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福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

観自在菩薩冥應集、連體。巻6/6・1/52

2025-07-19 | 先祖供養

観自在菩薩冥應集、連體。巻6/6・1/52

観自在菩薩冥応集巻第六

目録

一讃州志度寺の観音の縁起

二鞍馬寺の縁起幷馬蔵経の奉加に入る事

三観音を念じて難を免るる事幷楊柳観音の事

四長崎の人観音を念じて水難を免るる事

五観音を念じて溺死を免るる事

六鳳林寺の観音幷元修尼溺死を免るる事

七野狐に誑かされて死すべきを観音の助け玉ふ事

八四国に狐住まざる因縁幷倩女離魂の事

九天帝釈盧至長者を教化し玉ふ事

十法性房尊意観音の呪功能の事

十一東大寺の法蔵忉利天の観音を慶讃し母を救ふ事

十二増命和尚は観音の化身なる事

十三比叡山の宗順横死を免るる事

十四法勢法師普門品を守とする利益の事

十五恩融法師十一面観音の真言霊験の事

十六天狗に摑まれしを観音の救玉ふ事

十七金龍寺千観内供の事

十八勧修僧正の事

十九松室の仲算大徳幷浄蔵貴所醒が井の事

二十宋の隆蘭渓幷善哉餅不識汁の事

二十一行尊僧正修験の事

二十二行善法師不思議の事

二十三善為康幷藤敦光の事

二十四願西尼観音の摩頂を得し事

二十五明蓮法師宿命を祈りて知る事

二十六源尊法師冥途にして観音の引摂に預る事

二十七徳長寿院三十三間堂の観音の事

二十八景清が守り本尊幷一絲和尚の事

二十九林丘寺の観音霊感の事

三十豊後の人観音の利生幷楠正成が守り本尊の事

三十一摂州国分寺の観音の事

三十二黄檗山高泉和尚霊夢の事

三十三霊夢を蒙て山号とする事

三十四洛西嵯峨の観音の感得の因縁

三十五観音を念じて雷難を免るる事

三十六雷を恐れ胡蝶を畏れくちなは蛇を怖れ蜘蛛を恐れ瓢箪を怖るる人の事

三十七江州少林寺の観音の事

三十八観音の冥助にて必死の難を免るる事

三十九母を勧めて信心を生ぜしむる観音の利益。附たり娘の方便に依りて母念仏し往生の事

四十観音の方便に依りて殺生を息む幷天竺尸利密多羅(しりみったら)菩薩の作の観音の像三途の罪人を度し玉ふ事

四十一観音を念じて業病癒る事

四十二准胝観音霊験の事

四十三堺邑長谷寺の観音霊験の事

四十四慈覚大師観音霊応の事

四十五河内長栄寺十一面観音の事

四十六持戒清浄の印明利益の事

四十七栂尾の明恵上人の事

四十八泉州方光寺童子観音の事

四十九山中の石地蔵物言事

五十泉州岩室の観音の事

五十一泉州鉢が峯聖観音利生の事

五十二性海法師幷由利源内観音の利生を蒙る事

已上目録畢

 

 

 

