mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

自身との交信が途絶える原罪からの解放

2017-12-23 08:47:53 | 日記
 
 20日に山を歩いた。ほとんど疲れは残っていない(ように思えた)。昨日(22日)、ストレッチをやっていて気づいたこと。リンパの流れをすすめるために脚の太ももを押さえたとき、奥の方に軽い痛みが走る。ああ、これは疲れがたまってる。ふくらはぎのリンパの流れもやったときに、奥の筋の方に疲れが残っていると思った。そうなのだ。疲れを感じるのは恢復するときと思って来たのは間違いないが、こんな形で奥の方に貯め込んでしまっているとは思いもしなかった。
 
 歳をとると、いろいろなことが表に現れなくなる。疲ればかりではない。喜びも悲しみも鈍くなる。(たぶん)感じていないのではない。裡に溜まる。籠ると言ってもいい。外からの刺激に反応して表出させてこそ、コミュニケーションも保たれる。(たぶん)人とのコミュニケーションばかりでなく、身の外部とのやりとりがあってこそ、自身とのやりとりも行われているのではないか。どこかの生物学者が言う「動的平衡」というのも、自身とのやりとりの「かたち」を表現したものだろう。つまり「にぶく」なるというのは、自身とのコミュニケーションすら行えなくなることを意味する。これは、外から見ていると(たぶん)「閉塞」と呼ぶであろうが、自身が閉じているという自覚もないのだから「ひきこもり」ですらない。認知症というのも、そういう外部との交信がまだら模様に途絶することを指しているように思う。
 
 歳をとるということは、自身との交信が衰えることである。ストレッチや、リンパ体操、あるいは筋力トレーニングという外部からの意図的な刺激を与えることで、はじめて途絶えていた「交信」が意識の上に現れる。衰退しかけていた「交信」が一瞬回復する。
 
 諸事万端について、そのような意識的な刺激を加えなければならなくなっているのが高齢化だとすると、「めんどくさい」とか「まあ(いますぐでなくても)いいか」と後回しにすることも、得策とは言えない。ものが壊れたり、失われたり、思うように作動しなくなった時などには、金をかけてでも外部からの刺激を受けられるように、手立てを講じることによって、裡なる衰退を外から補うようにしなくてはならないのではないか。
 
 ということは、次のようにも言えるか。ヒトが人になるはじまりを、エデンの園でリンゴを口にするときとすると、すなわち、外部からの眼をもって己をみる(羞恥心を持つ)ときとなる。キリスト教に謂う原罪である。だが高齢化によって外からの刺激が裡に籠ったままになるとは、すなわち、人がヒトに還ることともいえる。原罪からの解放であり、エデンの園に回帰するありようである。自然の一存在のヒトとして生まれ落ち、その自然から離脱して人になり、ついにはヒトに還るというのは、理に適ったことと思える。ヒトは死してはじめて菌類によって分解されて土に還るのではなく、生きているときすでに、自然存在に還るべく「分解」がすすんでいる。それが老化であり、いち早く解体の進むのが原罪という人の持った軛というのも、自然と同一化する(生まれ落ちて以来、長年の)羨望の実現である。
 
 そう考えると、実存というのも、じつに上手くできていると思う。

けっこうスリリングな下山の九鬼山縦走

2017-12-21 11:15:53 | 日記
 
  晴天が続く昨日(12/20)、山の会の月例会。富士急行線禾生駅から九鬼山を経て馬立山への縦走路をたどり、菊花山を通って大月へ下るルートを歩いた。朝9時15分ころに歩きはじめ、午後3時10分ころに大月駅に到着したから、行動時間は5時間55分。お昼に35分とったので、歩行は5時間20分。ほぼコースタイムで歩いている。平均すると70歳を超える面々だから、これは立派である。
 
 大月で乗り換えた富士急行線の電車は、床が板張り、昭和レトロって感じだねとおしゃべりしている。昨年、高川山を歩いたときは田野倉駅で降りる前に富士山が見えた。どっちだっけと、富士山の見える方に座席を占める。禾生駅は田野倉の次、大月から三つ目。12分で着いた。標高420m。ところどころに雲がぽっかりと浮かぶ晴天。雪をつけた富士山は東側に少し雲をかぶっている。9時16分、歩きはじめる。国道を500mほど北へ進み、リニア新幹線が九鬼山の懐からずいっと出てきたのを目前に、山の方へと踏み込む。古ぼけた標識がぽつんと立つ。朝日川の水が勢いよく流れ、正面には煉瓦造りの水道橋が、朝日川をまたいで通っている。この橋ははまだ現役のようで、豊富な水量を保っている。
 
 愛宕神社脇を抜け、落ち葉の降り積もる山道へと入る。kwrさんがゆっくりと先頭を歩く。okdさんがつづき、これはこれでKOコンビだというのか、mrさんが黙ってすすむ。紺場の休場686m。ここからが急登。滑りやすい落ち葉を踏み、ジグザグに高度を上げる。立ち止まって左をみると、富士山が樹々の合間から姿を見せている。雲が取れ、白い形が美しい。しばらく進むと落ち葉が亡くなり、すべしやすい砂地の傾斜になる。上から一人、降りてくる。速い。駆けるように下ってゆく。また、降りてくる三人組とすれ違う。聞くと禾生から往復しているそうだ。それにしても早い。まだ10時半にならない。そのあともう一組の女性二人連れとすれ違った。この人たちは札金から登ってきたという。今日行き交った人は、以上の6人。九鬼山は案外静かな山なのだ。
 
 山頂まであと一息というところに「眺め良し 天狗岩→」と書いたプラスティックの表示が木に掛けられている。その片隅に手書きで、「歩いて3分」とあったから、行ってみる。山肌から突き出た大きな岩の上が、背の高い針葉樹を避けた展望台になっている。富士山が頭頂部と西側を残して雲に隠れそうにしている。小さな山の間に麓の町が陽ざしを受けて白く輝く。そこから20分で富士見平に着く。針葉樹の間に富士山がひときわ大きく雲に隠れそうにしている。今登って来た方向への表示に「落合橋→」とある。あの、水道橋は落合橋というのだろうか。
 
 ほんの5分で九鬼山山頂に着く。11時。駅から1時間45分。少し広い山頂はしかし、日陰になっている。富士山が見えるように、邪魔になる針葉樹を4,5本伐ったのだろう。ご期待に添うように富士山が姿を見せる。ここからはokdさんが先頭に立ち、OKコンビとなって先へすすむ。地理院地図では北への稜線をたどる道が記されているが、実際の踏み跡は大きく東へ下り、しばらく下った後北へ西へと折れ込み、山体の中腹をトラバースするように道がつくられている。そうして、標高750mほどのところで稜線に乗る。そのトラバース道が狭く滑りやすい。ロープが設えられているから危なくはないが、ずるずると崩れているようで、いずれまた、整備が必要になると思えた。ルートのは消え残りの雪がみえ、メジロが枯れ枝に啼いていた。
 
 稜線に乗ったところでお昼にする。11時35分。雲に隠れていたお日様が現れ、暖かくなる。遠方に雪をかぶった山頂部をちょこっと見せているのはどこだろう? とkwrさんが見ている。方向からすると農鳥岳から北岳にかけてのようだが、ほんのちょこちょことだけだから、わからない。お昼を食べながら利尻岳の話が出る。この7月に行かないかと、私が声をかけた。登れるか不安もある。避難小屋にとまるとなると、寝袋もいる。4人は行こうと決めているが、あなたが行くなら私も行きたいとmrさんとokdさんが話をしている。okdさんは飛行機に乗るのが怖いのでいかないと固辞している。mrさんは、こういう機会を逸したらゼッタイいけないんだからと自分を励ましている。
 
 お昼に35分もかけてしまった。起ちあがったのは12時10分。平坦な稜線を歩く。札金を経て田野倉駅に下る分岐に出る。私たちは札金峠を経て馬立山に向かう。札金峠621mは薄暗い谷あいにある。そこから道は上りになり、馬立山分岐761mまでが急登。砂地の急傾斜が右に左に九十九折れになってはいるが、足場が悪い。稜線に着いたのは13時。札金峠から30分。コースタイムの40分より早い。先頭を行くokdさんが速さを気にしているが、mrさんが黙ってついているから、誰も文句は言わない。ほんお10分で馬立山に着く。富士山は九鬼山の陰に隠れて見えない。もう今日の富士山は終わり、と私は思っていた。
 
