石仏散歩

現代人の多くに無視される石仏たち。その石仏を愛でる少数派の、これは独り言です。

134 東京の寺町(10)-台東区松が谷(5)

2018-04-05 08:50:05 | 寺院

10 曹洞宗・松源寺(松が谷2-13-3)

松源寺には、鷹見泉石の墓がある。

鷹見泉石と言われてもピンとこない人も、下の絵には見覚えがあるだろう。

渡辺崋山画の国宝「鷹見泉石」。

古河藩家老として政治家の手腕をふるいながら、蘭学、露語、天文学、測量術を修め、杉田玄白、大槻玄沢、司馬江漢、高島秋帆、川路聖謨などと交わった。

11浄土宗・正定寺(松が谷2-1-2)

墓地に鏝(こて)絵など漆喰細工で名を成した入江長八の墓がある。

手前が入江家先祖の墓、右に入江長八の墓

別名・伊豆長八というのは、伊豆の出身だから。

二十歳の時、江戸に出て、絵画と彫刻を学び、漆喰壁に模様を描いた漆喰細工を彩色するなどして、芸術品に仕上げた。

31歳の時、故郷松崎の浄感寺の天井に描いた鏝絵「八方にらみの龍」は傑作と言われている。

 墓地には、江戸末期の剣豪、島田虎之介の墓もあるが、今更剣客でもあるまい。

墓の写真は載せておくが、人物紹介はカット。

12 矢先稲荷神社(松が谷2-14)

三代将軍家光が、寛永19年(1642)に創建した浅草三十三間堂の守護神として勧請された稲荷大明神の場所が丁度的の先だったので「矢先稲荷」と呼ばれるようになった。

拝殿の格天井には、「日本馬乗史」を描いた100枚の絵が奉納されて、馬にまつわる歴史が一目瞭然。

三十三間堂での弓の稽古は、堂の長さを射通す「通矢」だったが、これはかなり難しい武芸で、正保3年1646)から元禄10年(1698)の52年間で成功者わずかに10人だったという。

元禄11年(1699)の大火で焼失、深川の富岡八幡宮隣に再建された。

浅草三十三間堂跡地には、寛永寺東側の寺院が集団で移転してきた。

≪つづく≫