四方源太郎日記(京都府議会議員・綾部市選挙区)

これからの綾部のために、さらなる「挑戦」を!

副知事の交代

2020年06月28日 | 京都府議会

 28日㈰午前中、事務所にて来客

 16時からは、元レバノン大使天木直人さんを招いてのミニ勉強会に出席した。最近、父が知り合い、綾部には初めてお越しになったそうだ。

 天木さんは、お父さんの転勤に伴って、広島県、三重県、岐阜県、京都府の小・中学校を転々とされたそうだが、京都市の北野中学校から洛星高校、京都大学に進まれ、京都で過ごされた期間が一番長く、一番愛着が深いとおっしゃっていた。

 過去の東南アジアや中近東、アフリカでの経験、そこには常にアメリカの存在が影響を及ぼしており、そこから見えてくる今後のイスラエル・パレスチナ問題、米中・米朝問題についての解説を聴かせていただいた。

 これからの日本の安全保障を考える際の大いに参考になるお話だった。

 夜は別件にて、お祝いの会の打ち合わせ

 

 29日㈪、朝から京都へ。議会運営委員会の議会改革検討小委員会に出席し、昨年度の政策提言型特別委員会についてのヒアリングを受けた。

 委員長を経験した立場として「運営は難しい面もあるが、委員会は充実するので、ぜひ継続して試行実施してほしい。運営をスムーズにするには、大枠のルールをもっと細かく理事調整会議で決めていただいて、その上で正副委員長に任せてほしい」意見を述べた。

 12時半から議員団会議、15時から予算特別委員会に出席した。

 

 30日㈫、12時半から議員団会議、13時15分から本会議にて全ての議案を可決し、6月定例会が閉会となった。

 本会議では10年務められた山内修一副知事の退任が報告され、新たに古川博規企画理事副知事に選任された。

 山内副知事は、私が府議になった時にはすでに副知事を務めておられ、この9年間、大変お世話になった。林田、荒巻、山田、西脇の4人の知事に仕え、京都府の発展に尽力された功績に深く敬意を表し、これからもお元気でますますご活躍されんことをお祈り申し上げます。

 新たに就任された古川副知事私が府議になった頃は広報課長であったが、その後、商工労観光部副部長、観光政策監を経て、昨年度文化・スポーツ部長をしておられたので、文教常任委員会でご一緒していた。まだ55歳とお若いので、西脇知事を支えて力を発揮されることだろうと思っている。


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梅雨に入り

2020年06月25日 | 京都府議会

 25日㈭、朝から京都へ。久しぶりに電車で行った。梅雨に入っており、じめじめと湿度が高く、蒸し暑さが厳しい。

 12時半から議員団会議の後、府議会は常任委員会の三日目、農林水産部の所管事項についての質疑。

 夜は自民党の三期会に出席。

 

 26日㈮、11時に京都信用保証協会の足立裕一副理事らが議員団控室にお越しになり、理事の任命通知書を受け取った。

 12時半から議員団会議。午後は持続可能な地域社会に関する特別委員会(中村正孝委員長)に出席。委員間討議によって、今年度は「政策提言型の委員会」として運営することが決まり、特定テーマについての意見もそれぞれの委員が話をした。

 夜は京都京都と大阪同世代の政治・経済人の交流会に出席し、最終の特急で綾部に戻った。

 

 27日㈯、午前中は温二郎の少年野球当番のため、田野グラウンドに。

 午後はNPO法人北近畿みらい(四方八洲男理事長)総会に出席するため、あやべ温泉・二王館に行った。

 総会の後は、北海道大学医学部の名誉教授であり、北近畿みらいの事務局長でもある綾部市老富町在住酒井正春さん「新型コロナウイルスについてのお話」と、山崎善也綾部市長による「コロナ後のまちづくり」の講演をお聴きした。

