四方源太郎日記(京都府議会議員・綾部市選挙区)

これからの綾部のために、さらなる「挑戦」を!

綾部を知らない人生は損?

2024年06月06日 | アート・文化

日㈭から京都へ。11時から事務局長を務める宇治茶振興議員連盟の役員会を開催した。

 13時半からは政策環境建設常任委員会の初回常任委員会に出席し、委員会で所管する総合政策環境部、建設交通部の事務事業概要等についての説明を受けた。

 

 朝、オーベルジュKIKUYA(喜久屋)の駒井靖社長Facebook「今日15時から、α-STATION FM京都に出演します!」と投稿されていた。「綾部に移住した近況を話します」というフレーズに興味を持った。

 ちょうど時間が重なったので、綾部への帰り、五条通を運転しながらFM89.4を聴いた。

 「綾部に移住して下さいとは思ってません。でも、綾部を知らない人生は損ですよ」と綾部人以上に「綾部愛」にあふれたコメントがあって、とても嬉しかった。

 

 綾部出身者が「綾部愛」が強いのは当たり前かもしれないが、綾部出身者でなくても、綾部に関わると「綾部愛」が強くなるのではないかと最近思うようになった。

 今年1月末に東京で上演された綾部を舞台にした演劇「ふたりのゆめ」(劇団ふぁんハウス)いつか綾部で上演できないかと、現在模索している。

 劇団ふぁんハウスの平野恒雄代表27年前にたった一度、二日ほど仕事で綾部に滞在された、その経験だけで出来上がった作品この「ふたりのゆめ」であり、物語の重要な舞台が綾部市の居酒屋「門出」(架空)京都府中丹文化会館(綾部市里町)となっている。

 平野代表や劇団の皆さんからは「これはお金の問題ではなく、自腹でも綾部公演をやりたい」という「綾部愛」がビンビン伝わってきている。

 この「綾部愛」に綾部人が応えずにどうするのか?という気持ちになっていて、7月20日、21日に東京都板橋区での再演があるので、7月21日㈰にもう一度、観に行ってみようと日程を調整している。

 これを一緒に観劇していただける方は大歓迎です。綾部から一緒に行くこともできますし、現地集合解散でも構いません。チケットはこちらからまとめて予約もいたします。

 また、首都圏在住の綾部出身者、綾部に興味のある方などにも、ぜひご覧いただければ嬉しいです。

 ぜひ一人でも多くの綾部関係者に「ふたりのゆめ」を鑑賞いただき、綾部公演につなげたいと思っています。どうぞ、よろしくお願いします。

 今後の宣伝のために、劇団ふぁんハウスの平野代表から1月の前回公演の写真をいただいた。前回公演を観に行っていた私の後ろ姿も写っていた。

2024年1月26日blog「劇団ふぁんハウス第44回公演【ふたりのゆめ】」

 

 夕方、事務所に戻ったら、障害者グループホームの経営など、障害者支援に取り組んでおられるNPO法人わいわいネット・なかま(前田道子理事長)の滝野千里副理事長、安村値恵子副理事長が先日の総会の報告に来られた。

 劇団ふぁんハウスは発足以来、障害者と健常者が共に舞台に立つという取り組みもされており、滝野さんや安村さんにはそのことを説明したいと思っていたところだった。資料を渡して説明したが、話が伝わったかは分からない。

参考:公益財団法人港区スポーツふれあい文化健康財団ふれあいコラム


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両丹支部の追悼茶会へ

2024年05月18日 | アート・文化

18日㈯10時中舞鶴雲門寺へ。茶道裏千家淡交会両丹支部(堀尾大直支部長)追悼茶会副支部長として出席した。

 堀尾支部長会場をお借りした神龍山雲門寺(臨済宗天龍寺派)住職を務めておられ、3年ほど前に亡くなられたお母様もお茶の先生今日の法要は弟さん、息子さんと3人でお勤めされた。お母様もさぞ喜んでおられたことだろう。

 追悼茶会は5年に1度開催されており、この5年間に亡くなられた支部の先生方の追悼法要が営まれる。5年前はまだコロナ前だった。

 追悼茶会には3回出席した覚えがあるので、もう10年以上、副支部長をやっていることになるが、作法は隣りの坂根功一副支部長に教えてもらいながらやっている。

2019年5月19日付「追悼茶会」https://blog.goo.ne.jp/gentarou-ayabe/e/3005a8dbcfcf5a4a87f9d742ca485f6a

 法要の後薄茶席と点心席があり、ご遺族の方々とご一緒にさせていただいた。薄茶席の床の間には「夢」という鵬雲斎大宗匠の軸が掛けられていた。

 

 同時刻に温二郎たち、綾部中学校野球部八田中学校にて綾部野球協会杯に出場し、八田中・豊里中合同チームに9対0で勝利したそうだ。

 まだ小さい背番号4番も副キャプテンとして、だんだん逞しくなってきた。野球を始めて6年ほど経って、やっと自分の意志で「素振りがしたい」と従兄弟の涼基や鴻央が使っていた重いバットを借りてきて前日に振っていたようだ。

 今日はヒットは打てなかったそうだが、あと数ヶ月の野球部生活を楽しんで良い結果が出るように頑張ってほしい。

 

 夕方から四方源太郎後援会(鹿子木旦夫会長)拡大役員会あやテラスで開催していただき、100名を超える方々にご参加いただいた。

 これは改めて、ブログでご報告します。


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斎神社(山家地区)が国の重要文化財に指定される!

