福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

東洋文化史における仏教の地位(高楠順次郎)・・その21

2020-09-26 | 法話

 いま十万ばかりの借財が残っておりますが、これはその全体の仕事に比べて見れば何でもない。それは二百部売れば償える。何時か売れるだろう、何時か売れたら返せばよい。向うから破産の申請のない限りは安心して進んでいる。それにいろいろの方面からのご厚意あるお助けもありまして、どうかこうか凌いで終りまでいくだろうと思っておりますが、いかない時には無理もない、一文無しでやったのだとお許しが願いたい。今度のを一緒にしたら二百五十万円ぐらいの仕事になるだろうと思います。一文なしで二百五十万の仕事をやったらそれは倒れるのがあたりまえで、倒れても当然とご批判を願いたいのであります。 しかし大刊行物たるに違いないので、これに索引が出来ますと、これはインドを見る鏡のようなもので、インドの研究はシナの一切経を研究しなければ分らぬというて差支えない。それを研究しなければ最後の断案を下すことが出来ないといってよい。思想方面は殊にそうである。インドの思想方面というものがヨーロッパの人の着目している所で、ヨーロッパの倫理も行き詰まり、宗教も行き詰まり、すべてに行き詰まって、それまで馬鹿にしておったインドの説を聴かなければならぬような時期になっている。インドに行って思想を研究しようと思うと、インドの山の中に入らなければならぬ。しかもインド人は西洋人の手では、一向要領を得ることが出来ないが、その思想の写真が一切経という大きなものになって、しかもそれが間違いのない遺憾のないという点まで押し付けての研究が出来る。まず自分で手に握ることの出来るものでインドを研究する。前は歴史的のまた地理的のことはシナの法顕三蔵(中国,東晋時代の隆安3 (399) 年,陸路インド経由でセイロン (現スリランカ) を経て,15年の後海路帰国。『大般泥 洹経』『摩訶僧祇律』等を持ち帰る、「法顕伝」あり)、玄奘三蔵(『大唐西域記』あり)、義浄三蔵(「大唐南海寄帰内法伝」あり)など の書いたものによってインドの研究を始めたのでありますが、今度細かい内容の思想までも知ろうとするにはどうしても一切経に依らなければならぬ。それで北京に於てはバロン・ステール・ホルンスタインがアメリカと連絡をとって研究所を建ててやっておりますが、大きな研究会を作って、ボストンとハーバードと北京とで連絡をとってやっておりますが、どうしても日本を棄てる訳にいかない。というのはこれだけの材料が日本にあり、この材料を読みこなすことはどうしても西洋人には出来ない。どうしてもこれを研究いたしますのには西蔵語を知らなければならぬ。サンスクリットを知らなければならぬ。漢文は自由に読めなければならぬ。また信仰的にも学術的にも相当仏教のことを知っておらなければならぬ(高楠自身は西本願寺の普通教校で学び篤信の真宗信徒で、朝な夕な仏壇に向かい念仏を唱えたという)。だからいくら賢明の西洋人でも一人ではやり遂げることは出来ない。一人仏教の分るものを北京に招致したいということであったので成田昌信君が行っております。材料だけは日本で整理してやりたいという考えでありますが、向うもなかなか放っておかない

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