 酒井さんのご説明で、コロナウイルスやPCR検査のことがある程度、理解できた。

 山崎市長「コロナ後のまちづくり」についても、「過疎」がこれからは「メリット」になるという前向きな気持ちになれる話だった。

 夕方は事務所に戻って、事務仕事


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農商工労働常任委員会を開催

2020年06月22日 | 京都府議会

 22日㈪朝から京都へ。12時半から団会議の後、府議会・一般質問の最終日

 夜は来賓なしの公舎会

 23日㈫は12時半から団会議の後、午後は農商工労働常任委員会を開催。今日は報告事項の聴取と審査依頼議案の質疑を行った。

 24日㈬、同じく12時半からの団会議の後、午後は農商工労働常任委員会

 審査依頼議案の適否確認では全員賛成。その後、商工労働観光部の所管事項の質問様々な方面でコロナでの苦境の様子が伝えられた。

 職員も頑張っておられるが、それに追いつかない状況で、早く経済を元に戻す必要があると思うが、東京での感染者は今日は55人と少し増えているようだ。

 根本的に「過密」にならない社会構築をする必要があるのだが、日本人はなかなか教訓から行動に移らない。


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綾部市空手道連盟会長として

2020年06月21日 | スポーツ

 21日㈰、午前中は日東精工アリーナにて、学空館あやべ(阪梨學館長)昇級審査会綾部市空手道連盟会長として来賓出席した。

 コロナ対策でいつもとやり方が少し違ったが、皆さん、日頃の練習の成果を発揮されていた。

 午後は事務所事務仕事。夕方から、ふしみやにて、綾部市空手道連盟の総会を開催した。会長挨拶では京都府でのコロナ感染状況や医療体制を説明した後、「今年度は四都市大会も中止されたり、なかなか先が見通せないが、指導者の皆さんの日頃のご尽力に感謝し、今年もさらなる指導を」とお願いした。


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京都府北部から国への要望

2020年06月20日 | 議員活動

 16日㈫府議会の代表質問が始まったが、コロナ感染予防とかで、半数ずつ交代で議場に入ることになっている。

 議場にいないと臨場感がないが、各会派の申し合わせで決まったことなので仕方がない。9月議会からは元に戻してほしいと思っている。

 現状行われている様々な「感染予防対策」は「責任回避対策」になってしまっていないかと感じている。

 ピンポイントで対策せず、多め多めに対策しておけば何も言われないだろうという風潮は、本当に必要な対策がなおざりにされていく危険も孕んでいる。

 

 17日㈬朝から京都へ行き、府議会の代表質問

 議会後には、府議会の農商工労働常任委員長は京都信用保証協会の理事になるので、その就任の手続きに来てもらった。

 綾部高校の校長先生からは「綾部高校のPR動画ができたので観て下さい」とお電話をいただいたので早速観てみた。

 今年はコロナの関係で全体での学校説明会ができなかったので、府立高校がそれぞれこういう動画を作成し、順次、youtubeにアップしているそうだ。綾部高校も頑張っているので、ぜひ、ご覧ください!

 ◆綾部高校(四尾山キャンパス)普通科

 https://youtu.be/YggsCB9O5mE

 ◆綾部高校(由良川キャンパス)農業科・園芸科・農芸化学科

 https://youtu.be/qjLYwRao1MY

 綾部高校カヌー部の由良川での練習風景。

 

 18日㈭、11時から京都府議会土地改良議連(近藤永太郎会長)総会に出席。

 綾部市内でも、ほ場整備やため池修繕、農業用水路の改修等を推進していかなければならない。

 12時半から議員団会議で、午後は一般質問

 夜は綾部に戻って、LNGガス基地を舞鶴港に誘致する件についての進展状況を伺った。結構、具体的に進んでおり、今後期待が持てる展開となっている。 

 こういうことは「形」が見えてくるまでが大変だが、そういう時に「応援」してこそ、現実になった時に「地域へのリターン」が求められるものだと思っている。舞鶴の池田正義府議とは連携して頑張りましょう!と話をしている。

 

 19日㈮、11時45分から農商工労働常任委員会の正副委員長会を開催。12時半から議員団会議で、午後は一般質問

 

