20日㈰、朝9時前に自民党綾部支部の役員数名で綾部を出発。
10時半からリーガロイヤル京都にて、自民党京都府連青年局(中島武文局長)主催のきょうと青年政治大学校20期特別記念講演会に出席した。

講師は裏千家前家元の千玄室大宗匠が務められた。昨日102才の誕生日を迎えられたそうだが、お元気で理路整然としたお話をされた。


若い頃には大平正芳総理らから国政へ誘いがあったそうだが、お母様が「絶対に政治はダメ。ご先祖様を見てみなさい」と許してくれなかったそうだ。
千家の先祖である千利休は堺を取り仕切る納屋衆の一人、田中家の生まれで、田中家は関東武士の里見家につながるとのこと。
豊臣秀吉は外向きのことは弟の秀長に、内向きのことは千利休に任せ、秀吉の側近として活躍したが、天正19年1月に秀長が没して石田三成らが力を持つようになったためか、2月に切腹を命じられた。
政治の世界に入るとロクなことがない、というのが千家の家訓のようになっていたのだろう。
今の政治には「間がない」とおっしゃっていた。
次の予定があって、途中で抜けさせていただいたが、戦争を体験し、平和を訴えられるその姿には魂が揺さぶられる感じがした。
12時から、五条河原町を少し上がったところにある鶴清で開催された京都三重県人会(本田一泰会長)総会に出席した。

三重大学に通っていた縁で、府議になった14年ほど前に二之湯智参議院議員(当時、三重県いなべ市出身)に誘われて入会しているが、総会にはなかなか参加できておらず、今回で3回目くらいだろうか?

総会後の懇親会は前会長である岩田武久相談役の発声で乾杯し、三重県出身、三重県ゆかりの方々と懇親を深めた。



私は大学時代の4年間を三重県津市で過ごした。最近は三重県から足が遠のいているが、懐かしく思い出深い土地だ。
私の先祖は初代綾部藩主である九鬼隆季公が三重県の鳥羽から綾部にお国替えになった際に一緒に鳥羽から綾部に移ってきたと伝えられていることもあって、三重県に自らの深いルーツを感じている。




それぞれが自己紹介などをした後、「ふるさと」を合唱して締めくくりとなった。
三重県出身ではないが、本田会長との関係で藤岡栄さんが参加しておられたので、終わってから「コーヒーでもどうですか?」と話していたら、二之湯智先生も「一緒に行こう!」とおっしゃり、3人で二時間ほど、喫茶店で懇談した。
次の予定が18時半からだったので「まだまだ時間があるな」と、二条駅前でさらに喫茶店に入ると京田辺市議の榎本昂輔くんがいたので話をしていると、宇治市議の木本裕章くんもやってきて3人で懇談。
18時半からは一緒に自民党府連青年局の大懇親会に出席した。今回はきょうと青年政治大学校の20周年を記念して、現役青年局員以外にも歴代青年局長、歴代学生部長がお招きいただいた。

歴代青年局長の橋村芳和京都市議、石田宗久府議、寺田一博京都市議、津田大三京都市議、荒巻隆三府議、森田守京都市議と共に、私も元青年局長として挨拶させてもらった。
久しぶりに出会う方々や初めて会う、現在の青年局、学生部の皆さんと楽しく懇談し、懐かしい青年局の空気を思い出した。
青年局長時代に「青年局は党内野党、学生部は党内過激派」とよく話していた。上の世代への反発、突き上げが自民党は弱くなっていて、それが組織を弱体化させている。
「政治サラリーマン」で自己保身に汲々とするのではなく、自分の頭で考え、自分の意見を主張することをどんどんやってほしいと思う。