四方源太郎日記(京都府議会議員・綾部市選挙区)

これからの綾部のために、さらなる「挑戦」を!

正暦寺の不動明王大祭と奥方の駕籠

2021年01月31日 | 歴史の探求

 31日㈰、10時から寺町那智山正暦寺(玉川弘信住職)にて、不動明王大祭の祭礼が行われて総代として出席した。

 例年檀信徒全員に加え、近在の真言宗寺院の皆さんや真言講の行者さん達によって、大きな護摩も焚かれるのだが、今年は新型コロナウイルスの関係で、住職と総代のみでの祭礼となった。

 那智山正暦寺今から1079年前朱雀天皇の時代である天慶5年(942年)空也上人が綾部を巡教された際、空也上人の42歳の厄除けのため聖観世音菩薩を彫刻され、須知山(質山)の山頂「霊山ケ嶽」に安置されたことが開創とされる。
 その後の一条天皇の時代聖楽上人によって、七堂伽藍が建立され、密教伝道の道場とされたと伝わり、これが正暦2年(991年)のことであった。
 その年の8月炎暑はげしく、旱害が各地に生じたため、朝廷が諸国に勅令して、雨を祈願させた。聖楽上人も選ばれて、雨を祈ったところ、たちどころに雨が降ったという。天皇はいたくその功績を賞され、年号を寺号に用いることを勅許されて「正暦寺」と名づけられ、かつ勅願寺となったといわれている。

 時代が下り、平安時代末期この地を領した平清盛の長男、平重盛正暦寺に多くの荘園を寄進し、また綾部の地形が紀州熊野に酷似しているとして、熊野三山(本宮、新宮、那智)を現在の正暦寺に隣接する本宮山に勧請した。正暦寺の「那智山」の山号はこれに由来しているとされる。

 その後、寛文12年(1672年)三重県の鳥羽から綾部に移封された初代綾部藩主・九鬼隆季は、正暦寺を現在地(上野町の陣屋の裏山である本宮山の背後であり、由良川からの上陸地点で、かつ京街道を見下ろす地)に移して、藩主の祈願寺と定められた。

 殿様の参勤交代の際には、正暦寺で道中の無事を祈願し、その際に持って行かれた不動明王像が正暦寺に安置されている。

 不動明王大祭は、戦後、自動車社会の到来で交通事故が社会問題化したこともあり、交通安全、家内安全などを祈願するために、正暦寺最大の行事として、毎年1月に営まれている。

 正暦寺には、殿様の奥方が輿入れされた際に使用された駕籠寄進されており、不動堂に安置されていたが、今回、観てもらいやすいようにと客殿に移転をすることになった。

 駕籠は軽かったが、駕籠を担ぐ棒はすごく重かった。これで旅をしていたとは、昔の人は偉いものだ。

 祭礼が終わったところで、たまたま亀岡から旧知の竹内博士くんが御朱印をもらいに正暦寺を訪ねてきてくれており、驚いた

 最近はこういう偶然なのか、必然なのかという御縁よくある正暦寺でお出会いするというのも意味があるように思った。

 祭礼の後は少しだけ総代会が行われて、弁当をもらって帰った。コロナが収まるまでは正暦寺の行事も、なかなかできそうにないということだった。


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うっせーな

2021年01月26日 | 家族

 26日㈫朝から府議会へコロナに関する問い合わせなどへの対応のため、自民党府議団では、政調会長5人の政調副会長交替で控室に詰めて代表幹事の補佐をすることになっている。

 今日は当番と、いくつか別件の打ち合わせのため、夕方まで控室にいた。

 

 この一年コロナによって、自宅にいることが増えた。子ども達をからかったり、からかわれたりしている。いつの間にか大きくなって、教えられたりすることもある。

 昨日高校生小源太「学校で先生がR指定の話をした」と言う。

「R指定」とは子どもが観てはいけない映画のことかと思ったら、そうではなく、今の若者は誰でも知っている有名人だそうだ。小学生の涼子や温二郎でも知っているそうだ。

 なぜ有名なのか?何をしている人なのか?なぜ授業中にそういう話題になり、それが高校生の印象に残るのか?全くの謎だ。

 