 20日㈯、朝から来客。11時からは福知山にて自民党京都五区支部の幹事会に出席。

 本田太郎代議士と五区の府議が意見交換し、各市町でのコロナ禍の状況や今後の国の事業に対しての要望を行った。

 要望内容は下記のとおり。各府議からの要望の後、食事をしながら意見交換を行った。

 綾部市では飲食業を中心に、客が激減して困っている。6月に入って多少は戻りつつもあるが、まだ程遠い。国からは一層の支援と共に、これ以上、不景気を拡大しないような「メッセージ発信」もしてほしい。

 都道府県をまたいでの移動も緩和された今、市内での飲食は積極的にやった方がいいというメッセージを国から発してほしい。西村康稔経済再生大臣は「経済再生」が任務なのに、記者会見の際にもマスクをしたままはそろそろ止めた方が良いのではないか?安倍総理のアゴに引っ掛けたようなアベノマスクも、もう止めるべきだ。

 大企業は下請けや取引先に「自粛要請」をし過ぎではないか、それは国からも大企業に話をしてほしい。経済が早く元に戻らず、税収減で医療への公的資金注入が乏しくなると、それこそ「医療崩壊」につながってしまう。

 府北部での「医療崩壊」の心配の声がある。府立医大附属病院と同等の病院を北部に作るべきだと私は今年の2月議会の代表質問で訴えた。そういう際には、国からの支援策も考えるべきではないか。

 コロナ禍は「自然災害」と同じで、被害ゼロにはできないが、被害を大きくしない対策が必要であり、「疫病」であるという視点での必要なピンポイント対策を行うべき。責任回避の対策が多すぎる。

 農業者も農作物が売れずに苦しんでいる。有利な融資等の支援は農業者には適用できないケースが多いが、この際、農業経営基盤を強化するためにも有利な借り換えができるような支援もお願いしたい。

 福知山のお二人の府議からは「JR山陰本線(園部~綾部)間の複線化の早期進展を!」という声も上げていただいており、綾部市としても同様の気持ちだ。ぜひ推進を!

 舞鶴港でのLNG基地実現は原発からのエネルギー転換にとっても重要だ。ぜひ後押しを!

 国道27号線の早期拡幅、由良川築堤(並松町)の早期工事着手もお願いしたい。 

 

 午後は武吉町の四方三知夫さん宅を訪問し、「四方姓のルーツ」について室町時代初期に書かれたと伝わる家系図を見せていただいて調査(別途記事掲載)

 夕方は事務所でブログ書き等を行い、夜は19時からNEXT(今川信吾代表)総会に出席した。


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四方姓は、どこから来たか?

2020年06月20日 | 歴史の探求

 昨年、「四方姓」のルーツについて書いた。「四方という姓がなぜ綾部に多いのか?」(2019年8月27日付)記事がある。「KYOTO SIDE」というインターネット情報誌から取材を受けたことがきっかけだった。

「KYOTO SIDE」の記事綾部市で多い名字、1位の四方(しかた)さん、2位の大槻さん そのルーツに迫る!」2019年9月20日付けで発表されているが、「四方姓」情報が少なく、ほとんど「大槻姓」の説明になってしまっている。

 私の家の「四方姓」江戸時代初期に初代綾部藩主・九鬼隆季公に従って三重県の鳥羽から綾部に移ってきた際に、殿様に「四方」を名乗ることを許されており、途中からの「四方」で、本来の「四方姓」に関する情報はよく分からなかった。(祖母の実家は綾部市寺町の「四方姓」なので、そちらは本来の「四方」かもしれない)

 先日、父から「綾部市武吉町の四方三知夫さんの家に古い家系図が伝わっているそうだから、見せてもらったらどうか?」と勧められて、今日訪問した。たまたま別の家を探していた時畑仕事中の四方さんに声をかけられ、そんな話になったそうだ。

 その家系図最初、永徳二年(1382年、室町時代、将軍:足利義満の頃)にまとめられており、さらに時代が下って、天正10年(1582年)6月28日追記されていると書いてあった。

 本能寺の変があったのが天正10年6月2日であり、6月13日の山崎の戦で明智光秀は敗れ、落ち武者狩りに遭って死亡したとされている。

 系図によれば、当時の当主・四方久之丞長重?の祖父・四方左近丞長興?の時代に明智光秀に仕えたように読める。「天正八年辰八月 明智日向守殿 丹波國を領した時 家臣と相成り忠勤に勤しむ」と書いてある。

 その子、四方喜三右衛門尉長峯?のところには「明知光秀●ヨリ ●籠御免計也」書いてあるが、これは「駕籠に乗るのを許された」ということだろうか?

