観自在菩薩冥應集、連體。巻2/6・6/24
六紀州慈尊院勝利寺の観音癩病の身代わりに立玉ふ事。
紀州伊都郡慈尊院勝利寺の本尊十一面観音は弘法大師四十二歳の御時に彫刻し玉ふ厄払の観音と云傳たり。本堂大師よりも以前より有りつる古堂なりといへり。昔石佐権守といふ武士あり。久しく癩病を病みて苦しみ種々に療治するといへども効なきによって業病なりと悲しみ長谷寺の観音に詣で三七にち籠り祈誓するに満ずる夜の夢に告げ玉はく、紀州勝利寺の観音に歎き申せば平癒する事あらんと。正しく御示現を蒙りて悦び急ぎ帰りて勝利寺に籠りて祈る事又三七日せしかば夢中に観自在菩薩妙相端厳にして告玉はく、汝が疾は業病にして卒爾に癒へがたし。然れども汝至心に祈るが故に我汝を憐みて身代わりに立ちて苦を受くべし。必ず其の効あらんと宣たまふ。夢覚めて邊身汗を流してありがたく夜明くるを遅しと急ぎ尊像を拝し奉るに御胸の間より御脇の下に至る迄癩病の色顕れ出て、権守は病不思議と平癒せり。あまりにありがたく勿体なく思ひ十一面の尊像を同じ様に作り内陣に安置して願はくは此の新像に病を移玉へと深く悲しみ祈りけれども其の尊像には移り玉はず。今に其のままにてありとかや。浩る不思議の尊像なれば諸人信を凝らし毎年正月十七日七月十七日には高野の僧侶、一國の男女袖を列ねて参詣する事今にたへず。大師御作の尊像なれば殊に奇妙の利益あるものなり。盲目と癩病とは業病なるが故に世の医師の力にては治する事あたはず。若し如意宝珠を以て照らす時は即ち癒ゆる事を得と智度論に見たり(大智度論釋校量舍利品第三十七)。誠に菩薩の如意珠王身の利益なり。
筑後の國の天木の地蔵菩薩、尼の悪瘡の身代わりに立玉へると霊応同じきものなり
予今茲四十二齢にして老苦病苦身に迫る。死出の山、三途の旅近きて後世の伴侶すべてなし。過去の戒善の功徳は現生に用竭しぬ。虚しく信施を費して恐れざれば現在檀越の福田となること能はず。屡聖禁に違して恥ずる事なければ未来奈落の苦果をいかんともする事なし。若し地蔵観音の闡提救世の力を憑み奉るにあらずんば争でか獄卒の笞箠を免るる事を得ん。是に依りて流れる涙を硯の海に湛へ見る目嗅ぐ鼻の怒りをも慈悲の御皃(かおばせ)に柔げ、剣の枝、鐵の丸(まろかし)をも忍辱の衣にて揜ひ玉はんことを希ねがひ鄙しき言葉を慚ず。大士の妙応を記して後葉に傳ふるものなり。