地蔵菩薩三国霊験記 7/14巻の5/8
五、逆縁罪を免る事、付けたり鳴海の地蔵の事
尾張國鳴海と云處に住ける俗あり。當國の守護にて下向しけるに自ら根性不道にして貪欲厚く極重悪人なり。藤原元命の朝臣とて近代世にかくれなき仁なり。當國管領の後は公田を掠めをどし寺社本主の所帯を押領して後家女子等を没収しければ公物費多くして私の用意巨多なりされば諸人をそれをなし民の歎き多くして元命一等の國とぞ成りにけりされば悪人なども世間の法を破りがたくや思ひけん或人の方へ忍びて通ひける程に馬は叶はざる處にて夜々歩にて郎僮五六人召し具して人目をつつんで行けるに折節は霜月二十日あまりの事なるに未明に忍び出て皈りければ、夜比の薄雪鹿子斑にふりしきて有明のほそく残る月影に河も小沢もうす氷、道も中々歩きがたきに地獄澤と云ふ小河の邊にのぞむとて渡らん事を憂へて高き卒の都婆のありけるを若者ども二三人走りかかりて押し倒して橋に渡して其の上をぞ通りける。彼の卒都婆の面に地蔵薩埵を彫りたりしが若黨の中に見付け奉り、あな浅間敷地蔵の御座りしをしらずして踏みけることよと云へば、主人が聞ひて、何条地蔵と云はと呵しけるほどに或は笑ひ或はあなどり同音に地蔵々々と幾度も嘲りぬ。後にはかぎりなき結縁とぞ成りにけり。其の後主人大病をうけて終に生涯を果しぬ。郎等に為家と申すものも同じく卒病にて失せにけり。されば凢そ一生の間の所作の業一時に攻め来たり百千の悪鬼雲霞の如く集まり迎来て追立行き大殿の前に引きすへたり。庭上に踞き見ければ大殿の左に二十丈の八面八角の玉の幡ほこを立てられたり。其の上に人頭あり各々八方に幢幡あり人頭よく三千世界を只一目に見るに猶明かなり。右には大寶幡をかけその手半天に翻る。大王御座の左に秤あり善悪牛角(ごかく)の輩をはかりみる。右の方に一の大圓鏡あり。所作の罪業を論じ判ぜらる罪人を引き向て見せしむるに一生の行迹歴々たり。是を浄玻利の鏡と申す。床の下には色々の鬼どもさまざまの物を手に持ちて云付けをぞ待ち居たり。されば罪業舌を巻き因果眼を晦して声も泪も更になし玉ふ。左の赤衣の冥官一人白衣の童子各々金扎を持ち玉ヘリ。右に黒衣の冥官青衣の童子鐵扎を持ちて我等が罪業を沙汰し玉ふかと覚へて左の冥官大王の御前に立ち向ひ玉へば右の冥官同じく進み出で玉ふが左官の云く、彼の者に業障造悪有りや。右官の云く、あり、と。赤衣の云く善根の事ありやと。黒衣答て云くなしと。左官金の帳を取り出し開き見て善根たしかにありと云ふ。右官鐵扎を開きて文を挙げ佛躰を橋とし尊像を足に蹈等云々。この罪無間の業因なりと云へば諸の悪鬼どもすすみいで凢そ塔婆は金剛佛身の化躰なりこれを橋にし足にふむ咎評論にをよばずとて引き立て往んとするを左の童子金扎を開き地蔵と口に唱たる功徳ありとぞ奏しける。右の童子出てそれは善にはあらず驕慢せる口業なりと論ずれば何を是とし何を非とも定めがたく見へしに僧一人来て曰、彼の俗は我に一結縁あり。免し玉へとあれば右官の云く、卒都婆を橋とし足下にする罪全く結縁とは云ひがたく侍ると申せば僧の曰、然なり禮拝し供養するは信心の順縁なり彼の足を以てふみ口に謗れるをこそ結縁とは云なり。是則ち救ふに足と言ふは大王の曰、かかる罪人を逆縁となりとて助けば何れをか罪業の沙汰にいたさん。佛教の理を聞き損じ給ふとて氣色かはりてぞみへし。僧重ねて曰く、吾は本佛の位の居せしに衆生済度のために菩薩の道を行じて今下位にあり。何が故ぞあやまることをせんや。昔霊山にして親り法を受け一代の説法よくよく聞くことを得たり。されば初め華厳より終わり法華に至る。名こそかはれ此の僧が参らぬ所なし。さればこそ如来真実の授記を受け双林最後の教法まで残る事なく聴聞したるに畢竟一代の御説法は度脱衆生の方便にて法界一如の妙理なり。吾は法身を全ふして済度を先とす。如来も末法佛の出現なき五濁の衆生を念比に吾に付属し玉へり。機の前に且く親疎を論ずる事あれども皆實相の妙理に違背するもの一塵としてなし。然るに彼の俗、卒都婆をもて橋とすること我が度衆生の願に契へり。信不信ともに名号を唱へて結縁す。此の者を地獄に往かしめば我代わりて其の苦を受くべし、と明らかにの玉へば王も冥官も舌を巻き閉口す。