原文「
第五の秘蔵真言分に、五有り。(だいごのひぞうしんごんぶんに、いつつあり。
初めのギャテイは、声聞の行果を顕わし。(はじめのぎゃていは、しょうもんのぎょうかをあらわし、
二のギャテイは、縁覚の行果を挙げ、(にのぎゃていは、えんかくのぎょうかをあげ、
三のハラギャテイは、諸大乗最勝の行果を指し、(さんのはらぎゃていは、しょだいじょうさいしょうのぎょうかをさし、
四のハラソウギャテイは、真言曼荼羅具足輪円の行果を明かし、(しのはらそうぎゃていは、しんごんまんだらぐそくりんねんのぎょうかをあかし、
五のボウジソワカは、上の諸乗究竟菩提証入の義を説く。(ごのぼうじそわかは、かみのしょじょうくきょうぼだいしょうにゅうのぎをとく。
句義、是の如し。(くぎ、かくのごとし。
もし字相義等に約して之を釈せば、(もしじそうぎとうにやくしてこれをしゃくせば、
無量の人法等の義有り。(むりょうのにんぽうとうのぎあり。
劫を歴ても尽し難し。(こうをへてもつくしがたし。
もし要問の者は、法に依って更に問え。(もしようもんのものは、ほうによってさらにとえ。
頌に曰く、
じゅにいわく
真言は不思議なり
しんごんなふしぎなり
観誦すれば無明を除く
かんじゅすればむみょうをのぞく
一字に千理を含み
いちじにせんりをふくみ
即身に法如を証す
そくしんにほうじょをしょうす
行行として円寂に至り
ぎょうぎょうとしてえんじゃくにいたり
去去として原初に入る
こことしてげんしょにいる
三界は客舎の如し
さんがいはかくしゃのごとし
一心はこれ本居なり
いっしんなこれほんこなり
訳・・般若心経の第五章に当たる部分「 故 説般若波羅蜜多咒 即説呪曰羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶」を秘蔵真言部という(秘蔵というのはは声聞・縁覚・大乗すべての教えと種行の結果がここの般若菩薩のご真言のなかにあるので「秘蔵」といっている)がここを細分すると、五に分かれる。
第一の「羯諦」は、声聞の修行の結果をあらわし、
第二の「羯諦」は、縁覚の修行の結果をあげ、
第三の「波羅羯諦」は、大乗のすぐれた修行の結果を指し、
第四の「波羅僧羯諦」は、真言・曼荼羅を修行した密教の結果を明らかにし、
第五の「菩提薩婆訶」は、声聞・縁覚・大乗・真言のすべての修行者の究極的な悟りの境地をしめしている。
心経の文字上の各句の表面的な意味は、以上のとおりである。
しかしもし一一の句の深い意味内容などに基づいて、詳しく解釈するならば、
人に関しても・法に関しても測り知れない意味がある。
これらについては、どんなに長い時間をかけても、論じつくすことは難しい。
もし疑問のあるものは、密教の修行を経た上で、さらに真言の法則にしたがってさらに源底をきわめるがよい。
頌にいう。
真言の功徳というものは、実に不思議なものである。
真言を観想しあるいは読誦したならば、苦のもととなっている無知の闇が除かれる。
真言のわずか一字の中に、無量の真理がふくまれる。
そうして、真言を観想し読誦することによって、汚泥中のこの身のままで真理を現出してさとることができる。
「羯諦 羯諦」と行き行きて、円かな涅槃の境地に至り、
「羯諦 羯諦」と去り去りて、心の原初に帰る。
悟れば三界は、仮の宿である。
本来の住処はわれわれの「心」である。
第五の秘蔵真言分に、五有り。(だいごのひぞうしんごんぶんに、いつつあり。
初めのギャテイは、声聞の行果を顕わし。(はじめのぎゃていは、しょうもんのぎょうかをあらわし、
二のギャテイは、縁覚の行果を挙げ、(にのぎゃていは、えんかくのぎょうかをあげ、
三のハラギャテイは、諸大乗最勝の行果を指し、(さんのはらぎゃていは、しょだいじょうさいしょうのぎょうかをさし、
四のハラソウギャテイは、真言曼荼羅具足輪円の行果を明かし、(しのはらそうぎゃていは、しんごんまんだらぐそくりんねんのぎょうかをあかし、
五のボウジソワカは、上の諸乗究竟菩提証入の義を説く。(ごのぼうじそわかは、かみのしょじょうくきょうぼだいしょうにゅうのぎをとく。
句義、是の如し。(くぎ、かくのごとし。
もし字相義等に約して之を釈せば、(もしじそうぎとうにやくしてこれをしゃくせば、
無量の人法等の義有り。(むりょうのにんぽうとうのぎあり。
劫を歴ても尽し難し。(こうをへてもつくしがたし。
もし要問の者は、法に依って更に問え。(もしようもんのものは、ほうによってさらにとえ。
頌に曰く、
じゅにいわく
真言は不思議なり
しんごんなふしぎなり
観誦すれば無明を除く
かんじゅすればむみょうをのぞく
一字に千理を含み
いちじにせんりをふくみ
即身に法如を証す
そくしんにほうじょをしょうす
行行として円寂に至り
ぎょうぎょうとしてえんじゃくにいたり
去去として原初に入る
こことしてげんしょにいる
三界は客舎の如し
さんがいはかくしゃのごとし
一心はこれ本居なり
いっしんなこれほんこなり
訳・・般若心経の第五章に当たる部分「 故 説般若波羅蜜多咒 即説呪曰羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶」を秘蔵真言部という(秘蔵というのはは声聞・縁覚・大乗すべての教えと種行の結果がここの般若菩薩のご真言のなかにあるので「秘蔵」といっている)がここを細分すると、五に分かれる。
第一の「羯諦」は、声聞の修行の結果をあらわし、
第二の「羯諦」は、縁覚の修行の結果をあげ、
第三の「波羅羯諦」は、大乗のすぐれた修行の結果を指し、
第四の「波羅僧羯諦」は、真言・曼荼羅を修行した密教の結果を明らかにし、
第五の「菩提薩婆訶」は、声聞・縁覚・大乗・真言のすべての修行者の究極的な悟りの境地をしめしている。
心経の文字上の各句の表面的な意味は、以上のとおりである。
しかしもし一一の句の深い意味内容などに基づいて、詳しく解釈するならば、
人に関しても・法に関しても測り知れない意味がある。
これらについては、どんなに長い時間をかけても、論じつくすことは難しい。
もし疑問のあるものは、密教の修行を経た上で、さらに真言の法則にしたがってさらに源底をきわめるがよい。
頌にいう。
真言の功徳というものは、実に不思議なものである。
真言を観想しあるいは読誦したならば、苦のもととなっている無知の闇が除かれる。
真言のわずか一字の中に、無量の真理がふくまれる。
そうして、真言を観想し読誦することによって、汚泥中のこの身のままで真理を現出してさとることができる。
「羯諦 羯諦」と行き行きて、円かな涅槃の境地に至り、
「羯諦 羯諦」と去り去りて、心の原初に帰る。
悟れば三界は、仮の宿である。
本来の住処はわれわれの「心」である。