朝顔

日々の見聞からトンガったことを探して、できるだけ丸く書いてみたいと思います。

粟田大燈呂

2014-10-13 | 京都の文化(秋)
京都粟田口(蹴上の手前にある京七口の一つ、東海道への出入口)にある「旅立ちの神」の神事が、10月12日にありました。



牛頭天王。牛の頭、人の身体の姿をもつ行疫神として崇められたきた天王で、その鎮祭が祇園祭の起源です。スサノオノミコトの別名。

粟田祭は1001年に始まったとされるので千年を越えて受け継がれてきました。室町時代には祇園祭かできなかった際には粟田祭で代えたと伝わっているそうです。



「粟田大燈呂」は室町時代の記録に「前代未聞、驚目事也」と残っていて、さらに江戸時代に夜渡り神事に際して氏子が数百の造物を奉納して行列したとあります。

平成20年に、それまで180年間途絶えていたこの大燈呂を京都造形芸術大学の協力により復活されました。



青龍

これら「ねぶた」様の燈呂はすべて造形大学生の作品です。これらの大燈呂を初めてみたのは円山公園で夜桜を見に行った時で、そこに展示してありました。



大己貴。オオナムチノ神、大国主命と同じ。



光秀と狛犬。明智光秀の首塚が粟田神社の周辺に祀られていることから。



出世えびす



八岐大蛇



羊。来年の干支です。



合槌稲荷



一つ目小僧。たたら製鉄に従事して片目片足をなくした人の姿をこう呼んだのが由来、かつて粟田地域には鍛冶屋やキセル屋が多くあったことから。



烏天狗

三条通から神宮通に曲がって、青蓮院の前を通り知恩院に向かいました。



子どもたちも揃いの法被姿で参列します。



剣鉾が二基。祇園祭の山鉾のルーツだそうです。

二つの松明が先導して行きました。



知恩院の門前の道路中央に、じつは「瓜生石」があり、それがこの神事の中心でした。かつてこの石が青蓮院にあったとき、この石に社名の入った金札が現れたことが、この「夜渡り神事」の由来です。





粟田神社の神職が待つところへ、知恩院の僧侶が十名くらい石段を降りてきました。

「けいれん祭」と呼ばれる神仏習合の儀式が始まりました。

神職の祝詞の後に、僧侶のお経、般若心経など、が唱えられて、玉串奉納は神職、僧侶、氏子代表が順に行いました。



その後、瓜生石を三周します。



犬にハッピを着せて、参列していた氏子さんがいました。



こうやって、地元の伝統が次世代に引き継がれていきます。



僧侶が石段を登ってお寺に戻っていきました。



大燈呂は三条に戻ります。



さて、近くにいって瓜生石を眺めてみました。



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2 コメント

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Unknown (Y$T)
2014-10-13 17:55:05
初めてコメントさせて頂きました。
今年の冬、スキー仲間のオカヨシタケさんにご紹介頂きました。
多くの素晴らしい写真・多方面に及ぶ行動力etcに驚くきの連続です。
粟田神社の祭事初めて知りました。
今後とも楽しみに寄せて頂きます。
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Y$Tさん (geneve)
2014-10-14 07:18:48
ようこそお出でいただきました。日々の出来ごとや見聞したことを、できるだけカメラで記録して簡単な文章にする練習帖です。よろしければこれからもお楽しみください。(同じコメントを二重に頂いたので、古い方を消しておきます)
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