 週刊少年ジャンプ「逃げ上手の若君」という新しい連載が始まったことも教えてもらった。主人公北条時行Wikipediaでは「北条 時行(ほうじょう ときゆき)は、鎌倉時代末期から南北朝時代の武将。鎌倉幕府最後の得宗、北条高時の遺児。先代の覇者である高時と当代の覇者である足利尊氏との中間の覇者として、中先代(なかせんだい)とも呼ばれる。建武政権期、北条氏復興のため、鎌倉幕府の残党を糾合して中先代の乱を引き起こし、鎌倉を奪還するが、わずか20日で尊氏に逐われた。南北朝の内乱では、後醍醐天皇から朝敵を赦免されて南朝方の武将として戦い、北畠顕家と共に青野原の戦いや石津の戦いで活躍。のち、武蔵野合戦で再び鎌倉を一時的に奪還した。その後、足利方に捕らえられ処刑されたと伝わる」説明されている鎌倉末期の武将だそうだ。

 足利尊氏が敵役として登場するので、この漫画がヒットすれば、足利尊氏に改めてスポットが当たり、足利尊氏生誕の地である綾部の安国寺(下の写真)を訪れる人が増えるのではないか?と淡い期待を抱いている。

 「逃げ上手の若君」作者松井優征という漫画家「暗殺教室」という作品以前にヒットしたそうだ。「暗殺教室」の内容は知らないが、名前は聞いたことがある。

 昨年の緊急事態宣言の頃温二郎「香水という曲が小学生の間で流行っている」教えてくれた。

 たしかに、その歌手は有名になり、紅白歌合戦にも出場を果たした。

 小学生「ど~るちぇ、あ~んど、がっばーな~…」と歌うので、この世はどうなっていくのかと感じていたが、今、流行しているのは、女の子「うっせー、うっせー、うっせーな!」と歌う「うっせーな」という曲らしい。世の中に溜まるストレスを表現しているのがウケているのだろうか?

 「うっせー、うっせー、と歌っておけば、若い子についていけるんか?」聞いたら、「パパに知られた時点で、それはすでに古いということや」とのこと。

 どうにも追いつけるはずがないようで、諦めるしかない。

 ついこないだまで、よちよち歩きだった子ども達に教えられることが増えてきた。


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当番交替奉告祭

2021年01月24日 | 歴史の探求

 24日㈰、10時半から熊野新宮神社(出口孝樹宮司)当番交替奉告祭に出席した。今年1年は、新宮・川糸組から並松上・下組に当番が交替することになる。

 終了後は、今年の当番で片づけをし、弁当とお下がりをもらって帰った。

 

 熊野新宮神社は、元は大本「御神体」である本宮山にあり、平安時代末期平清盛の長男・重盛が勧請して建立されたと言われている。重盛綾部では他にも綾部八幡宮を建立したとも伝えられている。

 江戸時代初頭九鬼氏綾部藩主となり、最初は今の綾部高校東分校のあたりにあった豪族・梅原氏の館に入ったが、後に上野町現在の大本長生殿の場所に館を移した。その際本宮山から現在の熊野新宮神社の隣地に場所を移したとされている。

 大本との関係も深く出口王仁三郎聖師全国およそ40ヶ所に歌碑を建立したが、その一つ「熊野神社歌碑」大正10年1月熊野新宮神社境内に建立された。第一次大本事件同年2月12日なので、その直前のことである。
 昭和10年の第二次大本事件で、全国のすべての歌碑は撤去され、ほとんど破砕されてしまった。現在、熊野新宮神社に建っている歌碑昭和43年4月8日に再建されたもので、境内に入って、すぐ右のところにある。

 現在の本殿の紫幕が寄贈されたのが昭和43年だったので、もしかすると、この時に合わせて新調されたものなのかもしれない。

 歌碑には出口王仁三郎聖師の和歌が二首、刻まれている。


「神の子の真心ささげて拡めたる神苑(みその)清(すが)しも石の玉垣」

「苔(こけ)生(む)して神(かむ)さび立てる常磐木の松に志るけし水無月の宮」

 

