9月22日曇りのち雨。ずっと雨がないので下界は大変だろうとふと思い水神さまの前で何気なく少し雨をふらせてくださいとお願いすると小雨が降り始めました。舎心嶽のかえりみち八十八箇所の写しの霊場が坂に沿ってありますがその65番の前で突然錫杖の輪が1つはずれてカランカランと音をたて草叢の暗闇に消えました。仰天しました。3回の四国遍路で転倒しそうなところを何度も助けられまた秩父、坂東なども導いていただいた大切な杖です。これは仏様のどういうお諭しなのか考えましたが分かりません。そういえば四国を最初に回ったときも身につけていた大切な父の形見の輪袈裟の房がいつのまにかとれていたことがありました。このときも愕然としました。行をするときはそこになにか大切なものをおいていくことを求められているのかもしれないと思いました。そしてさらに、今回65番善通寺というお大師様ご誕生の寺の前で輪が落ちたのはここにお供えをさせていただいたのだと思いました。それにしても大変粛然とさせられた出来事でした。
越智淳仁「密教瞑想からよむ般若心経」では釈迦様が魔王に「(私は)諸仏に無量の供養をし善行の徳を積んできた。今当に全ての生きとしいけるものを救うために最高の悟りを得ようとしているのだ」おっしゃるところが出てきます。自分ひとりが助かるためでも大変な徳が必要なのにましてや全ての生きとし生けるものを救うには想像を絶する供養がいるものなのでしょう。今回の事はこういう供養に当たるかどうかは疑わしいのですがなにがしかのお供えになればと思い直しました。
越智淳仁「密教瞑想からよむ般若心経」では釈迦様が魔王に「(私は)諸仏に無量の供養をし善行の徳を積んできた。今当に全ての生きとしいけるものを救うために最高の悟りを得ようとしているのだ」おっしゃるところが出てきます。自分ひとりが助かるためでも大変な徳が必要なのにましてや全ての生きとし生けるものを救うには想像を絶する供養がいるものなのでしょう。今回の事はこういう供養に当たるかどうかは疑わしいのですがなにがしかのお供えになればと思い直しました。