観自在菩薩冥應集、連體。巻5/6・26/39
二十六薬師地蔵を念じて盲目明らかになる事
昔設楽京蓼原村に盲目の女人あり。一人の女子を生ず。家甚だ貧なり。里に薬師如来の霊像あり。母子二人常に参詣して眼を開かしめ玉へと祈る。或る時佛像の胸より桃の脂の如き物忽然として流れ出つ゛。女子不思議に思ひ母に告るに母の曰く試に取り来たれと。即ち取りて母に與ふるに嘗れば甚だ甘し。是神藥ならん、と思ひ両の眼に塗るに双眼忽ちに明らかになりければ母子共に涙を流して悦び一生の間怠りなく薬師如来を礼拝供養して恩を奉じ奉りけると釈書に見へたり。
(「元亨釈書巻廿九」「設楽京蓼原村に盲女人あり。一女子を生む。家甚だ貧し。里中に薬師の霊像あり。二人像に向って詣拝して眼を開かしむことを祈る。一時佛像の臆より桃の脂の如くなる物忽然として沸き出つ゛。女子怪しみ母に告。母曰く、取り来たれと。子取りて母に與ふ。母之を食せば甚だ甜し。両眼にぬるに即ち開く。」)
又元禄十四年(1701年)の夏和州矢田寺(奈良県大和郡山市にある寺院で、日本の地蔵信仰の発祥)の地蔵尊江戸一涯の八幡宮にて開帳あり参詣の人夥しく種々の霊験を蒙りし中に或旗本の武士、嫡子を生ずるに盲目なれば冑子(ちゅうし。跡取り)とすることあたはず。大に歎きて矢田の地蔵に七日詣でを始めければ七日に満ずる日に両目即ち明になりぬ。
又或る童子生身の盲目なるに此れも三七日詣でを始めて、祈誓懺悔せしかば、一七日を過ぎて眼少し見ゆ。悦びて倍す寶号を唱ふる程に三七日を満ずる日、両眼すきと明になりぬと。予其の年江戸に在りて安居し、時節地蔵本願経を講讃せしかば此の二條を聞て随喜称嘆せり。(地蔵本願経
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