 四方三知夫さんの家には天正時代の検地帳だと思われる古文書が残っているので、もしかすると明智光秀の命令で武吉に移ってきたのかもしれない。

 江戸時代には当地を治めた旗本・藤懸氏(城下)の下で庄屋をしておられたことはハッキリしている。

 四方三知夫さんのご先祖は、口上林の武吉町に移られる前は、志賀郷におられたようだ。志賀郷に移られたのは、この家系図が最初に書かれた永徳2年(1382年)より前、室町時代初期ではないかと思われる。

 志賀郷に移る前はどこにいたか?というと、何鹿郡(綾部市)の山家だと書いてある。どうも綾部に移ってきて、最初は山家に居住されていたようだ。

 その前は…というと、京都で「御所の警固をしていた武士」ではないかと思われる。

 どうも「四方」を最初に名乗ったのはこの人ではないかと思うが、四方(佐々木)三郎義宗という人物が、鎌倉時代初期天福元年(1233年)「四院帝」(四条天皇のことか)の時代に「禁官仕ス」とあるので、御所の警固役」として朝廷に仕えていたのではないか。

 この四方三郎義宗の父佐々木政義と書かれており、ここまでくると歴史上の人物としてウィキペディアでも紹介されている。

【佐々木政義】承元2年(1208年)、佐々木義清の嫡男として生まれる。鎌倉幕府第5代将軍・藤原頼嗣の近習となる。父の歿後、隠岐・出雲両国の守護職を相続したが、三浦泰村と諍いを起こし、憤怒に任せて、建長2年(1250年)無断で出家をして心願と号した。この無断出家の罪により政義の職掌・所領は没収され、弟の佐々木泰清が、隠岐・出雲両国の守護を継承した。

 綾部の「四方さん」の多くが使用している家紋「丸に隅立て四ツ目」の由来である近江源氏・佐々木氏と繋がってくる。

 1208年生まれの人の子どもが1233年に武士として朝廷に仕えるというのは、少し年齢が合わないようにも思うが、この系図上ではそうなっている。

 この佐々木政義「近江国志賀」に住んでいると書いてあり、この「志賀(しが、しか)」が「しかた(四方)」の由来ではないだろうか?

 「四方」という地名は富山県にあるが、富山県では「よかた」と呼び、「四方(よかた)」という姓もある。

 「四方(しかた)」という地名がどこにもないのは不思議だったが、滋賀県の「志賀」にルーツがあるのかもしれない。

 綾部の「四方さん」の中には、自分の家は武田氏の関係だとおっしゃる方々もあるし、うちのように途中から名乗った家もあるので一概には言えないが、近江源氏の佐々木氏の末裔だとおっしゃる家が多く、家紋も多くが近江源氏・佐々木氏の「丸に隅立て四ツ目」を使われている。

 最後にまとめると、

 鎌倉時代初期/近江源氏・佐々木義清ー佐々木政義(無断出家で所領没収)―四方(佐々木)三郎義宗(朝廷警固武士になる。最初に「四方」を名乗る)―鎌倉時代末期?室町時代初期?/四方兵部丞忠善の父(綾部に来て、最初は山家に住む)ー四方将監忠輝(志賀郷に移る)ー戦国時代/四方喜右衛門尉長峯(明智光秀に仕えて、志賀郷から口上林・武吉に移ったか?)ー江戸時代/旗本・藤懸氏(城下)の下で庄屋を務め、明治以後も同地に暮らし、現在に至る。

 四方一族が居住した山家、志賀郷は、江戸時代には山家藩の谷氏の領地となっており、同じく谷氏の本家・分家が治めた位田、吉美、西八田、東八田にも「四方姓」が多い。

 また江戸時代には九鬼氏の領地であった綾部地区の中で山家に近い、寺町、味方町も「四方姓」の多い地域である。

 本来の「四方一族」室町時代の間に、現在の綾部市域の各地に広がって、それなりの勢力があったのではないだろうか?

