寺田和夫(Kazuo TERADA)[1928-1987][有馬真喜子(1982)「ひと 寺田和夫氏」『季刊・人類学』第13巻第2号、p.153より改変して引用](以下、敬称略。)
寺田和夫は、1928年5月17日に、神奈川県横浜市で生まれました。後に東京大学教養学部教授となるフランス文学者の寺田 透[1915-1995]は、実兄です。神奈川県立横浜第一中学校・第一高等学校理科甲類を経て、1948年に東京大学理学部人類学科に入学し、1951年に卒業しました。ちなみに、同級生は、木村邦彦(元防衛医大)・香原志勢(元立教大)・埴原和郎(元東京大)[1927-2004]で、皆、それぞれ専門が異なっています。この頃は、統計学や推計学に興味を持っていたと言われています。卒業後は、東京大学理学部大学院に進学し、須田昭義[1900-1990]の指導で研究を続けました。
1953年、鳥取大学医学部法医学教室助手に就任しました。この経緯は、酒の席で出会った法医学教授が「面白い人だ。是非内へ。」ということで決まったと言われています。ちなみに、その教授とは、小片重男で、解剖学者兼人類学者の小片 保[1916-1980]の実兄でした。
1956年8月には、東京大学教養学部文化人類学教室助手に就任します。この文化人類学教室は、1954年9月に設置されたもので、石田英一郎[1903-1968]が初代主任教授を務めました。また、泉 靖一[1915-1970]や曽野寿彦[1923-1968]もスタッフに加わっています。
その後、1960年に講師・1963年に助教授・1971年に教授に就任しました。1962年には、「人体計測値による親子の類似性の分析」により、理学博士号を取得しています。調査は、1958年から1969年にかけて、東京大学アンデス地帯学術調査団として5回行っています。また、1975年からは、日本核アメリカ(中米・アンデス)学術調査団として、4回行いました。
寺田和夫は、得意の語学を生かし、人類学分野の本を多数翻訳し、かつ、自身でも多くの本を執筆しています。寺田和夫が書いた、人類学関係の本に以下のものがあります。人種については著書2冊と翻訳書1冊があり、今では貴重な文献です。これは、東京大学理学部人類学教室で、松村 瞭[1880-1936]・須田昭義[1900-1990]・寺田和夫[1928-1987]と引き継がれたものです。また、『日本の人類学』は、草創期から1945年までの日本人類学会の歴史がまとめられており、大変重宝されています。
- 寺田和夫(1967)『人種とは何か』、岩波書店[このブログで紹介済み]
- 寺田和夫(1975)『日本の人類学』、思索社(後に、角川文庫)[このブログで紹介済み]
- 寺田和夫(1977)『人類学講座7.人種』、雄山閣[このブログで紹介済み]
寺田和夫(1967)『人種とは何か』
寺田和夫(1977)『人類学講座7.人種』
寺田和夫は、1987年6月25日に腹痛を訴え入院しましたが、すでに癌が内臓に転移しており、1987年9月5日に大腸癌で死去しました。定年前の、現役での死去でした。自然人類学と文化人類学の両方の知識を兼ね備え、アメリカ流の人類学を目指し、アンデス先史学に捧げた一生と言えるでしょう。
*寺田和夫に関する文献として、以下のものを参考にしました。
- 有馬真喜子(1982)「ひと 寺田和夫氏」『季刊・人類学』、第13巻第2号、pp.153-162
- 香原志勢(1988)「わが心の友故寺田和夫氏」『人類学雑誌』、第96巻第1号、pp.1-6