2024年05月17日 | アート・文化

17日㈮16時半から綾部建設業協会(吉田博美会長)総会綾部市の岩本正信副市長、京都府中丹東土木事務所の細井浩一所長と共に出席して、挨拶した。

 挨拶では、昨夏の災害復旧で協会の皆様に大変お世話になった御礼、国の国土強靭化計画が臨時的計画を継続する形でなく、定期的に中期計画を作るよう法改正が昨夏になされたこと、今年度の綾部市内での京都府事業について説明した。

 18時からは現長にて、総会後の懇親会にも出席し、会員の皆様からいろいろとご意見を聴かせていただいた。

 

 夜には綾部にとって、良い知らせが入ってきた。

 山家地区の下原町にある斎神社国の重要文化財(建造物)に指定されたとのこと。室町時代中期に建造されたものと考えられるそうだ。

 数年前宮大工である匠工務店の吉崎典之社長から「国宝級のすごい建物です」と言われていたので期待していたが、ようやく国の審査が通ったようだ。


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三河内曳山祭りの宵宮に参加

2024年05月03日 | アート・文化

日㈮午後から丹後与謝野町三河内に向かった。三河内は旧野田川町の一地区「三河内」と書いて「みごち」と読む。毎年、三河内曳山祭が盛大に開催されている。

 なぜ?このお祭りに参加することになったのか?というと、昨秋、京丹後市峰山町の飲食店でたまたま席が隣りになった少し年上の50代の経営者と知り合い、意気投合した。

 その時に強い与謝訛りで「お前はワシよりちょっと年下やから四方クンと呼ぶけど、四方クン、ミゴチの祭を知らんのではアカンわ」「うちに泊めてやるから、今度来るか?」と言われた。

 初対面で、互いに結構飲んでいたこともあり、「そうは言っても、明日になったら覚えてないだろう」と思っていたが、それからも何度か「約束通り来てくださいね」とLINEをもらったのでお言葉に甘えることにした。

 その方の家も知らないので、「どこへ行ったらいいですか?」と数日前に聞いたところ、「梅林寺という寺の手前」だと言われて、梅林寺を目指して行った。梅林寺は臨済宗妙心寺派のお寺で城のような巨大な石垣があった。

 寺の近くから電話をかけたら「寺の下まで来て!」と言われたが、人はたくさんいるもののその人の顔が分からない。一度、会っただけなので、よく考えたら顔もよく覚えていなかった。

 寺の下に知り合いの与謝野町議がおられた。「げんたろう、お前、なんでこんなところにおるんだ?」と言われ、「この祭の意味も分からずに、〇〇さんに誘われて来たんですけど…」と答えた。「それなら、これから後藤神社に行くから、お前もついて来い」と言われて、よく分からないまま、出雲大社与謝分祠の後藤神社へついていくことになった。

 後から分かったことでは、三河内には6つの町内会があり、それぞれに山車を出しているこの町議の町内会は「神楽山」で、僕が誘われたのは「倭文(しどり)山」、他にも「春日山」「浦嶋山」「大幟山」「八幡山」というのがあるそうだ。

 「倭文山」に行くべきところを間違えて「神楽山」についていってしまったようだ。

 

 後藤神社で少しビールを飲ませてもらい、三河内の区長さんや後藤重和分祠長らとご挨拶した後、ずいぶん歩いて戻ってようやく「倭文山」と合流することができた。

 「倭文山」は梅林寺の門前にある奥地町の方々が80軒弱で守っておられるそうだ。今年の「倭文山」の総責任者(総町主と呼ぶそうだ)が元京都府職員の方で「綾部の四方先生がなぜ?ここに?」と驚いておられた。

 「倭文山」と書かれた法被を貸してもらい、「山車の綱を引っ張ってくれ」と言われて列に加わった。山車は初めて見たが、小学生を乗せて坂道を登ったり下ったり、90度直角に細い路地へ入って行ったりする時に溝にはまったり、屋根にぶつかりそうで、「大丈夫かな?」と心配した。

 15時半頃子どもの山車が梅林寺下の倉庫に戻ると夜の巡行までしばらく中休みとなった。

 

 その間に三河内の町を歩き、祭のことを説明していただいた。家々の前には「献灯」と書かれた提灯が立てられ、町全体が祭一色になっている。あちこちからお囃子が聞こえ、フーテンの寅さんがひょっこり歩いて出てきそうな雰囲気がある。

 三河内曳山祭は5月2日から準備が始まり、3日が宵宮で青年屋台(10代、20代の若者が乗る)と子ども屋台(小学生が乗る)の巡行、4日は本祭礼で大きな山車と子ども屋台が昼から夜まで巡行するそうだ。