 うちの先祖は九鬼の殿様に従って綾部に来た時に、どういう経緯があったかは分からないが、この「四方」という姓を名乗ることになったのだと思われる。

 

 有意義な訪問で、四方三知夫さんにはお世話になり、ありがとうございました。

 武吉町を通る上杉和知線の和知町との境の峠の登り口には、以前は「薬師寺」という立派なお寺があったとお聞きした。

 そこにあった仏像は今は福知山市のお寺に引き取られているそうだ。こういうことも、いずれ調べてみたい。


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綾部商工会議所女性会で「御用聞きの会」

2020年06月15日 | 議員活動

 15日㈪、13時半から綾部商工会議所女性会(堀くみ子会長)例会にお招きいただき、「御用聞きの会」をしていただいた。

 毎年、定期的にお招きいただいているが、今年は「御用聞きの会」と指定していただき、「御用聞きの会」が定着していることが、嬉しかった。

「御用聞きの会」はいつでもお声がけいただければ、調整して伺います。

 いつも事前アンケートを取っていただいており、皆さんがお聴きになりたいことを連絡いただいている。今回やはり「コロナの感染状況、PCR検査や入院病床のことなど」「経済回復に向けての京都府の補助金について」ということであった。

 それぞれについて資料も交えて説明させていただいた後、質疑応答でさらにお話させていただいた。

 一番最新の下記の京都府の「再出発支援補助金」は、府内の全ての中小企業、個人事業主、NPO法人等が対象となっており、国や府、業界団体が定めるガイドラインに沿って感染予防のための設備や物品の購入をした場合に、上限10万円で100%補助するというものであり、もう一つの「緊急応援補助金」(個人3分の2:上限20万円、中小企業2分の1:上限30万円)との併用も可能だ。個人事業主であれば、40万円の物を買った場合に最大30万円補助され、中小企業は70万円の物を買った場合に最大40万円の補助が受けられる。

「緊急応援補助金」は「業務改善や売上向上につながる取組に必要な経費」であれば良いので、結構幅広く補助が受けられる。

 少し制度がややこしいので、京都府の相談窓口、もしくは綾部市や綾部商工会議所等にご相談いただいても良いし、四方源太郎事務所にもお電話いただければ相談に乗らせていただきます。

http://www.pref.kyoto.jp/shogyo/news/saisyupatu.html

 申請6月16日~9月15日まで、オンラインもしくは郵送でできますし、今年の4月1日以降に購入した領収証があれば、すでに購入したものにも補助されますので、事業者の皆さんはぜひご活用下さい。

 

 16日㈫朝から京都へ。12時半から議員団会議、13時から本会議の代表質問初めてのことだが、コロナ感染予防のため、半数ずつ議場に入るという形だった。

 そこまでしなくてもいい気がするが、議会で決まったことなので従って、前半は大会議室のモニターで傍聴した。


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あやべ福祉フロンティアの総会

2020年06月14日 | あやべ福祉フロンティア

 雨の週末となり、少し入っていた予定もさらにキャンセルとなったりして、事務所で事務仕事

 14日㈰の16時からは、あやべ福祉フロンティアの総会に出席。約50名の会員、ボランティア、職員の出席を得て、決算・予算等の承認をいただき、無事に終了した。

 役員改選があり、約21年務めた理事(副理事長)を退任させていただいた。同時に事務局長も退任したので、総会でのこういった議案の説明もこれが最後となりました。

 長い間、大変お世話になり、ありがとうございました。理事としての立場は退きますが、これからもできることを協力させていただきます。

 他にも長年、理事・監事であった方7名が同時に退任し、理事だけでなく運転ボランティアもお世話になっていた近江勤さん、森貢さん、岩崎富治さん(岩崎さんは総会欠席)の3名には、理事長から感謝状が贈呈された。

 理事長には曽根庸行さんが再任され、私の後任の副理事長には白波瀬康夫さんが新任された。次の2年の任期の中で、理事長にも後継を考えて欲しいとお願いした。

 次は創業期から安定期の経営に変わっていかなければならず、120%を求めるだけでなく、70%で長く継続していく道も探らなければならない。

 今年の総会は懇親会がなく、もらって帰った弁当を食べながら、缶ビールを一本飲んで、ひとりで打ち上げした。


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再起動

2020年06月12日 | 政治活動

 12日㈮は、11時から自民党府連の広報委員会(渡辺邦子委員長)の会議に参加。今回初めてZOOM会議で行われた。京都市、宇治市、京丹後市、綾部市をつないで8名で会議した。

 それぞれが地元での活動でも忙しい議員が会議をするには、これが主流となるのではないかと感じた。自民党府連青年局から府連会長にそういう申し入れも行っているところだ。

 午後は府立農業大学校河村能夫校長らが来訪された。例年7月に開催されている府立農大の「農大マルシェ」も今年は中止されるそうだが、「こういう時こそ、どういうリスク軽減を図れば実施できるのか、を学生自身に考えさせることが良い勉強になるのではないか?」という意見は言わせていただいた。

 今年は「農大100周年」記念事業も計画されている。「できない」ではなく、「どうしたらできるのか」という視点で協議してほしい。

 夜は自民党綾部支部の役員会久しぶりに開催コロナで遅れていたが、昨年度の決算等について承認いただき、8月には定期大会を行うことを決定した。

 コロナからの脱却と経済再生のため、まずは自民党綾部支部が率先して再起動していかなければならないということを強く訴えさせていただいた。

 議事の後には府政・市政の報告と意見交換をして、役員会後若手役員さんらと懇親会へ。個人客中心の料理屋さんは、結構繁盛していて嬉しかった。次は団体客向けの店が賑わいを取り戻せるようにと願っている。


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げんたろう新聞(第140号)を発行

2020年06月09日 | 議員活動

 9日㈫今月げんたろう新聞(第140号)発行

 13年前平成19年4月に府議選に初挑戦で落選し、その年の6月13日に第1号を発行した。第1号は印刷でなくカラーコピーで100枚ほど刷っただろうか。後援会の役員会で配り、「これを毎月1000部発行して後援会役員の皆様にお配りしたい」と配達への協力をお願いし、快く引き受けていただいた。

 再度、実際に配っていただく支部長さんのところにはお宅を訪問して、配っていただけるかお願いし、そこでも皆さん、快く引き受けていただいた。

 あの時のご支援がなければ、今、府議として3期目を迎えることができていたか、分からない。時代は自民党が下野し、民主党政権になる少し前のことだった。

 今では部数も増やしていただき、毎月6000部ほどを配っていただいている。

 「毎月、大変やないか?」と言われるが、13年前に「協力する」とおっしゃっていただいた方々との信頼は裏切れないという思いで、府議である限りは継続しなければならないと思っている。

 配っていただいていた方には、すでにお亡くなりになった方もたくさんあるが、「分かった。配っとく!」と笑顔で引き受けていただいたことに救われて今がある、ということを決して忘れてはいけないと思っている。

 夜は綾部市木材同業組合(上原久明組合長)総会懇親会に出席した。久しぶりに、料理屋さんで開催された懇親会であったが、すでに非常事態宣言も解除されており、こういう機会を増やして、早く経済を戻していかなければならない。

 経済が戻らず税収が上がらなければ、医療に注ぎ込む公的資金が枯渇してきて、第二波と闘うどころではなくなる。

 

 10日㈬は10時から、府道広野綾部線改良促進協議会総会に出席した。来賓の縮小はあったものの、例年通りの形での総会が行われ、良かったと感じている。

 今やらないということは、その組織や事業が「不要不急」であることを自ら認めてしまっていることになる。

 綾部地区自治会連合会長が交代されたことにより、安積将明会長から平野正明会長に代わられ、役員改選が行われた。

 「綾部環状道路」は今年も調査費を計上しており、早期の事業着手に向けて取り組みたいと思っている。

 その後、京都に向かい、12時半から17時半まで、断続的に議員団会議が行われた。

 

