福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

今日は大師が「元興寺の僧中璟が罪を赦んことを請う表」を書かれた日です。

2024-07-26 | お大師様のお言葉
今日弘仁五年閏七月二十六日は大師が「元興寺の僧中璟が罪を赦んことを請う表」を書かれた日です。
「沙門空海言す。空海聞く、刑を緩うするの文顕はれて前書にあり。責を宥むるの言、嚢策(昔の書)に聞こえたり。之を以て草纓艾韠(そうあいがいひつ、尭舜の世の獄衣)、美を垂拱の年に揚げ(獄衣を着せただけで世が治まるという美風)、赭衣畫冠(しゃいがかん、秦時代、赤い獄衣と冠に罪名を書くもの)、誉を無為の日に流す。伏して惟んみれば皇帝陛下慈み春の風に過ぎ、恵み夏の雨に踰えたり。至考の名、潜龍の夕べに騰り(即位前)、弘仁の名、御鳳の朝に播す。天地感応して風雨違はず。四海康哉にして百穀豊稔なり。それ鄧林(とうりん、大森林)の幹の中にはかならず枯れたる枝有り。無為の化の下に桎枷なきにあらず。伊祁(いき、堯の姓)の子、聖考に肖ず(堯の子の丹朱は不肖であった)。瞿曇の息、父に似ず(お釈迦様の子の羅ご羅はお釈迦様ほど覚れなかった)。金石・薫蕕(金と石、良い香りの草と、悪い香りの草)は物の対なり。賢聖愚頑なんぞ能く相離れん。伏しておもんみれば、元興寺の僧、伝燈法師位中璟は戒行を護らず、国典を慎まず、身堀川に投ずべし。
ひそかにその罪過を尋たずぬれば、すなわち死しても余りの辠つみあり、その犯臓(犯罪)を論ずれば、すなわち砕くだきてもなお未いまだ飽ず。ただ一巳の身を亡ぼし名を失うのみにあらず、抑々また仏法を汚穢し、王制を違越す。下愚は移らず、とは蓋しこの謂いか。
春生し、秋殺するは天道の理なり。罪を罰し、功を賞するは王者の常なり。しかりといえども冬天に暖景なくば、梅麦なにをもってか花を生ぜん。法を守りて盗を賞せずんばすなわち秦人何を以てか美をなさん。いわにゃまた大樹仙人、迹を曲城に廻らし(大樹仙人は曲女城の王宮の美女に惑い)、慶喜道者けいきどうしゃ、悩を鄧家とけに被る(阿難尊者(慶喜)が摩登伽女に誘惑される)。往古の賢人なおまだ未だ免れず。濁世の凡夫あにあやまちなきことを得んや。過を恕して新ならしむるこれを寛大といひ、罪を宥めて臓を納る、これを含弘と称す。苦を見て悲を起こすは観音の用心、危きを視て身を忘るるは仁人の務るところなり。
伏して乞ふ。陛下、網を解いて辜に泣き、纓を絶って仇に報ひたまへ。秦の政がかならず罪するを去けて、周成の刑を措くことをとりたまえ(周の成康は刑罰を行わなかった)。さらに天下と与んじて新ならしめよ。しかればすなわち木石も恩を知り、人鬼も感激せん。空海このことを聞きしより、腹廻り、魂飛ぶ。口に食味を忘れ、心安禅ならず。明らかに知んぬ、身賤うしては言行われず。口開きては災禍入るということを。しかりといえども身をもって物に代うるに任えず。軽しく威厳を黷けがす。伏して深く戦越す。
沙門空海誠惶謹言
弘仁五年閏七月二十六日 某上表」
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