって自社製品を買ってもらえた」「後戻りはしない。常に新しいことをする」「無になる。とらわれないことが重要」

 良いお話だった。

 次回うまく日程の調整ができれば、富野先生が「この人物は凄い!」と感じている人を招いて対談していただくことになった。

 何人かの若手の皆さんと二次会に行き、あれこれ話をした。


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真言宗檀信徒協議会、農工連携、山家歴史の会

2024年04月26日 | 歴史の探求

26日㈮10時正暦寺の筆頭総代として、玉川弘信住職と共に星原町の栄宝寺(木原法道住職)へ。栄宝寺は集落を見下ろす高台にあり、美しい新緑に包まれた入り口には綾部市銘木100選にも選ばれているラカンマキの巨木が立っている。

 高野山真言宗の令和6年度綾部地区檀信徒協議会(加藤節郎会長)の総会に出席した。真言宗の寺院は綾部市内に15ヶ寺ある。

 木原住職による挨拶や寺歴紹介、般若心経等の読経、そして中村孝行副会長(天王寺筆頭総代)の開会挨拶総会が始まった。

 丹波宗務支所長の来賓挨拶の後、議事は異議なく承認された。法話は志賀郷町の興隆寺の松本満裕住職が学生時代からやっておられる「弓道」について、お話をされた。

 実際に弓や矢を見せていただきながら、ほとんど知らないことばかりで興味深く聴かせていただいた。

 最後栄宝寺岡田邦久筆頭総代から寺院護持などのお話があり、蔵の移転修繕のことや境内のお地蔵さん、蚕の慰霊碑のことなどが説明された。

 

 午後東八田地区施福寺へ。㈱足立製作所の足立弘社長渡辺雄亮取締役、同社と連携している村松健くん農家の方々CKD㈱(本社:小牧市)京都営業所の方々からビニールハウスの給水や換気の自動化のことについて説明を受けられ、それに種清喜之市議と共に同席した。

 CKD㈱空気圧制御機器などを製造する大手企業で、足立製作所㈱とは以前からお付き合いがあるそうだ。CKD㈱が農業に関する機器に進出されたのはここ数年のようだが、ゴルフ場等の自動水やり機などでの実績があり、機能を絞ることで他社よりずいぶん安くシステムが提供できるというお話だった。

 まさに、これがこれから必要となる「農工連携」なのだろう。足立製作所㈱が施福寺で村松くんと連携してくれたことによって、綾部の農家と様々な工業メーカーをつなげていただけることは嬉しいことだ。

 

 ふしみやにて、山家歴史の会(有道大作会長)の総会に出席した。以前から山家地区の様々な歴史について研究され、多くの出版物にまとめておられる。私は山家住民ではないが、昨年から会員に入れていただいた。

 戦国末期から山家を領有し、江戸時代に山家藩主を務めた谷氏は、元は美濃国(岐阜県)の豪族であり、斎藤道三に仕えた後、織田信長、羽柴秀吉の家臣として、その天下統一に貢献した。

 室町幕府の管領家で、舞鶴城(田辺城)を築いた細川家と親しく、細川幽斎の歌道の弟子でもあった山家藩の初代藩主・谷衛友は文武両道の武将だと伝えられている。

 衛友は1628年、65才で病没した。長男・衛成、三男・衛勝はすでに没しており、次男・吉長も結城家に仕える三千石の旗本になっていたため、跡継ぎには六男の衛冬を望み、細川忠興・忠利親子が幕府にそれを働きかけた。しかし、幕府はこれを許さず、四男・衛政が二代藩主を継いだ。五男・衛長は細川家の家臣となった。

 衛政は山家藩一万六千石のうち、一万石のみを相続し、長男・衛成の子、衛之に二千五百石を与えて上杉谷家、三男・衛勝の子、衛清に二千石で十倉谷家、六男・衛冬にも千五百石を与えて梅迫谷家として、それぞれ旗本として分家させた。

 上杉谷家は三代で断絶し、その領地は他家に移されたが、当初の谷家一万六千石は今の山家地区、口上林地区(十倉)、中上林地区(五泉)、奥上林地区(小仲、光野、老富)、東八田地区西八田地区吉美地区志賀郷地区豊里地区(位田の一部)など、綾部市全域に広がっている。

 現在の綾部市は江戸時代にはおおよそ、綾部藩の九鬼氏、山家藩および分家旗本の谷氏、旗本の藤懸氏によって治められていた。

 その中でも、この谷氏については、もっと綾部市民の認識が高まっても良いとずっと考えている。それが山家城を国指定史跡にすることにもつながるのではないだろうか。


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綾部八幡宮と山家城址

2024年04月07日 | 歴史の探求

日㈰10時から綾部八幡宮(大志万宣也宮司)春季大祭へ。よく晴れて、良いお祭り日和だった。

 綾部八幡宮平安時代平清盛の長男の重盛が創建したと伝わっている。重盛は現在は大本の御神体山となっている本宮山に熊野本宮、熊野新宮、熊野那智の三社を建立したとも伝わっている。

 綾部八幡宮では毎年、春季大祭に合わせて「お田植式」という昔の稲づくりの様子を寸劇にしたものが披露される。

 次の予定のために祭礼のみ出席し、「お田植式」は失礼して帰りかけたら、神社の役員の方に呼び止められた。「息子のところに孫ができて、名前を送ってきたんやけど、それが《四方源太郎》で、ワシ、ひっくり返ったわ~」とおっしゃっていた。知る限り、四人目の《四方源太郎》くん。ずいぶん若い跡継ぎができて嬉しい。

 

 11時過ぎに、山家城址で行われていた山家さくら祭へ行った。桜が満開大勢の人で賑わっていた。

 来賓紹介の後、餅まきをして、地元の産物を買い物した。最近流行りの「御城印」(黒谷和紙製、700円)も購入した。

 山家城戦国時代には豪族和久氏の居城であり、和久氏現在の場所からさらに山の上に上がった場所甲ヶ峯城(旧山家城)を築いて周辺を治めていた。

※2009年4月19日付blog「山家の城、釜輪の神事」

 

 現在の山家城戦国時代末期豊臣氏から当地を与えられた谷氏が築いたもので、江戸時代には山家藩1万石の拠点となった城である。綾部市では唯一の石垣を残る城でもあり、国指定史跡の登録を目指した活動に綾部市と地元で取り組んでおられる。

 谷氏は関ケ原の戦いで西軍に与し、田辺城(舞鶴城)の細川氏を攻めたが、「谷の空鉄砲」という逸話が残されているように東軍に通じていたのか、関ケ原後も山家1万石を安堵され、幕末まで続いた。

 綾部市内の十倉(口上林)、梅迫(東八田)、上杉(東八田)に分家があり、江戸時代には本家・分家を合わせると綾部の全域に多くの所領を有していた。現在の地でいうと、山家、口上林(十倉)、吉美、西八田、東八田、志賀郷、豊里(位田)が谷氏の領地である。


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節分

2024年02月03日 | 歴史の探求

 日㈯節分。10時から立正佼成会福知山教会(中野惠津子教会長)「節分会」参拝した。立正佼成会の「節分会」に参加するのは初めてだった。

 立正佼成会福知山教会を最初に訪ねたのは、初めて選挙に出た17年前。谷垣禎一事務所の村上影次秘書(当時)に案内していただいて、当時の江上教会長に挨拶に伺った。その時に「決して、初心を忘れず、活動していかなければダメですよ」とおっしゃられた言葉は今でも強く心に残っている。

 しかし、その選挙には落選してしまい、4年後の雪辱を期するために谷垣事務所の秘書になり、迎えた2009年9月の衆議院議員選挙、自民党は大敗して政権を失った。

 自分の次の府議選のことを考えると、民主党政権下で、民主系現職を何の実績もない新人が破るのは相当難しくなると暗澹たる思いになった。たった15年前のことだ。今の「裏金」問題を見ていると、喉元過ぎるのは早すぎるだろうと感じる。

 この時、ほとんどの支援団体にそっぽを向かれた中で、立正佼成会と遺族会の方々だけは綾部の事務所での電話作戦に来ていただいた。その恩義は決して忘れてはいけないと思っている。

 お経を上げ、教会長のお話があり、その後、コントが行われた。鬼とも仲良くしようというお話だった。鬼は「反主流派」の象徴であり、決して「悪」なのではない。

 そして、我々来賓も参加する「豆まき」。豆(落花生)だけでなく、飴やお菓子などを信者の方々に投げた。

 最後は「福引き」。150人ほどの人に全員当たる「福引き」だったので、時間が相当かかったが、皆さんいろいろなものが当たって喜んでおられた。

 

 午後事務所書類整理など。

 

 19時半から大本の節分大祭に参拝するため、長生殿へ。人型が投げ込まれる和知川(由良川)の綾部大橋の準備も整っていた。

 みろく殿の前にも火が焚かれ、大勢の方がおられた。露店商や大本のうどん店、綾部の商店のお土産店も出されていた。

 大本では「五六七」と書いて「みろく」と読む。「コロナ」も数字にすると「五六七」になる。

 私は「コロナ」を単に悪く思うのではなく、大いなるものからの「メッセージ」だと考えている。自己中心的に考えて「忌む」のではなく、他者意識を持って自分の頭で考えることのきっかけなのだと思っている。

 令和5年5月にコロナは5類となった。令和6年は大きな地震や政界の大きな不祥事から始まった。令和5、6、7年が過ぎる頃には次の時代に向けて見えてくるものがあるのではないかと信じる。

 祝詞にも読まれていたように「綾部は末で都といたすぞよ」と。

 22時前に大潔斎神事が終わる来賓は退出し、亀甲家での直会へ。大本の小林龍雄本部長の挨拶、山崎善也市長の挨拶の後、乾杯の発声をさせていただいた。


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綾部の神秘をご案内する

2024年01月30日 | 歴史の探求

 30日㈫午前中「げんたろう新聞」を配りに、グランブルー西町団地などへ。

 昼前綾部駅に二人のお客さんをお迎え「ひと粒」で昼ご飯を食べながら、綾部のことや私のこれまでの経験などを話し、先方の話も伺った。

 そのお二人は、昨秋、神戸での会合で知り合った愛知県議会議員(春日井市選挙区)の末永けい君、地域政党「兵庫むすびの会」本部長の鵜丹谷清和さんで、綾部の神秘性に興味を持って、今日は綾部に足を運んで下さった。

 そういう方が来られるとお話したら興味を持たれた綾部在住の藤元雅司さんに車を出していただいて、半日、4人で綾部を回った。

 最初下八田町上谷厄神神社へ。

 ここに参拝するのは私もまだ二度目。以前は2013年4月13日に世界救世教いづのめ教団鎌倉教会の松田妙子教会長ら御一行と共に出口三平さんにご案内いただいた。

※2013年4月13日blog「綾部の責任」

 その際にお聞きした上谷厄神神社の説明は下記の通り。

 出口王仁三郎聖師が大本に入信し、最初に山家の鷹栖町や西原町で修行をしたが、神がかると大きな声を出し、暴れて床などを壊すので、次から次へと追い出された。

 この上谷の厄神神社にたどり着いて、祭られている武内宿禰(審神者の神)に神様を下ろしたら、良い神も悪い神もすべて出てきてしまった。

 それを浄めるために王仁三郎聖師の次の修行が始まっていく、という大本の最初に関わる重要な場所だそうだ。

 戦後、出口王仁三郎、すみ夫妻が久しぶりに上谷を訪問したのが、4月8日だったので、今でも4月8日には大本の信者さん達がお参りをされるそうだ。

 境内には出口王仁三郎聖師の歌碑が建立されていた。

 続いては、上杉町の上杉姓氏発祥の地の石碑へ案内した。

 綾部市上杉謙信で有名な上杉氏の発祥の地である。鎌倉時代に親王を鎌倉にお連れし、将軍に就かせた功績で上杉庄を賜った藤原勧修寺重房最初に「上杉」を名乗った。重房の孫が室町幕府を開いた足利尊氏の母である清子である。

 続いて、足利尊氏が生まれたとされる安国寺町景徳山安国寺へ。臨済宗東福寺派の名刹である。かやぶきの本堂がある。

 文化庁「森の寺」事業のことも説明。「森の寺」はコロナの間に生まれた事業だ。コロナだったからこそ、生まれたのかもしれない。

 

