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福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

観自在菩薩冥應集、連體。巻5/6・16/39

2025-06-25 | 先祖供養

観自在菩薩冥應集、連體。巻5/6・16/39

十六丹波穴穂寺の聖観音附けたり佛像を造る法式の事

丹州桑田村(亀岡市)菩提寺聖観音の像は御長三尺宇治宮成(曽我部郷の郡司)が願主、佛工感世(かんせい)が造る所なり。この仏師は仏像を彫刻するをなりはひとすると雖も余暇には常に法華を読む事一両巻或は一品二品、多く暇あるときは或は一部を終ふ。又日課として普門品三十三巻を誦すること怠る日なし。丹波國桑田郡に宇治宮成と云者あり、感世を雇ひて聖観世音の尊像を造らしむ。像成りて後、感世に厚く其の価を償ふ。仏師悦びて都に還るに宮成忽ちに思はく、我価を与ふる事甚だ過ぎたりと惜しむ心生じて、追って大江山に至り感世を殺して財を奪って帰り快しと思ひて後に観音を拝み奉れば肩の上に刀疵あって血流して地に凝る。宮成怪しみ怖れて、我は仏師を斬るに尊像に疵あること如何と。俄かに使ひを馳せて感世を見せしむるに恙なくして佛を造れり。宮成大に驚きて急ぎ感世が家に往きて奪へる財物を悉く還し與へて所以を語るに、感世が曰く、我は大江山に於て盗人に逢て金銀衣服悉く取らる。今君が語るを聞けば大悲菩薩我に代わりて疵を負ひ玉へりとて二人ともの涙を流し是より二人刎頸の交はり盟ひ、宮成も出家して家を捨て菩提寺を建てて観音の像を安置せり。俗に是を穴穂寺と云ふ。(今昔物語集巻十六丹波国郡司造観音像語 第五「今昔、丹波の国桑田の郡に住ける郡司、年ごろ宿願有るに依て、「観音の像を造奉らむ」と思て、京に上て一人の仏師を語ひて、其の料物を与へて懃に語ふ。仏師、造るべき由を受て、料物を取つ。郡司、喜びて、国に返ぬ。此の仏師の、心に慈悲有て、仏を造て世を渡ると云へども、幼の時より観音品を持て、必ず日毎に卅三巻を誦しけり。亦、月毎の十八日には、持斎して、懃に観音に仕りけり。而るに、此の仏師、郡司の語ひを請て後、三月許を経る間に、郡司思係けざる程に、此の観音極て美麗に造り奉て、仏師、具して郡司が家に将奉たり。此の如くの物は、料物を請取たりと云へども、約を違へて久く程を経る事常の事也。而るに、思係けず、此く疾く造奉れるに合せて、仏を思ひの如く美麗に造て、将奉れば、郡司、限無く喜て、「此の仏師に何なる禄を与へむ」と思ふに、身不合にして与ふべき物無し。只具たる物は、馬一つ也。黒き馬の年五六歳許なるが、長さ八尺許也。口和にして、足固し。道吉く行て、走り疾し。物驚き為ずして、疲難し。諸の人、此の馬を見て欲がると云へども、郡司、此れを限無き財と思て、年来持たるに、此の仏師の喜しさに、「然は、此れを与へてむ」と思て、自ら引出して与つ。仏師、極て喜て、鞍を置て乗て、本乗たりつる馬をば引かせて、郡司が家を出でて、京に上ぬ。此の馬をば、居る傍に立てて飼ひつるに、其の厩に草など食ひ散したるを見るに、此の郡の司の、恋しく悲く思ひて、忽に渡しつる事、悔しき事限無し。片時思ひ延ぶべくも非ず。燋り糙む様に・・思へども、更に思ひ止まずして、遂に親し・・て云く、「・・徳の為に此の馬を宛つれども、更に・・我を思はば、此の馬を取返て来なむや。盗人の様を造て、仏師を射殺して、必ず取て来れ」と。郎等、「安き事也」と云て、弓箭を帯して、馬に乗て、走らせて行きぬ。仏師は直き道より行く。郎等は近き道より前立て、篠村と云ふ所に行て、栗林の中に待立てり。暫許有て、仏師、此の馬に乗て馳せて来る。郎等、「心踈き態をもせむと為るかな」と思へども、憑みを係けたりし主の云ふ事、背き難ければ、弓に疾雁箭(とがりや)を番て、向ひ様に走らせて、仏師に押し向けて、弓を強く引て、四五丈許の程にて射むには、何にしにかは放(はな)さむ。臍の上の方を背に、箭尻を出しつ。仏師、仰け様に箭に付落ぬ。馬は放れて走るを、追ひ廻して、捕へて返て、主の家に将行ぬ。郡司、此れを見て、喜ぶ事限無し。本の如く傍に立てて、撫で飼ふ。其の後、日来を経るに、仏師の許より尋る事も無ければ、「怪し」と思て、此の郎等を京へ上げて、仏師の家に遣る。「『何事か御する。久く案内を申さねば、不審(おぼつかな)くなむ』と云へ」と教へて遣たれば、郎等、京に上て、然る気無くて、仏師の家に這入たれば、其の家は引入れて造たるに、前に梅木の有るに、此の馬を繋て、人二人を以て撫させて、草飼はせて、仏師は延に見居たり。馬、有しよりも・・肥にけり。 郎等、此れを見て、奇異(あさまし)く思ふ事限無し。射殺してし仏師も有り、取返してし馬も有れば、「若し僻目か」と思て守り立てるに、仏師も鮮に有り、馬も違はねば、肝迷ひ心騒ぎて、「怖ろし」と思ふと云へども、郡司の言を語る。仏師の云く、「何事も侍らず。此の馬を万の人の欲がりて、買はむと申せども、馬の極たる一物なれば、売らずして持て侍る也」と。郎等、尚、「奇異」と思て、此の事を疾く主に聞せむ為に、走るが如くにして返り下ぬ。主の許に怱ぎ行て、此の事を語る。郡司も此れを聞て、「奇異」と思て、厩に行て見るに、忽に此の馬見えず。郡司、恐ぢ怖れて、観音の御前に参て、「此の事、懺悔せむ」と思て、観音を見奉れば、観音の御胸に箭を射立奉て、血流れたり。即ち、彼の郎等を呼て、此れを見せて、共に五体を地に投て、音を挙て泣き悲む事限無し。其の後、二人乍ら、忽に髻を切りて出家しつ。山寺に行て、仏道を修行しけり。其の観音の御箭の跡、于今開て塞がらず。人、皆参て、此れを礼み奉つる。仏師の慈悲有るを以て、観音代に箭を負ひ給ふ事、本の誓に違はねば、貴く悲き事也。心有らむ人は必ず参て、礼み奉べき観音に在すとなむ、語り伝へたるとや」。

