福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

「不条理を生きる」

2021-03-26 | 法話

歴史は不条理の堆積物であり、人生は不条理の海に浮かんでいるようなものということは古今東西あらゆる人々を苦しめてきた真理です。人生が不条理ということは「人生は無原則である」ということでもあります。

芥川龍之介も「侏儒の言葉」で「人生は地獄よりも地獄的である」といっています。「地獄の与える苦しみは一定の法則を破ったことはない。たとえば餓鬼道の苦しみは目前の飯を食おうとすれば飯の上に火の燃えるたぐいである。しかし人生の与える苦しみは不幸にもそれほど単純ではない。目前の飯を食おうとすれば、火の燃えることもあると同時に、又存外楽楽と食い得ることもあるのである。のみならず楽楽と食い得た後さえ、腸加太児ちょうカタルの起こることもあると同時に、又存外楽楽と消化し得ることもあるのである。こう云う無法則の世界に順応するのは何びとにも容易に出来るものではない・・」とあります。

以前福聚講のブログでもさんざんこの不条理というテーマは書いてきました。

https://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=&cad=rja&uact=8&ved=2ahUKEwjm1qnw4IHvAhVwyYsBHf1BCkQQFjAAegQIARAD&url=https%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Ffukujukai%2Fe%2F0746c7282df36290d87ae6720a1cb88f&usg=AOvVaw1WIVAWz4bDZN3lNmo9wFKi

そして自身も最近またこの不条理の呪縛に取り込められそうになっていました。「神仏は本当にあるのだろうか?」「般若心経等の『能除一切苦』などという経文は真理なのか?」とまた迷いつつありました。

そこで以前のブログを見返すと「不条理を生きる」という円覚寺管長横田南嶺大老師法話の法話がありました。

 

https://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=&cad=rja&uact=8&ved=2ahUKEwjd_fXjvoHvAhXJyosBHdEnD_IQtwIwAHoECAEQAw&url=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DVWGUdqb3m4w&usg=AOvVaw1OE2TEx40TzTCP4sdHy735

ここでは老師は以下の法話をされていました。

「終戦直後、配給米のみを食べていて餓死した裁判官がいた。此れをある若者が憤って文京区白山龍雲院の小池心叟老師(当時建仁僧堂から普住したばかりの新進気鋭の禅僧であった)を尋ねて、どうして世の中にはこのような不条理ばかりがあるのか‥という趣旨の質問をした。小池心叟老師はするとただ一言『不平等なり』とのみ答えた。この話はあとから小池心叟老師の弟子となった私(横田南嶺老師)が直接、その後小池老師に心酔して龍雲院の檀家となっていたこの若者から聞いた話である。世の中は不条理で満ち満ちている。お釈迦さまも「この世は苦である」とおしゃっている。しかしこの不条理の理由を安直に求めても仕方がない。「不条理を生きる」のである。「無理会(説明不能の処)の処に向かって究め来り究め去るべし(興禅大燈国師遺誡)」。

 

最近ともすれば信仰と不信仰の間を揺れ動く日々でした。身の回りも見ても東日本大震災の無数の犠牲者、事件事故の突然死、幼子の虐待死・・さらに目を動植物にまで転じると日々無数の命が人類の食糧や娯楽の為に奪われてもいます。人類の犠牲にならなくてもこれらの命も相互に食物連鎖で奪われます。私が日々行に使っている樒の葉を見ても青々として立派な葉もあれば割れたり萎んでいる葉もあります。一つ一つの個体をとるとなぜこういう不平等があるのかまさに不条理そのものです。凡夫にはわかるはずもありません。

しかしこの「不条理を生きる」という横田南嶺老師の法話を拝聴して復たやっと元の信仰に戻れるような気がしてきました。

人生いや宇宙そのものが我々の眼には不条理だからこそ信仰が必要である。我々にできることは不条理のまっ只中で道を求め、利他行に励んでいくしかない」と思い直す日々です。

拝めば必ずお蔭がある。

 

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