福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

四国八十八所の霊験その75

2014-07-14 | 四国八十八所の霊験
52番太山寺へは51番から13キロです。いつも道後温泉街にはいると道がわからなくなります。1回目は町中の187号線をとおりましたが迷いました。

 2回目のときは散歩中のおじいさんに道を聞いたのですがよくわかりません。ききかえしていると商店街から店の女将さんらしき人が飛んで出てきました。「わからないでしょう。護国神社にでてそこから川に沿ってどこまでもいくのがいちばん分かりやすいですよ」と地図をさしながらおしえてくれました。2回目はこの道案内どおりに町のはずれの疎水沿いにあるくと遍路道の表示もあるし川の両側にお寺が次々でてくるすばらしい遍路道でした。187号線よりこちらがはるかにいい雰囲気です。

 護国神社から疎水沿いに少し行くと山頭火の一草庵が右手にあります。一草庵は、自由律の俳人である種田山頭火が行乞流浪の旅の果てにたどり着き、昭和15年10月11日に58才で壮絶な人生を閉じるまで暮らしたところです。庵は閑静な住宅街の一角に小春日和の中穏やかにたたずんでいました。「春風の鉢の子一つ」の句碑がありました。たまたま以前NHKテレビをつけると山頭火の特集をやっていたことがあります。この番組によると山頭火は句会の最中に斃れてそのまま他界したということです。山頭火の「四国遍路日記」です「・・とうとうその日――今日が来た、私はまさに転一歩するのである、そして新一歩しなければならないのである。
一洵君に連れられて新居へ移って来た、御幸山麓御幸寺境内の隠宅である、高台で閑静で、家屋も土地も清らかである、山の景観も市街や山野の遠望も佳い。京間の六畳一室四畳半一室、厨房も便所もほどよくしてある、水は前の方十間ばかりのところに汲揚ポンプがある、水質は悪くない、焚物は裏山から勝手に採るがよろしい、東々北向だから、まともに太陽が昇る(この頃は右に偏っているが)、月見には申分なかろう。
東隣は新築の護国神社、西隣は古刹龍泰寺、松山銀座へ七丁位、道後温泉へは数町。
知人としては真摯と温和とで心からいたわって下さる一洵君、物事を苦にしないで何かと庇護して下さる藤君、等々、そして君らの夫人。
すべての点に於て、私の分には過ぎたる栖家である、私は感泣して、すなおにつつましく私の寝床をここにこしらえた。」
 山頭火は四国遍路のあと、御利益をいただいて友人からこの一草庵を貸してもらったのです。まさに遍路のお蔭が出たのです。


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