 街並みには、昭和の頃までは機屋が軒を連ね、「ガチャ万」で大儲けしていたなごりが感じられた。

 祭の中心である倭文神社にも参拝した。機織りの神様「綾部」と通じるところもあるように思った。

 「神楽山」とも再び遭遇した。この町内会では若者が神楽を舞い、三河内区全域を回るようだ。

 浦嶋山の「総町主」の方に祭を運営する組織の話を聴かせてもらった。各町内で「町主」と呼ばれる幹事役が選ばれて、その代表が「総町主」となるとのこと。だいたい60才前後の方がなられるそうだ。

 山車の組み立てや運行管理は「保管委員長」もしくは「保管係長」が責任者その下に20名ほどの委員がおられるそうだ。僕を招いてくれた方「倭文山」の「保管委員長」を務めておられた。通常は1年交代で、その方は次になる予定の方の都合が悪くなって2年連続で引き受けたとおっしゃっていた。

 巡行の出発点にある小さな祠。ここにも神社の幕には全て「丹後ちりめん」が使われている。

 17時45分頃からは、奥地町の公民館の前に青年屋台、子ども屋台が運ばれ、飾りつけの準備が始まっていく。

 町の人達によって、出発点まで移動し、各町から10基ほどの山車が集まってきた。順序は毎年、総町主による話し合いで決まり、間違えると大変だそうだ。

 出発点に着くと、提灯が灯される。昨年からLEDになったそうだが、以前は火をつけていたということだった。

 屋台に乗る青年や子ども18時から23時過ぎまで、交代で太鼓を叩き、笛を吹き、ドデッサッサーという掛け声を発し続ける。太鼓が腹に響き、若者が叫び、笛が甲高い音色を出し続ける。すごい熱気だ。

 倭文神社や梅林寺、町のあちこちでしばらく停まる場所や転回する場所などがある。

 また、祭りの法被を着ていると、この日はどの家でも酒や食べ物が振る舞われるそうだ。

 こんな祭を今でも継続できているところは京都府北部では三河内しかないだろう。何もかも祭に捧げて、老いも若きも狂喜する姿は、行ったことはないがスペインのカタルーニャ地方で独自の言語や文化を誇る「バルセロナの雰囲気」ではないかと思った。

 ドデッサッサーという掛け声は大人は言わず、若者や子ども達だけが言っていた。大人が大きな声で叫ぶと若者や子どもは呑まれて言えなくなるかもしれない。次につなげるための工夫ではないかとも感じた。

 最後は出発点に戻って、全員で万歳した後、各地に戻っていった。軽く考えていたので5時間も歩くことになるとは思わなかった。明日は明日で、本祭礼があり、さらに大きい山車が同じように夜まで巡行されるそうだ。


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綾部高校の吹奏楽部と軽音楽部

2024年04月28日 | アート・文化

28日㈰10時過ぎ青野町由良川花壇展の会場へ。涼子が綾部高校吹奏楽部に入って初めての演奏を聴きに行った。

 吹奏楽部は新入部員が8名、全体で20名。一方、軽音楽部は今年、同好会から部に昇格し、こちらは人気が高く、27名の新入生が入って50名の大所帯となった。吹奏楽部は人数が少ない分を技術でカバーし、今年も金賞を目指して頑張ってほしい。

 

 会場内の花壇を見て回った。綾部中学校の花壇は温二郎が数日前に制作に行っていた。「日本一」と書くことにこだわりすぎて、少し殺風景な感じが…。「日本一」の学校にしようという意気込みはいい。

 他の中学校や市内の各種団体、企業、市民グループ等で、工夫を凝らした様々な花壇を作っておられた。

 暑かったがシルバー人材センターできつねうどんを販売しておられたので協力し、12時からは綾部高校軽音楽部の2組の演奏を聴いた。

 軽音楽部の演奏はなかなか良かった。新入生を加えると10組くらいのバンドができるようだ。「綾高フェス」でもやってほしい!

 小源太は今朝、バスで東京から京都、そして京都から綾部に電車で帰ってきて、そのまま舞鶴での音楽フェスに行った。明日の朝には再び、東京に戻ってしまうそうだ。忙しいことだ。


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今日、誰のために生きる?

2024年04月01日 | アート・文化

日㈪新年度に入り、一気に春らしくなってきた。新任の挨拶にも順にお越しになる。

 15時にはアグリネクスト㈱寺本浩文社長と後藤正芳取締役を高橋輝市議に紹介した。お二人は綾部を中心に事業型の農業を考えておられるので、今後、情報交換や連携をしていってもらえたらと思っている。

 

 少し前に、輝くんから「今日、誰のために生きる?アフリカの小さな村が教えてくれた幸せがずっと続く30の物語」という本を借り、数日前にサラッと読めたので、その感想や久しぶりに様々なことを話した。

 今は2001年の「9.11」の頃と世相が似てきているとも感じている。アメリカが行き詰まり、日本にも閉塞感が漂う。

 この本を読んで思い出したのは「地域通貨」のことだった。今から22年前の2002年1月1日に地域通貨ゆーらを発行したが、その前に地域通貨研究会で「お金」の問題を研究していた。