 石碑の裏面には石碑建立の寄附者名簿が刻まれており、私の曾祖父・源之助、祖父・源太郎の名前もあった。

 祖父明治24年(1891)生まれなので大正10年(1921)にはまだ30才当時住友電線(現在の住友電工)で経理部工場係の一従業員であった。すでに結婚して子どもがおり、55円という大金を自らが寄附できたのかは疑問に思う。曾祖父・源之助が20円を寄附しているので、長男の名前で55円の寄附を出したのではないか。二人合わせて75円で、山下清吉さんの80円に少し遠慮したのかもしれない

 石碑が建てられた大正10年第一次大本事件の年であるが、祖父はこの年、会社からの勧めで研修会に参加した「修養団」にそのまま入団している。

 大正13年には修養団の団長平沼騏一郎氏が就任している。平沼氏は大正元年に検事総長、10年に大審院長となり、のちに総理大臣にも就任した。いわば大本を弾圧した側の責任者のような立場である。祖父は大本の縁と修養団の活動をどう折り合わせていたのかなと思う。

 

 修養団の創設者である蓮沼門三主幹戦後の昭和21年、ひょっこりと綾部を訪問された祖父は次のように書き残している。

 …蓮沼主幹が綾部へ全く突然にやってこられたのでした。顔色は青味をおび、手は氷のように冷たく感ぜられました。私は愕然としました。平沼団長が戦犯として捕らえられていた事情もあり、八紘一宇、忠君愛国の思想が如何に進駐軍の逆鱗に触れたであろうことは、当時、府の教育委員をやっていた私には充分想像することができたのでした。主幹のご苦悩がいかばかりであったか、全くもって察するに余りあるものがあったのです。

 その時、宗教団体大本の二代教主様に会っていただきましたが、蓮沼先生は「全国でたくさんの人々にお出会いしたが、あんなえらい女性は知らん、大きな励ましを受けた」と言っておられましたし、一方の二代教主様も「あの人は立派な人やなあ」と言っておられました。

 蓮沼先生が、何故、綾部のような片田舎にひょっこり来られたのか、そして二代教主様と何をお話なされたのか、今の私には知る術がありません。当時の窮状の中では、何のおもてなしもできず、お慰めする言葉もありませんでしたが、二、三日ご滞留後、お帰りになられる時には、いつもの明るいご温容に立ち戻られ、お別れすることができたのでした。


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【1日6万円】の時短等協力金の規程が変更になりました!

2021年01月21日 | 京都府議会

 21日㈭、午前中は志賀郷まで訪問細い道ウォーキング中のおばあさん車を避けて道の脇に寄られて、こちらに向かってお辞儀をされた。市街地なら車が邪魔者扱いされるのではないかと思うが、日本の農村には良き伝統が残っていることを改めて感じた

 午後は来客2件、夕方には今度は物部訪問

 

【1日6万円】時短等協力金規程変更になりました!(開始日時が削除されました)

 22日㈮「1日6万円の営業時間短縮等への協力金の規程が変わった」京都府商工労働観光部から連絡あり

 内閣府から、「現在、時短等に協力いただいていない店舗への協力要請を強化すること」「協力いただいていない店舗が今から協力していただく場合にも協力金の対象とするように」との要請があり、京都府はこれに応じて「遅くとも1月18日㈪から」の規程を無くすことになりました。

 準備の都合等、特別な事情があり1月14日㈭から時短要請に応じることが困難だった場合であっても、時短営業の協力開始日から2月7日㈰午後12時までの全ての営業日において協力いただければ、日割りで協力金が支給されます。

 詳しくは、京都府HPhttp://www.pref.kyoto.jp/sanroso/news/coronavirus-kyoryokukin3.htmlをご覧ください。


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受験生応援「無料宿泊」プラン

2021年01月19日 | 教育・子育て

 19日㈫午後、来客20年前、20代の頃に何度かお出会いしていた方が、現在の仕事の関係「黒谷和紙の振興」に取り組みたいという相談で、京都府染織・工芸課の職員の方々と一緒にお越しになった。

