四方源太郎日記(京都府議会議員・綾部市選挙区)

これからの綾部のために、さらなる「挑戦」を!

昆布と大豆

2006年01月31日 | 家族

 午前中は来客が何件か。

 午後は月末の支払いに行く。その後も来客やら資料作りやら…。

 夜は予定がなかったので、家でご飯を食べた。小源太は昆布と大豆が大好きで、僕があまり好きでないものを喜んで食べている。熱いのに触ったり口に入れては、「アチー」と苦しんでいた。

 ニュースを観ていたら、麻生外務大臣が出演していた。そんなにひどいことは言っていなかったし、余裕の受け答えは良かったのだが、いかんせん口調が暗い。総理になろうと思えば、もう少し明るさが必要なんだろう。

 それにしても、古館伊知郎や朝日新聞記者のコメンテーターは、「引っ掛け」のような質問ばかりしていた。日本の外務大臣が、なんで中国や韓国の政府高官のご機嫌取りをしなければならないのか?それでしか、外交が成り立たないとすれば、それは向こうが悪い。

 お互いがまず主張して、そこからお互いが歩み寄ろうとして話し合うのが外交だろう。中韓のそれは恫喝や脅迫だ。

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忙しくなるだろう

2006年01月30日 | あやべ福祉フロンティア

 10時に曽根さんと口上林公民館に行き、月曜会の新年会に参加した。20名ほどが参加され、ボランティアグループによる踊りの披露などがあった。

 月曜会は上林地域の高齢難聴者サロンとして、約6年前から週1回行われている。綾部のサロン活動の中でも特徴があり、先駆的な活動だと思う。

 月曜会で昼ご飯をご馳走になり、午後は挨拶訪問や来客など。夕方からは仕事の打ち合わせ。

 夜はフロンティアの各部長さん方と清山荘に挨拶に行った。4月からフロンティアが指定管理者となるので、施設を見学させていただき、現況について話を聞かせていただいた。

 様々なことの取りまとめや改善計画の具体化などが始まる。これから数ヶ月忙しくなるだろう。


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牡蠣の食べ放題

2006年01月29日 | 消防

 朝9時にホテルを出発した。呉市の大和ミュージアムに向かった。「大和」の映画が上映中らしいが、映画を観てから見学した方がよく理解できたのではないかなと感じた。

 呉市は呉羽織と関係あるのかなと密かに思っていて、呉市の歴史に関する展示を注意深く観たが、それには触れられていなかった。

 15時に岡山の邑久町(現在は瀬戸内市)の牡蠣の食べ放題に行った。漁師さんが経営しておられるシンプルなお店だったが、客は多かった。

 僕は牡蠣があまり好きではない(特に生は)ので、6個ほど食べて気持ち悪くなってしまい、戦線離脱した。好きな人なら最高なんだろうなと思いながら、牡蠣ご飯のおにぎりと牡蠣の味噌汁はおいしく食べた。

 夜は綾部に戻って、幹事の慰労会&旅行の反省会だった。21時頃に家に帰った。


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平和公園に(1月28日)

2006年01月29日 | 消防

 朝9時に詰所に集合し、消防団の旅行に出掛けた。11人で広島まで行った。

 昼は岡山のサッポロワイナリーで試飲をした。ワインはあまりおいしくなかった。

 夕方、広島に着いて、平和公園に行った。中学生の修学旅行で行って以来だった。その時とは逆のコースで原爆ドームの方から公園に入っていった。

 原爆ドームは強度の調査中だった。数十年前にここで原爆が炸裂したとは今では信じられないが、アメリカという国は本当にひどいことをするものだと感じた。

 夜は19時から宴会で、その後もみんなで飲み歩いた。


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道草(1月27日)

2006年01月28日 | 家族

 午前中、来客があった。今日は田中さんが休みだった。

 昼前に小源太が来た。昼に一緒に歩いて帰ったが、草と遊んで途中から帰ろうとしなかった。

 午後も来客などが続いた。

 夜はNEXTの例会だった。


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今年も良い年に(1月26日)

