四方源太郎日記(京都府議会議員・綾部市選挙区)

これからの綾部のために、さらなる「挑戦」を!

府立医大小児科学教室 細井教授退職記念講演会

2021年03月28日 | 議員活動

 28日㈰年度末最後の日曜日少雨。朝から温二郎の少年野球大会に行くことにしていたが、雨のため中止となった。

 午後から事務所に行き、14時20分から、ご案内いただいていた「府立医大小児科学教室 細井創教授 定年退職記念講演会」ZOOMウェビナーで視聴した。

 細井教授とは産婦人科の北脇城教授を通して、ご縁をいただいた。

 そのきっかけは、今から8年前の2013年に、綾部市立病院の産婦人科で医師がいなくなり、分娩ができなくなったという危機的状況であった。そのとき、初めて府立医大を訪ねて、当時の吉川敏一学長にお願いし、産婦人科の北脇教授と何度もお話させていただいた。

 ピンチはチャンス、というが、難しい交渉をしていくうち不思議なもので「同志的感情」が芽生え、結果的に北脇教授とは大変親しくなった。綾部市立病院にも以後、産婦人科の常勤医を送っていただくようになり、産婦人科と関係の深い小児科の細井教授もご紹介いただいた。お二人には、昨年度、私が委員長を務めた子育て環境の充実に関する特別委員会参考人としてもお越しいただいた。(その模様は2019年12月16日付のblog記事にて)

 北脇教授も今春退官されるため、3月上旬には綾部までわざわざご挨拶にお越しいただいたし、細井教授には退官記念講演会のご案内をいただいた。細井教授は福知山市ご出身で、福知山高校におられたため、同郷のよしみもある。

 講演では、学生時代に医学を志した経緯その後の半生改めて聴き、同郷の先輩として、綾部高校の生徒たちにも聴かせてもらいたい内容だと思った。

 小児医学は奥が深いし、幅も広く、親である若い世代にも関心の高い分野だと感じた。

 春からは同志社女子大学の教授となられるそうで、これからも人間力あふれる医療人の育成にご尽力いただきたい。


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「わらしべ長者」の「打ち出の小槌」

2021年03月25日 | スポーツ

 25日㈭、朝、プロトレイルランナー奥宮俊祐さんらが来られて、綾部でのトレイルコースの調査結果について説明を受けた。

 奥宮さん現在41才平成27年第23回日本山岳耐久レース(ハセツネ)優勝されるなど、日本のトップランナーとして活躍しておられる。

 奥宮さんを紹介いただいたのは、㈱ギアチェンジ加藤洋さん加藤さん日本百名山などの活動にも携わっておられるが、昨年から綾部で取り組んでいる文化庁の補助事業、国宝・重要文化財の多言語化案内を充実させる「森の寺プロジェクト」で、デジタル技術を担っていただいている。

 奥宮さん昨年7月に最初に綾部に来られて、ルートの課題などお聞きしていたが、綾部市観光協会の白波瀬さんらも協力されて、調査を継続していただき、ようやく目途が立ったとのお話だった。

 綾部の豊かな自然を利用したトレイルランの大会が行われることによって、日常的にもあやべ温泉等に宿泊して山の中を走る人が増えれば、鳥獣が山の奥に引っ込んでもらえないかとも期待している。

 どんどん話がつながって事業が始まっていくのは童話「わらしべ長者」のようだ。実際にこういう人脈をどんどんつなげてくれる「打ち出の小槌」のような人が存在し、また別の新しいプロジェクトもおいおい姿を現してくることになっている。

 

 11時の特急京都へ。14時から、京都信用保証協会(山内修一理事長)理事会に出席した。府議会農商工労働常任委員長の当て職昨年6月から理事を務めているが、これまでは議会が重なって欠席だったので初めて出席した。5月には委員長を交代するので、おそらく最初で最後の理事会だろう。

 「一言ぐらい、発言しないとな」と思い、中期事業計画(令和3~5年度)および令和3年度経営計画の策定について、「われわれの地域では中丹支所の存在感をあまり感じない。《金融のできるコンサルタント》として、北部は支所ではなく、北部センターという扱いにして、決定権のある責任者が常駐して、もっと中小企業者の相談に乗ってほしい」と要望した。

