続日本紀「文武四年(700)十二月庚午(二十六日)大倭疫す。醫藥を賜り之を救ふ。」 . . . 本文を読む
讃観世音菩薩頌和釈・・19/20
求勝果報
「若有欲求勝果報 象馬車乘及奴婢 衣服飮食諸珍寶 由彼常念觀音故 應其求願自然至」
若し現在に勝れたる果報を求めんと欲ふ者は 象馬車乘及奴婢衣服飮食諸珍寶を得んと願ふ人は 常に觀音を念ずれば 其の求に應じて自然に至る。
山城の木津に弥治兵衛といふ貧人あり。長谷寺に百日参籠して歸路に在原寺の邊に近江の守藤の惟憲(藤原惟憲。藤原北家勧修寺 . . . 本文を読む
森寛紹猊下は、明治32年(一八九九)5月31日、温泉郡重信町(現東温市)生まれ。元高野山真言宗管長・高野山真言宗総本山金剛峯寺第406世座主。平成6年12月26日、九五歳で遷化されています。俳人としても活躍され「お遍路の誰もが持てる不仕合ふしあわせ(森)白象」の句は森寛紹(白象)の三男が亡くなり、遺骨を携え四国巡礼に出たとき詠んだものとされ四十七番八坂寺に句碑がありました。 . . . 本文を読む
一日三善
2024-12-26 | 法話
「・・諸悪莫作、衆善奉行、久しくして必ず吉慶を獲る、所謂災いを転じて福となす也。故に吉人よきひとは善を語り、善をおこなう。一日ごとに三善あれば三年にして必ず天これに福を降す。凶人わるきひと悪を語り悪を行う、一日ごとに三悪あれば三年にして天必ずこれに禍をくだす。なん勉めて之を行はざる。(太上感応編)・・毎日3つの善を行い3年すれば幸福になる。」(太上感応編は12世紀前半南宋の李昌齢の書と推定される道 . . . 本文を読む
讃観世音菩薩頌和釈・・18/20
金翅鳥害
「若金翅鳥以嘴爪 搏撮水陸諸龍等 其龍專心念菩薩 即得離苦獲安樂」
金翅鳥は大鳥にて嘴爪にて大海の諸龍を撮て食すを己が業力の感ずる食分とす。もし其の龍が專心に菩薩を念ずれば其の苦難を逃れて安樂を獲るとなり。
迦楼羅を此に妙翅鳥といふ。観佛三昧經に、一日に一の龍王と五百の小龍を噉ひ、両翼を披けば三百三十六万里なり。首に如意珠あり、是は有漏の業報の身 . . . 本文を読む
(左経記・寛仁四年1020閏十二月)「二十五日辛未、晴。・・今日より始めて、疫病を除くため百口僧を請じて仁王経転読せらる・・」
此の年は疱瘡が大流行して大惨事となっていたようです。
「栄花物語十六・本のしつ゛く」に「寛仁三年1019四月ばかり、堀川の女御(後三条天皇の女御・道長の次男・頼宗の娘)明け暮れ涙に沈みておはしませばにやおはしましけむ。御心地もうきあるびようもおぼされで . . . 本文を読む
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三代実録 / 貞観十一年(869)十二月廿五日戊申条
「廿五日戊申 ・・・ 勅して、五畿七道諸国をして 三日を限り金剛般若経を転読し地震風水之災を謝し、隣兵の隙を窺ふ寇を厭せしむ焉」
(廿五日、(中略)勅して五畿七道諸国に命じ、期 . . . 本文を読む
讃観世音菩薩頌和釈・・17/20
諸餓鬼苦
「有諸餓鬼腹如山 脣口乾焦飢渇惱 菩薩見之生慈悲 次第令其得充足 餓鬼或遭寒凍逼 身體皮肉皆破壞 擧彼兩手生極苦 神通方便令熅適」
諸の餓鬼の中に薄福の者は腹の脹て山のごとくなり、脣口は乾き焦て飢渇に惱み苦しむを 菩薩之を見て大慈を起こし 次第に食水を与へ給ふとなり。また 餓鬼の寒凍に遭て身體の皮肉の破れ壞れて苦しさに兩手を擧て泣き叫ぶを観音見たま . . . 本文を読む
三代実録 / 元慶二年(878)十二月廿四日乙酉条
「廿四日乙酉、兵部少輔従五位下兼行伊勢権介平朝臣季長を大宰府に向けて遣り、橿日・八幡及び姫神・住吉・宗形等の大神に奉幣す。 其の橿日・八幡・姫神には別に綾羅御衣各一襲・金銀装宝剣各一 を奉る。彼の府、奏を以て云ふ、詫宣有りて、新羅の凶賊、我隙を窺はんと欲すると。 并に肥後国に大鳥ありて . . . 本文を読む
日付は不明ですが延喜二十年十二月観賢僧都が最初に大師号を奉請したときの文です。
「高野春秋」「延喜二十年十二月日、座主観賢僧都高祖弘法大師號を悃請し奉る。慇懃に上表すし天許すも果たさず。
表文に云「空海は戒行俱足し、人天敬す。虚鳥の翅自ら軽し。水鮫の眼溺れず。昔玉言を聖朝に奉る。遥かに佛語を震旦の域に求む。遠く一乗萬里の外に泣く。波を踏み津を問ひ帰朝して傳道す云々」 . . . 本文を読む
ラフカデオハーン「神国日本」には、日本の家庭が神々のいます神聖な場所であった、ということが書かれていますが、集落もまた神々と仏のおられる神聖な空間でした。「民族と儀礼」宮家準の引用です。いまでも都市化を免れた集落はここに書かれているように神仏のおられる神聖な場所であるという姿をとどめているところはおおくあります。四国遍路で歩いてみるとまさにここに書かれているような神仏に守られた多くの集落の姿が現れ . . . 本文を読む
讃観世音菩薩頌和釈・・16/20
諸悪業病
「鬼病熱病腹脹病 疳病黄病心痛病 癩病癲病霍亂病 血氣羸痩種種病 諸惡黒業纒其身 稱名繋念皆除愈」
鬼病と熱病と腹脹の病と疳病と黄病と心痛と癩病と癲癇と霍亂と血氣の羸痩など種種の病と諸惡業の報が其身を纒縛りて病を成すに観音の名を稱へ心に念ずれば皆なよく病愈んとや。
諸病の中に癩病は最も愈へがたき業報なり。昔湯浅権守といふ . . . 本文を読む
延暦二十三年十二月二十三日(西暦803、大師御年32歳)は大師が長安に御到着になった日です。大師は五月十二日に日本を出発され八月十日に赤岸鎮に漂着され、十月三日に藤原葛野麻呂に代わり福州の観察使宛の公文書を上表されて以来実に数か月ぶりに入京できたことになります。日本を出発されて以来だと半年以上かかっての入京です。高野大師御広伝には「十二月二十三日。至上都長安城。唐貞元廿年也。入京華之儀。不可説盡。 . . . 本文を読む
讃観世音菩薩頌和釈・・15/20
惡鬼害人
「大力惡鬼執捉人 鳩槃荼等飮人髓 若能繋念觀音者 擁護其人銷疫難」
大力の惡鬼の人を執捉へて鳩槃荼等は人の髓膿を吸飲に遭たる人の 能く觀音を念じ奉れば大悲の智力にて其人を擁護して疫難を銷したまふとや。
慈覚大師円仁は承和五年に入唐して海上に大風のをこり舩を鬼嶋へ吹き流さる。嶋の鬼形の者浦へ走り集りて舩の着きなば食はんずる気色なり。舩人の怖れて魂を . . . 本文を読む