「また、八才の少沙弥の 水の流れて蟻穴に 入るを救いし功徳にて 夭死転じて長寿せり」(目連尊者の弟子で八歳の沙弥がいたが尊者が観視したところ夭死の相あり、よって父母のもとに帰らしめたが、途中蟻の穴に雨水が入るのをみて蟻を助けるべく堤の上に泥土を盛りこれを防いだ。その後少沙弥は父母の元を辞して無事目連尊者のもとに帰ったので、尊者は驚き、改めて定に入り観相したところ少沙弥は蟻を助けた功徳により夭死の業 . . . 本文を読む
三代実録 / 元慶二年(878)二月十日丙子条
「十日丙子 京師飢 賑給之」(京都で飢餓が起こり補給した)
天皇は陽成天皇。前年から旱魃が続いていたようです。こうして狭い地域でもよく見て庶民を救済しています。 . . . 本文を読む
今日二月十日は大師が西明寺に移られた日です。御請来目録に「延暦二十四年805仲春十一日、大使等、軔ながえを本朝に旋めぐらす。ただ空海のみ、孑然けつぜんとして、勅に准じて西明寺の永忠和上の故院に留住す。ここにおいて城中を歴て名徳を訪ふに偶然にして青龍寺東塔院の和尚、法の諱は恵果阿闍梨に遇ひ奉る」このとき大師は御年丗二歳。(西明寺は7世紀に高宗と武則天が祇園精舎を模して建てたものといわれ、長安随一の名 . . . 本文を読む
弘仁四年813二月には大師は伝教大師の高弟・光定に高尾山で法華儀軌一尊の法を授けられています。「傳述一心戒文(光定)」に「・・弟子光定、一尊の法を受けんが為、高尾山に留まる。」とあります。光定は伝教大師の高弟ですが、弘仁3年(812年)12月には伝教大師および泰範、円澄らとともに高雄山寺にて弘法大師から胎蔵界灌頂を受け、弘仁4年(813年)3月にも泰範、円澄らとともに大師から金剛界灌頂を受けていま . . . 本文を読む
今日2月10日と11日は信夫三山暁参りです。これは福島市信夫山・羽黒神社の例祭で、大わらじを大勢で担ぎ市内目抜き通りを練り歩いた後、信夫山の羽黒神社へ奉納するものです。昔、羽黒神社に仁王門があり、その仁王様の足の大きさにあった大わらじを奉納したことが由来とされ、江戸時代から400有余年にわたり受け継がれているといいます。
今年も規模縮小とのことです
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