 馬立山から沢井沢の頭までもまた、滑りやすい大きなトラバースがある。なんだろうこの山の地形はと、ずうっと考えていた。沢井沢の頭から菊花山を越えて大月へ下ることにした。「okdさん、行ってよ」とkwrさんが声をかけ、彼女が先頭に立つ。okdさんもstさんも何十年か前にこのルートを歩いたことはあるらしい。その頃は道しるべもなく、菊花山に着くまでが長かったとstさんは昔を思い出している。okdさんは怖いところは速く通過するに限ると、さかさかと先へすすむ。mrさんはバランスを保つのに力を使って、ずいぶん慎重だ。急な上りがあると、その上が菊花山のように思えるが、コースタイム1時間を考えると、まだまだ先だよと後ろから声をかける。クヌギやマツの木立を縫う稜線は明るく、ところどころで、下方の大月の町が見える。でも標高は600mを越えているから、標高差は300mほどありそうだ。50分ほど過ぎたころ大きな岩の積み重なった地点に来た。菊花山の山頂644mのようだ。14時22分。山頂から太陽の方向に、逆光の富士山が姿を見せ、いや良かったと眼福に浴していたのだった。
 
 この岩をみて、九鬼山からこの菊花山にかけての地形的特徴がわかったような気がした。たぶん砂岩の堆積がこの地をつくり、それが崩壊して山体の滑りやすい砂地をなしているのだ。そこに木が生え、葉を散らし土をつくり、そのようにして保たれている山体が、それでも日夜の風雨に削られて急峻な砂地の傾斜をつくり、歩きにくい山肌をなしていると思えた。この印象は、菊花山から大月への下りが、文字通り実証するように思えた。ロープをつけ鎖を張っている下り道は、水平距離500mで垂直高度300mを降る傾斜。これは平均31度の角度にあたる。kwrさんが「もういい加減にしてもらいたいね」と言い出したころ、やっと下に神社の社のような小さな建物がみえ、先に降り立ったokdさんが上を見上げて「ここで終わりみたいね」と声をあげた。神社の鳥居の下は墓地。その脇は国道20号線が走っていた。
 
 こうして、大月駅15時19分発の特別快速に乗り込んだのだが、「車体に異常を感じた」ということで停車し、ついには特別快速が快速に変更になったりした。だが、大月駅でビールを買いこみ、「忘年会」をしていた私たちは、電車の遅れを気にも留めず、気持ちよく帰途に就いたのでした。

何を気に留めているのか

2017-12-19 11:54:21 | 日記
 
 又吉直樹『火花』(文藝春秋、2015年)がやっと図書館から届いた。なんと刊行してから2年近くかかっている。芸人・又吉が芥川賞を受賞したと評判になり、メディアは作家・又吉を持ちあげようとしたが、当人は芸人ですと本業の矜持を保っていたのが印象に残っていた。だが私の悪い癖で、「時の人」的な評判に迎合するのが嫌なものだから、わざわざ図書館に予約して、順番が回って来るまで待つことにした。そのうち、予約したことも忘れていた。そして本よりも先にTVドラマ・『火花』が目に触れることになり、そうか、そんなことを書いてんのかと本を読んだ気になっていたから、図書館から届いても、急いで読もうとは思ってもいなかった。ところが先に手に取って読み終わったカミサンが、TVドラマでは(なんやろ、面妖な話)と思っていたのに、本を読むと(芥川賞をもらうに値するわ)と思うようになったという。そうか、読んだ気になってはいかんのだなと私も手に取ることになった。ところが私の読後感はと言うと、TVドラマは、本の描いていた人物の「痛さ」をうまく表現していたなと、まず感嘆した。このカミサンとのずれはどこから来るのか。
 
 小説の方に、次のように表現されている部分がある。
 
《「なあ、さっきから俺がコーヒーカップを皿に置く時、いっさい音が出えへんようにしてたん気づいてた?」と神谷さんが言った。
「気づいてましたよ」
「ほな、言うて。やり始めたものの、お前が何も言わへんから、やめるタイミングなかったわ」と神谷さんは掠れた声を出した。》
 
 TVドラマは、全編、この一節の繰り返しともいえる「全身漫才師」なのだ。いうまでもなく映画「全身小説家」の井上光晴と重ねて、そのように受け止めている。作品を書くだけが小説家ではない、日常の存在のすべてが小説家だと。それを小説の『火花』は、神谷のことばとして、以下のように表現している。
 