 黒谷和紙協同組合とも現在、協議を進めておられるが、我々、綾部市民としても、貴重な伝統工芸である黒谷和紙の維持・発展については全力で応援したい協力をお約束した。

 京都府にも強力にバックアップしてもらうようお願いした。

 

 20日㈬、10時45分から自民党府議団議会改革検討会議(池田正義座長)に出席。特別委員会のあり方について意見交換

 11時50分から農商工労働常任委員会正副委員長会議、12時半から議員団会議今年最初の議員団会議であり、西脇知事もご挨拶にお越しになった。

 13時半から農商工労働常任委員会商工労働観光部から、コロナ対策についての報告事項を聴取し、質疑応答

 

【受験生応援の宿泊プランご案内】

 京都市東山区カプセルホテル「TSUKIMI HOTEL」「受験生応援プラン」として、3月19日まで、日数「無制限」受験生の「無料」宿泊を受け入れておられる。

 左京区選出石田宗久府議のご親族が経営しておられるそうで、「北部の受験生に教えてあげて」新聞記事(別掲)をいただいたので、ご案内します。綾部高校の校長先生にも早速、情報提供しました。

 申込時に健康確認等が必要なため、申し込み同ホテルのInstagramFacebookTwitterのダイレクトメッセージでご連絡ください。


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青年会議所の新年例会、ものべ厄善まつり

2021年01月17日 | 議員活動

 17日㈰緊急事態宣言が出て、さらに行事の中止や縮小が増えている。

 昨年の今頃は予定がギッシリ埋まり、慌ただしく過ごしていたのだが、まるで嘘のようだ。元の生活に戻れるのかと不安に思う

 子ども達は通常通り、学校に登校しているが、昨年、たくさん届いていた「休校」を求めるメール等も今年は1通も来ていない。

 政府は昨年末に「gotoキャンペーン」を止めたが、感染者数は年が明けても過去最高を日々、更新しており、感染拡大は「gotoキャンペーン」の影響によるものではなく、冬の低気温と乾燥に影響されているのだろう。

 テレビのニュースアメリカの現況を伝えていたが、日本の数倍もの感染者がいるにも関わらず、大規模な臨時病床を確保し、第三波を迎えても医療崩壊は避けられているとのことだった。

 昨年秋第三波の前自民党府議団の政調会で、健康福祉部に対し「アメリカの状況は以前と同様か?」と聞いたら、「同様だ。マスコミの興味がなくなって報道されていないだけでは」との答えが返ってきたが、それは間違いだったアメリカは備えを進めていたようだ。

 

 今日夕方から綾部青年会議所(高崎健太理事長)新年例会に出席した。いつもと違って懇親会はなく、式典のみであった。

 何もかも止めてしまうのではなく、やれることをやるという姿勢は大事だ改めて感じた。今年は創立65周年記念の年でもあるそうだ。

 なかなか事業がやりにくい中ではあるが、青年会議所の存在感を示す事業を期待している。

 

 18日㈪朝は凍てつくような寒さだが、陽が昇ると暖かくなってきた。

 11時から物部町下市厄善神社に参拝。例年は甘酒、ぜんざいの接待や福引きも行われるが、今年は祭礼のみが行われた。

 屋外の行事でも感染が広がるのだとすれば、部屋の換気はほとんど意味がないことになるので、実施できることを実施することが大事なのだと、こちらでも感じた。


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月刊「げんたろう新聞」のリニューアルについて

2021年01月14日 | 議員活動

 14日㈭府議選に落選した約14年前から、ほぼ毎月これまで146号まで発行してきた月刊「げんたろう新聞」について、発行体制や内容のリニューアルを検討しようと今年の正月に決意した。

 検討する間、しばらく休刊することを決め、毎月の配達をお世話になっている方々やご協力いただいている後援会役員の皆さんに、その趣旨を説明する手紙を1月7日付けで発送させていただいた。

 手紙の内容は下記のとおり。

 新年あけましておめでとうございます。旧年中も大変お世話になり、ありがとうございました。昨年は新型コロナウィルスの影響により、これまで経験したことがない年となりました。例年あった行事は中止もしくは縮小開催となり、ほとんど他府県に行かずに一年が過ぎたのも社会人になってからは初めてのことでした。

