福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

戊戌初詣で〜東大寺・興福寺参拝記

2018-01-16 | 講員の巡礼(お四国他)ほか投稿
戊戌初詣で〜東大寺・興福寺参拝記

浄瑠璃寺と岩船寺での素晴らしい参拝体験に言葉も出ないほどの感動をした午後、今度は奈良の代名詞、誰もがよく知る東大寺をお参りしました。

広大な東大寺は奈良で一番の観光名所。小雨が落ちる中でも大勢の人が大仏殿に向かって吸い込まれるように歩いています。参道では鹿がそこらじゅういて、鹿せんべいを待っています。鹿におびえた子どもの大きな鳴き声は、悲鳴のように辺りに響いています。大人になったときには、こういう体験も懐かしい思い出になるのでしょう。

参道を見渡すと日本人よりも海外からの参拝客のほうが多いようです。様々な国の言葉が聞こえてきます。平城京は唐の長安に習って作られたということですが、当時の唐の長安にはシルクロードを通じてヨーロッパやアジアから大勢の異国人が訪れていたといいますが、ここ東大寺の参道に様々な髪の色、肌の色、目の色をした人々が往来する様子は、いつか小説で読んだことのある長安の街中の描写を彷彿とさせます。もっとも、天平時代の東大寺の開眼法要では、導師はインドの僧侶がつとめ、中国や朝鮮からの舞踏や音楽が披露されたということなので、創建当時から東大寺は国際色豊な場所だったということです。今と変わらない風景が1250年以上前にもあったのかもしれません。

何度見てもその大きさに圧倒される南大門には、阿吽の仁王像が両脇にそびえています。大きさもそうですが、その造形の秀逸さにも目を奪われます。
南大門をくぐると正面に大仏殿が見えてきます。黒い瓦で覆われた大きな屋根、最上部の鴟尾は金色に輝いています。南大門に続きこの建物の大きさにも圧倒されます。ここは、何もかもが見上げるほど大きく、目線が常に上向きになっています。大仏様の目線は半眼ですが、大仏様の足元でそのお顔を見上げるとその目線が私たちに注がれているようにも感じてしまいます。
お線香の香りがわずかに漂う大仏殿には、大仏様の脇に虚空蔵菩薩と如意輪観音が脇侍としてお控えになっています。こちらは江戸時代に納められたものだそうで、未だ金色がしっかりと残っています。大仏様も当初はこのような金色に輝いていらしたのでしょうから、これほどの大きさの仏様が金色に輝くのを見た奈良時代の人々はどれほどの衝撃を受けたか、また当時の建造に関わった人々の高い技術力にも関心します。

御朱印をいただき、大仏殿を後にして、二月堂に向かいます。大仏殿の人の多さが嘘のように、ここでは人気がまばらです。
春を告げるお水取りは3月1日から始まります。幼い頃、明治生まれの祖母が、奈良のお水取りにあわせて春が来ると言っていたことをふと思い出しました。お水取りは東大寺で1250年以上続く行事です。1250年の間、どんな困難にあっても続けてきた不退の行法。橙色のお松明の大きな火が回廊を走り、夜の闇に火の粉が舞い落ちる様子がテレビのニュースで流れることがありますが、お水取りもいつか自分の目でみたいものだと思います。

平安時代末期の平家による南都焼き討ちにあい大仏殿をはじめ伽藍のほとんどが焼け落ちた戦乱の中にあっても、三好三人衆をはじめとした戦国武者に襲われ伽藍が破壊され大仏の頭が失われてという事態にあっても、また行法の最中に松明の火が二月堂に燃え移り全焼して仮堂での儀式を強いられる時にあっても中止されることの無かったお水取り。そこには儀式を担ってきた歴代の練行衆(お水取りの儀式に参加する11名の僧侶)の覚悟は並々ならぬものでした。その過去の高僧のおかげで今もこうしてありがたいお参りをさせていただけるのだと思います。

お水取りは、修二会といい、ご本尊十一面観音に「悔過(けか)」—私たちが生きる上で過去に犯してきた様々な過ちを、本尊の仏前で発露懺悔する(告白して許しを請う)ことーする法要です。事前に戒壇院にこもり潔斎した11人の練行衆は、2週間にわたり1日6回の法要をはじめ様々な行を続け、その功徳に興隆仏法、天下泰安、万民豊楽、五穀豊穣などを祈るとされています。
松明の火と若狭から送られた水によって成立する古来の儀式は、自然と人の心—信仰心—が仏様の大いなる慈悲によって固く結びつく、深い日本的な霊性が込められた行事なのでしょう。そこには奈良時代以来、今に至るまで私たちの日本人の心をとらえて離さない絶対的なものが確実にあるのだと思わされます。