 帰りは16時半の特急が減便されているため、16時8分の快速と園部駅から普通を乗り継いで帰ってきた。綾部駅に着いたのは17時51分だった。1時間強の会議に出席するのに約7時間を要した。

 

 26日㈮午後、京都新聞前綾部支局長八幡一男さんが来られた。

 綾部支局長時代グンゼ創業者・波多野鶴吉の連載をしていただき、今年、それを増補して出版されるそうだ。洋伯父が書いた「宥座の器」に続く、「波多野鶴吉本」の発刊を大いに期待している。

 私は洋伯父が「宥座の器」の連載や出版をした際に、その指示で調査や一部執筆をしていたので、持っていた取材メモや写真、資料などを出版に役立てていたければと八幡さんにお貸しした。

 八幡さんとは生年月日が全く同じ、という不思議なご縁もある。

 

 夜はNEXT(今川信吾代表)例会に出席した。コロナで行事も何もできないが、例会やラジオ放送は継続している。

 NEXTは1999年6月18日に創立したので、もう22年になる。創立時から10年ほど前まで、10数年にわたって発行していた月刊NEXTの通帳最近出てきて、1万3千円ほど入っていたので、今日解約してきて、本会計に入れた。

 

 27日㈯、午後は事務所に来て、事務仕事や原稿書きなど。


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綾部小学校の卒業式

2021年03月23日 | 家族

 23日㈫、午前中は綾部小学校(村上元良校長)卒業式に出席。長女の涼子小学校を卒業した。来賓はPTA会長のみ、在校生の参加もなく、式も簡素化されていたが、心温まる卒業式だった。

 6年前の4月、府議として2期目を目指す選挙戦の最中に、涼子は小学校に入学した。入学式には選挙のために行けなかったが、卒業式は参列できた。

 6年前に初めて小学校PTAの役員として監査になり、朝の挨拶当番に行ったとき、登校してきた新一年生の涼子はとても驚いた様子だった。そして、いったん教室に入った後で、再び校門が見える下駄箱のところまで出てきて、柱の陰からずっとこちらを見ていた。

 挨拶運動の後「涼子!」と、声をかけに行ったら嬉しそうにしていたのを覚えている。ずいぶん大きくなって、お姉さんになった。

 校長の村上元良先生涼子が1年生に入学した年に綾部小学校長となられ、卒業まで見送っていただいた。そしてこの卒業式の翌日、24日の綾部市議会において、綾部市教育長に任命することが市長から提案され、同意された。

 今後は、教育長として、綾部市全体の教育のさらなる充実発展のため、ご尽力ご活躍に期待します。

 

 午後は来客など。「げんたろう新聞」を4月から再発行しようと準備しており、校正が大詰めの最終チェックに入っている。4月上旬には郵送等で名簿のある方全てにお届けし、休刊の説明と今後の継続に向けたお願いをさせていただこうと思っている。

 

 夜は綾部高校PTA新旧役員引継ぎ会のため、綾部高校へ。4月からPTA会長を務めることになっている。

 例年は新旧役員が一堂に会して、懇親会も行われるのだが、今年はコロナの影響を考慮し、正副会長だけで事務的な引継ぎ会となった。

 新年度役員が綾部中学校区の方ばかりなので、綾部の他の学区や市外の方々の協力を得て組織体制をどう作るのか、その方法を提案し、検討していただくことになった。

 

 24日㈬、午後に西八田放課後学級竣工式に出席した。西八田小学校の敷地内に建物が新築され、これで綾部市内の全ての小学校区に放課後学級が整備された。

 

 今年は桜の開花が早く、入学式ではなく、卒業式と共に熊野新宮神社の桜も咲いている。退任や退職等、異動の挨拶にお越しになる方も増えてきた。


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2月定例会の閉会

2021年03月22日 | 京都府議会

 21日㈰、11時から地元並松町自治会(木崎仁巳会長)総会に出席し、挨拶させていただいた。日頃の御礼と共に、由良川築堤のことなどをご報告した。議事のみ懇親会は中止となった。

 22日㈪2月定例会今日で最終日のため、朝から府議会へ向かった。

 11時45分から農商工労働常任委員会正副委員長会、12時から自民党府議団広報委員長として府議団ホームページのリニューアルの打ち合わせ。12時半から議員団会議、13時15分から本会議が始まった。

