◆個人敷地内(宮本町55 古屋野方)
稲荷通りの化粧品店の自宅玄関の脇におわす。
昭和20年4月13日の板橋空襲で破損、辛うじて「馬頭観世音」の「馬」と「世」が読み取れる。
◆路傍(清水町40)
個人所有。
ブロック塀をわざわざ凹ませて石碑を安置してある。
昭和16年(1941)造立というから、家に馬がいたことを知っている家人がいて、懇ろに供養しているのだろうか。
◆長徳寺(大原町40)
天保11年(1840)の造立。
一面八臂は珍しい。
台石に「金百五十疋 高橋甚兵衛 金百疋 繁田太良八」とある。
石工への支払い金だろうか。
百疋は、1両の4分の1.
今の価格にするのは無意味らしいが、あえてするなら250疋で6万円強か。
長徳寺には、もう1基馬頭観音がおわして、こちらは文字塔。
板橋区には、文字馬頭観音は29基あるが、22基は明治以降のもの。
7基が江戸時代造立のものだが、これは中でも2番目に古い。
像塔全盛時代に文字だけにするのは、勇気を要したのではないだろうか。
◆常楽院(前野町4-20)
光線の都合で判りにくいが、馬頭観音本来の憤怒の形相。
愛馬の供養のための像塔は、穏やかな顔が多いのに憤怒なのは個人の馬の供養塔ではないのだろうか。
常楽院の門前には、何十基もの無縁仏がならんでいます。
ただ1基の馬頭観音が境内におわすのには、それなりの事由がありそうだが、はて?
享保11年というと板橋区で2番目に古い造立となります。
◆延命寺(中台3-22)
二石六地蔵と六地蔵立像に挟まれて、文字馬頭観音が立っている。
どこか別の場所にあったものが、何らかの理由でここに持ち込まれたのだろう。
いつも思うのだが、人間の墓と馬の墓を同列に扱うことに違和感はないのだろうか。
馬頭観音は、聖観音や如意輪観音と同格なのだからと言われれば、そのようにも思うし。
◆路傍(前野町6-44)
前野中央通りを東へ。
前野小学校角を左折してすぐの分岐路に、馬頭観音はある。
真新しい。
それもその筈、平成15年に新しくしたばかり。
左側面に「明治二十九年七月 水村家農馬の墓」とある。
古い石塔が背後にあるが、文字は判読不能。
「農馬の墓」は新しく書き足したもののように思われます。
◆二股の地蔵尊(中台1-48)
志村から中台の台上を通り、下練馬宿へ行く大山道にある。
地蔵が入っている覆屋の左に庚申塔と並んで馬頭観音がおわす。
その昔は、家は一軒もなく、畑の中にポツンとお地蔵さんと馬頭さんが立っていたのに違いない。
馬頭観音は、「左江戸道」と道標を兼ねている。
隣の庚申塔には「ふじ大山練馬道」「南いたばし前野道」と彫られている。
◆京徳観音堂(西台3-53)
本堂に向かって左に石仏群がある。
板橋区には珍しい武家の墓や14世紀、南北朝時代の宝篋印塔などがせせこましく立っている。
いずれも区の文化財です。
野ざらしのそうした文化財の傍らに赤い屋根の小屋に収まっているのが、馬頭観音。
大正10年、西台村の小原傳左衛門と荒井三喜蔵の二人が愛馬の共同供養塔を建てる時、捨て去られたような古い石造物などは眼中になかったのでしょう。
京徳観音堂の名物石段を下りて右へ50mほど。
覆屋に立派な庚申塔と並んで小ぶりだが、彫りのいい馬頭観音がおわします。
文化15年、荻野万吉により建立されたもの。
◇路傍(志村2-3)
国道17号線から交番左へ進む道が旧中山道。
急な下り坂にさしかかる所に「清水坂」の標識。
その10m先に馬頭観音がおわす。
造立は、大正15年(1926)。
市川さんという家の飼い馬の供養塔です。
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