観自在菩薩冥応集巻第六

一讃州志度寺の観音の縁起

讃岐國寒河郡志度寺の観音は推古天皇三十三年(627年)に凡薗子(おおしそのこ)尼の建立なり。伏して其の由来を考るに昔近江國高嶋郡三尾前山(滋賀県高島市水尾神社の背後に杣山(三尾山)がある)百蓮華谷と云あり。此の谷に伏せる霊木あり。宛も楠木に似たり。何れの處より来たれることを知らず。時々に瑞光を放ち妙香薫馥し諸天常に来たりて百蓮華を散じて供養しければ谷をも百蓮華谷と云なめり。人王二十七代継体天皇十一年丁酉(517)に大雨降りて此の木自ら流れ出して志賀郡大津浦(滋賀県大津市)に流れ著て七十年を経たり。諸人猥りに切り取て焼けば疫癘起こり種々の怪異あるに依りて復た犯す者なし。宗峻天皇の馭宇(553年~592年)に又洪水に依りて漂流して山城國淀の津に流れ寄りて三月を経るに瑞光を放ち異香薫ずれば又恐れて取る人なし。終に海中に流れ出て数十年を経て讃岐國志渡浦に流れ寄り、奇香発越すること栴檀沈水にも越へたり。時に推古天皇三十三年乙酉(627年)に凡薗子(おおしそのこ)尼諱は智法と云人あり。此の木の神霊あるを見て大に悦び即ち取りて家内に置き旬月を経て思はく、能き法師あらば此の霊木を以て観音の像を造らんことをと。時に齢二十四許りなる童子来たりて曰く、我は仏師なり。拙手なりと雖も君が願ふ處の像を造らんと。智法尼大に悦びて等身の十一面観音の像を造らんことを請ふに、彼の童子一日の間に即ち造り奉り夜半ばかりまで尊像の前に在りて動ぜず。智法尼も雀躍歓喜して寶号を唱念するに、虚空に聲ありて曰く、「補陀落の観音や御坐する」と。二聲呼ぶ、其の聲微妙なること迦陵頻伽に異ならず。智法尼信心胆に銘じて悦ぶに彼童子忽然として行方知らず去りぬ。尼大に驚き、さては彼童子は即ち観音の化身なりと知って昼夜に奉仕し、なにとぞ一宇を建立して安置せばやと思ふに、或る時二十ばかりなる番匠来たりて曰く、我君が為に堂を建立せん、早く材木を集めよと云ふ。尼即ち材木を集めければ童子数十人に分身して或は木を運び或は石を担ひ或は屋を葺て七日の間に一間四面の堂を建てて後童子又何地へか行きけん忽ちに見へずなりぬ。即ち此の童子は土師黒丸(はじくろまる)とて閻魔王の化現なりといへり。薗子の尼も亦文殊の応現なりと云傳ふ。其の後天武天皇の十年(681年)に右大臣不比等即ち淡海公、廣めて五間四面の堂となし玉ふ。不比等は内大臣大織冠鎌足の御子なり。鎌子深く佛法に帰依し入鹿の逆臣を討ちて塩梅の臣となり、天智天皇の八年(669年)に藤原の姓を賜り十月十六日に薨じ玉ふ。今の和州多武峰の社(奈良・談山神社)是なり。不比等は幼稚あんれども藤原氏の祖として興福寺を建立し玉ふ。其の妹あり、大唐の高宗皇帝の后となり玉ひ、華原馨・泗濵石(華原泗浜石とは 支那の華原産の石で作った馨 (楽器の一種)と泗水産の石で作った磬)真向珠(面向不背の珠のことか)を乞ひ得て興福寺に送り玉ふに唐船房前の浦に著きける時、竜神此の宝珠を盗み去る。不比等大に悲しみ玉ひ讃州房前の浦に来て海女泉郎の娘に契をこめ、既に一子を生じその子の三歳の時に彼の母に語りて彼の宝珠を取還さんことを計り玉ふ。此の事は婦人小子も知りたる事なれば具に記するに及ばず。さて彼女海底に入て見れば十三重の玉塔の高さ三十丈(91m)なるに彼の宝珠を安置し香華を供し龍王龍衆昼夜に守護せるを間を窺ひて奪取て還り不比等に奉て即ち死しぬ。さて彼の珠を取り挙げし處を真珠島と号して今にあり(現在、周囲は埋め立てられ志度町志度の臨海工業団地の一角に位置する)。其の坤の方に小堂あり。是は彼の海女の死骸を納めし處なればそれより死度道場と号すとかや。此の珠は径八寸(24cm)にして中に釈迦の三尊現じ玉ひ四方より拝するに同じく見させ玉へば世に面向不背の珠といへり。即ち是如意宝珠にして藤氏繁昌は此の珠の威力なりといへり。其の後天武天皇叡感の余りに名を淡海公と賜りぬ。又御子房前の大臣は泉郎の娘の所生なり。持統天皇十年(696年)に房前の相公御年十五にして行基菩薩と俱に志度浦に来たり玉ふに地底に聲ありて曰く、魂黄泉に沈んで十三年冥路昏々として人の訪ふなし。我が君孝あらば我を助けよと。房前の大臣母を恋ふの涙雨の如く、大に歎き玉ひて永く法華八講を修行して追福し自ら法華十軸、無量義経と普賢観経とを加ふ、を書写して一千基の石塔を建て追福し玉ふ。塔婆の影波に写りて兼ねて竜神を苦を救ひ忿怒の心を宥むとなり。房前臣は参議贈太政大臣正一位なり。興福寺の塔をも建て玉ふ。即ち光明皇后の兄なり。其の後桓武天皇の御宇延暦年中(782年から806年)に山城國淀の津に一人の騶子(まご。馬飼)あり、白杖童子と号す。貧窮にして孤独なれども本覚内に薫じ佛光外に射して世間の無常を覚り慈愍の心深く大願を起こして三間四面の草堂を造らん事を思立つといへども、本来貧乏なれば志ばかりにて成就の日なく、羊の歩近付きて或る時忽ち死し牛頭馬頭の獄卒に追立てられて閻王の庁に赴き罪業の軽重を糾さるるに一人の冥官進み出て曰く、此の者は一堂建立の願あり、先ず娑婆に帰すべしと。時に閻魔王大に感歎して曰く、大日本國讃岐國志度道場は是我が氏寺なり。汝本願を果たさば須らく彼の寺を造るべしと。童子大に悦びて閻浮に帰らんとする處に容顔美麗の少女の、悪鬼の為に駆り逐れて来るに逢へり。童子悲愍の心限りなく、又彼の女人の往くに随って閻魔王の前に至るに、大王曰く、汝何ぞ又来るやと。白杖答て曰く、宿願を遂げんが為に放し玉ふといへども、此の女の若くして苦患に逢へるを見捨ることあたはず、願はくは大悲此の女人をも放し玉へ、若し此の事叶ふまじくは我をば留め置きて此の女人を再び人間に帰し玉へと涙を流して訴へければ、閻王いよいよ感じ玉ひて、此の女人は極重罪人なりといへども汝の願に依りて免じ帰すなり。人界に帰りなば夫婦となりて俱に志度の堂を造営すべしとありければ、二人俱に涙を流して礼拝しおたがひに伴ひて閻浮に帰る、時に女人悦び問て曰く、抑々君は何國の人ぞや。童子曰く、王城の邊の者なり。君は又何の處の人ぞ。女人の曰く、妾は是讃州第一の庁官が娘一国無双の富家の子なりといへども一度冥途に赴きぬれば、誰問ふ人も渚漕ぐ海女の小舟の梶を断へゆくへも知らぬ物思ひ焦れる胸の煙の末、立居苦しき死出の旅を思ひよらぬ君が情け、能くぞや我を救玉ふ、俱に故郷に帰りなば必ず我が國に来たり玉へ、閻王の教へに任せて志度寺を造営せん、と涙を流して別れける。時に童子三年の後に必ず尋行んと云ければ女人歌を詠みける。

