福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

印融法印と中世横浜

2017-10-29 | おすすめ情報
明日10月30日、緑公会堂で公開講座「印融法印と中世横浜」(横浜市内の30の寺院から構成される「印融法印五百回忌実行委員会」主催)が開催されます。講師は横浜市歴史博物館の遠藤廣昭氏と歴史研究家の相沢雅雄氏ということです。参加無料・申込不要(当日先着450人)となっています。また11月6日には「印融さんの足跡をたどるウォーク」も開催され生誕地をはじめ、緑区内に点在する印融法印ゆかりの地を歩く、といいます。こちらは要申込み。ハガキに住所・氏名・【電話】を明記し、〒224-0054都筑区左江戸町2240「印融さんを学ぶ会足跡部会」まで、とされています。
ここにあります。

横浜市緑区観護寺にある印融法印の墓には「横浜市地域史跡。印融法印墓。印融法印(1435~1519)は中世の学僧で現在の三保町の生まれといわれる。「神奈川県史」によれば小机烏山の三会寺で伝法を受け、高野山で研鑽を積み無量光院の院主となった。晩年にいたり関東における真言宗の衰退を嘆き長保二年(1488)頃より関東に帰り三会寺や金沢光徳寺等に住して真言宗の復興に努めた。永正十六年(1519)八月十五日観護寺で没したという。85歳。生来書を好み外出する時は鞍に小机をつけた子牛に乗りながら仏典を読んだという。(五輪塔の一番下の)地輪に「永正十六年己卯季 印融法印 八月十五日」とある。」と書かれています。
密教辞典には「・・・長禄年間三会寺賢継に醍醐流を受け、また能禅方の秘奥を長円・円鎮に受け、後に高野山に住んで無量光院を継ぎ、著述に専念したが、晩年に関東密教の衰微を憂えて武蔵烏山三会寺に住して宗風を広めた。外出するには牛に文箱をつけて乗り、一刻も書物を離さない為、道俗の帰依するもの多く、関東八宗の60余の談林では師の肖像を掲げて毎年供養する。・・著書甚だ多く、『杣保隠遁鈔』(せんぼいんとんしょう)20巻、釈論指南鈔、大疏指南鈔、釈論愚案鈔、釈論安養鈔、・・・両部曼荼羅私鈔、諸尊表白集など事相教相に亘る著述である。」とあります。私も以前三会寺で印融法印様に関する書物をいただきましたがいま紛失してしまっています。惜しいことをしました。しかし「諸尊表白集」はもっておりときどき開いております。
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