 レアなことだが、「令和3年度 2月補正予算」最終日に知事から上程され、すぐに農商工労働常任委員会を開催し、質疑の後、採決

 議会運営委員会の理事会を経て、予算特別委員会で可決された後、再び本会議が行われ、討論の後、当初予算案含む全ての議案を可決して、2月定例会は閉会となった。

 17時半頃から府庁東門前で、自民党府議団の街宣活動久しぶりマイクを握った。

 18時前に終了して、20時前に綾部に戻り、事務所書類の整理


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サードプレイス

2021年03月15日 | 京都府議会

 15日㈪午後に綾部警察署三浦署長退任の挨拶に来られた。定年退職となられて、23日から新しい署長が着任されるとのことだった。

 今年はコロナによって、警察署長ともお目にかかる機会は少なかったが、来年度には府警本部で上林駐在所の建替え移転の予算も組んでいただくことが決まるなど、大変お世話になった。

 

 夜は、漫才師シャンプーハットてつじさんらと懇談てつじさん数ヵ月前に綾部の古民家を買われ、改修して〔サードプレイス〕(アメリカの都市社会学者であるレイ・オルデンバーグ氏が1989年に発表した著書『The Great Good Place』内で提唱した言葉。自宅〔ファーストプレイス〕でも職場・学校〔セカンドプレイス〕でもない、自分にとって心地の良い時間を過ごせる第三の居場所のこと)として活用されることになっている。

 てつじさんと、その後輩漫才師ミサイルマン西代くんすごくスピリチュアル驚いた西代くんとはほぼ初対面だったが、同じ歴史観を持っていて意気投合した。二人が綾部に引き寄せられたのも偶然ではないなと感じた。

 

 16日㈫朝7時12分の特急京都へ。特急の本数が減って、10時からの会議に間に合うように行くには、この時間に行くしかなくなった11時の会議に間に合うようにでも、この特急で行かないといけなくなり、大変不便になった。

 一方で、綾部駅でもようやくICOCAが利用できるようになった特急券もオンラインで購入し、切符販売機の前に並ぶ必要がなくなり便利になった。

 10時から自民党府議団・商工労働観光部会(磯野勝部会長)勉強会「スーパーシティ構想」について商工労働観光部から説明を聴き、意見交換した。

 11時からは府民環境部会(家元優部会長)勉強会「差別解消・人権問題」ついて、近畿大学奥田均教授からお話を伺った。

 12時半から議員団会議、13時半から農商工労働常任委員会を開催した。17時終了で、夜は京都泊まり。

 

 17日㈬10時から、自民党府議団議会改革検討会議(池田正義座長)に出席。12時半から議員団会議、13時半から農商工労働常任委員会

 夜は京都泊まり。

 

 18日㈭10時半から日タイ議連(菅谷寛志会長)総会総会後来賓駐大阪総領事であるクリット・タンカナラット氏からタイの諸事情についての講演をお聴きした。

 12時半から議員団会議、午後は持続可能な地域社会に関する特別委員会(中村正孝委員長)に出席。正副委員長提案の提言案について委員間討議を行った。

 今日も京都泊まり。

 

 19日㈮、10時から議会改革検討会議に出席。4月には自民党議員団に提言案を提示できるよう最終調整の会議となった。

 12時半から議員団会議、15時から予算特別委員会の全体会予算案の議決夕方から1件、京都駅で人と会い、19時半の特急で綾部に戻った。

 久しぶりに事務所に戻ったので、手紙や書類のチェックを行った。


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週末

2021年03月12日 | 議員活動

 12日㈮10時5分から亀岡駅にて森の京都QRトレインの出発式に出席した。

 式典の後、西脇隆俊知事や田中英夫府議会議長、森の京都エリアの府議の皆さんと共に京都駅まで試乗した。

 綾部のことは「心地よい空気をまとう、ものづくりのまち」として「黒谷和紙」のことがPRされていた。

 午後は東山区にある京都府立陶工高等技術専門校での学生作品展示会見学した。名前は聞いていたが、実際に訪問するのは初めてだった。

 玄関を入ると西脇知事の作品展示されていた。

 特急の本数が減っているため、14時25分の特急に間に合うよう慌てて京都駅に向かったが、太秦駅の辺りで人身事故があり、運休していた。山陰線には迂回ルートもないため、駅のホームで1時間半ほど待って、ようやく電車が動き出した。

