▽古川庭園(西ケ原1-27-39)[parts:eNoztDJkhAMmJgNj80Qji6RkV0NjSz0TEz1TMz1zYwM/Y1MQx8hYz8TMQC3K19bQQC04ytbYyEDHyMQAAGNBDCc=]
武蔵野台地の傾斜地の上下を、上は鹿鳴館を設計したジョサイア・コンドルにより洋風庭園に、下は、京都の庭師「植治」こと小川治兵衛が手掛けた和風回遊式庭園と和洋を調和させた庭園が見事。
心字池を中心とした和風庭園には、数基の灯籠があるばかりで、石造物はほとんどない。
それぞれの灯籠には、説明板があるので、それをそのまま、付けておきます。
泰平型灯籠
名前の如くどっしりとした形で、蕨手(笠の縁が蕨のように渦巻状に反ったもの)は、角柱の様にごつごつし、竿は太く節も3つある。
雪見型灯籠
この灯籠は水辺によく据えられ、その姿が水面に浮いてみえる「浮見」と点灯時にその灯が浮いて見える「浮灯(うきび)」が「雪見」に変化したとする見方がある。
濡鷺(ぬれさぎ)型灯籠
他の形式と比べて笠が厚く、むくり(反り)がない。図柄は「濡れ」を文字で「鷺」を絵で表現するか、「濡鷺」を文字で表現する2種類がある。
もう1基、奥之院型灯籠があるが、なぜか説明板がない。
層塔も1基ある。
十五層塔
その語源はスツーバ(つみかさね)からきていて、現地では仏塔の一種として信仰を集めているが、日本でも石塔は塔婆と同じ考え方で用いられ共通性がある。(奇数積が原則)
庭師小川治兵衛は、平安神宮神苑、円山公園それに京都の財界人別荘庭園などを作庭した庭師の第一人者。
古川庭園には、小川治兵衛らしい石垣が2種見られる。
まずは、一見石垣とは見えない崩石積(くずれいしづみ)
崩石積(くずれいしづみ)
石を垂直に積む方法は数あるが、これは京都で発達した伝統的な工法である。石と石がかみ合って崩れそうで崩れない姿が美しいとされる。当庭園においても小川治兵衛の力作となっている。
もう一つは、洋風庭園の下の崖地の黒っぽい石積。
黒ボク石積
富士山の溶岩で、多孔質で軽く、加工もしやすい。山の雰囲気が出るため、主に関東で石組みとして用いられることが多いが、石垣状のものは珍しい。
古川庭園を出て、塀沿いに左へ進む。
塀が折れた所の一つ先の小路を左折、住宅道路の中に石柱が立っていて、「六阿弥陀三番目 無量寺」と刻されている。
これが無量寺の参道ということになる。
寺の気配はどこにもなく、ちょっと信じがたい気持ち。
そのまま坂を下りてゆくと墓地に出て、その墓地を過ぎると石垣と石塀に挟まれた道路に出る。
右は、無量寺の塀です。
▽真言宗豊山派・仏宝山西光院無量寺(西ヶ原1-24)
無量寺には、門が3つある。
多分山門は、本堂に一番近い門で、真ん中が大門だろうとは思うが、この一番最初の門は何と呼ぶのだろうか。
寺に電話したが、檀徒ではないと言ったら、こたえられないと言う。
その門脇にも、先ほどの石柱と同じ「六阿弥陀三番目 無量寺」の石柱がある。
盃状穴が見られるから、どこか他所から移転してきたものか。
参道左の地蔵菩薩立像は、台石に「供養佛」とある。
その隣の覆い屋は地蔵堂で、提灯には「ことぶき地蔵尊」と書かれている。
かつては、古川庭園のあるブロックの東南角にあって、六の日には縁日が開かれ、賑わっていた。
交通安全と商店街の商売繁盛を記念すべく、昭和28年(1953)、無量寺におわした子育て地蔵を遷座したもので、交通事故激減に伴い、平成27年(2015)、再び、元の場所に戻されたものです。
大門前右側のお地蔵さんの台石にも「右ハ/六阿弥陀道三番」と刻されている。
門をくぐると左にあるのが「弘法大師」文字塔。
そして、三つ目の門。
ここにも「六阿弥陀第三番目無量寺」の石塔が。
「もう分かったよ」とついつぶやく。
江戸の町のどこかの辻にあったものだろう。
六阿弥陀巡りの人気の高さを、何基もある道標が物語っている。
境内は、深い緑に覆われて、とても東京都心とは思えない静寂を醸し出している。
ドナルドキーン氏が「日本で最も美しい寺」と云ったとか。
鐘楼の下には、
六字名号塔が。
本堂も、樹木に遮られて、全景は見えない。
六阿弥陀で有名なので、阿弥陀様が本尊かとだれしも思うが、本尊は不動明王。
ある夜、忍び込んだ盗賊が、本尊の不動明王の前で金縛りにあったように、動けなくなったことから、「足止め不動」と言われるようになった。
本堂前には、宝篋印塔と
「西国三番紀乃国粉河寺写」の文字塔が見られる。
上中里の城官寺にある「西国六番壺坂寺写」と同類の石塔です。
三界万霊塔の前には六地蔵がおわします。
そして、なぜか、ポツンと聖観音立像。
▽曹洞宗・補陀山昌林寺(西ヶ原3-12-6)
道路から引っ込んだ高台にあって、分かりにくい。
山門脇に古い石塔、「西国第五番/河内国葛井寺写」とある。
城官寺、無量寺にもあった西国三十三番写しの石柱です。
境内に入る。
どこか異国情緒あふれる雰囲気、中国風か。
「師孝門」と刻された石柱の傍に
孔子像2体。
墓地への入口になっている。
六地蔵が普通の墓地入口だとすると風変わりは免れない。
何故、孔子像なのか、、説明があると親切なのだが。
もう1基、説明がほしいのが、「石庭追慕」。
わざわざ石碑にするのだから、しかるべき事由があるはず。
境内で目立つのは、聖観世音立像銅像。
足元に「百寿観世音」とある。
本堂も変わっている。
その本堂前の石柱には、「南無末木観世音菩薩」と刻されているが、
この「末木」は本尊に関わるもので、行基が六阿弥陀を彫刻した際、残った木材で彫ったのが、昌林寺の本尊、「木残」観世音ともいわれます。