 11日㈭、12時半から議員団会議、13時15分から本会議開会6月30日までの会期で、6月議会が始まった。冒頭、副議長選挙があり、自民党前波健史府議(伏見区、7期)が副議長に選出された。

 本会議で議案の上程がなされ、その後、全員協議会での議案説明、再び議員団会議解散となった。


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「マスク」が与えるメッセージ

2020年06月08日 | 論評・研究

 8日㈪午前中は来客続く。土木事務所からも、先日の豊里町自治会からの要望に対する説明に来ていただいた。いくつか対応いただけることもあり良かった。

 

 アベノマスク先日から綾部でも「届いた」という声がちらほら聞こえ、うちでは目にしないなあと思っていたが、今日、事務所に届いていた。おそらく市内でもタイムラグがあるのだろう。ネット上で散見する悪い品物ではなく、普通に使えそうなマスクだった。

 6月6日府内での新型コロナ感染者1名が新たに発された。京都市内の20代女性で、府内では5月14日以来となる359人目。症状は軽症とのこと。

 府内で現在入院中の方6日現在9名(うち京都市内8名)であり、4月1日~4月30日までに感染が判明した方で、今なお入院中の方は3名(60代、70代、90代)、5月1日~31日は6名(80代2名、90代4名)という状況府内でお亡くなりになった方18名で、60代は1名おられるが、あとは70代、80代、90代の方々である。

 東京都では二桁の感染がここのところ連日発表されているが、それは1398万人の人口を抱える巨大都市圏での10人、20人という数であり、それをもって「東京全体が危険」となる数字ではない。ましてや、ここ数ヵ月、感染ゼロの綾部市においては、その報道に大きく左右される必要はない。

 当初は私もこのウイルスの影響が計り知れず、海外のような「医療崩壊」を心配していたが、感染症対応の病床数も全国的に増やしており、そのことよりも経済低迷が元に戻らないことを今は危惧している。

 経済を成り立たせ、社会を回しながらでなければ、コロナと闘うための「医療」を確保することができないからだ。

「医療」や「福祉」は、公的保険制度や公的資金なくして成り立つ産業ではない。このまま経済が低迷し、税収が落ちれば、現状の「医療」や「福祉」を果たして維持できるのか?という問題に直面すると心配する。

 そのため「マスク」が社会に与えている「メッセージ」の影響も懸念している。

「マスク」に一定の感染予防効果があることは確かだが、一方で「マスク」姿には社会や経済を委縮させる効果もある。感染予防効果と社会や経済の委縮効果を比較して、マスク着用のTPOを整理するべきではないかと感じている。

 運動中のマスクや日の当たる屋外でのマスク、自宅内でのマスクは、これからの季節、熱中症の危険もある。「マスク着用=安全」ではなく、「正しいマスクの着用=感染させるリスクの低減」だ正しく理解される必要があると思う。

 5月末自民党府議団ニュースを発行(京都新聞に広告記事として掲載)した際、私は府議団の広報委員長として、府議団長等が知事に要望書を手渡す場面の写真は、あえて「マスクをしていない写真」を採用した。

 要望内容を説明する際にマスクをするのはまだ分かるが、手渡しの写真撮影の際のマスク着用は、感染予防というより、社会への「メッセージ」になっており、その写真が与える「メッセージ」は正しいのだろうか?と疑問を感じている


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屋久杉の天井板

2020年06月04日 | 一般

 4日㈭、10時から自民党府議団・政務調査会(池田正義会長)勉強会に出席。

 教育委員会の予算に関して、「今年はコロナ感染予防で教室内でマスクをしている生徒が多い。熱中症対策のため、あまり我慢せずにエアコンは早めに使用した方がいい。学校の空調予算の上増しを!」と要求した。