 夜は、綾部に工場立地いただいた企業の社長と懇談お互いに協力して、社業と地域の発展を目指していきましょう!と一致できた。高齢者の雇用も積極的にしていただけるとのことだった。

 

 13日㈯、夜に綾部恵比寿神社奉賛会の反省会に出席。1月10日の本ゑびすの直後から緊急事態宣言が発出されたため、反省会はこの時期になり、ようやく開催できた。

 コロナで宵ゑびすの人出が少ないように感じていたが、収支は昨年までよりもずいぶん良かった会計さんからの報告がなされた。

 

 14日㈰は午前中、熊野新宮神社3月月次祭当番氏子として出仕

 熊野新宮神社の境内には様々な貴重なものがある。出口王仁三郎聖師の歌碑のことは2021年1月24日付の当blog掲載したが、今回は「栗原白嶺氏寄贈の灯篭」紹介したい。

 大正12年中夏に寄贈されている灯篭は、今は崩れそうになっているが、私が子どものころから見慣れているもので、本殿前の広場へ上がる階段の両脇にある。

 栗原白嶺(七蔵)氏明治10年に福井県で生まれ、実業之日本社の草創期からのメンバーで理事を務められ、のちに大本で出版を担当する教団幹部として活動された。

 そして昭和10年に始まった第二次大本事件において、昭和11年に逮捕され、翌年、激しい拷問による取り調べの末、獄中で亡くなられた。

 

 午後は福知山市在住落語家、桂三扇さんからご案内いただき、「舞鶴寄席」鑑賞した。桂あやめさんなどが出演された。

 今年度いっぱいで舞鶴市文化事業団は解散され、舞鶴市総合文化会館は舞鶴市直営となるそうで、最後の「舞鶴寄席」だとのことだったが、たくさんの方がお越しになっていたので、舞鶴市が直営でも開催されるのではないだろうか。

 長年、携われた功労者の職員の方舞鶴市出身笑福亭遊喬さん桂三扇さんから花束が贈られた。

 

 は18時から、顧問を務める綾部市武道協会(栗崎文彦会長:合気道心明塾)役員会に出席し、挨拶させていただいた。

 次年度の会長柴田仁実(綾部市剣道協会)さん副会長福井喜義(綾部市少林寺拳法協会)さん、事務局長西村正樹(綾部市柔道協会)さん監事川勝優(合気道吉照塾)さん就任された。


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震災から10年、今我々がなすべきこと

2021年03月11日 | 京都府議会

 311日㈭東日本大震災から10年が経ちました。震災やその後の原発事故、苦しい避難生活等によって犠牲になられた方々のご冥福を心からお祈りします。

 また家や会社を失い、いまだ生活再建途上にある皆様、原発事故による避難でいまだに元の家に戻れていない皆様の一日も早い帰還、復旧復興をお祈りいたします。

 

 地震のあった時、私府議選の直前で、豊里の小西町を挨拶に回っていました。

 訪ねる先々の家「大変なことになった!これからどうなるんや?」皆さん、慌てておられたので、急いで車のラジオをつけると、「家が、家が押し流されていきます。人がいます、人が…」アナウンサーが涙交じりで叫んでおられたことをよく覚えています。挨拶回りは急きょ取りやめ、事務所に戻りました。

 4月に府議に初当選した後、1年目防災危機管理・地球温暖化対策特別委員会所属し、8月にあった最初の管内視察福島県の被災地に入りました。

 福島市にあった避難所には、原発事故で町ごと避難を余儀なくされた自治体の「仮役場」が置かれていました。

 海岸沿い津波で甚大な被害を受けており、強い衝撃に言葉を失いました。

 その視察で一番強く感じたのは、放射能の恐ろしさでした。

 立入禁止区域の手前までも視察しましたが、福島原発から30キロ以上離れている福島市でも高い放射線量が検出された地域があったり、距離だけでは測れないものがあるのと、「見えない」恐怖を強く感じました。