 研究を始めた時ドイツの児童文学作家ミヒャエル・エンデとNHKが合作した「エンデの遺言~根源からお金を問う」という番組を観た。エンデは「人間の価値とお金はイコールにならない」と説いた。

 「お金は人間が造った概念に過ぎないのに、人間の手を離れて人間を苦しめる悪魔のような存在になっている」と言ってはいないが、そういうことを言いたかったのではないかと感じた。

 信用創造」という概念がこの「悪魔」の根幹であり、それによって「忙」しくされた人間は心を失ってしまい、幸せになろうとして不幸せになってしまっているというのがエンデの指摘で、それはもっともだと思っている。

 エンデの有名な著作「モモ」では時間を奪いに来た「灰色の男たち」によって、村の人達の生活は忙しくなり、心を失って争いを始めていく様子が描かれている。

 「今日、誰のために生きる?」の本に出てくるタンザニアのブンジュ村には、まだ「灰色の男たち」が来ておらず、人間らしい暮らしが営まれているようだ。

 

 映画「イエスマン」(ジム・キャリー主演、2008年)に通じるところもある。

 映画では主人公があるセミナーで「どんな事に対しても『イエス』と答えることが、意味のある人生を送るための唯一のルール」と教えられるが、この本には「感謝の気持ちを伝えることが夢を叶える方法」だと書いてある。

 

 この本のSHOGENという著者は綾部市の隣りの京丹波町出身だそうだ。全ての存在は繋がっているのだろう。


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記念の第20回「あやべ寄席」満員御礼!

2024年03月20日 | アート・文化

 20日㈬春分の日祝日。9時半ITビルへ。

 第20回「あやべ寄席」(保坂朋宏実行委員長)準備作業に参加した。

 実行委員会の構成団体は、あやべ福祉フロンティア、綾部ローターアクトクラブ、ふるさと綾部の老人を守る会、自立支援センターいかるがの郷、あやべボランティア総合センター、綾部市社会福祉協議会NEXTが後援し、きたきんき落語会に協賛していただいている。その他、市民実行委員にも参加していただいており、どなたでも参加できる実行委員会となっている。

 第1回「あやべ寄席」2001年(平成13年)11月18日に旧綾部市民センターで開催した。当時、私は27才、綾部ローターアクトクラブの会員で、会長は現在の実行委員長の保坂朋宏くんだった。

 保坂会長の想い「数十年後にも続く、綾部市民に喜んでもらえる事業を創りたい」というもので、当時、両丹経済新聞(現在の北近畿経済新聞)の取材を通して知り合った福知山市在住の女流落語家、桂三扇さんにお願いして「あやべ寄席」は始まった。

 たまたま保坂くんと三扇さんは中高の先輩後輩の間柄でもあり、「あやべ寄席」は当初から「綾部での桂三扇後援会的な存在として三扇さんを継続的に応援していこう」と話していて、今でも当時のアクト会員に関わってもらっている。

 また、今日は三扇さんがFMいかるでパーソナリティを務める『三扇のど・真ん中放送局』の放送日と重なり、放送はITビルの会場と隣接するスペースに特設スタジオを作って、そこからすることになった。

 寄席の開催前で、三扇さんも他のスタッフも忙しい、ということで、第1回から第9回までは中心的な実行委員だったが、第10回の年から府会議員となったことで、そこまで深く関われていない立場の私が「過去の歴史を知っていて、当日はヒマだろうから」とラジオ番組のメインコメンテーターを務めることになった。

 順番に出演者や実行委員の皆さんに出演してもらった。最初は出演者の笑福亭笑利さん。パペット落語で有名な笑福亭鶴笑さんのお弟子さん。

 続いて、実行委員長の保坂くん、初期からの実行委員で今も中心的にお世話になっているあやべボランティア総合センターの田中克典事務局長、NEXTの今川信吾代表。

 第3回から毎回、津軽三味線を演奏してくれるプロ囲碁棋士の中野泰宏九段(関西棋院所属)

 あれから約22年、コロナで「幻の第19回」があって19回は2回あったり、開催できない年もあったが、記念すべき20回を迎えることができて感慨無量だ。当時30才前後だった実行委員も50才を超えた。

 ハッピやノボリはたしか京都府の地域力再生プロジェクト交付金(現在の地域交響プロジェクト交付金)を活用して作らせてもらった。

 「笑いで綾部の町を健康に!」と生の落語やお笑いを提供することを目的に開催しており、障害者や高齢者にもバリアフリーで楽しんでいただくために、字幕放映や磁器誘導ループ設置、車椅子席を作ることなどにも取り組んでいる。

 三扇さんの挨拶で、14時から第20回は始まった。20回記念の特別ゲストテレビ等で大活躍桂小枝さん有名人の小枝さん効果でチケットは販売開始から1週間ほどで売り切れとなった。今日も200名を超える観客で会場がいっぱいとなった。

 15時半過ぎに終了し、約1時間で撤収し、17時半から花山で打ち上げ。

 出演者桂三扇さん中野泰宏くん今回は出囃子の生演奏があり、三味線はやしや都美礼さんにも参加していただいた。落語界の裏話なども聞ける楽しい時間だ。

 あやべ寄席綾部市で福祉やボランティアに関わる若手の交流とネットワークづくりも目的としており、これからもできる形で、細く長く継続していけたらと思っている。

 有志で二次会にも行き、反省なり、これからへの想いを話し合った。


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あやべあんな人こんな本!

