四方源太郎日記(京都府議会議員・綾部市選挙区)

これからの綾部のために、さらなる「挑戦」を!

「選挙」の一年

2007年12月31日 | 選挙

 今年もあと数時間で終わる。長くて、短い一年だった。

 今年は「選挙」がすべてだった。

 28歳の時の市議選に出ようと考えて、大学を出てから、東京で雑誌編集や政治関係の仕事をしていたが、卒業後2年目の暮れに、府議であった父が市長選に出馬することになった。

 Uターンして4年目の、28歳で市議選に出馬しようとしたが、「親子で市議会で議論するのはおかしい」という声が多く、「もし出れば、市政に悪影響を及ぼし、綾部のためにならん」と周囲から止められた。

 たしかにそれもそうだと考えて、それなら舞台の違う府議会を目指そうと方針転換した。

 そこから4年後の今春、自民党公認を得て、府議選に立候補したが、1794票届かず落選した。

 選挙前から妻の実家に預けられていた息子は、負けたと聞いて、ビックリするほどの大きな声で「ワーン!」と泣き出したそうだ。2歳の子どもでも、なんか分かったんだろう。
 家に帰ってきた時には、「ゲンチャンが負けた、ゲンチャンが負けた」と言いながら笑っていた。そして、久しぶりの親子三人の夜に安心したのか、すぐに寝てしまった。

 その寝顔を見ながら、「自分が落ちるよりも、自分の子どもが落ちる方が辛いなあ」と思った。そう考えると、自分が落ちたのは、まだ救われると思った。

 同時に、明日からも普通に市長をしなければならない父の方がもっと苦しいだろうなと思った。大学3年の冬、「政治家になりたい」と言った時に、なぜ父が賛成してくれなかったのか、そういう気持ちも少し分かった。僕でも「自分はいいけど、息子にはこんな気持ちを味あわせたくない」と思う。

 次の日の朝、両親に「すみませんでした」と挨拶して、選挙事務所の撤収に行った。若いみんなも仕事を休んで、手伝いに来てくれていた。

 翌々日、とてつもない空虚感に襲われ、「しばらく何もしない」と妻に宣言して、寝込むことにした。

 妻は、炊き出しや電話当番、うぐいすなどでお世話になった女性の方々に、お礼の電話をかけ始めた。そして、「電話したら、みんな次も応援するで頑張んなよと言ってくれてや。わたしが仕事して、次の選挙資金も稼いであげるから、お金のことは心配せんと、動き出しな!」と言って泣いた。

 「そうやな…」と思って、立ち上がろうとした時に、輝くんと卓ちゃんが引っ張り出しにやって来てくれた。
 落選後2日目の午後、手紙を書いて、後援会役員のお宅にお礼とお詫びに回った。輝くんも一緒についてきてくれた。回るうちに元気がでてきた。

 その日の夜、東京の出張先から父が電話してきた。2日目には動き出したことを知り、「わしも1週間は外に出れんかったけど、41歳で落選するんと33歳で落選するんの違いやな」と喜んでいた。

