原文「
第四の、総帰持明分に、また三有り。名・体・用なり。(だいしの、そうきじみょうぶんに、またみつあり。みょう・たい・ゆうなり。
四種の呪明は、名を挙げ、(ししゅのしゅみょうは、にょうをあげ、
「真実不虚」は、体を指し、(「しんじつぷこ」は、たいをさし、
「能除諸苦」は、用を顕す。(「のうじょしょく」は、ゆうをあらわす。
名を挙ぐる中に、初めの「是大神呪」は、声聞の真言、(なをあぐるなかに、はじめの「ぜだいじんしゅ」は、しょうもんのしんごん、
二は、縁覚の真言、三は、大乗の真言、(には、えんかくのしんごん、さんは、だいじょうのしんごん、
四は、秘蔵の真言なり。(しは、ひぞうのしんごんなり。
もし通の義を以ていわば、一一の真言に皆四名を具す。(もしつうのぎをもっていわば、いちいちのしんごんにみなしみょうをぐす。
略して一隅を示す。円智の人、三即帰一せよ。(りゃくしていちぐうをしめす。えんちのにん、さんそくきいちせよ。
頌に曰く、
じゅにいわく
総持に文・義あり。忍・呪悉く持明なり。
そうじに もん・ぎ・あり。にんじゅことごとくじみょうなり
声字と人法と
しょうじとにんぽうと
実相とにこの名を具す
じっそうとにこのみょうをぐす
訳・・般若心経の第四章の部分「故知般若波羅蜜多 是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪 能除一切苦 真実不虚」を総帰持明分(すべての教えは真言陀羅尼・持明に帰するとする部分)というが、ここには三つのカテゴリーが説かれている。真言の名称(名)と本質(体)と作用(作用)である。
「是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪」では、真言に対する四種の(名)を挙げ、
「真実不虚」は、真言の本質(体)を指し、
「能除一切苦」は、その作用(用)を表している。
真言の名称をあげているなかの、最初の「是大神呪」は、声聞の真言、
第二の「是大明呪」は、縁覚の真言、
第三の「是無上呪」は大乗の真言、
第四「是無等等呪」は、秘蔵すなわち密教の真言に当てはめることができる。
もしも全体的見地から言えば、一つ一つの真言には、潜在的にはいずれもこの四種類の名をそなえているといえる。
省略して、その一面のみの名を以て示しているのである。完全な智慧を備えている人は、一つの真言に、他の三つの名がそなわっていることを理解すべきである。
頌にいう。
陀羅尼には、文陀羅尼(無量の経典を暗記してわすれない陀羅尼)、義陀羅尼(無量の経典の意味をわすれない陀羅尼)、忍陀羅尼(無生忍すなわち悟りの智慧を得る陀羅尼)、呪陀羅尼(あらゆる霊験を生み出す陀羅尼)の四種があるが、心経の「是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪」にはすべてこの効能をそなえており、すべて持明(不思議な効力を持つ陀羅尼)であるといえる。
宇宙の全存在は声・文字(真言の語密にあたる)・人(真言の身密にあたる)・法・実相(真言の意密にあたる)の五つであらわされるが、究極的にはこの五種それぞれにこの四陀羅尼の効能が備わっているのである。
第四の、総帰持明分に、また三有り。名・体・用なり。(だいしの、そうきじみょうぶんに、またみつあり。みょう・たい・ゆうなり。
四種の呪明は、名を挙げ、(ししゅのしゅみょうは、にょうをあげ、
「真実不虚」は、体を指し、(「しんじつぷこ」は、たいをさし、
「能除諸苦」は、用を顕す。(「のうじょしょく」は、ゆうをあらわす。
名を挙ぐる中に、初めの「是大神呪」は、声聞の真言、(なをあぐるなかに、はじめの「ぜだいじんしゅ」は、しょうもんのしんごん、
二は、縁覚の真言、三は、大乗の真言、(には、えんかくのしんごん、さんは、だいじょうのしんごん、
四は、秘蔵の真言なり。(しは、ひぞうのしんごんなり。
もし通の義を以ていわば、一一の真言に皆四名を具す。(もしつうのぎをもっていわば、いちいちのしんごんにみなしみょうをぐす。
略して一隅を示す。円智の人、三即帰一せよ。(りゃくしていちぐうをしめす。えんちのにん、さんそくきいちせよ。
頌に曰く、
じゅにいわく
総持に文・義あり。忍・呪悉く持明なり。
そうじに もん・ぎ・あり。にんじゅことごとくじみょうなり
声字と人法と
しょうじとにんぽうと
実相とにこの名を具す
じっそうとにこのみょうをぐす
訳・・般若心経の第四章の部分「故知般若波羅蜜多 是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪 能除一切苦 真実不虚」を総帰持明分(すべての教えは真言陀羅尼・持明に帰するとする部分)というが、ここには三つのカテゴリーが説かれている。真言の名称(名)と本質(体)と作用(作用)である。
「是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪」では、真言に対する四種の(名)を挙げ、
「真実不虚」は、真言の本質(体)を指し、
「能除一切苦」は、その作用(用)を表している。
真言の名称をあげているなかの、最初の「是大神呪」は、声聞の真言、
第二の「是大明呪」は、縁覚の真言、
第三の「是無上呪」は大乗の真言、
第四「是無等等呪」は、秘蔵すなわち密教の真言に当てはめることができる。
もしも全体的見地から言えば、一つ一つの真言には、潜在的にはいずれもこの四種類の名をそなえているといえる。
省略して、その一面のみの名を以て示しているのである。完全な智慧を備えている人は、一つの真言に、他の三つの名がそなわっていることを理解すべきである。
頌にいう。
陀羅尼には、文陀羅尼(無量の経典を暗記してわすれない陀羅尼)、義陀羅尼(無量の経典の意味をわすれない陀羅尼)、忍陀羅尼(無生忍すなわち悟りの智慧を得る陀羅尼)、呪陀羅尼(あらゆる霊験を生み出す陀羅尼)の四種があるが、心経の「是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪」にはすべてこの効能をそなえており、すべて持明(不思議な効力を持つ陀羅尼)であるといえる。
宇宙の全存在は声・文字(真言の語密にあたる)・人(真言の身密にあたる)・法・実相(真言の意密にあたる)の五つであらわされるが、究極的にはこの五種それぞれにこの四陀羅尼の効能が備わっているのである。