2024年03月11日 | アート・文化

 11日㈪3.11。13年前に起きた東日本大震災での多くの犠牲に、心からのご冥福をお祈りいたします。大震災と津波、その後の原発事故による「故郷の破壊」は他人事ではなく、私たちの地域でも憂慮すべき課題です。

 

 午前中蒲田正樹さん「ことばの泉・ねじ文庫」(若松町、綾部市役所そば)訪問3月9日から16日まで開催されている「ほんとのおつきあい展〈あやべあんな人こんな本!〉」を見学に行った。

 綾部市社会福祉協議会の元会長である福山保孝さんいらっしゃったので、三人で本を見ながらいろいろとお話した。書架に並んでいた「サルタヒコの謎を解く」(藤井耕一郎、河出書房新社、2015年)が気になったのでいただいた。

 私が紹介した本「日本人が知っておくべき この国根幹の重大な歴史」(加治将一、出口汪共著、発行:㈱ヒカルランド、2015年4月30日)

《本の紹介文》

 インターネットを使い始めたのは25年ほど前で、「ホームページビルダー」というソフトを使って日記を書き、わずかにある反応を楽しんでいた。当時、「teacup」という無料のレンタル掲示板サービスがあって、それをホームページに設置するとさらに知らない人からの書き込みがあり嬉しかった。

 ある日、ニューヨーク在住だという日本人から「綾部は大切な場所ですから、しっかり守ってください」と書き込みされた。学生の頃から綾部の歴史に興味を持ち、自分なりには何となく理解していたが、異国からの書き込みにギョッとした。なんで綾部のことを知ってるんだ?と。

 この本は、第1章「日本開国の裏には驚愕の事実があった」で始まり、第4章「大本弾圧と昭和の闇を暴く」で締めくくられる。私がこれまでに調べたことや様々な方から伝えられた情報が網羅されていた。なんでこれが本になっているんだ?と久しぶりにギョッとした。

 《紹介本》をご覧に、ぜひ、お訪ねください!

 

 午後「げんたろう新聞」第159号の原稿書き。今回は最近、取り組んでいる「児童相談所」の問題について、課題認識を書こうと思っている。

 

 綾部モラロジー事務所(鎌田昌司代表)主催第27回「道経一体経営セミナー」出席し、来賓として挨拶させていただいた。

 講師モラロジー道徳教育財団コンテンツ開発局長出版部長富田裕之さん「飛翔の未来、永続の価値~今一度原点に返る経営~」と題してお話された。

 終了後打ち上げの席にもお招きいただき、そちらでも乾杯の発声を行った。


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まんまるうさぎの音楽祭

2024年03月09日 | アート・文化

 日㈯午後中丹文化会館で開催された「まんまるうさぎの音楽祭」に行った。昨年11月に主催者の小林裕美さんが来られて相談に乗ったので気になっていた。

※2023年11月21日付blog「3月9日、まんまるうさぎの音楽祭」

 綾部高校の軽音楽同好会の演奏もあった。軽音楽同好会は設立されてすぐにコロナになり、なかなか発表の場がなかったが3年前の綾高の文化祭で初代メンバーの子達の演奏を聴いて以来だった。なかなか格好良かった。

※2021年10月20日付blog「綾部高校の文化祭と体育祭」

 他にもインドの民族衣装サリーのファッションショーや歌手のコンサートなどがあった。

 日星高校吹奏楽部の演奏まで聴いて、次の予定があったために退席した。小さなお子さんを連れた若い人たちが数多く来ておられて、和やかなムードで良いイベントだった。

 

 18時からの京都での会合に行くために綾部駅へ。駅前から見える四尾山の山頂には雪が舞っていた。

 京都駅前児童相談所の問題について、昨年設立されたばかりの二つの団体の代表者による懇談を行い、今後、両団体は連携しながら真相究明と課題解決を目指していくことになった。

 児童相談所の問題は次号の「げんたろう新聞」で取り上げようと思っているが、相当、闇が深いのではないかと感じている。

 帰りの特急は対向列車が動物を巻き込んだため、約1時間遅れて0時前にようやく着いた。複線ならこんなことは起きないのに。


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藤本さんの「風人(かじぴとぅ)の祭」

2024年02月28日 | アート・文化

 28日㈬京都府議会では予算特別委員会の書面審査が始まっている。今回は委員から外れたため、綾部の事務所でインターネット中継を聴きながら事務仕事をしている。

 昼前久しぶりに宮津の藤本宏秋さんが来られて、今度の日曜日に宮津市で開催される「風人の祭」のチラシをもらった。映画「地球交響曲(ガイアシンフォニー) 第五番」(龍村仁監督、2004年)の上映などをされるそうだ。