「をぼつかな いつをたのまんみとせとは 鶯の聲鹿の初音か」と。

白杖童子返して曰く、

「四方の山 霞める空はいかならん 萩の上風 萩の下露」と詠ずると思へば俱に甦りぬ。

さて互相に奇異の思ひをなし、三年の後を待つに彼の女人をば國中隣國の富人の方より我こそ婿にならん、我こそ嫁に取らんと頻りに望めども少女一つも肯ふ心なし。父母怪しみ思處に三年を過ぎて七月に螺鈿の手箱一合に物を納め讃州に下りて尋るに冥途にて相見て契りし事少しも違はず少女即ち父母に冥路の消息を具に述べ、閻魔王の仰せ、白杖童子大願我が苦患を免れて再び父母に対面せるは此の人の情けなりとて泣く泣く語りければ、父母も大に歎き且つ悦びて、涙をおさへ即ち夫婦の禮をなして不日に志度寺の造営を始めて両年の間に大功を成就し曜宿相応の吉日を擇んで落慶供養を遂げけり。さて願望既に成就して後夫婦俱に出家となりて一生浄く勤め同じく往生浄土の素懐を遂げけるとかや。又此の堂供養の日に二人の猟師あり。當願・暮當と名く。當願は大蛇と成りて満濃池に住み、暮當は此の大蛇より宝珠を得て富人と成りし事別記に詳らかなり。事繁ければ今は略す。(『志度寺縁起絵』においては、当願と暮当という二人の猟師がおり、当願は道場の供養に結縁したが、暮当は狩に出かけた。当願は儀式に参列しながらも狩のことを思ったがため、気を失ってしまい、下半身が蛇となってしまった。心配した暮当が当願を見つけ、請われるがままに満濃池へ背負ってゆき、三日後に暮当が池に行くと大蛇が現れ、自らの眼を抜いて如意宝珠であると渡す。)

