「身を着られるように辛い」という表現がある。
さしずめ諏訪神社は辛い思いをしたことだろう。
なにしろ参道が無残にも断ち切られてしまったからです。
▽諏訪神社(赤羽北3-1-2)
元々あった神社の標石の前に立つ。
参道が伸びて、向こうに本殿が見えるが、中間がどうなっているのか?
近寄って見る。
こちらがわは石段を下るようになっていて、向こう側の石段を上って本殿に向かうことになる。
つまり石段の高さだけほぼ20m幅で、掘り下げられて、そこが道路になっているのです。
石段を上がって、境内へ。
本殿前の自然石は「猿田彦大神」。
変わった石造物がある。
国土測量の為の水準点標石。
四つの石標には、「内務省」、「昭和5年」、「荒川」、「不BM1」と刻されている。
石碑、石塔の類は、境内東南の隅にまとめられて並んでいる。
一番左の大きいのは「富士登山記念碑」。
その次は、中央に「庚申塔」。その右に「天保十三寅年」、その左に「東 岩淵宿渡船場みち」と彫り、右面に「當村かしは」、左面に「南 野みち」、裏面に「西 中仙道志村より戸田渡船」と刻む。
左から35番目の青面金剛像は、「安永七歳戊戌九月吉日」「是より東 川口の わたし場十八丁」よりとある。
大乗妙典日本回国塔
八日講所願成就
石坂供養塔 天保七年(1836)
石垣 の下は埋まって読めず
大々神楽記念碑 昭和35年(1960)
八日講とはいかなるものなのか、不明です。
石段を下りて、道路を渡って、向こう側の参道へ。
金網越しに石仏が数基見えるので。
道路を見下ろすように5基の石造物がいらっしゃる。
左から、「天下泰平/国土安穏/奉唱光明真言百万遍供養塔」。
「青面金剛像/武州豊嶋郡岩淵領袋村/元禄十六年十一月十八日」。
「奉納庚申供養塔為二世安楽也」
台石に「右 大山祢りまミち 左 いた者しミち」。
「奉供養庚申二世安楽処/享保十七子十一月十五日/岩淵領袋村講中」。
「奉供養庚申/左 板橋道/右 練馬道/享保十九甲寅十二月吉祥日」
断ち切られて、残された参道ほど無意味なものはなかろう。
通る人はいるのだろうか。
誰も通らない。
誰も見てくれない。石仏は、所在なげに佇んでいる。
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