 そんな中で、「げんたろう新聞」にご協力いただいている皆様への年末のご挨拶も、昨年末は回ることができませんでした。

 「げんたろう新聞」は2007年(平成19年)6月13日に第1号を発行し、途中、休刊した月はあるものの、第146号を昨年、2020年(令和2年)12月9日に発行させていただいております。これも毎月、新聞を配達していただいたり、ラベル貼り作業にお越しいただいている皆様のおかげであると心から厚く御礼を申し上げます。本当にありがとうございます。

 第1号はカラーコピーで100部を発行しましたが、その後、皆様のご協力によって部数を増やし、現在は毎月6000部超を印刷するまでになりました。第1号から第45号(2011年3月9日発行)までは落選中でありながら配っていただき、2011年4月に府議に初当選できたのは、逆風の中でもご協力ご支援いただいた皆様のおかげであり、これは終生忘れてはならない大きなご恩であります。

 また、府議としての活動で、最も大きな支えとなっているのも「げんたろう新聞」であり、これにご協力いただいている皆様方との「信頼の絆」であると思っています。そのため、新聞を配っていただいている皆様からのご要望については、最優先で取り組まなければならない日頃から肝に銘じております。

 第1号から約14年間の長きにわたり、今でも新聞を配っていただいている方も多数おられますし、残念ながらお亡くなりになられた方、ご病気になられた方もたくさん思い浮かびます。ここ数年、年齢やご病気等により、配ることができなくなったというお申し出があったり、配っていただいている方の中には80代、90代という年齢になられた方もあり、いつまでご負担をお願いして良いものかと考えるようにもなっておりました。

 そんな折、コロナで社会が一変し、政治家も今後の政治活動や選挙運動の方法を変化させなければならなくなってまいりました。そこで、この機に一度、「げんたろう新聞」の発行方法や内容等について、皆様のご意見もお聴きして、改めて検討したいと考えました。

 つきましては、2021年1月から当面の間、「げんたろう新聞」を休刊し、再度、どう新たな形で発行するのかを検討する期間とさせていただきたいと思います。「毎月、隅々まで読ませてもらっている」というありがたいお声にもどうお応えするのか、一度、じっくり考えたいと思っております。

 一方で、コロナでどんなに社会が変わろうとも、政治家が有権者や支援者の皆さんとつながるための「広報広聴活動」は大変重要であり、そこに手を抜くつもりは全くありません。

 今春で10年、府議としての経験を積み、現在の活動をさらに深めると同時に、量から質への転換を図ることも必要ではないか、毎月の発行を議会ごとの年4回にするか、配達方法をどうするのが良いのかなど、思案しております。ハガキを同封させていただきますので、皆様からも「げんたろう新聞」に対するご意見、ご要望等をお寄せいただければ幸いです。ハガキに書ききれない場合は、メール、FAXでご連絡いただいても結構ですし、お電話いただいたり、もしくはお求めがあればお伺いもいたしますので、どうかよろしくお願いいたします。

 末筆ながら、今年も皆様とご家族皆々様のご健勝、ご多幸を心よりお祈り申し上げます。

2021年1月7日 京都府議会議員 四方源太郎

 

 この手紙に対してのお返事をハガキやFAX、メール、電話等でいただいているところです。

 発行回数については、年4回、年2回、年6回、随時などいろいろご意見をいただいていますが、年4回が一番多いかなと感じています。

 引き続き、配達しようと申し出ていただいている方もあり、本当にありがたいことです。

 げんたろう新聞はしばらく休刊しますが、春くらいには新たな形で再開したいと考えており、ご理解賜りますよう、お願い申し上げます。

 また、このブログやFacebook等をご覧になっている皆さんからも、ご意見、ご要望がありましたらお寄せいただけましたら幸いです。

 

 15日㈮前泊し、9時20分から17時まで、自民党府議団政調会(池田正義政調会長)に出席。

 2月議会で提案される新年度予算等について、部局からの説明聴き、意見交換を行った。


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京都府の緊急事態措置協力金について

2021年01月14日 | 京都府議会
 昨日、令和3年1月13日に緊急事態宣言が京都府にも発令されたことに伴い、府は府内にある飲食店等に対し、営業時間の短縮(午前5時から午後8時までの間の営業、酒類の提供は午前11時から午後7時まで)要請(以下「時短要請」という)を行うことになりました。
 この時短要請にご協力いただいた事業者の皆様に対して、緊急事態措置協力金が支給されます。
 
