高校の友人が、大津市に住んでいる。
彼の招きで、5月半ば、友人3人と連れ立って、湖南を訪れた。
酒を飲み、歌を歌い、牌を自模り、昔話に花を咲かせて、旧交を温めた。
ハイライトは、琵琶湖伝統漁法えり漁の見物。
たも網を上げることもままならない巨大な鯉や鮒に歓声を上げた。
琵琶湖周辺観光は初めての3人と別れて、1日、小浜市へ足を延ばした。
小浜市は国宝仏像の濃密地域だが、私の目的は、別にある。
一つは、天徳寺(若狭町)の四国八十八ケ所本尊石仏群。
佐渡の石工が彫り、佐渡から運ばれたとの伝説がある石仏群です。
もう一つは、小浜市の化粧地蔵を見て回ること。
八月の地蔵盆に、子供たちがお地蔵さんに色を塗る風習があることを『日本の石仏』で知ったばかりでした。
佐渡の石工制作の石仏群はいつか取り上げることにして、今回は化粧地蔵に焦点を当てます。
場所は、小浜市西津地区。
小浜市街北東部の海に面した、昔からの漁村です。
西津漁港をスタートして、直ぐに最初の小堂を発見。
お堂は海に背を向けて立っていました。
お堂の後方の木と木の間の白い部分は、海。
地蔵盆は、毎年8月23日に行われます。
と、いうことは、ほぼ9か月経っていることになり、彩色の色落ちが心配です。
でもその心配は、最初の化粧地蔵を見て、払拭されました。
少しよごれてくすぶった感じではありますが、色彩は明瞭でした。
小浜の化粧地蔵の主な色材は、昔は、ベンガラの赤、石灰の白、墨の黒でした。
今はエナメルですから、色はなんでもあり。
伝統の3色にゴールドを大胆に組み合わせて、いかにも現代風化粧地蔵です。
小堂は、場所によって異なりますが、これは総コンクリート造り。
共通しているのは、供花が新しい事。
毎日、お参りする人がいることが判ります。
布団かと見間違えるような涎かけ。
関東よりは関西の方が涎かけは大きめですが、これは格別。
涎かけの色も大胆で、お地蔵さんの化粧に負けていません。
地蔵にはどう見ても、見えない。
私には「加トちゃんケンちゃん」に見えます。
常識にとらわれない子供の発想のすごさに驚嘆してしまう。
涎かけは女もののブラウスだったものか。
この母にしてこの子あり。
お盆が終わると、小浜では、地蔵盆の準備が始まります。
子どもたちは、お堂とお地蔵さまをリヤカーで海へ運んで、洗います。
前の年の色を洗い落として、新しく描くのですが、その姿かたちと配色はノートに記録されて代々受け継がれているのだそうです。
これは女の子の制作でしょうか。
お雛さまのようです。
前の、箱の中の、色付けした小さな石も、全部、お地蔵さま。
地蔵盆の期間、「出張」と称して、子供たちが外へ持ち出し、道行く人にお賽銭をねだるのに使われる地蔵です。
大胆というか、それとも、手抜きというべきか。
ベンガラの伝統の反映か、西津地区では、朱色の使用頻度が高いようだが、これは度を越しています。
しかし、頭上の卍は書いてあるから、目鼻を描かなかったのは、意図的だったのでしょうか。
ベースの石仏は浮彫されています。
地蔵の輪郭を彫ったものと自然石と両方があるようです。
これは涎かけではなく、布団でしょう。
布をかけてあるのではなく、描いてある。
手の組み方が棺桶の中の作法のようですが、寝ているとすれば、新宿2丁目風に私には見えます。
化粧地蔵を探し回っている時、床屋の前を通りかかった。
見ると店の前のコンクリートブロックが彩色されています。
子どものころから、石に色を塗って育ってきた。
大人になってもついその癖が出てしまう。
小浜らしい光景だと思い、パチリ。
神社の脇にもお堂がある。
中の2体には目を奪われた。
こうした作品を表現するボキャブラリーと能力がないことが、哀しい。
見事な、と書いて、その言葉の陳腐さに身がすくむ思いがします。
下の小堂の内部も、幻想世界です。
中央の地蔵は清楚で端麗にして判りいい。
問題は、両端の3点。
この2点は、まだわかる。
頭らしきものがあるから。
それにしても破天荒な地蔵。
ニューヨーク近代美術館に出品したいものだ。
下の作品は、何だろう。
よーく見たら、上下逆さまなのです。