 福島市から南相馬市に向かう途中、飯館村を通りました。この村も30キロ圏の外にありますが、放射線量が高く、全村避難を余儀なくされていました。まだ人の気配が残る住宅や街並みがガラーンとしていて、若狭の原発群に近い綾部市でも事故が起きれば同じことになるのかもしれないと思いました。

 小学校のグラウンドでは重機で土をすくい取り、除染作業が行われていました。これを村全体でやるというのは途方もない作業だと感じました。

 飯館村には荒涼とした農地が広がっていましたが、ふと「8月なら、例年はこの農地に稲が青々と茂っていたのかもしれない」と思い、田植え前に避難せざるを得なかった農民の皆さんのことを思い、綾部市民も他人事ではないと強く感じました。

 国策で進められた原発の事故が原で、全村避難を余儀なくされたこの飯館村に政府がどのように支援して復興させるのか?それをしっかり見て、今後も原発を推進できるのか、自分の考えを決めようと思いました。

 

 翌年、2012年6月自民党京都府連青年局宮城県女川町石巻市視察に行きました。女川町長町長になる前は自民党県議青年局のメンバーであったことから、その激励の意味もあったと思います。震災の傷跡まだまだ癒えず、という状況でした。

 女川町ではガレキの分別作業見学して、これも途方もない作業だと感じました。

 石巻市では市民ガイドのお世話になって門脇小学校大川小学校なども視察し、避難をどうするか、とっさの判断の難しさを感じました。

 大川小学校で犠牲になった児童と先生、ご遺族の無念さを思うと、今でも胸が張り裂ける思いがします。大川小学校は河口から5キロほど離れており、ここまで津波が押し寄せるとは経験がなければ分からないとも思いました。

 

 それから4年後2016年10月府議二期目となり、自民党京都府連青年局では幹事長を務め、「第15期きょうと青年政治大学校」第一講座の講師として、河野太郎代議士を招きました。そして「原子力核燃料サイクル」の講義を聴きました。

 それを聴いて「原発には未来がない」腑に落ちました河野代議士講義後の受講生との交流会にも残って、話をしてくださいました。

 

 その翌年2017年10月綾部市中上林地区公民館である観光センター(八津合町)で行われた原発の住民説明会参加し、「質問は一人一回で、手短に」などという事前の説明を無視して、質問タイムの冒頭で手を挙げ、資源エネルギー庁や原子力規制庁、関西電力の幹部に対して、「原発から30キロにある綾部市の上林地区住民の避難路整備等の要望にはこれまでほとんど応えていない。危険だけ押し付けて、何かあっても知らん顔では我々は協力できない」と強く異論を述べました。私に続いて、上林地区住民の方も数名、疑問や異論を述べられました。

 「原発で働く人は特別な資格を持っていたり、特別な研修を受けているということはあるのか?」との住民の方からの質問に、原子力規制庁の職員「まあ、それなりに」答え「そんないい加減な」憤りを覚えました。

 事前の説明では「発言はビデオで記録され、公開されます」断りがあったのに、我々の質問部分の映像が一切公開されなかったので、「話が違う」と綾部市に文句を言って、少しだけ文字記録で公開してもらいましたが、今ではネットで検索してもどこにあるのか、出てきませんでした。

 

 その翌月、府議会府民生活・厚生常任委員会で、南相馬市などへ復興状況の視察に行きました。

 東日本大震災から6年半が経ち、住宅移転や土地のかさ上げ、防潮堤建設などの工事は進んでおり、震災を記憶や記録にとどめるためのモニュメントや施設も整備されていました。

 一番気になっていたのは、飯館村の状況でした。すでに全村避難は解除されており、村には人が戻り、新しい商業施設も作られて賑わっていましたが、市街地の店舗の多くが閉まったままでした。当時は学校再開される前で、子どもの姿はほとんどありませんでした。

 荒れていた農地がどうなっているのか?最も関心がありました。

 驚いたのは、除染された土が積み上げられ、ビニールシートで覆われた「仮置き場」村を覆いつくしていたことです。

 綾部がこんなことになってはたまらない。原発事故が起きても、国の役人にとっては「他人事」でしかないことは先月の説明会で感じており、綾部市民の命や土地、自然、文化、歴史をその人たちの保身のために犠牲にできない強く感じました。