 詳細は下記の通りです。分かりにくいことがあれば、お問い合わせ下さい。京都府に確認します。
 
◎対象施設
【飲食店】飲食店、喫茶店等(宅配・テイクアウトサービスは除く)
【遊興施設等】バー、カラオケボックス等で、食品衛生法の飲食店営業許可を受けている店舗
 
◎支給要件 次のいずれにも該当する事業主(大企業も対象となります)
①京都府内に対象施設(店舗)を有すること
②府の要請期間中、定休日等の店休日を除くすべての営業日において、連続して時短要請に応じていること
③緊急時短宣言発令日(1/13)以前から営業していること(営業時間が午後8時までの店舗は除く)
④ガイドライン推進宣言事業所ステッカーを掲示又は業種別ガイドライン等を遵守していること
 
◎要請内容 午前5時~午後8時の間の営業を要請(酒類の提供は午前11時から午後7時まで)
 
◎要請期間 令和3年1月14日(木)~2月7日(日)
※準備の都合等、特別な事情がある場合でも、遅くとも1月18日(月)午前0時から時短要請に応じなければ対象外
 
◎支給額 1施設(店舗)1日あたり6万円
※定休日等の店休日を除き時短要請に対応した日数に応じて支給
 
◎申請方法 要請期間が終了した2月8日(月)以降、受付開始予定
 
※詳細は京都府ホームページでご確認ください。
 
☆問い合わせ先
協力金コールセンター ☎075-365-7780(月~土 9:30~17:30)※日・祝日は休み

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綾部ライオンズクラブの例会

2021年01月13日 | 議員活動

 13日㈬すごい寒さ。氷が分厚い。一晩おいても全く溶ける様子はない。午前中は来客等。

 昼に綾部ライオンズクラブ(梅原哲史会長)例会にお招きいただき、府政報告をさせていただいた。

 コロナによる緊急事態宣言が発令されることに伴い、飲食店等に時短営業の協力金(1日6万円)を支給する制度を説明した後、京都府の移住定住の所管が農林水産部から政策企画部に移り、府の総合政策となることについても説明した。

 移住者を増やすには、現在の住民の住環境を維持することが重要

 特に3点①医療・福祉②教育③雇用(生きがいづくりも)について、日本で最高レベルとは言わないまでも、一定レベル以上のものが備わっていない地方都市は人口減少の進み方が激しいというデータ(三菱UFJリサーチ&コンサルティング/高校存続・統廃合が市町村に及ぼす影響の一考察/2019年11月発表)について、昨年2月の代表質問でも取り上げた。

 教育については、綾部市で唯一の府立綾部高校について、府議に就任当初から教育内容の充実に取り組んでおり、今年春の入試の志望者数だけみると、中丹の府立高校では一番多い。人気は定着しつつあり、次は実績+αに取り組んでいる。

 雇用については、コロナ禍で企業の地方進出ニーズは高まっているものの、工場が立地できる土地がない。京都府と綾部市が連携して、早期に工業用地の確保に動いてほしいと思っている。子どもや若者には「企業等への就職」だけでなく、「自分で起業する」という道があることを教えていくことも重要だと考えている。

 中丹では綾部市の倍以上の人口がある舞鶴市、福知山市という都市に挟まれており、小さい綾部が「待ち」の姿勢ではその後塵を拝することになるため、積極的に仕掛けていかなければならない。

 10年の府議としての経験からすると、「当たり障りのない政治家」よりも「当たり障りのある政治家」を目指していかなければ、綾部市の生き残る道はないと感じている。舐められたら噛みつくことも必要だ。