 高倉町高倉神社へ。平清盛を倒すために挙兵した高倉宮以仁王を祀る。

 以仁王は宇治川の戦いで平氏に敗れ、源頼政と共に奈良に逃げる途中に戦死したと教科書には書いてあるが、綾部に残る伝説では頼政の領地である丹波に逃げ、綾部市里町で矢傷が悪化して亡くなった後、高倉神社に祀られたと伝わっている。亀岡市には頼政塚という頼政の墓が残っている。

 渡辺氏、大槻氏、河北氏など、以仁王の十二人の従者は高倉神社を守るために神社から少し離れた綾部の各地に暮らし、今でもその子孫が神社のお祭りには集まって参拝されている。

 

 続いて、星原町の星宮神社へ。ここは多くを語るまい。

 そして、大本「梅松苑」へ。長生殿での参拝にご案内した。

 大本、合気道、世界連邦、君の名は。、グンゼなどのことを説明した。

 最後グンゼスクウェアでグンゼ創業者・波多野鶴吉のことを説明しようと思ったが、火曜日はあやべ特産館が休業日だと思い出し、喫茶「日々」で今日の振り返りの話をした。

 お二人には「まだまだ話がありますから、次は泊まりで来てください!」とお誘いしたら「ぜひ!」とおっしゃっていた。


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綾部は「龍の目」

2024年01月21日 | 歴史の探求

 20日㈯11時から部落解放同盟綾部地区協議会(岸本良平議長)荊冠旗びらき出席した。

 これまでは綾部会館で開催されてきたが、今年から「あやテラス」に会場が変わった。

 挨拶では昨年の府議選でご推薦いただいたことの御礼当選後、監査委員に就任し、現地監査に出かけて感じていることなどをお話した。

 来賓挨拶の後山家太鼓の演奏があった。山崎善也市長と種清喜之市議会議長による太鼓演奏もサプライズで行われた。

 午後事務所事務作業やブログ書きなど。一人で事務所にいると「灯りが点いていたから」と寄って下さる方もあった。

 

 21日㈰明け方、相当強い雨が降っていたが、9時前町の正暦寺(玉川弘信住職)行った。来週28日㈰の不動明王大祭の準備檀信徒の方々に集まっていただいて、冒頭、筆頭総代として挨拶した。

 来週10時から護摩焚き、お砂踏み、大根炊き無料接待、福引き、水行などがありますので、ぜひ正暦寺にご参拝ください。

 10時からは田野町愛宕山頂にある坂本神社(四方義規宮司)参拝ここは「火の神様」なので消防長、消防団長、綾部分団長などの消防関係者がお参りされている。

 私も火事や災害がないようお願いした。

 

 11時からは、あやテラスにて綾部市文化協会(鹿子木旦夫会長)新年互礼会出席し、会長挨拶、表彰式の後、来賓として挨拶させていただいた。

 昭和27年の正月世界救世教の岡田茂吉開祖が「日本の国は龍体をしている。中国地方が上あごで四国が下あご、瀬戸内海が口で九州は玉であり、龍が玉を飲もうとしている姿を表している。樺太が尾でソ連がそれを取ったが、今に放さなくてはならなくなる。腰は越の国というように新潟のあたりで、子宮は東京、へそが富士山で鼻は出雲にある」という内容の講話をされ、その中で「…そこで大本教の綾部というところは龍の目になるわけです。ですから、あれは非常に重大なところで、いまにあそこに経綸が始まりますが、神秘ですからまだ言うわけにはいきません」とおっしゃっている。

 岡田開祖の言われるように、綾部は神秘に満ちた非常に重大なところである私は信じている。

 綾部の先人達が昭和25年という食べる物や着る物に事欠いている終戦直後に「文化協会」を立ち上げた、その精神性は「神秘」に通ずるものであり、今の綾部のまちづくりの底流にもその精神が流れていると感じるとお話した。

 祝宴の前には詩歌吟詠景心流六映会の皆様による祝吟舞の披露。舞いは中学生と高校生の二人が艶やかに踊っておられた。

 久しぶりに大勢の人数での開催となり、祝宴ではテーブルを回って、会員の皆様にご挨拶した。写真は茶道裏千家淡交会両丹支部綾部分会の先生方と。

 会員の皆様の芸の披露もあった。

 14時過ぎに終了して、舞鶴に向かい、15時から舞鶴霊友会館での霊友会舞鶴集会所の新年交流会参加し、挨拶させていただいた。

 舞鶴霊友会館国道27号線の西舞鶴道路の工事により移転新築され、昨年暮れに竣工したので新しい会館に初めてお邪魔した。

 終了後事務所に戻り、ブログ書きなど。


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何鹿郡衙と綾中廃寺

2023年12月24日 | 歴史の探求

 24日㈰クリスマスイヴの日。さすがに誰からのプレゼントかはもう分かっている年頃だが、子ども達はいろいろなプレゼントをもらって楽しんでいた。

 午前中松本幸子市議と中筋地区の鳥ヶ坪、延町、岡町の挨拶回り。

 今日は他にも綾部地区を回った。井倉町、青野町、綾中町、味方町、紫水ヶ丘など。

 綾中町を回っていると「何鹿郡衙と綾中廃寺」という観光案内板があった。

 綾中町には奈良時代に何鹿郡衙(郡役所)が置かれ、綾中廃寺と言われている五重塔を持つ大きなお寺があったそうだ。参考:【ふるさと探訪】綾中廃寺(移住立国あやべHP)

 国鉄時代、舞鶴線拡張工事の際に「真如院」と書かれた自然石が発見され、綾中廃寺に関係があると言われている。今はアスパがあるあたりにお寺や郡役所が建てられていたのだろうか?