 12時半から自民党府議団会議、13時半から府議会合同委員長会議に出席。農商工労働常任委員長としての仕事が本格的に始まった。

 

 夕方綾部に戻り、アトリエボンド戸村くん同行して、住宅建替えの相談に。

 築300年の家をどうしたら良いのか、今後、もう少し詳しく話を聴いてもらって、改めて建替えプランを提案してもらうという段取りになった。

 建替えにしても改修にしても、費用は一定かかるので成約するのかは分からないが、古民家は今後の維持管理にもお金がかかるので、どういう状態にして息子や孫に引き継ごうか、皆さんいろいろお悩みなのだと感じた。

 数年前に改修された築100年の離れを見せてもらって、奥の間の天井を見上げた戸村くんが驚きの声を上げた。「これ屋久杉ですか?」

 現在では屋久杉を持ちだすことは禁じられており、このように材として利用することは不可能だそうだ。すごい貴重なものを見せてもらった。

 電灯をぶら下げる部分の細工も、他では見られない手の込んだものだとのことだった。

 手前の間の天井柾目の吉野杉で作られているそうで、同じく今ではほとんど手に入らないものらしい。

 昔の日本人の住居へのこだわりは素晴らしい。こういうことが理解され、尊敬されることが森林・林業の発展にもつながるのだなと思った。

 家の裏の手入れされた林の木が利用できる「地産地消の家」ができたら素晴らしいことだと思う。

 

 5日㈮、午前中、今晩のあやべ福祉フロンティア理事会に向け、最終の決算・予算書の確認

 夕方から会計監査をお世話になり、夜に理事会を行い、総会に向けての議案書について協議していただくことになっている。

 あやべ福祉フロンティア高齢者・障害者に対する移送サービス事業や清山荘の管理運営業務等を行っている。平成10年(1998年)に設立準備に入り、平成11年8月に法人設立、事業を開始して20年が過ぎた。

 創立時から曽根庸行理事長の下で副理事長(事務局長兼務)を務めてきたが、今月の総会をもって理事と事務局長を退任することを申し入れている。他の理事の皆さん世代交代の節目でもあり、私も含め、古くからの他の理事、監事7名が高齢等の理由で退任することになっている。

 府議としての立場もあり、他のNPO法人でも理事等はこれまでに全て退任しており、フロンティアでもいつまでも理事を務めることは好ましくないと思っていたが、創業メンバーで副理事長としての責任もあり、区切りがつかない業務が残っていて、ここまで退任が延び延びになっていた。

 もちろん理事を退任しても、応援できることはボランティアとしてお手伝いしていくつもりだ。平時の事業遂行は有給スタッフでほぼ回せるようにはなっており、今後、継続してくための仕組みもある程度できていると考えている。

 曽根理事長と「日本一のNPO法人」を目指して二人三脚で歩んできて、成し遂げられたことも成し遂げられなかったこともあるが、「日本一の移送サービス」を創り上げたという自負はある。

 今日の理事会と6月14日の総会をしっかりと終わらせられるよう、あとしばらく責任感を持って臨みたい。


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自治会長さんと地域課題の現地調査

2020年06月03日 | 議員活動

 2日㈫は午前中はげんたろう新聞に掲載するための写真撮影に、上林、物部等へ。午後は自民党府議団会議が開催されることになり、京都へ。

 3日㈬午後、課題箇所を見に来てほしい豊里町自治会長さんからお電話があり、現地に赴いてお話を伺った。

 道路照明、交差点改良、府道法面や河川敷の草刈り等、聴かせていただいたので、土木事務所に連絡して、来週、状況をお聴きすることにした。

 今月のげんたろう新聞は、綾部市内の自治会長さんに送ることにする。

 その際、手紙を同封し、「こういった府へのご要望あれば、現地調査をしたり、府への要望に同行したり、課題解決状況を問い合わせたりするので、遠慮なくご連絡ください」と書くつもりだ。

 後援会や自民党の役員さんが自治会長に就いておられる場合は何かあればすでにご連絡いただいているので、わざわざ手紙はお送りしないが、そうでない方々にも、ぜひご活用いただければと思っている。


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