今日慶長四年1599、3月21日は石田三成が亡母追善の為に奥の院に高麗版一切経蔵を建造した日です。経蔵の扁額には「當輪蔵造営同、一切経奉納之、近江国坂田郡、石田治郎小輔、藤原朝臣三成、為慈母菩提也」とあり、裏には「本願木食興山上人深覚房応其金剛峯寺奥院経蔵之銘慶長四己亥年三月二十一日記之」とあるといいます。この前年1598年には秀吉が死去。1600年には大阪城で三成は挙兵しますから、慶長四年159 . . . 本文を読む
大師は御入定までの間だけでも無数の奇跡(パホーマンスともいう人がいますが)を起こされています。これらはすべて人々を驚愕させることにより密教を弘通しできるだけ多くの衆生を済度してやろうとの深い思し召しによるものです。最近このありがたさが感じられるようになりました。 . . . 本文を読む
観自在菩薩冥應集、連體。巻2/6・6/24
六紀州慈尊院勝利寺の観音癩病の身代わりに立玉ふ事。
紀州伊都郡慈尊院勝利寺の本尊十一面観音は弘法大師四十二歳の御時に彫刻し玉ふ厄払の観音と云傳たり。本堂大師よりも以前より有りつる古堂なりといへり。昔石佐権守といふ武士あり。久しく癩病を病みて苦しみ種々に療治するといへども効なきによって業病なりと悲しみ長谷寺の観音に詣で三七にち籠り祈誓するに満ずる夜の夢 . . . 本文を読む
・宝亀八年777三月二十一日宮中に頻繁に妖恠あり、六百僧、百の沙弥を請じて大般若を転読せしめる。(続日本紀「宝亀八年五月辛未,大祓.為宮中頻有妖恠也.蓋井上內親王、他戶親王怨靈乎. 癸酉,屈僧六百口,沙彌一百口,轉讀大般若經於宮中.) . . . 本文を読む
正和四年三月二十一日、後宇多法皇が「宸筆弘法大師傳」(国宝、大覚寺蔵)をお書きになっています。「第八祖大日本國贈大僧正法印大和尚諡弘法大師者、讃岐國多度郡人也、法諱空海、遍照金剛號、大唐青龍寺恵果和尚之付法也、以大日如来七葉相承、両部大法、漢梵無差悉以傳受、猶寫瓶、夫両部秘法者、諸佛之奥蔵、即成之經路也、訶陵新羅之英傑、劔南北方之俊才、各得一果(注1)、不能兼聴、亦以両部灌頂、雖授義明供奉(注2) . . . 本文を読む
今日、長承4年(1135)3月21日は覚鑁上人が大伝法院・金剛峯寺座主を辞任し密厳院で無言三昧の行に入られた日です。これは保延5年(1139)4月2日までの4年間、1446日に及びました。『密厳院発露懺悔文』にその時の願いが著わされています。これは自分も真別処で50年も前に加行をしたとき毎晩読まされました。いまも僧侶の頂門の一針です。密厳院発露懺悔文「我等懺悔す 無始よりこのかた妄想に纏れて衆罪を . . . 本文を読む
弘法大師伝 後宇多法皇御製
「第八祖大日本国贈大僧正法印大和上位諡弘法大師は讃州國多度郡の人也。法の諱は空𣴴、遍照金剛と号す。大唐青龍寺恵果和尚の付法なり。大日如来の七葉(注1)を以て両部の大法を承し、漢梵差無く悉く以て伝受す。夫れ両部の秘法は諸仏の奥蔵即成の径路なり。訶陵新羅之英傑、剣南河北の俊才、各々一果を得て兼ねて亦両部の灌頂をもって聴く事能わず。義明供奉に授くといえども法 . . . 本文を読む