 「久しぶりですね」「藤本さんと最初に出会ったのは?」という話題になって、それは芦生の森にトレッキングに行った時ではないか?と。

 綾部にUターンしてきたのが1998年の暮れ。そのトレッキングは1999年だったか?当時、知り合ったばかりの高橋輝くんに誘われて、由良川の源流である美山町芦生の原生林を歩いたことがあった。「藤本さんもあそこにおられたんですね!」と懐かしい気持ちになった。

 藤本さんが舞鶴市で「地球交響曲」の上映会を成功させ、その後、輝くんが「地球交響曲 第二番」の上映会を綾部でやる!と言って、中丹文化会館でそれがあった時に初めてその世界観に触れた。ジャック・マイヨール、佐藤初女さんの考え方に非常に共鳴した覚えがある。

 藤本さんもこういった上映会は久しぶりらしい。この映画のピークは「第五番」の2004年頃なので、それから20年。「今の若者には新鮮だろう」と思って企画されたそうだ。

 「第五番」は「陣痛」「出産」がテーマになっている。小源太が生まれたのもこの年、2004年だ。

 「第五番」のHPにはこう書いてある。

… 既存の価値観が崩壊してゆく今の時代は、私達ひとりひとりの小さな価値観の変化と、それにともなう小さな選択、行動の変化が、地球規模の大きな変化を起こし得る時代なのです。こんな時代に最も大切なのは、「全ての存在は繋がっている」ということへの信頼と、そこから生まれる安心感です。…

 藤本さんの「小さな行動」も地球規模の大きな変化に繋がっているのだろう。興味のある方は、ぜひ足をお運びください。

 

 綾部高校にて、ホームステイ受け入れの説明会に出席した。4月16日~20日の日程で、綾部高校で体験学習を行うオーストラリアのSt Augustine’s College Sydneyの生徒さんを我が家でも受け入れることにした。

 コーディネーターの安藤恵子さんからは昨年も依頼があったが、選挙と重なって受け入れができず、今年は協力させてもらうことにした。ちょうど、涼子も温二郎も英語に興味があるし、同世代の子どもがいる時期だけにできることなので、良い経験になると思っている。

 St Augustine’s College Sydneyオーストラリアのシドニーにあるカトリック系の男子校だそうで、日本語を学んだり、日本に興味がある中高生が約2週間のスケジュールで来日し、東京、京都、広島を回る途中で綾部に4泊5日、滞在することになっている。

 今回のホストファミリーはほとんどが初体験の家庭なので、安藤さんからはホームステイを受け入れるに当たっての基本的な留意点などを教えていただいた。


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劇団ふぁんハウス第44回公演【ふたりのゆめ】

2024年01月26日 | アート・文化

 26日㈮綾部ロータリークラブでの府政報告を終えて、綾部駅を13時56分発の特急に乗り、東京へ。京都駅から新幹線で、17時半頃に品川駅に着いた。

 劇団ふぁんハウス(平野恒雄代表)による第44回公演【ふたりのゆめ】鑑賞するために麻布区民センターへ。品川駅からバスで六本木五丁目のバス停に下車し、六本木通りを少し入ったところに会場はあった。

 会場の目の前には大きなビルが見え、「こんな東京のど真ん中で、本当に綾部市が舞台となる演劇が上演されるのか?」と思いながら歩いた。

 入場券を買うとプログラムを渡された。そこには劇団ふぁんハウス代表の平野恒雄さんのこんな文章が掲載されていた。

 18時半に舞台の幕は開き、おそらく、この会場には私しか綾部の人間はいなかっただろうが、何の説明もなく、「綾部」「舞鶴」「敦賀」という地名がセリフに出てくる。

 さらに何の説明もなく、「中丹文化会館」が登場する。「中丹」って、東京の人に分かるんだろうか?と心配になる。綾部が架空の町だと思っている観客もいたのではないだろうか?

 「聖徳太子ゆかりの光明寺」「足利尊氏が生まれた安国寺」「大栃の木」「グンゼ記念館」というセリフも。この空間に存在できたことに、綾部人として大きな感動を覚えた。

 劇団ふぁんハウスの方々は11月に綾部を訪れて、綾部のことを調べていただいていたようだ。パンフレットにその様子が掲載されていた。

 YouTube「綾部視察旅行」https://www.youtube.com/watch?v=sH6EzQ06fkc もご覧ください!