 今年も「新たな仕掛け」にチャレンジしようと思っているので、皆さんのご支援をお願いします、と締めくくった。

 例年なら夜に開催されて、例会後の懇親会いろいろご意見をお聴きするのだが、今年はコロナの影響によって、昼になり、例会のみとなった。


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消防出初式

2021年01月09日 | 消防

 9日㈯自民党府議団の議員団会議急きょ中止となり、自民党府連の新年会も欠席することにした。

 8時半から、綾部恵比須神社宵ゑびす甘酒接待準備毎年、甘酒接待は並松商工会で担当しており、今年は会長も務めている。

 コロナや寒さの影響で、参拝者は少ない神社の境内の手水所も凍結していた。

 夜になると寒さはさらに厳しくなった。昼よりは参拝者が増えたが、例年に比べると6割くらいの人出だっただろうか。綾部太鼓の皆さんの演奏のおかげで、それでも雰囲気が賑やかになった。

 今年高校生になった小源太手伝いに参加した。

 

 10日㈰、8時から消防団綾部分団(保坂朋宏分団長)出初式に出席。例年綾部小学校の体育館だが、今年はグラウンドで開催された。私が消防団に入った頃ずっとグラウンドだったので懐かしい感じがした。

 寒かったが、天気はすごい良かった。行く前に事務所のストーブの温度計「Lo」という表示初めて「室内で氷点下」になっていた。

 9時半からは綾部市消防団(白波瀬博之団長)出初式に出席した。こちらは人数を減らして、日東精工アリーナにて。

 その後のパレードと儀式放水は失礼して、11時から綾部恵比須神社初ゑびす大祭参列昨年から綾部恵比寿神社奉賛会長に就任しており、祭礼の祭主を務めた。

 今日は晴天に恵まれ、例年に近い参拝数だったように思う。

 経済も大変厳しい時だが、こういう時こそ、神様に祈り、何とか助けていただきたい。

 午後は綾部市成人式参列様々な困難な中で晴れの日を迎えられた新成人の皆さん、ご家族の皆々様に幸多かれとお祈りいたします。

 新成人へのビデオメッセージが、卓球日本代表大島祐哉選手、漫才師シャンプーハット、綾部高校ダンス部、吉美小学校4年生児童から贈られていた。

 

 15時頃にゑびす祭に戻り、16時から片づけて、夜は並松商工会の総会に出席した。1年間の会長職は次の方に引き継いだ。


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年賀状の返信

2021年01月08日 | 議員活動

 8日㈮いただいた年賀状の返信だいたいできた。午前中は他にも来客あり。

 午後は清山荘に行き、デジタルハリウッド大学大学院杉山智先生開発されている高齢者の運動支援システムデモ機を見ながらの説明をお聴きした。

 高齢者が飽きずに継続的に筋力維持に取り組めるものであり、運動データをデジタルデータとして吸い上げて還元するということまで行うことで、日本の医療費や介護費の削減にも役立つのではないかと感じた。

 夕方は綾部での新たなプロジェクトに関する打ち合わせ


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MBTをどう進めるのか?

2021年01月07日 | MBT

 7日㈭午後、MBT(医学を基礎としたまちづくり)会合に出席。

 MBTの推進者である奈良県立医大梅田智広教授今回はオンラインでの参加となったが、11月に初めて綾部に来られてから、意欲的に事業推進の企画をしていただいている。綾部での実証実験をどう進めていくのか持続可能な事業にするためのビジネスプランについてなど、意見交換をさせていただいた。

 様々な知恵を持った方々の意見によって、実現に向けて大きく前進したことが感じられる会合となった。

 MVP(minimum valueable product/最小限の必要可能性)、PMF(product market fit/製品の市場適合性)が重要だという前提で、そこに信用やモラルをしっかりと裏付けて、どうビジネスとしても展開していくのかいろいろとご意見を聴かせていただいた。

 綾部の可能性を高めるために、これまでからやりたいと考えていたことが、形になっていくような気持ちになった。


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新年あけましておめでとうございます!

2021年01月05日 | 議員活動

 新年あけましておめでとうございます!