 綾中町は江戸時代から戦前までは「中村」と呼ばれていた。何鹿郡が合併して綾部市になった際、綾部、梅迫、小畑に3つの「中村」があったため、それぞれ「綾中町」「梅迫中町」「小畑中」と地名を変えた。

 戦国時代に綾部地区を支配した豪族梅原氏は江戸初期に綾部藩主として九鬼氏が来られた際に、川糸町の綾部高校由良川キャンパスのあたりにあった自らの屋敷を九鬼氏に譲り、自分たちは「中村」に移ったと伝わっており、それが今の綾中町のことである。

 綾部の地名を辿って「ブラタモリ」してみると面白いと思っている。

 夕方には散髪に行った。blogの写真を見ると髪の毛がボサボサだなと感じたので。

 ここのところ、昼は挨拶回り、夜は忘年会という日々だったが、今夜は予定がないので家でゆっくりします。


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日本人が知っておくべき この国根幹の重大な歴史

2023年12月08日 | 歴史の探求

 日㈭朝8時過ぎ事務所を出て、10時半から自民党府議団の文教部会出席。部会では意見書の取り扱いについて意見を述べた。

 12時半から議員団会議13時から府議会の代表質問出席した。

 17時前に終わったので、急いで綾部に戻り、18時半からITビルにて、綾部商工会議所(材木正己会頭)主催令和5年度商工優良従業員表彰式懇親会出席した。

 来賓や主催者が「お楽しみ抽選会」のくじを引く係をするが、当たった人、当たらなかった人、様々な展開があり、皆さんで盛り上がる。

 

 日㈮今朝8時過ぎ事務所を出て京都へ。

 11時から府道広野綾部線及び綾部環状道路改良促進協議会(平野正明会長)役員の皆さん、京丹波町側の片山誠治府議ら京都府建設交通部の林龍夫技監へ事業促進の要望活動を行った。

 本来は濱田禎部長に要望することになっていたが、京都府土地開発公社の汚職事件に絡んでの緊急会議が入ったそうで、技監および建設交通部幹部に要望することになった。

 先日の土木事務所長への要望に続き、今日は建設交通部に対して要望。綾部市が改定を進めている都市計画マスタープランの内容と綾部環状道路の整合性を説明し、まずは先行して進めていただく三俣綾部線、安場田野線の道路拡幅、歩道設置、バイパス化を進めていただくことと、野田町踏切から終点に向けての計画進捗を強く要望した。

 

 11時45分からは副委員長を務める新技術と社会づくりに関する特別委員会(森口亨委員長)正副委員長会出席した。

 12時からは昨日に引き続いて、自民党政調会の文教部会で意見書についての協議。

 ここ数日、何度話をしてもいっこうに決着しないため、「時間をかけて話し合うなら今議会での提出を諦めて今後じっくり話し合う、今議会で提出するなら内容はある程度で割り切って、まとめるべき人間がまとめていこうとしなければ、こんなものはまとまらない」と意見を述べた。

 12時半から議員団会議。13時から代表質問。終了後は綾部に戻った。


 以前購入していた「日本人が知っておくべき この国根幹の重大な歴史」(加治将一、出口汪著、ヒカルランド発行、2015年4月)を読み返している。

 この本を読み、今の国政を揺るがしている「裏金」問題を観ると、明治以降の日本のバランスをとってきた大きな力が働いて、岸信介系から吉田茂系に日本の支配を小転換しようとしているのかな感じる。

 薩長土肥の藩閥政治がこの現代にも続いているのかと信じられない気持ちであるが、綾部の歴史に関心を持って調べてきた身からすると「そうなのだろう」という気持ちもある。

 安倍派が混乱し、岸田政権が倒れると、次は安倍さんと関係が遠く、麻生さんが動かしやすい、鳩山一郎系ではないところから次の総理が出てくるのか?ただ、いったんは選挙に勝つために小泉進次郎や石破茂、財務大臣だけは鈴木俊一で押さえておく。そんな感じなのかなと考えている。


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ラピタ土器研究の権威、サマーヘイズ教授が来綾

2023年12月01日 | 歴史の探求

 121日㈮早くも師走に入った。

 9時から綾部中学校(小林治校長)学校運営協議会(会長:四方源太郎)出席。授業参観をしてから、約1時間、委員の皆さんと学校との意見交換が行われた。

 私から先日の北海道の学校視察で感じたことこれからの教育について考えていることお話した。

 「まずは子ども達が何をしたいのか?」、それを出してもらって、我々はその子どものやりたいことを応援するという姿勢で臨み、現在の公民館活動などの既存の仕組みに子どもを当てはめようとするのは難しいのではないかとも述べた。

 今年の綾部中学校は先生方も生き生きとしているように思うので、生徒や保護者の満足度も上がっているという学校アンケートの結果も出ていた。

 

 12時半には綾部市資料館へ。昨日から綾部旅行に来ておられたニュージーランド・オタゴ大学のサマーヘイズ教授(考古学)と大学生の娘さんのキョウカさん、その友人のミアさんをご案内した。サマーヘイズ教授は1月末まで日本におられ、娘さんとその友人は1ヶ月ほど、日本旅行に来たとのことだった。

 昨日黒谷和紙づくりの体験をされて奥上林の農家民泊に泊まり、今朝は味噌づくり体験の後、光明寺二王門を観て来られたそうだ。

 サマーヘイズ教授は先日、丹後の古代の歴史を調べる旅をされ、今日は綾部に来られた。当初、私市円山古墳に行くとおっしゃっていたが、まずは資料館の展示で全体像を把握されたらどうでしょうか?と提案した。

 資料館の方「説明できる者を呼びましょうか?」と親切に言ってくださったので、ここにおられるのかと思ってお願いすると、岡坂敬子館長と技師さんがわざわざ市役所から来られた。

 サマーヘイズ教授は説明にうなずき、館内を興味深く観て回られて様々な質問をしておられた。

 教授はラピタ土器研究の世界的権威であり、ラピタ土器とは台湾にルーツがあり、人類史上初めて遠洋航海をして太平洋の島々に住み着いたラピタ人が使っていた土器のこと。1952年、ニューカレドニアで発見された。ラピタ文化は3600年ほど前にメラネシアで発生したものらしい。

 資料館に展示されていた石斧を観て、教授は「これは2万年前の石斧と形状がよく似ているのでそうかもしれない」とおっしゃっていた。本当にそんなものがあるとすれば凄いことだ。

【追記】サマーヘイズ教授から、改めて教えていただきました。

 縄文時代は約12000年前から10000年くらいまでの間で氷河期が終わる頃から始まっている。2万年前はまだ旧石器時代なので、綾部でも旧石器時代の痕跡があり、綾部市史にも旧石器時代の石器が昭和40年代後半に綾部で発見されたことが記されている。

 沖縄県の石垣島でも人類の歴史は4千年程度と考えられていたが、サマーヘイズ教授らが西表島で見つけた石器が旧石器時代に似ていると論文を書いたところ、沖縄の考古学者から袋叩きにされた。