 演劇自体の完成度も大変高く、笑いもあり、最後は涙した。音楽がバイオリンとピアノの生演奏で、それがすごく良かった。

 

 今回、私にこの公演の情報を連絡してくださった劇団俳優の竹本和弘さんには大きな感謝を申し上げたい。竹本さんからは後日、御礼のメールをいただき、「この度の公演のお客様からのアンケートに『綾部に行ってみたくなった』という感想がいくつかありました」とも書いてあった。綾部を訪れる人が増えてくれるのなら、そんなありがたいことはない。

 ぜひ、綾部の人達にこの作品を観てほしいと思ったし、いずれは中丹文化会館で上演されればと強く感じた。終演後にご挨拶した平野代表も「ぜひ、綾部に呼んでください」とおっしゃっていた。

 次回は今夏、7月20日、21日に板橋区立文化会館で公演があるそうだ。5月に東京あやべ会の総会もあるので、大いに宣伝して綾部出身者の方々にぜひ観てもらおうと思っている。綾部からの観劇ツアーも企画できないか考えてみよう。

 この演劇の重要なポイントである「ゴンドラの唄」を私は知らなかったが、聴いてみれば知っている曲だった。いろんな歌手に唄われているようだ。

 「いの~ち みじ~かし 恋せよ乙女~…」という歌詞で、調べてみると作曲は中山晋平、作詞をしたのが吉井勇だった。

 吉井勇といえば、綾部にも大変ゆかりの深い歌人で、「なつかしき 綾部だよりは又しても 水無月祭 見に来よという」という歌綾部百人一首にも収められている。

 この演劇吉井勇の綾部に対する想いが形になったのものなのかもしれないとも感じた。

 

 演劇後どこに泊まろうか?と飯田橋にあるホテルを予約した。飯田橋駅を降りて、どこかで食事をしようと見渡したところ、「居酒屋 源太郎」という看板が目に入った。運命的なものを感じたので、地下にあるその店に下りて行った。

 良心的な価格だからか、若いグループでよく繁盛していた。ついつい頼んだのは「焼うどん」。

 【ふたりのゆめ】を観ると、みんな「焼うどん」が食べたくなるはずです。

 ちなみに…店主のお名前は「源太郎」ではないとのことでした。


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第20回記念「あやべ寄席」チケット購入はお早めに!

2024年01月16日 | アート・文化

 16日㈫来る3月20日(水・祝)14時~、ITビル(西町1丁目)にて開催する第20回記念「あやべ寄席」のチケットとチラシを預かった。

 今回は第20回記念特別ゲストとして、テレビでも大活躍の桂小枝さんにお越しいただくことになった。そのためか、チケットがいつになくハイペースで売れているため、ご希望の方は早めにご購入ください。

 プレイガイド市社協(川糸町)、あやべボランティア総合センター(本町2丁目)、FMいかる(西町2丁目)、あやべ福祉フロンティア(里町、清山荘内)、そばの花(上八田町)、いかるがの郷(味方町)、里山ねっと・あやべ(鍛治屋町)などです。

 前売券は1,000円で、前売券が完売した場合は当日券は販売しません。多くの皆様のご来場をお待ちしております。

 お問い合わせは、あやべ寄席事務局☎080-6176-1334(後藤)まで。

 

 綾部鉄工工業協同組合(波多野隆史理事長)新年会に出席し、挨拶させていただいた。昨年12月の組合設立70周年記念式典では、綾部中学校の吹奏楽部に演奏させていただき、また全国大会出場に対しての寄付をいただいたことの御礼も申し上げた。


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初点式

2024年01月13日 | アート・文化

 12日㈮綾部建設業協会(吉田博美会長)新年会萬家で開催されて出席した。

 挨拶ではまずは昨年の災害復旧に対する御礼、加えて「地域交響プロジェクト・被災地支援プログラム」で建設業者に委託されるのは小さな仕事で割に合わないところはあるだろうが、この制度でなければ民家や民地の土砂撤去などが進まないので、今後も協力をお願いした。

 また、犀川、八田川の本格復旧や整備を京都府にお願いしていること、府道安場田野線のバイパス工事、府道三俣綾部線の拡幅工事は道路設計が完成し、1月24日、25日に安場町、上延町でそれぞれ地元説明会が開催されること、府道舞鶴和知線の中上林清水自治会内の狭隘箇所も昨年、用地買収が整い、来年度には工事できる見込みになっていることなどを報告した。

 終わった後、本田太郎事務所の西地康弘秘書を誘って、数年ぶり居酒屋まつり山中光男さん会いに行った。飲み屋さんはいろいろな意見が集まる場所でもあり、時々は寄って話をしておかなければと思っている。

 

 13日㈯午前中亀甲家にて、茶道裏千家淡交会両丹支部綾部分会初点式に出席して、両丹支部の副支部長としても挨拶させていただいた。

 挨拶の中では、昨年12月議会の文化生活・教育常任委員会「中学校での武道教育」について質疑した際に、茶道や華道、書道、吟道でも「武道教育」が目指す趣旨に沿った教育が可能ではないかと発言したことなどを報告した。