 今年は正月の行事もほぼ中止となり、氏子である熊野新宮神社の元旦祭子ども達3人に代理で参拝してもらった。

 小源太代理として、一番最初に玉串をお供えさせていただいたようで、誇らしげに教えてくれた。子ども達には日頃から「神社とお寺は大事にしてくれ」言っている。

 3日㈰からいただいた年賀状の整理を始め、4日㈪から事務所を開け5日㈫は10時半から綾部商工会議所(塩田展康会頭)新年互礼会に出席した。

 会場は中丹文化会館で、例年のITビルに比べて数倍の広さとなり、懇親会も行われないという形ではあったが、開催されて良かったと思う。

 例年懇親会の乾杯の発声をさせていただいているが、今年は乾杯がないため、市長、振興局長(代理)に続いて挨拶をさせていただいた。

 挨拶の要旨次のとおり

 新年明けましておめでとうございます。ご紹介いただきました京都府議会議員の四方源太郎でございます。

 今年は正月からほとんどの行事が中止となる中で、こうしてコロナ対策の工夫をして開催していただいたことに感謝を申し上げます。
 綾部商工会議所というのは名前の通り、「綾部の商工業者が、会って議する所」であり、「人が会う」ということがやはり大事だと改めて思います。

 私は今年度、京都府議会で農商工労働常任委員長を務めており、まさにコロナによって疲弊している経済を下支えするための予算を担当しています。通常は当初予算が決まると追加補正というのはあまりないものですが、今年は2月、4月、5月、6月、9月、12月と数十億、数百億規模の大型補正予算を積み上げました。それでもまだまだ足りないと感じておられると思います。
 2月からは来年度の当初予算審議が始まります。そこでもしっかりと経済を下支えする予算を打ち出していかなければならないと考えています。

 また、市長も先ほどおっしゃったように、コロナの感染防止策としては「中央から地方へ」の流れを創っていかなければなりません。例えば、近畿で一番人口の多い大阪市の面積は綾部市を100とすると65しかありません。そこに3万2千人の綾部市民の85倍もの人が「密」になって住んでいるわけです。都市から地方に人口を移して、本気で人口バランスをとらなければなりません。

 京都府は農林水産部が移住政策を担当してきました。農村への就農者を増やすということが移住の目的でした。昨年の2月議会の代表質問で、政策的に取り組む移住目的をもっと幅広く、Uターンや教育、就労などに広げるべきではないかと主張し、農林水産部から府の総合政策を担う政策企画部へと所管が変わりつつあります。知事部局だけでなく、教育委員会等も含めて「オール京都」で移住の拡大に努めてほしいと訴えています。

 コロナは人が運んできます。でも、人が生きるために、人を避けるわけにはいきません。政治もそうですし、商売にしても「人と会う」ことが大事な原点だと思います。

 私は大学を出て、東京で働いていた20代前半の時に、北極海を単独で徒歩で横断された冒険家の大場満郎さんの事務局を担当していたことがあります。大場さんは3度失敗して、当時、4度目のチャレンジをしておられる時でした。
 大場さんは新宿の歌舞伎町に住んで、歌舞伎町のビルの階段を上ったり下りたりしてトレーニングしておられたんです。それで「なんでこんな人の多いところでトレーニングするんですか?」と聞いたら、「人は人中(ひとなか)、木は木中(きなか)」だとおっしゃっいました。
 人が誰もいない北極海での極限の孤独を知っておられる大場さんは「だからこそ、トレーニングは歌舞伎町で人に囲まれてする」「木は木に囲まれていなければ育たないように、人は人の中でしか生きていけない」とおっしゃいました。

 もうひとつ、大場さんがいつもおっしゃっていたのが「迷わず進め、正直の道」という言葉でした。
 コロナを恐れれば、できるだけ人を避けるしかありませんが、それでは人は生きられないし、商売もできない。コロナという病気は、肉体にも大きなダメージをおよぼしますが、精神にもっと大きなダメージを与えます。でも、その精神的なダメージを支えてくれるのは、結局、自分の周りの人達しかいないんです。

 今年もいろいろあるとは思いますが、「迷わず進め、正直の道」で、これまで通り、周りの人達と誠実に真面目に付き合うしかなく、それが一番なのだと思っています。

 京都府も経済の下支えをしっかり頑張りますので、ご意見ご要望があれば、ぜひお聞かせください。今年もよろしくお願いします。
 おめでとうございます。ありがとうございました。

 

 今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。


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