《漫才師である以上、面白いことをすることが絶対的な使命であることは当然であって、あらゆる日常の行動は全て漫才のためにあんねん。だから、お前の行動の全ては既に漫才の一部やねん。漫才は面白いことを想像できる人のものではなく、偽りのない、純正の人間の姿を晒すもんやねん。つまりは賢い、には出来ひんくて、本物の阿呆と自分は真っ当であると信じている阿呆によってのみ実現できるもんやねん》
 
 TVドラマは、この感触を実にうまく表現していたと記憶している。だからカミサンは、肌合いが合わないように感じて(面妖な話)と受け取ったのであったろう。私はそれを(「痛さ」を上手く表現している)と、好感を持って受け容れていた。この、カミサンと私の受けとめ方の違いは、ドラマへの入り込みの度合いの違いとも言えるかもしれない。カミサンは(たぶん)ドラマの世界に身を浸している。すると、神谷のいう「全身漫才師」という実在は、少し離れたところからみている分には面白い存在だが、すぐそばにはいてほしくないけったいな人物に映る。(面妖な)とはそういうことだと、私は理解している。ところが私はと言えば、ドラマを解析的にみている(と思う)。つまり一歩引いて(あるいは自分を高みにおいて)みている。だから、セリフの意味を評価し、そのセリフが描き出そうとしている人間観や世界観や社会観を(我田引水的に)読み取ろうとしている。ドラマと視聴者との位置関係のどちらが(誰にとって)いいのかは、わからない。ドラマ制作者にとっては(たぶん)カミサンのような視聴者を想定していると思う。(面妖な)という違和感を引き出すことこそが、「狙い」なのかもしれない。私のような観方をするものは、「全身漫才師」ではないが「全身徒然草」くらいには自分のことを(世界に)位置づけている。つまり世界にすっかり生活者として身を置いていながら、自身のありようを常に世界にマッピングして表現して外化する作業を習いとしているものにとっては、(面妖)と受け止める違和感こそがエンターテインメントの神髄とも思っているのである。
 
 小説『火花』では、次のように世評・世間とのずれを浮き彫りにする。
 
《平凡かどうかだけで判断すると、非凡アピール大会になり下がってしまわへんか? ほんで、反対に新しいものを端から否定すると、技術アピール大会になり下がってしまわへんか? ほんで両方を上手く混ぜてるものだけをよしとするとバランス大会になり下がってしまわへんか?》
 
 この、世の中の(普通の人の)感性との緊張と間合いの取り方こそが、根幹にあり、それはすなわち「全身漫才師」の感性やリアリティは、足場を平凡に置きながらも非凡を志向し、といってつねに自己否定を視界に入れて(世の中に対して)問題提起的に存在しなくてはいられないありよう。それに対する、動的平衡の心情。現実存在としては(中空に浮くような)心もちを抱いている。その心裡が「全身徒然草」と通底している(と私は思っている)。
 
 ドラマというのは、コトの進行速度が速い。セリフもストーリーも一瞬にして通り過ぎ、感触だけを残して(ことに高齢者の胸中では)消えていく。本を読むと、そのセリフの一つひとつが、腑に落ちるまで自分の速さを保つことができる。描き出そうとしている世界がそれだけ、わが身の肌合いに寄り添うように近くなる。どちらが(世界をみている者にとって)いいのかはわからないが、カミサンの好みは後者にあるんじゃないか。

工業規格にしたがって壊れるのか?

2017-12-18 17:02:26 | 日記
 
 しばらく前から便座の、おしり洗浄の調子が悪い。ノズルが出て来なかったり、ノズルは出ても水がちょろちょろとしか出なかったりした。説明書を読むと、水の通るところにあるカートリッジのゴミを取り除けとある。水の栓を止め、カートリッジを取り出して水洗いする。取り付けて作動させてみると、今度はノズルが出てこない。ノズルも、手順を踏んで取り出して拭いたりする。出るようにはなったが、水がでない。まあ出なければ出ないで使わなければ済むし、使うにしても山歩きのときのようにペットボトルで代用すれば不都合はないから、しばらく放っておいてから作動させればよいと思って、放置してきた。
 
 そうして一月ほど置いて作動させてみたが、まるで動かない。これはだめだと思って、メーカーの「お客様相談室」に電話をする。丁寧に応対してくれはしたが、ひとつ、「リモート装置の電池交換をしましたか」と問われ、はて、変えたかどうか、覚えがうつろだと気づく。調べて交換をしていることがわかる。
 