 濃茶席、薄茶席、点心席を回り、今日も勉強させていただいた。「お道具拝見を!」のタイミングは水差しの蓋が閉じた時、と学んだ。


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サラダ記念日

2024年01月03日 | アート・文化

 日㈫北陸の地震は余震が収まらない。道路も寸断されており、救援の手もなかなか届かないようだ。

 昼前から事務所に行き、いただいた年賀状の整理や返信作業を行った。

 「年賀状終い」の連絡もちらほらあり、ハガキ代が大幅に上がる来年は、さらにこの傾向が強まりそうだ。年賀状という文化も細くなりつつあり。

 になってテレビで大きな火の手が上がっているのを見て、地震による火事かと思ったが、そうではなかった。羽田空港の滑走路で日本航空機と海上保安庁機が接触し、奇跡的に日本航空機は全員脱出できたようだが、海上保安庁の職員が5名殉職されたそうだ。

 海上保安庁職員は北陸の被災地へ救援に向かおうとしておられたということで、大変悲しい出来事が起こってしまった。

 正月早々、なんでこんなにも災害や事故が起きるのかと、まだ始まったばかりの今年を憂う。

 

 日㈬今日は夜から雨になるそうだ。この正月3ヶ日、人手不足で妻は毎日、仕事に行っている。小源太と涼子は昼夜逆転生活でよく寝ている。温二郎だけは規則正しく寝て起きて、勉強してゲームをしている。

 食卓の上俵万智さん「サラダ記念日」の文庫本が置いてあった。誰のか?と聞いたら、小源太が「前に買ったけど、読んでなかった」と答えた。夜行バスの中で読もうとでも思って持って帰ったのだろう。

 この本が出版されたのは1987年(昭和62年)5私は13才、時代はバブルの真っ只中だった。パラパラっと読んでみて、時代感の分かる歌をいくつか発見した。

 

また電話しろよと言って受話器置く君に今すぐ電話をしたい

電話から少し離れてお茶を飲む聞いてないよというように飲む

 

 今の子は受話器なんか持ったことがないだろう。電話が一家に一台で、それが唯一の連絡手段だった時代ならではの歌だ。二番目の歌は娘と恋人の電話に知らぬ素振りで聞き耳を立てる父親の姿が想像できて面白い。

 

捨てるかもしれぬ写真を何枚も真面目に撮っている九十九里

 

 今の子ども達はもうフィルムのカメラを知らないのだろうな。デジカメやスマホでは何枚でも撮れるし、すぐに確認もできる。便利な時代になった。

 

今日風呂が休みだったというようなことを話していたい毎日

 

 銭湯は綾部市にはもうなくなってしまった。私は大学時代、下宿に風呂がなかったので「サカエ湯」という銭湯に行っていた。最初320円くらいだった銭湯代はやがて400円近くに値上がりし、節約のために二日に一回にするようにした。

 

「30までブラブラするよ」と言う君の如何なる風景なのか私は

 

 当時は30才までに結婚したいという女性が多かったのだろう。平成に入ってしばらくするとバブルが崩壊し、その数年後から社会に出た若者たちは「就職氷河期世代」と呼ばれる。晩婚化が進んで今の少子化の遠因になったのは、この句の数年後からだったのだと思う。

 結婚のことを「永久就職」という呼び方もあったが、離婚率が高まり、そういう言葉は死語になった。

 

万智ちゃんを先生と呼ぶ子らがいて神奈川県立橋本高校

 

 すごい人が教壇に立っていたものだが、その価値に気がついていた生徒は何人いたのだろうか?

 「何もない」と思い込んでいる自分の周りにも、気づいていない大きな可能性があるのではないかとこの歌を読んで思う。

 明日は綾部商工会議所の新年互礼会。新しい年が本格的に動き始める。


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~好きな歌を 好きなときに 好きなように唄う~

2023年12月31日 | アート・文化

 31日㈰大晦日。今年も一年大変お世話になりました。特に3月の府会議員選挙におきましては、64年ぶりの無投票ではありましたが、4期目の当選をさせていただき、心から感謝申し上げます。ありがとうございました。

 5月にはようやくコロナが5類相当となり、後半期は会合等も開催しやすいムードになってきました。

 6月には総選挙があると思っていました岸田総理が解散に踏み切れず、これは1年は延びるなと思っていたら、年末に「裏金」問題が巻き起こり、年明けにかけて政界では何が起きてもおかしくない不穏な情勢となっています。これでは来年も解散は難しいかもしれませんが、総裁が交代することがあれば、そのタイミングであるかもしれないなと思っています。

 大晦日に珍しく雨が降り、明日元旦も雨の予報です。皆様も良いお年をお迎えいただきますよう心からお祈り申し上げます。

 


 告知しておりましたKBS京都テレビ第10回「2023紅白歌の競演」31日の午前中に放送されました。人生で初めて「紅白」の審査員を務め、コメントも使っていただけました。

 白組司会の歌手の大林幸二さんとのご縁で今回、お声がけいただきました。一生の良い思い出になりました。

 最後の審査では会場は五分五分ながら、若干「白組」が多いと判断され、6名の審査員は赤3名、白3名と分かれたため、僅差で白組の優勝となりました。おめでとうございます!

 フィナーレ皆さんと一緒に楽しく歌いました。~好きな歌を好きなときに好きなように唄う~ 初めて聴く曲でしたが、良い歌だと思いました。

 皆様、来年もどうぞよろしくお願いいたします。


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