石仏散歩

現代人の多くに無視される石仏たち。その石仏を愛でる少数派の、これは独り言です。

138東京都北区の石造物-3b-赤羽北3

2019-10-06 08:10:19 | 石造物巡り

「身を着られるように辛い」という表現がある。

さしずめ諏訪神社は辛い思いをしたことだろう。

なにしろ参道が無残にも断ち切られてしまったからです。

▽諏訪神社(赤羽北3-1-2)

 

元々あった神社の標石の前に立つ。

参道が伸びて、向こうに本殿が見えるが、中間がどうなっているのか?

近寄って見る。

こちらがわは石段を下るようになっていて、向こう側の石段を上って本殿に向かうことになる。

つまり石段の高さだけほぼ20m幅で、掘り下げられて、そこが道路になっているのです。

 

石段を上がって、境内へ。

本殿前の自然石は「猿田彦大神」。

変わった石造物がある。

国土測量の為の水準点標石。

四つの石標には、「内務省」、「昭和5年」、「荒川」、「不BM1」と刻されている。

 

石碑、石塔の類は、境内東南の隅にまとめられて並んでいる。

一番左の大きいのは「富士登山記念碑」。

その次は、中央に「庚申塔」。その右に「天保十三寅年」、その左に「東 岩淵宿渡船場みち」と彫り、右面に「當村かしは」、左面に「南 野みち」、裏面に「西 中仙道志村より戸田渡船」と刻む。

左から35番目の青面金剛像は、「安永七歳戊戌九月吉日」「是より東 川口の    わたし場十八丁」よりとある。

大乗妙典日本回国塔

 

八日講所願成就

石坂供養塔 天保七年(1836)

石垣 の下は埋まって読めず

大々神楽記念碑 昭和35年(1960)

八日講とはいかなるものなのか、不明です。

石段を下りて、道路を渡って、向こう側の参道へ。

金網越しに石仏が数基見えるので。

道路を見下ろすように5基の石造物がいらっしゃる。

左から、「天下泰平/国土安穏/奉唱光明真言百万遍供養塔」。

「青面金剛像/武州豊嶋郡岩淵領袋村/元禄十六年十一月十八日」。

「奉納庚申供養塔為二世安楽也」

台石に「右 大山祢りまミち 左 いた者しミち」。

「奉供養庚申二世安楽処/享保十七子十一月十五日/岩淵領袋村講中」。

「奉供養庚申/左 板橋道/右 練馬道/享保十九甲寅十二月吉祥日」

断ち切られて、残された参道ほど無意味なものはなかろう。

通る人はいるのだろうか。

誰も通らない。

誰も見てくれない。石仏は、所在なげに佇んでいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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