 落選4日後には、選挙を応援してくれた若いメンバー20人ほどで集まって、激励会を開いてもらった。

 並松町を全戸回ることから始めて、約1ヶ月で800人ほどの後援会役員のお宅を回った。

 それが終わると、後援会本部役員会を開いた。役員さんに向けて、「げんたろう新聞」を毎月出したいので、その配布へのご協力をお願いして、引き受けていただいた。

 自民党綾部支部も新体制に代わり、副幹事長兼総務部長に就任した。

 夏は参議院選挙があり、秋はいつものようにバタバタと忙しく過ぎた。

 年末の挨拶回りを終え、年賀状もだいたい目途がついた。

 他人事では、政治や社会は絶対に良くならない。みんなが参加して、自分の手で良い政治を作り上げようとする気持ちを持てるような環境を整えることが大切だと思う。

 みんなが参加する、参加できる政治を目指す。志はさらに強く、決して曲げない。

 「呪い」ではなく「祈り」を大切にして、来年も明るく元気に頑張っていきたい。

 今年のような年は二度と繰り返したくないけど、人生の節目に本当に大切な一年だったと改めて思う。

 今、そういう心境になれて、前向きに進めているのは、回りで支えていただいているたくさんの皆さんのおかげだと思います。

 ありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いします。


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警戒終了

2007年12月30日 | 消防

 今年も、本当に終わりが近づいてきた。

 夜は消防の年末警戒に出た。28~30日の3日間の警戒だが、最終日は来客もほとんどない。静かな警戒だ。

 久しぶりにポンプ車の運転をした。ミッション車はこれしか乗らないので、危ういことだ。

 警戒終了後、北原さんと部長とで飲みに行った。帰ったら、3時を回っていた。


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良い弟

2007年12月29日 | 家族

 一日、年賀状書きをした。

 夜は卓ちゃんと耕治とで忘年会をした。丹波ブランドを東京で売り出すことについて話し合った。

 「東京で稼いだお金を綾部に落としたい」という耕治に全部おごってもらった。この考え方でいうと、綾部に住んでいる限り、どこに行ってもおごってもらえることになる。「良い弟」は持つものだ。


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先が見えない

2007年12月28日 | 政治活動

 昨日の好天から打って変わって、今日は朝から雨降りだった。

 月末の支払いをした後、今日も一日、挨拶回りをした。

 ポスターを貼ったり、本を配ったりしながら、西部地区を中心に回った。

 会社に戻ると、田中さんが一人で大掃除をしてくれていた。会社がきれいになっていた。

 夜は年賀状書き。なんとか早くに完成させたいが、こちらはまだ先が見えない。


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いかるがと三重大

2007年12月27日 | 論評・研究

 午前中は挨拶回り。今年一年は本当にあっという間だった。

 午後は13時に、奈良県の斑鳩町から、エンデの遺言のビデオを借りに来られた方があった。綾部の何鹿(いかるが)と奈良の斑鳩(いかるが)で、なんか因縁深い気がした。斑鳩町も人口3万人で、綾部とほぼ同規模の町なのだろう。

 その方のご主人が三重大学人文学部の出身で、今は大阪で大学教員をしておられるそうだ。「学閥の壁の中で苦労しているんです」とおっしゃっていたが、三重大を出て、大学教員として頑張っておられる先輩がいるんだなあと嬉しかった。

 奥さんは姫路独協大学で教えておられて、学生に地域通貨やフェアトレードのことを説明するのが難しかったようで、「冬休み明けに学生にリベンジするために」とエンデの遺言を借りていかれた。

 14時過ぎに三扇さんに来ていただいて、一緒に新しい寄席企画の提案に行った。来年度、綾部で落語が楽しめる機会が増やせられたらなあと期待している。

 その後、また挨拶回りに。

 夜は年賀状の準備をした。


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ふーーん

2007年12月26日 | あやべ福祉フロンティア

 午前中はホテル綾部に行き、打ち合わせ。ものものしくと、お願いした。

 昼前から、安藤さん、高倉さん、まりこさんと京都に行った。府庁を訪ねて、綾部市内の教育に関する懸案をについて話を聴いた。
 「ふーん」と思うところがあり、やはり、思っているのと実際に話を聴くのとではずいぶん違うなと感じた。
 話は広がり、他部署からの人にもわざわざ来ていただいて、説明を聞いた。「これは違う部署の管轄なんです」と言われて、「それなら…」とその部署に行こうとしたが、さすがは安藤さんが公務員対応に手慣れておられて、向こうから来てもらうことになった。

 府庁の後は、東山三条の京都オレンジの会の事務所を訪ねた。
Img_2111 「Wish Project IN 綾部」の計画原案を見せていただいた。計画が現実に近づきつつあって、嬉しいことだ。
Img_2119 綾部に戻って、18時半から、フロンティアの本部運営会議に合流した。

 その後、19時半過ぎに、並松商工会の忘年会に合流した。年明け早々の「ゑびす祭り」の甘酒接待の打ち合わせなどがあった。僕は9日の宵ゑびすで当番することになった。

 終了後は二次会に連れて行っていただいて、いろいろ話を聴かせていただいた。


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林田先生を偲ぶ会

2007年12月25日 | 哀悼

 今年も本当に大詰めだ。これからは挨拶回りと年賀状の準備に本格的に取り掛からなければならない。

 午後、林田悠紀夫先生を偲ぶ会に参列した。たくさんの方が来ておられた。Img_2067_2

 最初にビデオを観た後、市長が、中丹文化会館やオムロン誘致、府営工業団地、国道173号線など、林田先生の綾部に対する功績がいかに大きかったかを説明した。

 荒巻禎一元知事は副知事として林田府政を支え、その後、それを継承した荒巻府政の話などをされた。林田先生は時間があれば、どんな会合でも積極的に出て行かれ、「どこでも悠紀夫さん」と言われていたというエピソードなどを紹介された。

 奥田幹生先生は林田先生のお父さんの実家と奥田先生のお母さんの実家が同じ奥上林の睦寄町長野で、学生時代に農林省のエリートであった林田先生に挨拶に行かれてからのお付き合いで、様々な政治の局面での裏話などを披露された。

 永井幸喜さんは、東京あやべ会の副会長として、東京あやべ会の歴史とそれを林田先生とともに継承し、発展させてこられた様子を語られた。

 川北淳議長は、林田先生がグンゼ4代目社長の波多野林一さん以来、二人目となる綾部市名誉市民に推薦され、決定された経緯などについて話をされた。

 野々垣亨さんは、林田先生が通産省政務次官当時に企業立地の法案について、京都府で企業誘致が促進できるような法整備をしていただいたことについて、その功績を讃えられた。また、蜷川知事の後継者との激しい知事選での思い出話もされた。

 林田先生は、誠実で、真面目で、派手ではないが丹波人特有の粘り強さを持ち、真にふるさとを愛した素晴らしい郷土の偉人であるということを改めて感じた。

 両丹企画が創業して最初の仕事が、林田先生の半生を描いた「志高く、山河清し」(両丹経済新聞社刊)の製作だった。
 大変思い出深い、仕事だった。


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きよしこの夜

2007年12月24日 | 家族

 10時半から、政経懇話会の役員研修会があった。

 谷垣事務所の秘書の村上さんが、「秘書仕事」について、ミニ講演をされた。
 なかなか話しにくい問題をテーマにされ、一般には分かりにくいかもしれないが、自民党綾部支部の運営にも同じような部分もあり、僕には理解できた。
 後の懇親会の時にも、谷垣事務所と綾部支部が連携して、京都北部の自民党のために頑張っていきましょうと相互協力をお約束した。

 川北議長からは、議長の仕事についてのミニ講演があった。真面目に議長職に取り組んでおられる様子がよく分かった。毎日、出勤しておられるとは知らなかった。 

 日ごろ、聴いたことがない方の話を聴くのもおもしろい研修になるなあと感じた。

 最後に市長が「水源の里」などの最近のトピックスについて説明して、何人かが質問をされた。

 終了後は懇親会となり、皆さんと様々な話をさせていただいた。

 夜は、西町にサンタパレードを観に行った。今日は義弟家族がパレードに参加していた。パレードは美しかったのだが、西町の商店街がすでに営業時間を終えているところが多く、もうちょっと明るいほうが華々しくなるのではないかと思った。
Img_2040  19時からは、青野町の聖イエス会綾部教会のクリスマスコンサートに行った。
 結婚式を挙げさせていただいた教会で、結婚前から毎年ではないが、クリスマスコンサートに行かせていただいている。
 京丹波町のロゴス神学院の生徒さんたちの聖歌隊が来られて、美しい歌声を聴かせていただける。クリスマスの清々しい気分になれる。
Img_2044  小源太も一緒に行って、最後まで静かに聴けていた。
 最後の「きよしこの夜」は、一番大きい声で歌って、聖歌隊のお姉さんまでビックリさせていた。手を上でキラキラさせたり、手話を使ったり、音楽院で教えられたようにやっていた。

 前から2列目に座っていたが、途中、指揮者の真似をしたりして、お姉さんたちを苦笑させていた。知らない讃美歌まで、節を合わせて、一緒に歌おうとするので、さすがは音楽院で鍛えられているだけのことはあると驚いた。


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クリスマスイヴイヴ

2007年12月23日 | 家族

 朝、小源太を迎えに行って、アツ・トキも一緒に音楽院のクリスマス会に行った。

 レイチェルが来て、イギリス風のクリスマス遊びを教えてくれた。

 最初はプレゼント回しで、プレゼントが何重にも包まれていて、ひと皮めくるたびにお菓子とカードが入っている。止まったところの子がそれを順番に開けてもらっていく。
 ちょっとしたことだが、何が出てくるのかという期待とどこまで出てくるのかという期待が重なって、子どもがワクワクできるゲームだった。

 次は、「トレジャーハント」。いわゆる宝探しゲームで、カードをたくさん見つけられた子はプレゼントをもらえる。
Img_1899  目隠しをして、GO!の合図で子どもたちは探し回る。小源太は鈍くさくて、全然見つけられていなかった。