2006年01月27日 | あやべ福祉フロンティア

 午後、ジュンサンと綾高へ。

 夜はフロンティアの中上林支部恒例の新年会に、理事長と参加した。20名あまりの方が参加された。

 綾部の福祉を地域の現場で支えておられる皆さん方には、この新年会から改めて、今年も良い年になるようにとお祈りしたい。


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来客の多い日

2006年01月25日 | あやべ福祉フロンティア

 午前中は仕事の注文があったりして、出掛けていたが、昼前からは来客が多かった。丹州社幹事が半分ほど、次々と集結した。

 昼ご飯を食べる時間もなく、卓ちゃんと幹田くんにマクドナルドを買って来てもらった。輝くんは人型集めを頑張っているようだ。

 18時からフロンティアの本部運営会議。清山荘のことやら、大方針を決めてもらうことがたくさんあった。

 終わった後はNEXTの月刊誌制作をした。22時半頃までかかった。今月は市長選挙の後片付けやらで、時間がなく、作るのが大変だ。


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寂しかったんだろうな

2006年01月24日 | あやべ福祉フロンティア

 午前中、会社で書類作りをした後、フロンティア事務所に寄って、ボラセンにも立ち寄った。昼前にユニセフ広報部会に合流した。今日はみんなで一緒に昼食を食べた。

 午後はユニセフの活動委員会議。2月の例会では勉強会を行うことになった。

 フロンティア事務所にリコーのサービスマンに来てもらって、プリンタについての話をした。よくよく話をしていると綾部在住で、僕の2つ上の人だった。相談についても善処していただけるようで、良かった。

 夕方は曽根さんとお見舞いに行った。会社に戻ったら卓ちゃんが写真を持って来てくれていた。選挙の総括など、いろんなことを話した。

 夜、小源太を風呂に入れたら、ママー、ママーと泣き喚いた。この10日間ほど、寂しかったんだろうな。


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事務所撤収

2006年01月23日 | 選挙

 朝起きたら、案の定、雪が積もっている。家の前、家の横、会社の雪かきをする。

 9時に選挙事務所に行った。市会議員の皆さん方にも集まっていただき、事務所撤収をした。人数が多いとどんどん片付いていく。1ヶ月弱お借りしていただけだが、なんか愛着も湧いてきて、少し寂しい気もする。

 午前中で目途をつけて、家に戻って、白猪くんと一緒に21世紀号の装備を外す。昼ご飯を食べてから、福知山の谷垣事務所まで車を返しに行った。

 戻ったら今度は、返ってきた荷物も整理。加奈っちと少しずつしていくが、こちらは先が長そうだ。

 夜は小源太を引き取りに上延に行った。最初は恥ずかしそうにしていたが、すぐに馴れて元に戻った。僕に抱きついてきて、何も言わずジーッと身体を引っ付けている様子がいじらしかった。


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よかった!(1月22日)

2006年01月23日 | 選挙

 朝9時前に投票所へ。こないだの衆院選に比べるとずいぶん人が少ない気がする。天気は晴れて良かったのだが、やはり投票率は低いのか。

 9時に熊野神社へ行った。当番交替奉告祭の準備をして、10時半から祭典があった。これで1年間の長かった当番氏子としての「おつとめ」が終了する。

 祭典の後は事務報告を聞いて、直会があった。

 午後、少し選挙事務所に顔を出した。選挙事務所は投票箱のふたが閉まるまで戦っている。

 夜は久しぶりに家でご飯を食べた。ご飯と豆腐の味噌汁と買ってきた刺身と目玉焼き。久しぶりのインスタントではない味噌汁と和食が食べれた。やはり、あったかいご飯はいいなあと感じた。

 20時に選挙事務所へ行った。雪がしんしんと降り始めた。

 投票率は55.54%、前回より9%低い。どうなることかと思っていたが、結果は12148票と5108票で、得票率が70%を超える圧勝だった。

 投票率が下がったのは、前回、共産党候補に入れた人が今回は投票に行かなかったからのようだ。共産党の主張が全く的外れであり、時代遅れであることを証明した形となった。

 ご協力いただいた皆さん、本当にありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。

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ありがとうございました。(1月21日)

2006年01月22日 | 選挙

 選挙運動期間は終わった。明日は投票日。最後の最後まで全力を「尽しきる!」必要がある。今回の市長選挙は、これからの綾部市のために大変重要な選挙です。ぜひ、投票に行って下さい。

 今回は丹州社の若いメンバーが本当によくやってくれた。みんな「気」があった。目の前のイヤなことも、先のことを考えて我慢してくれた。ありがたかった。このメンバーで、これからもずっと活動していけることが本当に嬉しかった。

 若い人たちが数多く参加してくれて、ありがたいことだった。

 家族の協力も本当にありがたかった。新庄家の皆さんには本当にお世話になった。

 小源太とは13日の朝以来、出会っていない。僕のことを忘れていないだろうか?父親がいなくなったと思って悩んでいないだろうか?