描きあげて置こうとしたら、逆さまでないと安定しないことが分かった。
後先考えず、闇雲に描き始めるのは、子供だからでしょう。
後先考えるようになったら、大人になったということです。
後ろが直ぐ海の、このお堂の中もめくるめく化粧地蔵ワールド。
そうか、これがお地蔵さんの顔なんだ。
もう、言葉もない。
ただ、ポカンと口をあけて、見とれるだけ。
あか抜けた、ちょっと大人っぽいデザインと配色。
もしかしたら大人の手が加わっているのだろうか。
地味でくすぶった仏像のイメージを、化粧地蔵は蹴飛ばしてしまいます。
地蔵盆の参加メンバーは、かつては、小学1年生から中学2年生までの男の子でした。
年の順に、大将、中将、少将と別れて、年上の大将から色を塗り始め、少将は、小さな「出張」地蔵を担当したものですが、今は子供の数がめっきり少なくなり、幼稚園児や女の子も参加するようになりました。
子どもがいなくなって、地蔵盆そのものを行わなくなった地域も増えています。
子どもがいなくなって、描き直すことがないので、油性ペイントで描いた化粧地蔵もあるのだとか。
お堂がなく、雨ざらしのお地蔵さんもあります。
掃除が行き届き、お供え物が新しい。
信仰心厚い人がいるからでしょう。
名ある寺の本堂奥におわす仏さんも、この漫画チックな、野ざらしのお地蔵さんも、わけ隔てることなく、同じように敬虔に拝む人がいる、小浜という町はすばらしいと感嘆してしまいます。
細かく着物の柄が描いてある。
お地蔵さんは女だ、とこの子は思い込んでいるようです。
しかも少女ではなく、妙齢の御婦人。
そこはかとない色気と品性があります。
西津地区は、狭いながら碁盤の目のように道が交差し、化粧地蔵のお堂は、道の交差する角々にたっています。
置かれた場所や形は他のお堂(祠と呼びたいのだが、地元ではお堂と云っているので堂を使用)と変わらない。
どんな化粧地蔵かと期待して覗いたのですが、無垢な石仏があるばかり。
お大師さんでした。
石仏ならなんでも色を塗るわけではないらしい。
少なくても西津の子供たちは、お地蔵さんとお大師さんの区別はできるようです。
すばらしい。
髑髏のように、私には見えます。
まさかサングラスではないでしょう。
卍のあるお地蔵さんが多い。
意味を知りたくて、町内の寺の住職に訊いてみたが、知らないという返事でした。
以下、作品のみ展示。
ゆっくり鑑賞してください。
一見、関取風の人の好さそうなお兄さん。
お地蔵さんとの接点を探そうにも、どこにも見当たらない。
お地蔵さんの、あまりの変貌ぶりに唖然、呆然。
この姿で、賽の河原に現れたら、鬼もびっくり、逃げ出すに違いない。
そういう意味で、効果的ではあります。
楽しい1時間半だった。
時間があれば、他の地区も回りたかった。
ネット検索すると宮津市、大津市、大江町などにも化粧地蔵はあるらしい。
子どもが主役の仏教行事は、ほかにもあるだろうが、クリエイティブな活動を伴う伝統行事は少ないでしょう。
少子化で小浜の地蔵盆も先細りになる一方だといわれています。
豊かな暮らしとは、快適と便利さを追求するだけでなく、こうした伝統文化に囲まれた暮らしでもあるはずです。
化粧地蔵を、なんとか維持、継続してほしいと心から願い、今度は、地蔵盆の当日に小浜を訪れたいものだと思うのです。
≪参考図書≫
○一矢典子「若狭小浜の化粧地蔵」『日本の石仏』NO143、2012年秋号所載
私は福井県のテレビ局でディレクターをしております。
このたび、福井県小浜市の化粧地蔵について取材をしており、取材をする中でこのブログを拝見いたしました。
非常に興味深い内容で、よろしければ、掲載されているお写真を番組の中で紹介させていただきたく存じます。お手数ですが、下記のアドレスに連絡いただければ幸いです。誠に恐縮ですが、番組の放送日が迫っておりまして、できましたら早急に、遅くとも10月29日頃までに連絡いただけると大変助かります。わがままなお願いですが、何とぞよろしくお願いいたします。
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