 次は椅子取りゲームだった。
Img_1904  小源太はいまいちコツが分からないようで、みんなよりも外側を回ってしまう。
Img_1908  うまく座れず、すぐに列外者になってしまった。涙をこらえて、じーっと立っていた。
Img_1912  また、もう一回が始まるが、やっぱり外側を回る小源太。
Img_1930  やっぱり、列外者になってしまう。今度はちょっとブーたれて座っていた。
Img_1931  アツキは年の大きい子に競り勝って、2位になっていた。
Img_1926  次は、就学前の子どもだけが踊るダンスゲームだった。ここはちょっとノリノリの小源太。
Img_1946  最後は、レイチェルが英語でクリスマスの絵本を読んでくれた。英語が分からないのに、熱心に子どもたちは絵本を見つめていた。
Img_1951  後は、ケーキとサンドイッチを食べて、僕は次の予定があったので、寛美ちゃんに任せて、ちょっと早めに帰った。

 午後は、桜が丘2丁目の村上さんのお宅で、げんたろう後援会・桜が丘2丁目分会の忘年会。村上さんには、げんたろう新聞を2丁目に全戸配布していただいていて、大変お世話になっている。

 落選後すぐに、「何を言われても、正攻法でやることをやって、理解していただける方を増やしていきましょう」と励ましていただき、「桜が丘2丁目は全戸に新聞を配ります」と引き受けていただいた。

 年末で仕事がお忙しい中、本来なら、こちらが慰労しなければならないに、逆に自宅にお招きいただき、鍋をご馳走してくださった。

 自民党綾部支部が先日出した新聞についても、新しい自民党のイメージを伝えることができたようで、村上さんの周辺でも良い反響があると言っていただき、うれしかった。

 夕方に上延に行った。上延サンタパレードにお義父さん、お義母さんが乗ることになって、小源太も一緒に乗せてもらうと、俊昭さんから連絡をもらった。
 お義父さんたちは、新婚の頃に、「新婚さん、いらっしゃい」のような番組に出演されたことがあり、それで「新婚消防車」に乗ることになったそうだ。

 小源太とトキヤは寝てしまって、途中で帰ってきた。19時半頃に上延の家のそばにパレードがやって来た。前に見たときに比べると、すごいしっかりした車ばかりになっていた。
 ディズニーランドのようだった。


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キミレンジャーも忘年会を

2007年12月22日 | イベント参加

 朝、少し会社に寄ってから、10時過ぎに中央公民館に行った。

 公民館フェスティバルのキミレンジャーショーで、キミレッドの声優をさせてもらった。今回は練習日に予定が重なっていて、全く参加できなかったので「ぶっつけ本番」だった。

 フェスティバル会場でも知り合いの方とたくさん出会って、話をしていたら、「早くリハーサルに!」という催促の電話がかかってきた。

 11時15分からが出番だった。今回は音響室から声を出すことになった。全体が見渡せて、今までで一番やりやすい場所だった。
Dscf5616  ショーが始まり、キングやブラックが出てきて、子どもたちをバッチリ怯えさせていた。
Img_1852  まりこさんがナビゲーターをされ、子どもたちも一緒にポーズを決めるなど、喜んでいた。
Img_1862  今日のショーは練習不足だったが、特に問題もなく、成功した。

 公民館フェスティバルにはたくさんの飲食模擬店も出ていた。里町「金曜会」が出しておられた「揚げたこ焼き」「コロッケ」「フランクフルト」を買った。
 他のたこ焼き、焼きそば、うどんは長い行列ができていて諦めた。

 中丹文化会館のホワイエには、各地区公民館の活動の様子が写真で紹介されていた。

 フロンティアの口上林支部の方々が売っておられた「へしこ寿司」(500円)を買って帰って食べた。僕は「へしこ」が好きなので、美味しかった。
Img_1867 Img_1866  夜は、キミレンジャーの忘年会が有岡公会堂であって、参加した。
 今日のビデオや昔のビデオを観ながら、話が盛り上がっていた。


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NEXTの理念

2007年12月21日 | NEXT

 なんだか街の中が気忙しい。

 銀行印が必要なことがあって、上延に行き、久しぶりに加奈っちと会う。卓ちゃんのお土産のうどんをゆでてもらって、釜玉うどんにして食べた。コシがあって美味しかった。

 夜はNEXT例会と忘年会だった。忘年会は栄亭で焼肉を食べた。古典文学講座の会場設営でアルバイトしたお金などで、毎年、忘年会は美味しいものを食べようということになっている。