 その後、石垣島での空港開発で2万7千年前の人骨が発見され、サマーヘイズ教授の推論が正しかったことが証明されたそうだ。

日本経済新聞2017年5月19日付「石垣島で国内最古の全身人骨 2万7千年前と推定」

 

 資料館見学後昼食「ひと粒」にて。娘さん達はカレーうどんが大好きだそうだ。ニュージーランドにはカレーうどんはないそうで、「それならニュージーランドでカレーうどん店を開いたら儲かるのではないか?」と勧めた。

 日本の食べ物で何が一番好きか?と聞くと、和牛のステーキだと答えてくれた。

 昼食後に記念撮影して別れ、教授一行は綾部特産館に向かわれた。綾部の抹茶などを買われるそうだ。

 

 15時、先日着任された新しい綾部警察署の中田勝康署長が事務所に挨拶に来られた。

 前署長がご家庭の事情で転勤された後任で、綾部市内の治安情勢のことなど、いろいろとお話をさせていただいた。

 

 18時半から、あやテラスにて、綾部市スポーツ協会(小寺哲朗会長)納会に出席した。久しぶりに人数制限のない納会となった。

 終了後綾部市空手道連盟の皆さんと二次会へ。消防団の方々との飲み会後に綾部まで一緒に来られた片山誠治府議とも合流した。


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スイダニ氏、タリフィル氏に綾部を案内

2023年10月08日 | 歴史の探求

 日㈰朝9時奥上林の鳥垣にある「和宿オリジン」へ。昨日、ソロモン諸島からお越しになったダニエル・スイダニ前マライタ州知事一行をお迎えに行った。

 まずは君尾山の光明寺二王門にご案内した。森の寺」事業で英語の案内板もあって、説明ができて良かった。

 下山後、「二王の栖」でコーヒーを飲んで休憩。その後は里山ゲストハウス「クチュール」を経営する工忠照幸さん企画された「もち米の稲刈りイベント」に参加した。

 今回の宿探し「英語が通じる農家民泊ありませんか?」とお二人を受け入れた早川理恵子さんから質問があり、工忠さんを紹介したが、工忠さんの宿が満室だったのでオリジンさんを紹介していただいた。

 ついでに「稲刈り体験はどうですか?」と勧めていただいたので、鳥垣の集落内での稲刈りイベントに半日参加させてもらった。

 鳥垣集落の皆さんが有機無農薬で育てられたもち米を収穫体験するイベントだった。稲木で干すという本格的な稲刈りで、このもち米を使って年末には餅つき大会が行われるそうだ。体験には大阪、兵庫などからお子さん連れなど、20名ほどの方が参加されていた。

 綾部市遺族会の熊内輝夫会長も鳥垣にお住まいで、今日は稲刈り指導をしてもらった。スイダニ氏は稲刈りは初めてで、タリフィル氏は高校生の時に体験したことがあるそうだ。

 途中で手刈りの機械に興味が湧いたようだった。熊内さんは「50年前の機械で、もう日本では売ってへん」とおっしゃっていた。志摩機械の山下くんの指導で機械の体験もさせてもらった。

 彼らは貸してもらった「長靴」も気に入ったようで、僕が履いていた柔らかい素材の「長靴」にも興味が湧いたらしい。「これで水にも入れるのか?」「いくらで買えるのか?」と興味深々だった。

 次の予定があったので、早めに昼の弁当を食べ、先に失礼した。スイダニ氏「政権を取り返して、必ず良い国にしますから、皆さん、ソロモン諸島にお越しください!」と挨拶し、拍手喝采を浴びておられた。

 

 午後はまずグンゼスクウェアに行き、グンゼ博物苑を見学。ここにも英語表記があれば、もっと理解してもらえるのになと感じた。

 グンゼ集蔵で開催されていた「あやべ写真サロン展」を見学した。綾部の四季の風景を観ることができて、「美しい」と喜んでおられた。綾部には雪がたくさん降ることも見せてあげることができた。

 続いて、あやべ特産館へ。スイダニ氏は昨日飲んだ抹茶が気に入られたそうなので、綾部抹茶を買って差し上げた。

 タリフィル氏が「どうしても買いたい」と言っていた「長靴」を求めてストックへ。28センチまでのサイズしかなく、タリフィル氏には小さいようにも思ったが、彼は「これでいい」と言う。

 次の選挙では「泥のぬかるみの中を歩いて選挙運動しなくてはならないから」と言うので、「これで選挙に必ず勝ってね!」と二人に長靴をプレゼントすると大変喜ばれた。ストックの「長靴」で必ずや勝利してほしい。ワークマンの方が良かっただろうか?

 アスパアイスクリームを食べて休憩。彼らはシューズベルでサンダルを買っていた。

 15時からは綾部中学校吹奏楽部全国大会出場記念コンサートに行った。(コンサートの詳細は別途書きます)

 最後今日明日の食べ物の買い出しスーパーマーケットへ。アテンド役の早川さんは大変お疲れで、明日は一日動かずに家でお休みされるとのこと。明後日からは静岡県の焼津市に行かれるそうだ。

 最後は綾部駅へお送りしてお別れした。選挙に勝って、また会いましょう!と激励した。

 タリフィル氏からは後で「Good evening my friend. Thank you for every help you have done for us and especially the two shoes. Celsus」というメッセージ送られてきた。「長靴」をずいぶん喜んでいただいたようだ。

 昨夕「我々が綾部に来て、皆さんにとって何か意味があったのだろうか?」と問いかけていた。高橋輝くんと相根一雄さんは即座に「意味があった!」と応え、タリフィル氏はホッとした表情を浮かべていた。

 彼らは「何のために綾部に来たのか?」。大本、上林、君尾山、稲刈り、水源の里、グンゼ、綾部茶…。彼らは原点のパワーを得るために綾部に引き寄せられたのだと思う。だから、「オリジン」という名の宿にも泊まることになったのだろう。

