石仏散歩

現代人の多くに無視される石仏たち。その石仏を愛でる少数派の、これは独り言です。

124伊勢路の石仏-5(竹成の五百羅漢)

2016-07-26 05:22:32 | 石仏めぐり

また、いつもの言い訳から。

伊勢路の石仏巡り3日目は、津市の兄弟地蔵からスタートした。

兄弟地蔵とは、津市の宝樹寺、栄松寺、光明寺の3寺の地蔵のことで、いずれも正和3年(1314)に造立されている。

制作年が分かるものとしては、三重県最古で、当然、県の文化財に指定されている。

下の写真は、光明寺の地蔵だが、写真が暗い。

暗いはずで、フィルター撮影をしていた。

何かの拍子にカメラのモードダイヤルがFilterに合わさっていたようだ。

三地蔵は顔も似ていて、同一石工の作品ではないかと云われている。

それは、写真を3枚並べれば分かるだろうと思っていたが、これでは使用に堪えないので、残念ながら、カットせざるを得ない。

私のカメラは〇〇チョンカメラで、被写体に向けて、私はシャッターを押すだけ。

明るさもシャッタースピードも、すべてカメラ任せ。

撮った写真を確認することもしない。

フィルター撮影をしていることに気が付いたのは、亀山市関宿の観音山三十三観音の撮影を終えた時。

再び観音山に上る体力もないので、撮影済みの100枚ほどは、使用を諦めることに。

観音山の石仏は、丹波の名工村上佐吉が安政年間(1818-1830)に3年の歳月をかけて制作したと云われる逸品。

暗くて見にくい写真を1枚掲載しておきます。

まるで木彫のようなノミ捌きが見事です。

 

カメラのダイヤルをセットし直し、気分を取り直して、次の目的地へ。

四日市市に近い菰野町竹成にある五百羅漢が最後のポイントです。

大日堂の境内に高さ7mの四角錐の築山を築き、そこに約500基の石仏が安置されている。

五百羅漢は珍しくはないが、それに仏教の諸仏や神道、民間信仰の神々まで含めたバラィテイの多様さは、ここだけのもの。

江戸時代の、コンパクトなテーマパークとでも言うべきだろうか。

五百羅漢の名前は知らなくても、四天王や五智如来、六観音、七福神、十王なら信心深い江戸時代の人たちなら見分けたに違いない。

さしずめクイズの山に入り込んだみたいで、テンションが上がったのではないか。

では、クイズの山へのご案内です。

東側入口から入り、北、西、南へと回る。

どの方面からでも上る小道があるので、最後は頂上へ。

と、書くと仰々しいが、上ると言っても3,4歩、坂道の嫌いな私でも上りを意識せずに済む、その程度の傾斜です。

 

 入口にどーんとおわすのが、

延命地蔵。

二童子を従える地蔵は、珍しい。

その右後方に立っているお方は、ちょっと難しい。

答えは、三蔵法師。

背負っているのは経箱、と聞けば、ははーんと肯く人も多いのでは。

反時計回りに右(北)方向へ進む。

これは、布袋さま。

恵比寿、福禄寿、大黒天とならんで、この辺は七福神ストリート。

南面と東面は、五百羅漢ばかりとなる。

 この五百羅漢は、当地の真言僧神瑞が喜捨を求め、幕末の慶応2年(1866)完成した。

嘉永5年(1852)に発願してから、11年の歳月を要したことになる。

石工は、桑名の藤原朝兵一門。

五百羅漢と言うが、実際には、468基。

明治の廃仏稀釈の被害にあったと伝えられるが、真相は不明。

西面の右隅に坐すのは、

天狗。

お釈迦さまのお弟子さんに囲まれる、思いがけない僥倖に天狗も鼻高々だろう。

 

この辺で、上へ上ってゆく。

これが頂上の風景。

真中に坐すのは、言わずと知れた大日如来。

その周りは、十大弟子と言われているようだが、ちょっとおかしくないか。

中心がお釈迦さまなら分かるが、大日如来を囲む十大弟子なんて変だろう。

 

このクイズは、正解がない。

個々の名前のついた写真資料がないので、Webサイトを見たりしての、私なりの推測で、間違っている可能性は、非常に高い。

「答えが分からないのに、クイズなんてやるな」という声が聞こえて来そう。

間違っていたら、正答を教えてください。

この弟子は、私でも分かった釈迦の高弟の一人。

阿難でしょう。

頂上より一段下に四天王がにらみをきかせている。

右腕を振り上げているので、

持国天のようだが、振りかざしているのは刀ではなさそうだ。

何なんだろうか。

これも四天王の一つ。

広目天ではないか。(だんだん自信がなくなって、疑問形になる)

毘沙門天は、

これだろうし、増長天は、

これだと思うが、正解だろうか。

出題者が、いつの間にか、回答者になっています。

あるWebサイトでは、下の4体は四夜叉としている。

夜叉なんて聞いたこともない。

あわてて『日本石仏図典』を引っ張り出してみたが、載っていない。

そういう情報もあるよ、ということです。

 

東南の角に十王がずらり。

中央奥に坐すのは、

言わずと知れた、閻魔大王。

十王とは離れて、地面に坐すのは、

奪衣婆。

彼らにつきものの道具といえば、

人頭杖と

浄波瑠の鏡。

所で、十王の横、奪衣婆の後ろに立つこの精悍な男は何者だろうか。

 そして、その隣にもう一人、見知らぬ男がいる。

見知らぬのも当たり前、いろいろ資料から推測するところでは、

この五百羅漢を発願し、喜捨に走り回って、完成させた神瑞和尚その人らしいのです。

そろそろ出口へ。

東面は、羅漢さんばかり。

五百羅漢には、家族、兄弟、親戚、知人、友人の誰かにそっくりな像容があると云われる。

羅漢さん以外の石像を探して、そうし愉しみを捨て去ったのは、ちょっと残念でした。

では、最後に、クイズ3問。

これは、誰?

天照大神。

これは、誰?

弥勒菩薩。

これは、誰?

弘法大師。

かなりディスインテリ風なお顔が気になるが…

お堂には、三重県指定文化財の大日如来木像が2体在すが、堂内に上りはしない。

石造物でなければ、県の指定文化財でも無視するのが、「石仏散歩」を制作するブローガーとしての矜持なのです。

 *次の更新日は、8月1日です。

 

 

 

 

 

 

 

 


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