今日大正十一年三月二十日は、中務茂兵衛の命日です。四国遍路280回という前人未到の巡拝度数を記録し、道標石建立230余基といわれる中務茂兵衛は七十八歳で高松の久保家で死去。お大師様の日の前日に逝去とは積んだ功徳のなせる業でしょう。四国遍路の時も何度も茂兵衛の道標を見ました。 . . . 本文を読む
今日承和二年835、三月二十日は神呪寺の如意尼(淳和天皇妃真名井御前)が三十三歳で遷化した日です。密教辞典に「如意尼・・803~835承和2・3・20。神呪寺開基。丹後与謝の人。10歳で京に来て如意輪観音の霊場を訪い、六角堂に住み822弘仁13年、皇太子大友親王(淳和)の寵を得、翌年即位とともに妃となる。その年、天皇と共に大師より如意輪法を受け823天長5年侍女とともに武庫山如意輪摩尼峰に神呪寺を . . . 本文を読む
天道念仏
2025-03-20 | 法話
お彼岸中日は 秩父市下吉田字大日堂で「天道念仏」が行われます。ホームページには「江戸時代中期から受け継がれている念仏講のひとつである。昔は、春秋の彼岸に行っていたが、秋蚕の都合で春分の日だけに行うようになった。この念仏講を「天道念仏」と呼ぶのは、大日如来を祀っていることと、日の出の時刻から日没の時刻まで昼休みを除き、鉦と太鼓を叩き続けることから。しかし、いつの頃からかは不明であるが、ここでは念仏を . . . 本文を読む
今日20日は彼岸の中日です。五來重「宗教歳時記」に彼岸中日の記事があります。「「鳶の輪の下に鉦打つ 彼岸かな」(大江丸 「俳懺悔」)の風情がなくなったのは彼岸会の七日間鉦打つことを怠った僧侶の怠慢のせいであろう。だいたい春分秋分の前後の七日間を彼岸と思って「彼岸の入り」や「中日」や「彼岸の果て」を節日とするのも彼岸会が七日間だったからである。この七日間大阪の四天王寺には大念仏会があって西門念仏とも . . . 本文を読む
観自在菩薩冥應集、連體。巻2/6・5/24
五泉州水間寺聖観音の縁起幷四十二厄の事。
龍谷山水間寺
https://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=&cad=rja&uact=8&ved=2ahUKEwjzkv7QyvaIAxUQmq8BHXQyGx . . . 本文を読む
天長十年(833) 三月丁未(20日)「百口の僧を延じて大極殿において、大般若経を転読す。以って年穀を祈り兼ねて疫気を攘う也。天下に普告して殺生を禁断す、三ヶ日を以て限る。」 (続日本後紀)我々も各自般若心経位は読誦し同時に三日間くらいは無益な殺生をしないでおいてはとおもいますが・・。 . . . 本文を読む
今日、天和二年1681、3月20日は黄檗宗僧侶鉄眼道光が53歳で遷化した日です。以下ウキぺデア等によります。肥後の人。長崎で隠元に師事。一切大蔵経の普及を決意し諸国を巡歴、資金勧募したが,飢饉に際してその勧募資金を難民救済の資とすること2回、其の後10年余を経て1678年完成。〈鉄眼版〉または〈黄檗版大蔵経〉と称される。 . . . 本文を読む
柳田国國男「年中行事覚書」にお彼岸には「日のお伴(春の彼岸)」として人々は東や西にむかってとめどなく歩いた、とされています。「日のお伴(春の彼岸)」「彼岸に日天様のおともなどといって、一日外に出て日を拝んであるく風習が、やや広く行われている。土地によって方式は少しずつちがうが、午前は日迎えと称して東に向って歩み、午後は日送りといって西の方へあるいて行く処もあれば、早天に家から東に当る霊場に行って日 . . . 本文を読む