今日は空也上人没後1050年に当たります。
天禄3年9月11日(972年10月20日)、京都の六波羅蜜寺において、70歳にて示寂されています。ことしは没後1050年です。
空也上人は衆生の苦しみを何とか軽減したいと種々の方便を施されています。
1,皇代記・天暦五年951に「京畿疫死、光勝(注)十一面観音像を自刻し之に祈る、 疫則ち止む、六波羅寺を創り、像を奉安す」
(注)光勝とは空也上人のこと。疫病の蔓延する当時の京都で、この観音像を車に乗せて引きながら歩き、念仏を唱え、青竹を八葉の蓮片の如く割り茶を立て、中へ小梅干と結昆布を入れ仏前に献じた茶を病者に授け、歓喜踊躍しつつ念仏を唱えてついに病魔を鎮められたという。(現在も皇服茶として伝わり、正月三日間授与している)。(六波羅密寺ホームページ及びウキぺデアによる)
2,また天歴四年950には衆生の疫病災害苦を抜かんと欲して14年かけて大般若経の書写を完成し鴨川で仮設の仏殿を建て六百人の高僧を招して供養ています。「為空也上人供養金字大般若經願文(三善道統)」にあります。https://blog.goo.ne.jp/fukujukai/e/0942206858c05bb100401200341bafd4