西福寺の続き。
仁王門をくぐる。
仁王の裏には、雷神と
風神がおわします。
本堂に向かって左に3基の石造物。
左の銅製観音立像の台座には「彩帆観音」の文字。
サイパンと読むのだそうです。
先の戦争で多数の戦死者を出した南太平洋諸島を歴訪した住職が建てた観音様。
傍らに手書きの趣意書があるので、転載しておきます。
私は一昨年の十二月下旬、戦争を知らない学徒代表ら拾名を伴い、第二次世界大戦で数多くの戦死者を出した南太平洋上に浮かぶミクロネシア諸島激戦の跡を歴訪した。特に日本人全員玉砕の悲しい思い出を残したサイパン島においては、懇親平等の仏教精神に則り、サイパン政庁長官と互にメッセージを交換して親善友好を深めると共に、自ら導師となって慰霊祭を執行し、国境を越えて現地人に多大な感銘を与えたが、その際旧日本軍参謀本部跡の洞窟内から、血に染まった土砂や遺骨を収集して帰国した。今回機縁熟するところとなり、塔内に遺骨を埋葬してこれを建立したわが国唯一のものである。願くは亡き英霊が現世に回向して観音菩薩の慈悲を仰ぎ世界平和国歌興隆萬民豊楽のために、無限の御加護あらんことを祈念して建立の賦とする。
昭和48年9月 當山立 小松原賢誉 合掌
中央は歌碑。
平秩東作こと鈴木光村(紀州神社神主)の狂歌で、江戸時代末期の作品。
「いかばかり かすみのころも おほきくて ふじの山をも袖にいれけむ」
(北区教委『北区の歌碑句碑』より)
右端は、水子地蔵。
何門というのだろうか。
また門があって、閉まっている。
石碑には「関東六阿弥陀元木第一番霊場」とあります。
中国風獅子の狛犬が一対。
そして延命地蔵尊座像、銅製です。
本堂に向かうべく、中門を右へ。
極彩色の阿弥陀様が仰ぎ見る高さに在します。
六阿弥陀一番の、行基作阿弥陀如来は、戦災で焼失、昭和58年、高さ4m85cmと同じ高さに再建したものだそうです。
大仏の前、墓地入口に庚申塔が1基。
四面塔の正面と左右面の下部に三猿が一匹ずつおわすという変わった庚申塔。
寛文十一年(1672)造立です。
大仏の右下には、地蔵立像と
銅製層塔。
古い寺だから、板碑もあります。
こうして大仏右側をぐるっと回って本堂前へ。
本堂左側は、ミニ六阿弥陀。
阿弥陀如来立像を中心に6基の阿弥陀座像を配し、「石清水阿弥陀」の石塔が立っています。
石清水阿弥陀の傍らに、ひっそりとおわすのは、合掌地蔵。
中門扉の格子越しに 見る仁王門です。
山門から仁王門までの参道脇にある地蔵立像を見落としので、追加しておきます。
台石の「地蔵尊/以大慈/若聞各号/不随黒闇」は延命地蔵経の一節だとか。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます