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福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

Tさんから二十日のお参りでお蔭を頂いたご報告がありました。

2011-02-23 | 頂いた現実の霊験
高原 耕昇僧正様

2月20日のお不動霊場巡拝で、神奈川・大雄山最乗寺参拝では、御指導戴有難うございました。毎度のことになりますが、今回の巡拝でも、仏様、お不動さまの数々の「お蔭」を戴きました。また、私にとっての「大事件」にも遭遇し、これまで、人の痛みを自分の身の痛みとして受け容れることができていなかった自分に痛烈な反省をした次第です。

これも、考えてみれば、僧正様のご指導があったればこそ「目が覚めた」のです。
そのようなわけで感謝のご報告をしたためた次第です。

1、「お蔭その1」です。

 大雄山最乗寺に福聚講で参拝した2月20日は、なんと父親のお命日だったのです。満州の高官だった父とは小学4年生の夏、吉林省・四平でソ連兵に政治犯として連行された時「それじゃあ」といって別れたきり音信不通になりました。

そして昭和23年夏突然厚生省の死亡通知書が届いたのです。厚生省の通知によると、父親は、シベリア経由でウズべク共和国タシケント近くのコーカンド地区政治犯収容病院に収容されで死亡したということでした。しかし詳細な死亡状況の説明は一切有りませんでした。その後、遺骨のない墓を出生地山梨・御坂町に建てました。その為か、実際に葬儀をおこなった母親のほうの供養がどうしても先になり父親の供養は母親のついでという具合で過ごしてきていました。

しかし、今回の巡拝で霊気に満ちた杉林の参道を歩いていた時、「2月20日父命日」をハッと思い出し、身体全身に雷に打たれたような戦慄が走りました。

霊験が、身体にしみこみ思い出させていただけたのでしょうか、初めて、諸堂で真剣に一心に供養の御祈りをしました。まさしくお不動さまがお知らせくださったに違いない、「お蔭」を戴いたに違いないと確信しました。
そして無事にこのあとも巡拝が出来ました。ほんとうにありがたいことでした。

2、「お蔭その2」です。

高原僧正様、講員の皆さんとお別れしたお参りの帰り道、再度私にとって「大事件」に遭遇しました。
小田急線新宿行きの電車に乗り、町田駅に着いたので下車、改札口を出て、JR町田駅改札口に行く途中のコンコースでなぜか心配になり、リュックのポケットに入れておいた、カメラ「CANON G11」を確かめたところ、入れて置いたはずのカメラが無い!のです。

そんな筈はないと、リュックをくまなく探しましたがありません。この瞬間全身血の気が引き、めまいがして先が見えなくなりました。お先真っ暗とはこういうことかと思いました。冷や汗が容赦なく流れだしました。私にとっては、カメラ本体もさることながら内蔵している「SDカード」の映像情報4784枚が宝なのです。「SDカード」には、大切なデータや、貴重な人物写真などあらゆる情報が貯め込まれていて、何物にも換えがたい大切なものです。それが消えたのです。人生が真っ暗になったようにもおもいました。力が抜け、無念さ、悔しさ、慙愧に堪えない虚しく情けない気持ちで一杯になりました。

これまでの私でしたら、ここで、仏様お不動様に「どうしてこんな不条理な目に会わせるのですか?」と、問うてはいけない恨みの問いかけをしたことでしょう。
しかし不思議なことに、今回は仏様、お不動さまに、恨みがましい思いは全く出ませんでした。むしろ、「念彼観音力」「念彼観音力」と繰り返し唱え、冷静になるよう努めたのでした。

この間、小田急電鉄の遺失物案内所で尋ねましたが、届け出は、ありませんでした。仕方なく、覚悟を決めて、家路に向かうことにしましたが、JR町田駅の改札口で、当てにはせずに念のため、遺失物届の有無を訊ねてみたのです。応対に出たのは、若い駅員でした。「カメラ?ああ、つい今しがた、若い女性の方が『10分ほど先に落ちていました』といいこれを持ってきましたよ」と、まさしく私の「CANONG11」を見せられたのです。

この瞬間の喜び嬉しさは筆舌に尽くしがたいものです。若い駅員が、観音様に見えました。有り難い「奇蹟」に、本当に胸が熱くなりました。此の地獄の様な我利我利亡者の世の中にあって、人の落とし物を拾って10分もかけてJR駅の案内所まで、運んで届けてくれた人がいるのです。餓鬼畜生の跋扈する世間の中にあってこんなに善意にあふれた若い女の人がいる。この世の中、捨てたものではないと思いました。何とも言えない感謝と救われた思いに満たされたのでした。

その女性は、名乗らず立ち去ったそうです。ですから、御厚意に報いることはできません。「仏様、お不動様、有り難う御座いました。どうかこの方に大きな福徳をお授けください」と祈ることしか出来ませんでした。

思い起こせば、いつか、高原僧正様が、京都・東寺で、参詣されておられた時、大事なカードや、お金が詰まった財布を失くされ訊ね捜したところ、不動堂の前に二つに折られて落ちていて無事だったと聞きました。そしてお礼にお不動様にお賽銭を大奮発したところその直後、その額の数10倍のお金が某所から送られてきた、というお話を聞いたことがあります。私はこのときは、ただ興味半分に、軽い気持ちで聞き流してしまいましたが、しかし、今回の事で、思い知らされました。人の事を、ただ傍観者的に軽く聞き流していていけない。人の事を、わが身のことと同じように受け止め、悦びも苦しみもできるだけ共にするようにしなければならないのだ。そして仏様にも、お不動様にも、一緒に報恩の祈りを捧げなければならない、と改めて教えて戴いたのだと思います。


今回の此の2つの「霊験」も僧正様に御指導を頂いてなければ、こんな「奇蹟」を戴くことは無かったのだろうと思いました。
高原僧正様に改めてお礼を申し上げる次第であります。

  T.K




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