大仏殿もありがたい場所ですが、私は二月堂のほうに心を寄せてしまいます。二月堂には清浄さと祈りの深さが重なった独特の雰囲気があるような気がします。奈良の町から生駒山まで見渡せる眺望も素晴らしい。二月堂は24時間拝観が可能だそうで朝焼けや夕焼けも見ることが出来るそうです。いつかそういう景色を堪能できる贅沢な参拝もしてみたいと思います。

二月堂をお参りした後は茶店で休憩を取りました。早朝から歩き続けてかなり疲れているのでしょう。甘い和菓子がひときわ美味しく感じます。休憩を終え、一足先に帰京する同行のMさんをバス停まで見送り、私は興福寺南円堂に向かいました。南円堂は西国三十三所観音霊場の第九番札所です。西国三十三カ所の納経帳に御朱印をいただきたくて、納経時間が迫る中、広大な興福寺の境内を急ぎました。

興福寺と言えば保有する文化財が良質ともに優れているとで有名です。阿修羅像をはじめとした多くの国宝、それに準じる重要文化財の多さは、かつての興福寺の繁栄を雄弁に物語っています。国宝館は今年元旦にリニューアルオープンし、今秋には、中金堂の落慶も控えています。広大な伽藍は、2023年まで続く平成の大修復で、各所に工事中の看板が出ています。

納経時間ギリギリに南円堂に着きました。南円堂は朱色の柱が八角形に配置され瓦屋根も八角形の形をした特徴のあるお堂です。ご本尊は不空羂索観音で、国宝に指定されている秘仏。運慶の父の康慶一門がつくった仏像で開扉は原則的に年1度、10月17日です。これも一度ぜひ直接拝見したいものです。

南円堂の脇にあるそう大きくないお堂は一言観音です。護国寺の一言地蔵と同じく一言だけの願いをきいてくださる観音様。その庶民的な雰囲気も護国寺の一言地蔵に近いような気がして、親しみがわいてきます。
日が高いうちなら、猿沢池をまわり伽藍全体をゆっくりと散策し、国宝館も見学したいところです、しかし、この日はこれで時間切れとなりました。

南円堂から三条通りに下る石段から商店街を散策しつつ宿に戻りました。一度荷物を置いて、奈良国立博物館の仏像館に行くことにしました。この日は金曜日で、通常は5時までの開館時間が、午後8時まで延長されています。なら仏像館は平成28年にリニューアルされたばかりだそうで、最新の設備で、貴重な仏像を拝見することが出来ます。等身大以上の仏像はケースに入ること無く直接間近で見ることができますし、ガラスケースに入った貴重な仏像も、特殊な高透過ガラスに低反射フィルムが併用されて、照明も工夫があるようで、直接見ているかのように自然に見ることができました。このガラスケースは他所、例えば東京の国立博物館などでも採用していただけると、ぐっと鑑賞の楽しみが増えるように思います。

この仏像館の展示で一番引きつけられたのは、昨年、国宝に指定されたばかりの仏像で大阪金剛寺(河内長野市)の降三世明王坐像でした。大日如来の脇侍として不動明王とともに、金剛寺に伝わる仏像で、大日如来が3メートルを超える大きな仏像ということで、脇侍の降三世明王坐像も2メートルを超える大きさです。青黒い肌と、火焔光背の赤の鮮やかなコントラストに目の覚めるような重いです。憤怒に見開いた大きな目の視線は左に流れて、たまたまその目線の先にいた私は目が合ったような感覚になり、その鋭さに心臓がどきりとしました。頭上の宝冠をはじめとした装飾品が金色に、歯は白く、それらの彫刻や彩色がさらにその姿を威圧的にしています。一見の価値有りです。
本来は一緒にあるはずの大日如来と不動明王は京都の国立博物館で展示されていたようですが、この3月には3体が本来あるべき金剛寺の本堂にそろって帰還なさるそうです。次回、高野山へお参りするときには忘れずに金剛寺にもお参りしようと思います。脇侍である降三世明王坐像だけでもこの迫力なら、3体お揃いになったらどれほどの迫力でしょう。想像するだけで期待に胸が膨らみます。

朝6時半から動き回った1日がやっと終わりました。
夢枕にも仏様が出てきそうなほど、どっぷりと仏様と出会った1日でした、歩き回った疲れと仏様の慈悲によってでしょうか、朝までぐっすりと眠ることができました。
翌日は京都市内の西国の札所を回って東京に帰ります。





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