 ちょうど、そのころ、舞鶴港でのLNG基地建設舞鶴~三田パイプラインの敷設、LNG火力発電所開設の計画について、それに取り組もうとする方々から初めて説明を受けていました。

 石油や石炭、原子力に比べて、CO2排出が少なくコスト面でも強いLNGの優位性を知ったことで、今はまずLNG火力発電を増やして現在のエネルギー需要に対応し、それをしている間に再生可能エネルギー等の新しい発電技術や省エネ技術の開発を進めることが、日本にとって「最も現実的」だとの結論に至りました。

 

 2019年9月には共同通信によるスクープ記事で、関西電力の会長、社長をはじめ多くの幹部役員が不正に金品受領していたという事実が明るみに出て、「こんな体質の企業に、危険な原発の運用を任せられない」改めて強く思いました。

 

 自然災害は完全に防ぐことはできませんが、原発事故は防ぐことができる。日本政府が原発をやめる決断をすれば、今は実用的でない他のエネルギー技術も飛躍的に進歩するのではないかと思います。

 地下資源に乏しい日本だからこそ、世界をリードする新しいエネルギー技術を生み出す必要があるし、その「新エネルギー開発センター」は東北に置いて、被災地にとって実のある復興を進めていくべきだ。

 10年の節目にあたり、被災者の多大なる犠牲を未来への希望の光に変えるために、政府は原発に依存するエネルギー確保の方針を見直すべきだ。

 小泉純一郎元総理が訴えておられるのも、そういうことなのだと思う。


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47歳に

2021年03月07日 | 一般

 37日㈰47歳の誕生日を迎えた。多くのお祝いのメッセージをいただき、ありがとうございました。

 37歳で府議となって10年、様々な経験をさせていただいた。47歳、これからの10年でさらに成長して、もっと綾部市や京都府のお役に立てるようになりたい。

 家では特にパーティがあるわけではないが、夜はケーキを買ってもらった。ロウソクは別料金のため省略、ケーキの上に立てるチョコレートも有料のため、無料の紙となったが、それはそれの方が良い。

 子ども達がもう少し小さい頃は「ケーキが食べられる!」と誰の誕生日でも心待ちにされていたものだが、最近はそんなこともなくなった。

 子ども達が大きくなって、逆に教えられることも増えてきた。

 @gentaro4https://twitter.com/gentaro4)というアカウントで、数年前からTwitterをやっているが、Twitterには「インプレッション」という数値があって、これが増えるほど投稿が多くの人に見られていことになる。

 日頃、私の投稿に対する「インプレッション」は500あれば良いくらいで、たまに多くても2000以下だ。

 息子の小源太もTwitterをやっているようで、フォロワー数も、いいね数も、インプレッション私より桁違いに多いという。「最近で一番多いインプレッションは240万だった」と事もなげに言ってくる。

 どうやったらそうなるのか?と秘密を聞き出そうとしたが、なかなか教えてくれないし、どんな投稿をしているのかも教えてくれない。

 「どうやったら、バズれるんや?」(バズるとは投稿を通常の数十倍、数百倍の人に見られること)と聞いたら、「政治家がバズるには、丸山穂高になるか、河野太郎になるかしかない」という答えが返ってきて、そんなことは「無理です」と投稿したところ、これが少しバズって、20万近い「インプレッション」になった。

 「小源太の言うとおりにしたら、バズれました」御礼を言ったところ、「それは当の丸山穂高議員に投稿を取り上げてもらったからで自力ではない」厳しく評価された。

 投稿を見た方からは「政治家はバズる必要はない」というコメントをいただいたこともあり、確かに政治家がバズることを目指す必要もないのだと感じている。

 丸山議員からは「全国区なら兎も角、選挙区小さい議員や一般公務員にとって戦略性無しにSNSやるのは、無意味どころか逆にデメリットにもなるんですよね。1000万人が見たり19時トップニュースになったり、下手なメディアより影響発揮できるのもまたSNSですが」アドバイスをいただき、ネット発信は影響力も大きいがリスクも高い改めて認識した。

 自説を唱えれば必ず賛成、反対が出てくる。「動あれば、反動あり」だが、「何もしないより、発信して批判される」のが政治家の使命だと考え、このblogやTwitter等のSNSをこれからも継続していきます。