又人王八十三代土御門院建仁元年辛酉(1201年)三月十六日山城國広隆寺南大門の住人千歳丸三十七歳病に臥して二十四日の戌時に死し同二十六日の巳時に甦生して曰く、閻魔王宮に至るに閻王の仰せに志度の道場を建立せば再び人間に帰さんとありしかば了承して帰りたるなりと語りけるが、妻子に心を留め徒に年月を経て志度建立の事を延引せしに、或る年の春うたた寝せし夢に地蔵菩薩と覚へし比丘僧に道の衢にて行逢ひたれば告げ玉はく、汝は大願を発すにあらずや、何ぞうかうかとして生涯を送るやと、誡め玉ふに依りて大に驚き妻子を捨てて出家して勧進聖となりて志度の道場を建立すといへり。其の後人王九十四代花薗院の御宇文保元年丁巳(1592年)十二月十八日に讃州三木郡井戸郷(香川県木田郡三木町井戸)の人沙弥阿一,生年五十八、頓死して原郷藤右衛門入道性覚に逢ふに性覚語りて曰く、我が後家の覚阿弥陀仏に告げて銭十貫文(四万五千円)を乞請て志度の本堂を建立せよと云ふ。又一人の老僧来たり玉ひて其の銭を阿弥陀房に預けよと宣べ玉ふ。さて甦りて此れを語り又同じく十九日の夜亥の刻に死し同廿一日卯の刻に甦りて曰く、性覚に誘われて閻魔王宮に到るに大王上は黒く下は赤き御装束にて頂には十一面観音の如くなる佛を戴き御顔赤くして鬚胸まで生ひ下がりたるが出玉ひ告げ玉はく、志度の道場は殊勝の霊地にして我氏寺なり。然るを汝三年の中に彼の堂を修造せんと大願を立ば汝を人間に還すべし、如何、とありければ阿一悦んで曰く、甦生の事は悦び限りなしといへども我貧にして三年の中に彼の堂を建立仕らんこと覚束なしと白すに、大王重ねて曰く、志度には女人なれどもさる氏跡もあるぞかし、只思い立ちて修造すべし。先ずくぎ立をすべしその後は備前國西大寺上福岡の邊に思がけもなき人出来ん、其の人と同心して勧進し修造せよと丁寧に告げ玉ふに依りてありがたく思ひ、承りぬと御受け申し性覚と俱に立出て或宮殿の中に浄玻璃の鏡人頭幢ある處に到りければ閻王の曰く、道場を修造せんと領承白す嬉しさよと感じ玉ひて右の御手を延べ阿一の頂を三度摩で玉ひ御涙をはらはらと落し玉ふ。阿一も骨髄に徹してありがたく思ふに又のたまはく七日留め置て仰せ合せらるべき事ありといへども十八日の夜示さるる事を人疑ふの間早く生路に還し玉ふなり。さて阿観房をば三年の後に是へ迎ふべきなり能く知らすべし、さらばとくとく帰れと暇給り罷り出れば、性覚西門まで送り出て餘波(なごり)惜しみ涙ぐみて阿一が右の袂をひかへ肩に手打掛て暫くありて既に帰る時、涙を抑え申しけるは御邊と相具して故郷に帰るべきに閻王のおゆるしなければ何と思へども叶はぬなり。我人間にありし時は財宝不足なく親類眷属も多かりしかども今は身に副ふもの一人もなし。只功徳善根ばかりこそ冥途の伴とはなりけるとて大に歎きければ阿一も哀れさ弥や増さりて名残り惜しく泣く泣く暇を乞ふ。西の門を罷り出五六町ばかり行きたれば北は高き山野、南は廣き大河あり。中なる道を谷口へ向って登るやうに来れば阿観上人に行き逢ふて嬉しさ限りなくやがて相具して帰ると思へば甦りたるなりと涙を流して語り、閻王の勅に任せて三年の間に志度寺を建立せしとかや。白杖童子、千歳丸、阿一房が事大都同じにして事長ければ詳しく記せず。縁起六巻の中に詳らかなり。見んと願ふ人は志度寺に詣して披閲せよ。閻魔王の氏寺なりと告げ玉ふ事はまことに子細あるにこそあんなれ。尒来三百餘年にして伽藍大破に及びしを寛文年中(1661年から1673年)に前讃州大守従四位上左近衛少将竜雲院殿源英公再興し玉ふ。公諱は頼重松平氏東照大権現の孫なり。信心堅固の名将にて國中の神社佛閣を修復し玉ふ事往昔にも勝れり。志度寺は四国八十八箇所の随一にて天下に隠れなき名刹なり。

 

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