 エディ・マーフィー主演の映画「星の王子 ニューヨークへ行く」のような二日間のお付き合いだったが、私にとっても目を開かされたような二日間だった。

 「首相を目指す」という彼らの夢が実現してほしいと願っている。


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山家歴史の会の鮎茶屋懇話会

2023年09月16日 | 歴史の探求

 16日㈯12時から、山家歴史の会(有道大作会長)の主催による「鮎茶屋懇話会」に出席した。私は子どもの頃から歴史が好きで、特に綾部の郷土史には関心が深いので、2ヶ月ほど前有道会長のお誘い山家歴史の会に入会した。

 山家地区上林川と由良川の合流点に位置しており、ここで獲れる鮎は美食家、北大路魯山人が「日本一の鮎」と絶賛したとして知られている。

 毎年、やな漁も行われてきたが、災害とコロナの影響で今年もやな漁は行われていないが、この三連休に鮎茶屋がオープンし、鮎の塩焼きなどが販売されている。

 山家歴史の会では山家城址が国指定史跡になるように働きかけや取り組みを進めておられ、今日そのための学術的な支援をしていただいている亀岡生涯学習市民大学黒川孝宏学長(元亀岡市文化資料館長)龍谷大学大学院文学研究科長である國下多美樹文学部教授にもお越しいただいた。

 綾部市山崎善也市長、綾部市教育委員会村上元良教育長らもお越しになっていた。

 山家城江戸時代初期山家藩1万石の初代藩主、谷衛友公が築いた城幕末まで谷氏の居城であった。近年、石垣や井戸が発掘されて整備されるなど研究が進んでいる。

 城がハードなら、城主はソフト。「谷の殿様」はもっと綾部市民が知って広める価値のある大名であると思う。なぜなら、綾部市域の多くは谷氏の領地だったからだ。

 そういった話を黒川先生や國下教授と話している時、隣りに村上教育長がおられ、「教育長の出身地の志賀郷の内久井は山家谷氏の分家である十倉谷氏の領地だったと思いますよ」と話した。内久井、金河内、坊口、仁和などの方々で守っておられる阿須須伎神社毎年2月3日の茗荷祭で占った稲の吉凶を十倉谷氏に報告していた。坊口や仁和は兵庫県柏原の織田藩領だったようなので、それはどうだったのか分からないが…。

 2019年12月11日に発行した「げんたろう新聞」135号コラム由良川にも、山家の谷氏について下記のように書いていた。

山家城址での「もみじ見物」を兼ねて「山家郷土歴史資料館」を見学した▼案内いただいた有道大作さんから「山家藩領の村々と石高について」という資料をいただいて気がついた。現在の綾部市域の半分以上は山家藩主・谷氏が領有していた▼九鬼氏の綾部藩は「綾部」を名乗っているので、綾部市のほとんどは綾部藩だと考えがちだが、実は分家も含めた山家藩の支配は、現在の山家地区だけでなく、口上林(十倉)、西八田、東八田、吉美、志賀郷、豊里(位田)、中上林(五泉)、奥上林(光野、老富、小仲)と実に市域の半分以上に及んでいる▼山家藩の初代藩主・谷衛友は美濃国(岐阜県)の生まれ。信長、秀吉、家康に仕え、天正10年(1582年)に山家に移封された。数々の武功を上げ、秀吉の九州征伐では味方の草履を引っ張り、倒してまで一番乗りの功名を立て、秀吉に勇敢さを称賛された▼関ヶ原では西軍につき、田辺(舞鶴)城の細川幽斎を攻めたが、攻撃では空砲(谷の空鉄砲)を撃ち、家康に所領を安堵された▼加藤清正に「バカ」と罵られたと勘違いし、清正の膝を足で押さえて、その脇差に手をかけ、清正を恫喝したという豪快な逸話も残されている▼来年のNHK大河ドラマには「谷の殿様」が登場しないかも注視したい。

 清流の流れる音を聞きながら、炭火であぶられ、パリッと焼かれた美味しい鮎を食べながら、歴史談議に花を咲かせた楽しいひと時だった。


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山家駅から上林をつなぐ構想

2023年08月19日 | 歴史の探求

 19日㈯9時過ぎから1時間半ほど、綾部中学校と桃映中学校の野球部の練習試合見学に行った。新チームでの初めての練習試合だった。

 他のクラブでも、綾部中学校の生徒たちは近畿や全国の大会に数多く出場し、頑張っている。

 温二郎は新チームでは副キャプテンとなり、以前よりは少し動きが野球選手らしくなってきた。今日も定位置のセカンドの守備についていた。

 打つのは重心が後ろにあって打てそうにないので、ファーボールでも何でも出塁することを心がけてほしい。

 セフティスクイズのサインが出て、バントはできたが、転がした位置が悪く、三塁走者は突っ込めず、自分もボールの位置を確認して振り向いたこともあり、一塁でもアウトになった。

 

 11時からは建築デザイン事務所アトリエボンド代表の戸村聡里くんの依頼で、Trip Hut(トリップハット=旅する小屋)の共同事業者である志賀郷杜栄今西恵一社長西村工務店の西村昌代社長と、今回新たに綾部に来られた金融機関や税理士法人の関係者などを案内して、綾部市の東部地域を巡った。

 戸村くんは、山家駅を起点、あやべ温泉を終点として、府道小浜綾部線(府道1号線)の沿線にある飲食店や宿などを線で結び、「上林」の観光や農産物をブランド化して付加価値を高めよう考えてくれている。

 私には山家や上林の歴史や風土を説明してほしいと依頼があって、同行した。この企画を持続可能なものにする意味でも、コンセプト(志)をしっかり共有しながら、経費を賄う利益が出る事業でなければならないので、今回金融や会計、まちづくりの専門家に来てもらって、企画をブラッシュアップすることが目的だった。

 最初は起点である山家駅を訪ねた。山陰本線で綾部駅の手前にある無人駅で、普通列車しか停車しない。時々、寝台特急瑞風が停まる。(乗降はできない)

 京都府以前、山家駅の駅再生事業に取り組んだが、駅の外側に「道の駅」を創るのが事業の中心だったので、実際に駅のホームに立ったのは初めてだった。戸村くんここを「上林」への旅の起点にしたいと考えているが、駅の横断橋の目隠しで山家の美しい風景が見えないのが残念だと言う。

 目隠しがなければ、こういう絵になる風景が一望できる。

 駅を出ると目の前に開ける風景にも大きな魅力があると力説してくれた。

 京都市から1,000円ちょっとで来れるので、夏休みなどに幼いお孫さんを預かる時、おじいちゃん、おばあちゃんが孫を電車に乗せて山家駅に着くと、そこには様々な自然を活かしたアドベンチャーワールドで楽しめるようにしたい以前から私も考えている。