 明後日の事務所撤収が終わるまでは、会うことができないが、うちの家に生まれた以上、こういう境遇になることは止むを得ない。

 本当に皆さん、ありがとうございました。

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明日から選挙戦

2006年01月14日 | 選挙

 朝からあいにくの雨だった。結構激しい。

 会社で作業をしてから、選挙事務所へ。そして、また作業。午後は会議。そしてまた作業。

 明日から選挙戦が始まります。22日(日)が投票日です。期日前投票は明後日16日(月)から、市役所でできます。棄権をせず、ぜひ大切な権利を行使して下さい。

 勝利と投票率アップを目指して、1週間頑張ります。しばらくブログ更新はお休みすると思います。よろしくお願いします。


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市長選公開討論会(1月13日)

2006年01月14日 | 選挙

 朝、少し会社に行って、選挙事務所に行った。今日も選挙準備だ。

 午後、事務所開きがあった。府内の首長さん方や国会議員も数名来られた。

 共産党が発行する赤旗の京都版に「京都民報」という新聞があり、そこの記者がいつも覗きに来る。今日も一番後ろから見ていたので、その後ろに立って、ジーッとメモする内容を見つめていた。

 字が汚くて読みにくかったので、「後で読めなくなりませんか?」と聞いたら無視された。いつもろくろく取材もせずに虚偽記事を書いて、選挙の度に被害者が出ている。京都民報は共産党の機関紙ですので、取材に来たらお気をつけ下さい。

 夜は綾部青年会議所有志の会主催の「市長選公開討論会」があった。素晴らしい企画だったと思う。両者の主張が際立って良く分かった。「共産党もあれではダメだ」という意見が多かった。

 明日(14日)午前10時30分から、FMいかるで放送されるので、ぜひお聴き下さい。

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アップダウン(1月12日)

2006年01月13日 | 選挙

 今朝は資料を作って、10時頃には選挙事務所に行こうと思っていたが、来客があり、ついつい話し込んでしまう。今まで何度も何人にも話してきた「綾部はかつて都であり、これからまた都になるだろう」ということ。それと「若い人が政治に関心を持たないといけない」という話。

 昼ご飯を食べる時間もなく、12時にITビルに行った。第1回「女性フォーラム」が実行委員会の主催で開催された。僕はビデオ撮影を頼まれていた。

 200人を大幅に超える女性の方が参加され、市長がコメンテーターとなって、対話型の集会が行われた。

 予想外の出来事もあったが、笑ったり泣いたり怒ったりホッとしたり喜んだり…皆さんアップダウンの激しいコースを歩かれたような気分だったのではないかと思います。

 特に司会のまりこさんもあのムードの変化を乗り切るのが、さぞ大変だったろうと思う。あの難しいムードの中で意見発表された博美さんの度胸も、あのムードをいっぺんに切り替えた安村さんの機転もさすがだなあと僕も勉強になった。

 結局は後から聞いてみれば、「そうかあ」と納得できることだった。でも、いろんな意味でこれからの社会を象徴するような出来事でもあったと思う。

 選挙事務所に戻って、21時頃まで作業。終わった後、輝くん、白猪くんとご飯を食べた。久しぶりにゆっくり話もできた。


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選挙準備(1月11日)

2006年01月12日 | 選挙

 朝から会社で作業をして、昼前に選挙事務所に行った。

 午後はユニセフの代表者会議。当面の計画や来年度予算について話をした。

 夕方は政策宣伝カーの準備をしたり、来客があったりした。

 18時頃から再び選挙事務所に行き、23時半頃まで作業をした。丹州社のメンバーが手伝ってくれたお陰でずいぶん仕事がはかどった。


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