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議会へ

2021年03月03日 | 京都府議会

 3日㈬、11時45分から農商工労働常任委員会の正副委員長会。12時半から議員団会議、13時15分から本会議追加議案の上程

 夕方、綾部に戻って、相根さん、町井さん、藤本さん北近畿エネルギー事業進捗状況を聴き、今後についての打ち合わせ

 東日本大震災からもうすぐ10年若狭の原発群を抱える綾部市民としては、原発を違うものに転換することに取り組まなければならない。そのために、天然ガス火力発電が最も環境負荷が低く、コストも現実的だと考えている。

 建設や環境のコンサルタントを仕事としている50代の町井さん、40代の藤本さんには私も協力するので、綾部の将来を考えていくような民間シンクタンクを作って欲しいお願いした。「綾部環状道路」の実現のためにも、市民の熱情を湧き起こしていくような取り組みが必要だ。

 時は金なり。今やらずに、いつやるのか。スマートにやる必要はない。後悔するより、もがいてバカにされた方がよっぽどマシだ。

 

 4日㈭、朝から京都へ。12時から、北近畿クリーンエネルギーの藤本さん舞鶴市の池田正義府議とで会議

 12時半から議員団会議、13時半から農商工労働常任委員会を開催し、追加上程された補正予算については全員賛成で可決

 夜は京都泊まり

 

 5日㈮、10時から自民党府議団議会改革検討会議に出席。12時半から議員団会議、午後は本会議追加補正予算の議決

 電車で帰ろう京都駅まで来たら、舞鶴線内で何か問題があったようで、1時間近く、電車が遅延していた。

 

 6日㈯、午後は事務所事務仕事


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政治と官僚

2021年03月02日 | 論評・研究

 3月に入り、少し春らしい空気になってきた。

 接待問題によって山田内閣広報官が辞任したり、農水省から元大臣の贈収賄事件に絡んでの接待問題が出てきたりと、さすがに「内閣人事局」のあり方について、再考すべき時にきているように思う。

 もともとは官僚が「省益」でしか動かないのを「国益」のために動かすためには官邸(政治)が人事を掌握し、官僚の意識を「国益」に向けさせることが目的だったのだと思う。

 今の官僚制度明治時代に基礎が作られている。当時は明治の元勲山縣有朋、松方正義、清浦奎吾ら、「政治家嫌い」の薩長藩閥の総理大臣が支配していた。彼らが作り上げた官僚制度と民衆が権利を求める運動とのせめぎ合い日本の統治機構の歴史であるとも言える。民権運動も、ともすれば「衆愚政治」に陥る危険性があり、両者がバランスを保ち、けん制しあう状態がベターなのだろう。

 もともと日本は官僚機構が強すぎた。平成11年小渕恵三内閣において、内閣法が一部改正され、「第4条 2 閣議は、内閣総理大臣がこれを主宰する」の後段「この場合において、内閣総理大臣は、内閣の重要政策に関する基本的な方針その他の案件を発議することができる」いう条文が追加されるということを知って、「今ごろか?」と驚いた覚えがある。

 第一次安倍晋三内閣平成19年3月には、「首相、事務次官の抵抗押し切る・中川自民幹事長が講演で言及『事務次官会議なんて要らない』」という報道があった。

 自民党の中川秀直幹事長は平成19年3月29日、福島県会津若松市での講演で、天下り問題をめぐる事務次官の抵抗を、安倍晋三首相が過激な言葉ではねつけたというエピソードを紹介、首相の指導力をアピールした。
 中川氏によると、3月26日の事務次官会議で、複数の次官が政府答弁書で「押し付け的な天下りあっせん」を認めることに抵抗。これを聞いた首相が「事務次官会議なんて法律でどこにも規定されていない。単なる連絡機関だ。方針通り閣議決定する」などと不要論に言及しながら押し切ったという。

 今の状況「政治家が官僚に強権過ぎる」と見えており、修正は必要だろうが、ある程度「政治主導」を進めていくためには、やむを得ないところもあるように思う。

 もちろん、公務員倫理規程に違反することはやってはいけないし、政治家も公務員も公の立場の人間には「李下に冠を正さず」という姿勢は重要だ

 そして、1人7万円もかかる飲食店は「和食レストラン」のカテゴリーには入らないとも思う。


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