三十三所第二十一番の名濫なり。(釈書幷宝物集)。

秘密経軌の中に佛菩薩明王天等の像を作るに價をねぎる事なかれ、仏師には精進潔斎せしめ日々に八斉戒を受持せしめ、膠を用ふべからずと云へり(文殊師利菩薩六字呪功能法經「其畫匠人受八戒。不用膠畫文殊師利菩薩。」等)。是の如く清浄にすれば其の像の霊験速疾なり。然して感世日に普門品を誦する者なれば其の志の清きこともはかり知るべし。宮成も罪を悔ひて懺悔せしかば此の像今に至る迄霊験掲焉なるものなり。此の頃関東に一人あり。京西山御室に住せる仏師法橋北川運長(京都を中心に宝暦年間に活動していた仏師。浄厳や弟子の蓮体に関わる造像を数多く担っていた。高野山の仁王像や善通寺の薬師如来像を作る。霊雲寺(東京)にも北川の仏像がある)に頼みて不動三尊を長五寸に作らしめたれば事の外に見事に出来せり。霊雲寺浄厳和尚を労して開眼供養せしめ悦びて持して家に帰りて信仰浅からず。或る時熟と拝して思ふやう此の小像なるに仏師が多く價を取る事奇怪なりと、悋心生じければやがて制多迦童子取り付き玉ひて狂気し口ばしるやう、小像なればとて威徳は無きものか、憎き奴かな取り殺すべしと怒り玉ふを、親類共集まりて種々にわびごとせしかば病癒へぬ。其の後一月餘を経て又像を拝して思ふやう、さても欲の深き仏師めかな、これほどの小さき像を金子一分か二分にては作るべきを三両まで取られたるこそ安からねと思ふに、又制多迦童子取り付き玉ひて種々に口走りて止まず。父母妻子大に歎き愧じて詫びこれせしかど這般は遂に取り殺し玉ひぬ。諸人恐れ尊びて言ひけるは仏師も膠を用ひず丁寧に作り開眼の阿闍梨も高徳なれば末世なりといへども不思議の霊験ありと羞じ懼れけり。されば佛を造るには價をねぎらず清浄にすべきことなり。故和尚運長をして佛像を作らしめ玉ふ時は必ず潔斎せしめ酒肉五辛を禁じ房事を断ち膠を用ひしめず。故に尊像にも霊応あるものか。

 

 

 

 

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