 

 その後は山家駅から歩いて5分ほど上原橋(吊り橋)へ。由良川の絶景を望む。

 東山町へ。ここは京街道(舞鶴から京都へ向かう田辺街道)と上林を経て若狭に通じる若狭街道の分岐点に位置し、江戸時代には旅籠や商店などが立ち並ぶ宿場町であった。また、山家藩の城下町でもあった。

 街道から川の方に下る上林川と由良川の合流点東山公園があり、散策路などが整備されている。下る途中の道には空家が多いが、戸村くんに言わせると昔の家や蔵の土壁の土はサスティナブルな家づくりの材料として、大変価値が高いそうだ。

 有道佐一画伯の自宅はちょうどこの上にあるが、ここの風景は有道画伯の絵そのもので感動した。この散策路は「サイチ有道」という道にしたらどうだろうか?

 関西電力の水力発電所もある。橋上町から水を取って、水路で流し、ここで川に落としてタービンを回し発電する。

 続いて、口上林十倉中町にあるオーベルジュKIKUYAに案内し、店主駒井靖さん紹介した。駒井さん上林の活性化に協力したいと思っておられるので、この先、良い関係が構築できないか考えている。

 続いては奥上林の集落へ。Trip Hutのモデルハウスを建てる補助金を申請中で、申請が通れば、それを建てる場所をどこにできるかと検討中だ。

 上林谷にはもっと魅力があるのだが、移動距離もあり、4時間くらいでは全く時間が足りなかった。今回は「風景」に視点を置いた巡り方をしたが、他にも「歴史」「食」「宗教」「スポーツ」「生態系」「健康」「川」などいろんな巡り方が考えられると思う。

 最後橋上町の集落を抜けて、山家城へ。戦国末期には豪族和久氏が治め、豊臣政権下では谷氏が大名として入り、幕末まで谷氏の山家藩の中心として栄えた城である。

 山家城から東山集落を望む。左奥には東綾小・中学校の白い建物が見える。

 

 夕方には志賀郷杜栄の事務所にて、今後の事業展開や採算性、マーケティング、資金確保の方法などについて、今日の視察結果も踏まえて議論した。

 18時過ぎからはさらに志賀郷杜栄の作業場に場所を変えてBBQをしながら、議論は23時過ぎまで続いた。こうやって企画を叩き上げていくことで、良いものになっていくのではないかと感じた。

 Trip Hutは日本人に新しいライフスタイルを提案する商品として、綾部の森林整備、空家活用、移住定住などにつながるため、成功させるために私も協力したい。


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ルナウェアの岩本社長と

2023年05月09日 | 歴史の探求

 日㈫午前中「げんたろう新聞」を配りに、あやべ台団地多田町へ。田植えなど農作業に皆さんお忙しそうだった。

 

 午後京都府の今年度の事業箇所の説明に、中丹東土木事務所長中丹広域振興局の農林商工部長らがお越しになった。

 綾部市内でも事業は着々とは進めていただいているが、中丹東土木事務所管内では舞鶴市内で約30億の事業に対し、綾部市内では約10億と大きな開きがある。これが少なくともここ20年ほど続いており、そろそろ綾部に大きなお金を回していただく時期ではないかと思っている。

 農林事業に関してはそんなに差があるわけではなく、綾部市内でもほ場整備、治山事業、ため池改修、森林整備などを進めていただいている。

 

 同級生由良ノリエちゃんからの誘いで、コドモエナジー㈱(大阪市)岩本泰典社長を紹介してもらい、一緒に会食させてもらった。

 コドモエナジー㈱では「ルナウェア」という有田焼を加工して作る「光る石」を使った商品を販売しておられるそうだ。漫才師シャンプーハットてつじさん綾部で古民家を購入して活動していることから綾部との縁ができ、何度かお越しになっているそうだ。

 岩本社長第4回ものづくり日本大賞(経産省所管)内閣総理大臣賞を受賞されるなど、アイデアと行動力で様々な事業を展開しておられるとのこと。本社は大阪市だが、工場は福島県の川内村にあり、震災復興にも協力しておられるそうだ。

 なぜ綾部が人を惹きつけるのか、それはこの土地が持つ「力」なのだと思うが、「力」のあるところで生きていくには、その「力」に負けないだけのエネルギーは必要だ。だからある意味苦しいし、うまくいかないことが多い。マラソン選手が高地ではタイムが出ないように、綾部は精神的修養にはなるが、ここではなかなかうまくいかないという土地柄があると思っている。

 それにはこの土地や人にまつわる歴史が深く関与していると考えており、そういうことの話をいろいろとさせていただいた。長い目でお付き合いいただければと思っています。


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故小渕元総理の奥様と娘さんが来綾

2022年11月28日 | 歴史の探求

 28日㈪朝から京都へ。12時半から議員団会議、13時半から府民環境・厚生常任委員会の正副委員長会に続いて、14時から委員会が開催された。

 大阪商業大学原田禎夫准教授参考人にお招きし、「京都府の廃プラスチック資源循環対策」について、説明をお聴きし、意見交換した。原田准教授亀岡市にお住まいで、NPO法人プロジェクト保津川の代表理事として、亀岡市のプラスチック袋の廃止を市民活動の側で推進してこられたそうだ。

 

 16時に終わり、急いで綾部に戻って、17時半過ぎに神宮寺町にあるオーガニックレストラン「綾部つむぎ」に行った。

 合気道吉照塾・綾部道場の責任者であり、福知山市㈱ホクシンリフトを経営しておられる川勝優さんから、故小渕恵三元総理の奥様長女小渕暁子さん綾部にお越しになっているとお聞きし、挨拶に伺った。川勝さんとは私が顧問を務める綾部市武道協会でご一緒して親しくさせていただいている。

 暁子さん小渕優子代議士の実姉イラストデザイナーで、同行しておられたご主人鈴木光知さん服飾デザイナーをしておられるそうだ。

 川勝さんと小渕さんは旧知の間柄で、小渕さんが今、京都で展示会を開催しておられて、そのついでに綾部まで足を運ばれたとのことだった。福知山出身の日本画家、佐藤太清先生と小渕家は家族ぐるみで懇意にされていて、の縁で福知山には何度かお越しになっているそうだ。

