朝顔

日々の見聞からトンガったことを探して、できるだけ丸く書いてみたいと思います。

金銀苔

2015-03-07 | 京都の文化(冬)
「まいまい京都」というグループがあり、時々参加しています。京都の住民がガイドする京都のミニツアーで、”まいまい”とは「うろうろする」という京ことばだそうです。

この日は「庭師とめぐる日本庭園」の巻でした。



何度も拝観したことのあるあの有名寺院です。この生け垣もよく知られていますね。

京都の2月は最も観光のお客さんが少ない時期です。そしてこのツアーでは特にゆっくり鑑賞するために、開門時刻の午前9時に門前で集合しました。



案内してくれた若い庭師さんは大学で造園を専攻されたので、庭木、池などに特に愛着があり丁寧に解説してくれました。

日本庭園の木の主役は「松」。この松も相当に古い木ですがよく手入れされていてとても元気に見えました。



赤い馬酔木の花がさいていました。

日本庭園では、冬でも緑の色を保つ木々が伝統的に好まれるそうです。そのため、冬がお客さんも少なくて、庭園をゆっくり鑑賞するには最適です。



「銀沙灘」。

奥に見える頂上が平らな円錐形の砂盛りは「向月台」です。

このお寺が建立された時には存在していなかったものだそうです。・・・庭を一周りしてから聞いたことですが、この庭園の池に東山から流れ込む「白川砂」をかき出して積み上げる内に、300年位前に気の利いたことを考えた僧侶か庭師がはじめたことだろうと言われています。



樹齢500年の「千代の槇」、お寺が創建された時に植えられました。



堂々と立つ松の木ですが、実は自然に任せると、背が高くなりすぎること、松葉が密集しすぎて木の下が影となって良くないことから、庭師が丁寧に手間をかけて松葉の一本一本、一枝一枝を選定してこの形に仕上げているそうです。



白い馬酔木。



庭の一番奥にある「お茶の井」。創建の時からある泉です。



いままで全く見過ごしていたのですが、なんとこの崖に露出している石たちに意味があったのです。

ある時期までこの斜面は土に埋もれていたのですが、歴史資料によりその土砂を取り除いてみたところこの石組みがありました。

「枯れ滝」を表現する意匠でした。



遠くに吉田山があり、左手に銀閣。写っていませんが、右手に国宝東求堂があります。
室町幕府8代将軍足利義政は、簡素を好みその東北の隅に位置する4畳半(同仁斎)に住んだと言われています。



池の辺に立つ枝ぶりの立派な(あるいはその曲がり方が人工的で奇抜な)松です。こうした形状は全て庭師の技工です。



定番の銀閣(観音殿)の写真です。

日本庭園のもう一つの主役は、石だそうです。

自然の池には、このように角張った石はありません。特徴ある石を探してきて、絶妙に配置することが庭を設計する人の技量です。

さて、この銀閣は、金ピカの金閣に対して、かつては銀箔が貼られていたのでしょうか。

数年前に実施された修理と調査によれば、銀が使用された痕跡は発見されず、お堂の外壁に黒漆を塗りこめたので創建時は真っ黒に見えたことになります。



その復元模型が展示してありました。

”修復に際し、京都府教育委員会は老朽化を防ぐために銀閣の外壁に黒漆を塗り創建当時の姿に戻すことを提案したが、所有者である慈照寺の意向により現在の外観を維持する方針で修理が行われることになった。”(引用:Wikipedia )

今の姿のほうが、侘び寂びを感じられて、やはり良いと思いました。(つづく)

コメント
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