 今年はメグちゃんが代表になって一年目だったが、年会費制も導入したりして、NEXTにとっては、また新しい一年だった。
 一番年下で、気苦労もあると思うが、自分の形を作ろうと努力してくれているので、最初から関わっている僕たちは、そういう新しい力をいかにして生かしていくかを考え、協力していかなければならないと思っている。

 自分がやりたいことだけをやるという人はたくさんいるが、他人のやりたいことを応援するという人を増やさなければ、結局自分のやりたいこともできないというのがNEXTを設立したときの考えだった。若者の互助組織として、「次世代の」という意味と「隣りの」という意味があるNEXTという名前をつけた。

 光くんが、月刊誌の配布やAYA委員としても頑張ってくれることになり、人が入れ替わりながらも、設立当初の想いを忘れずに、いろんなことに挑戦していけたらと思っている。


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精進上げ

2007年12月20日 | 政治活動

 午後1時からが葬儀で、その合間をぬって、来客やお届け、仕事などの用事をこなす。

 夕方、シティホールに戻り、精進上げをいただいた。

 夜は自民党の役員会。

 役員の皆さんに本当にお世話になって、あと少しでチケットは目標に到達するところまでになった。予定で聞いている分がキャンセルになるかもしれないので、年末年始にもう少し積み上げていきたい。

 谷垣派と古賀派の合流が決まったらしい。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071220-00000976-san-pol

 1月中旬に正式合意するそうだ。1月12日は、ものすごく面白いタイミングになる。

 飯島さんがそのことに対して何を言うのか?

 今の福田政権の状況では、谷垣先生の総裁への芽もふくらんできて、マスコミも発言に注目する時期になると思う。


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急報

2007年12月19日 | あやべ福祉フロンティア

 100歳になる大叔母さんが亡くなられたという急報が昨日入り、今日明日はお通夜と葬式になるため、今日中に急いで片付けなくてはならない仕事ができてきた。

 18時から、お通夜があった。おばあちゃんの妹さんで、僕も子どもの頃から、可愛がっていただいた。姉妹でよくうちの家に集まって、長い話をしておられたので、久しぶりに天国で集まって、おしゃべりをしておられることだろうと思う。

 19時頃に遅れて、フロンティアの忘年会に参加した。50名を超える大勢のボランティアの皆さんに参加していただいていた。中締めの挨拶をさせてもらった。

 その後、別の忘年会に呼ばれて、最後は福知山まで行き、日付けを超えて帰ってきた。

 自民党がYOUTUBEに自民党チャンネルを作ったそうだ。

http://jp.youtube.com/LDPchannel

 自民党ヒストリーという動画もある。興味のある方はご覧下さい。


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とりあえず、やってみよう

2007年12月18日 | NPO

 午後はユニセフ6周年実行委員会を開催した。

 来年秋に行う予定の記念事業のだいたいの内容は前回会議で決めたので、今日はその進め方の組織づくりについて提案した。

 組織というのは難しい。30人の構成員がいても、1人しか動いていなければ「1人力」だ。5人の組織の5人ともが動いている「5人力」の方が強い。

 組織を活性化する方法は、電子レンジ方式だと思う。構成員を微動させ、それがぶつかり合うことで、熱エネルギーとなる。

 誰かにできることは、誰にもできることなのだが、「自分にはできない」という決めつけが、動きを止めている場合が多い。

 今回の6周年事業は、「こんなキレイな事業ができました」と披露するものではなくても良いと思っている。
 まだまだ6才なので、とりあえず「やってみる」、今までにやれなかった「ちょっとしたこと」に挑戦する。

 ★会議で決める。(書類にする。変更の場合も会議で決める)
 ★連携を大切にする。(会議欠席の連絡もしっかりと行う)
 ★ベストよりもベターを求める。できないときは、できる方法を考える。

 上記のような「運営ルール」を改めて確認した。

 とりあえず、やってみよう。


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大蜘蛛

2007年12月17日 | スポーツ

 午前中はユニセフの三役会。

 午後は夕方まで、順番に来客あり。

 夜は久しぶりに居合いの練習に上杉体育館に行った。久しぶり過ぎて、また一からだ。
 下半身に力を入れると上半身に力を入れなくて良いことが分かった。明日は体が痛いだろう。

 先月から入会したという奥上林の男の子が来ていた。先日、大唐内の「大蜘蛛退治」の伝説を聞いていたので、なんか不思議な感じもした。


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