(写真は左から小渕元総理の奥様、長女の小渕暁子さん、私。後列は左から暁子さんのご主人の鈴木光知さん、川勝優さん)

 今回はずっと訪ねたいと思っておられた大本本部を参拝されたそうだ。綾部のことを紹介した本をいくつかお渡しし、綾部の歴史やスピリチュアルな話を少しさせてもらった。「今度は綾部のスピリチュアルポイントをご案内しますので、ゆっくりお越しください」とお誘いした。

 30分ほどお話して、記念撮影して失礼し、18時半からは親しい方々との忘年会。


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世界連邦・夫婦別姓の勉強会、Eバイクでホタル狩り

2022年06月25日 | 歴史の探求

 25日㈯、午前中は事務所にて、事務仕事来客

 午後は世界連邦市民学習会に参加した。「世界連邦運動の必要性~ウクライナ侵攻をふまえて」題して明治の元勲、木戸孝允の子孫で、昭和天皇に仕えた木戸幸一内大臣の曽孫である木戸寛孝氏(世界連邦協会 常務理事)講師を務められた。

 木戸さんのお話2014年3月16日にも世界連邦の学習会拝聴した。その日のblog 四方源太郎日記「時代は回転する」こんなことを書いている。

 市民センターで、綾部世界連邦運動協会(鹿子木旦夫会長)の《まちかど講演会》を聴講。明治の元勲、桂小五郎(木戸孝允)の子孫で、昭和天皇に仕えた最後の内大臣、木戸幸一氏の曾孫にあたる木戸寛孝さん(世界連邦運動協会 常務理事)が「展望! 2020―近未来のリスク社会を読み解く!」と題して講演された。

 「時代は回転する」というのは、僕もよく理解ができる。
 これをできる限り、受け止める方がニュートラルに受け取れるように話すのは難しいが、そういうテーマを初対面の様々な思想ジャンルの人たちを前に、オープンな場で説明するという難しいことに果敢にチャレンジされた講演だった。
 そこに大変意義深いものを感じた。

 ただ、どこで回転するかと考えるポイントをズラすことで、未来の見え方もずいぶん変わってくるので、そのポイントの位置は僕のポイントと40年の違いがあるなあと思いながら聞いた。

 

 今日も同様の感想を持ちながら、その未来を読む力に恐れ入った。時代のポイント位置の「40年の違い」と自分で書いておきながら、どういうことか忘れていたが、80年+40年=120年ということだったのだろう。

 大本出口王仁三郎、すみ夫妻が結婚した「結び」の1900年から120年後の2020年何かがあると思って新年を迎えたら、コロナ(567)に襲われた。みろく(五六七)の世への胎動、再びの「結び」が始まったのだろう。

 

 15時半からは自民党綾部支部役員等に呼びかけての勉強会「選択的夫婦別姓について」を開催した。

 この勉強会を持ちかけてこられた選択的夫婦別姓・全国陳情アクションという団体通山潔くんは、先祖のルーツが綾部の奥上林にあり、今でもお墓と家があって、お父さんがその管理しておられるという。綾部とのご縁もある方なので、お引き受けした。

 今日の勉強会は賛成、反対と議論するものではなく、今後、そういった議論をする際の参考としていきたいと考えている。選択的夫婦別姓に反対の人たちの意見も聴いてみたいという声もあったので、そういう機会もできれば良いと思っている。

 自民党という政党は、政権政党として、様々な意見を包含できる度量がなければいけないと思っている。

 以前、共産党の中島祐子市議「ヨウ素剤の事前配布について、自分たちの想いを聴いてほしい」言って来られたので、与党市議と綾部市の担当職員に呼びかけて勉強会を開催したことがある。賛否双方の意見を聴いた上で、適正管理の点でヨウ素剤の事前配布はしない方が良いと思う中島市議には私の考えを伝えたが、様々な意見を聴くことで「真釣り」、すなわち、バランスがとれる。政治は「真釣り」事(まつりごと)と言われるように、バランスをとるために多くの意見を受け入れることが大切だ。

 山崎市長が最初の選挙に出る直前、旧知の京建労幹部と話をした際「京建労は共産党ではない。どこの政党の意見も聴く。綾部の事務所に〇〇という事務局長がいるから、役員会ででも話をさせて欲しいと行って頼んで来たらいい」とおっしゃるので、「そんなことないだろう」と思いながら、お願い状を持って頼んだら、やっぱり返事もなく、なしのつぶてだった。政権政党ではないから、その度量はなくても仕方がないだろう。

 

 18時半からは中上林にIターンして農家民泊を営んでおられる工忠照幸さん企画された「ナイトEバイクでホタル狩り モニターツアー」に参加した。毎回、MBTミーティングに参加してくださっている村上小百合さんからお誘いいただいた。参加者村上さんとその娘さん、同僚の方だけだったが、綾部に長年住んでいてもできない体験をさせてもらった。

 最初は奥上林二王公園にある拍屋さんで上林鶏と地元野菜の鉄板焼きを食べた。卵かけご飯も美味しかった。

 20時になり暗くなったので、中上林の市野瀬公会堂に移動し、そこから市志に向かっての約3キロをEバイクで走行した。

 Eバイクとは充電式の電動自転車普通の自転車よりもずいぶん楽に走ることができる。帰り道はほぼペダルをこがなかったので行きはずっと上り坂だったのだが、それに気がつかないくらい楽だった。

 途中、ホタルがたくさん出ていたが、スマホではホタルは撮影できない。生で観るしかないというのも良いのだろう。「綾鷹」で有名な宇治茶の上林家の菩提寺があったとされる「上林殿塚」まで来ると、市志集落まであと500m。

 集落に着き、後ろを振り返るとホタルの大群が山を覆っていた。

 最近、奥上林のあやべ温泉の近くにオープンした「二王の栖」を経営する舞鶴の志摩機械で、奥上林担当の従業員として最近、入社した昆虫博士の山下くん解説してくれて、ヒメホタルも初めて観た。光り方が全く違った。線香花火のようだった。

 自動車では通り過ぎてしまうのだろうが、田舎の魅力再発見ツールとしてEバイクにも可能性を感じた。


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