暫くありて大王の曰く、如何やうとも御僧に任せ奉る由を言へば、うれしさよとて、御僧は彼の俗に向ひて曰く、我は是汝が橋に渡せる地蔵也、娑婆に皈りて大菩提心を発し一心称名の力を以て成佛の直道に入るべしとてつきはなし玉へば、弱弱(よろよろ)となりて主従二人ながら細道を蹈みはずして谷底へ落入ると思へば、速やかに同時に活き還りぬるが此の怖ろしき事身にしみてあれば元命無上道の為心ならず念佛をも申しけるに程も隔てぬれば例の欲心盛に起發して一向に非道を行じけるに、國民に訴へられて終に所帯を召し上げら京都に上りしに、術つきて後には東寺の門にて乞食しけるが終に餓死したりける。罪障のほど思ひやられて哀れなり。郎僮の為家は迷途のをそろしき事ども刹那も忘る事なく地蔵の御恩忝く偏に御慈悲を以てこそ地獄の苦を免れ悪鬼の呵責を解たり。若し亦一念僻に発さば万事悔ゆとも益なく再び無間の種因を造作すること人にして人にあらず。全く木石にこなるべからず。今の度び道に入らずんば孰れの日か善を修せんと髻切りて西に投げ、日暮れにへだてなく地蔵の宝号を念誦し人をも勧めて共に無為真実の郷をぞ知らせけるが猶心に満足ならず思ひければ万人の助をかり六角二階の伽藍を建立して閣上に十八躰の地蔵を安置し中尊は丈六(5m)の地蔵を金色に彩り東海道の傍にぞ立てにけり往来の人心ならず結縁にあずかる一手を挙るともがらは災い
をのがし信心を致すやからは忽ちに安全の御利生にあずかる。南海漫々たれば堂閣も佛躰も波にうつり岸打つごとに尊像を乗せまいらせて往くかともみへければ海上の漁人水中の鮮(あざらけき)も滅罪の益にてずかり共に抜苦與樂の徳を蒙りける。為家が大道心こそ真に世にもありがたける大疑の下に大悟あるの意にてこそあるらん、されば末代までも存在し玉ふ鳴海の地蔵是なり。往古は彼の寺北岡に立ち給ひて往来の結縁も遠くありけり。さるからに源は遠く歳霜つもり詹端(のきば)も苔むし零落歳を重ね棟梁あらはになりて佛像已に雨露の為に朽ち玉ふが其の比、一圓上人と云て天下無双の碩徳ありし。彼来り見玉ひて破損のさま佛像の躰を哀しく感涙肝に通しければ破壊し玉ふ丈六の古佛の中を具さに見玉ひければ御長一尺四寸(53㎝)の立像の地蔵菩薩身色赫赫として現在し玉へり。上人取り上げ奉り頂戴して丈六の新像を造立し新佛の眉間に彼の佛を納奉る。且又古の如く六角二階の堂を建立して本所は上人の心に叶はず東海道の端に然るべき霊地あり、上人彼の地主に向かって伽藍の地となさんことを請ひ玉ひければ地主も本願此の事なるよしを申してやがて寄附し奉り共に力を合せける。宿善時を得て開発して地主も入道して即ち檀阿弥陀佛と戒名を付けらる。造営の功思ひの侭に成就したり。かかる方便門を開き人を導き國を守るはかりごとを成してついに成等正覚の本意をとげつらんありがたさよ。凢そ地蔵の誓願はならびなく慈悲大にして人に利鈍をえらび玉はず信心勇猛を宗とし玉へり。つかへまつるに便あり。もとずくに易しとなり假令一旦悪習厚くして懈怠の念を起こし或いは謗誌「あるいは他の信を防ぐ輩も逆縁となりてつひに佛果を得べし。譬ば人の地に倒れて却って地によりて起きるがごとしとぞ智者大師も釈し玉へり信ずべき哉(法華文句記・釋常不輕菩薩品「問若因謗墮苦。菩薩何故爲作苦因。答其無善因不謗亦墮。因謗墮惡必由得益。如人倒地還從地起。故以正謗接於邪墮」)。
引証。本願經に云、我五濁悪世に於いて如是の剛強の衆生を教化して心をして調伏せしめ邪を捨て正に歸す、十に一二有り、尚ほ惡習在らん。吾亦た身を千百億に分って」廣く方便を設けて或は利根有りて聞て即ち信受し、或は善果有りて勤勸成就し、或は暗鈍有りて久しく方しく化して歸す。或は業重有りて敬仰を生ぜざる、如是等の輩の生、各の差別せば身を分って度脱す云々等
(地藏菩薩本願經分身集會品第二「五濁惡世。教化如是剛彊衆生。令心調伏捨邪歸正。十有一二尚惡習在。吾亦分身千百億廣設方便。或有利根聞即信受。或有善果勤勸成就。或有暗鈍久化方歸。或有業重不生敬仰。如是等輩衆生。各各差別分身度脱。或現男子身或現女人身。或現天龍身或現神鬼身。或現山林川原河池泉井。利及於人悉皆度脱。或現天帝身或現梵王身。或現轉輪王身或現居士身。或現國王身或現宰輔身。或現官屬身。或現比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷身。乃至聲聞・羅漢・辟支佛・菩薩等身。而以化度。」)。