 検査の人が来ることになり、みてくれた。どうやって水を止めるか、どこをチェックして、どうやって直すのかみておこうと、後ろから覗き込む。ほぼ私の手順は間違いなかったことがわかるが、水を止める方法がまったく違った。彼はいったん外へ出て、水道の元栓を止めたのだ。なんだそれなら、便器の奥に得まいところにある水栓のねじを時計回りに絞りまわすやり方より簡単だ。だが、うまく作動しなかった。
 
「おしり洗浄の部品が壊れている可能性がありますね。ちょっとみてみます」
 
 と断って、便座カバーを上へ持ちあげて外してしまう。さらにその台になっているところも、便座と一緒に持ちあげて外してしまった。なるほど、そうやってみると、「便器稲井にの装置」全体が露わになる。たくさんの色の違う配線が入り組まないように、でも束ねているわけではなく、あちらとこちら、そちらと向こうを結ぶように、大きく分けると二方向に走っている。その配線の間を縫うように螺子回しを差し込んで、ビスを外す。4本のビスを外して何かを触ってノズルを出そうとする。ノズルが出ない。もう一度触って操作すると、今度はノズルが出る。でも、水が出ない。二度試みてから、やっぱり部品の取り換えが必要ですという。
 
「部品交換の必要があります。それとですね、流す水の便器洗浄の水流に違和感があります。このままだと、装置の規定通りに洗浄がなされていない可能性があります。ちょっと見積もりを出しますから」
 
 と言って、携帯用のノートパソコンを出し、画面をみながら部品の費用のチェックをする。そうして、おしり洗浄の部品交換に〇〇円、技術料として××円、検査・出張修理量として△△円、合計いくらになりますと、計算結果を知らせる。何と便器全体の四分の一ほどもかかる。でも仕方がない、それでやってくださいと応えると、さらに付け加えて、水流の違和感を補修する部品交換には、それよりも多くかかるとおっしゃる。とすると、その修復には、便器全体の経費の半分を優に超える費用が掛かる。
 
「いま一緒に部品交換しておくと、検査出張料金が一回で済みますが、いかがしますか」
 
 と言葉は丁寧だが、交渉の余地があるような気配ではない。検査出張料金が5千円ほどということを考えると、「違和感」の方は、壊れるまで使ってからでも遅くはない。そうおもって、おしり洗浄だけの修理を頼んだ。
 
 彼の説明だと、7年から10年経てば、こういうことが起こる。便器全体の交換も7年ほどが普通だという。いつ、この便器を取り付けたのだったかと気になり、あとで調べてみた。2010年の1月だった。つまり、7年と11カ月経っている。まるで工業規格にしたがって壊れているみたいだ。それ以上聞かなかったが、工業規格で、修理部品の取り置き期限が5年というプリンタの話しを一年前に聞いたばかりだ。便器のそれが7年とか10年であっても不思議ではない。
 
 修理しながら大切に使うという考えかたが製造側にも定着しないと、使い捨ての文化は切り替われない。いつまでも、あなた任せで外注に回す暮らし方の文化では、自律なんてできないね。ためいきが出た。

これぞ「自然(じねん)」の神髄

2017-12-17 11:12:56 | 日記
 
 今朝の新聞を開いて、高村薫の『土の記』が大佛次郎賞を受けたことを知った。この作品では野間文芸賞も受けている。大佛次郎賞の選考委員五氏が選評を書いているのを読んで、私の感懐と少し違うことを感じた。
 
 土の記憶か土の記録としての「土の記」。記憶も記録も、誰がいつどこでということを抜きにしては語れない。言葉は人間のものだ。そういう意味では、土と向き合う人が主体となって土の記憶を感知し、土の記録を蘇らせる。土が主体と考えると、その記憶や記録は自然(しぜん)そのものだが、人が介在することによって言葉となると、自然(じねん)となる。自動詞と他動詞が混ざり合う境界の領域をどちらが主体なのか判然としない、そんなことどちらでもいいではないかと言いたいほどに、渾然一体となって露出する。「土の記」とはそういうことだと思いながら読みすすめた。
 
 インタヴューに応えて高村薫が「……人は生きているだけで十分なんだということ。人間は愚かしいことも含め、生きているだけで美しい……」と述べているのが、的を射ていると私も思う。いやじつは、「美しい」も余計なのだ。美しいか惨めか、愚かしいか賢いかなどは、どうでもいい。「じゅうぶん」というのは、そこに存在することが実存・実在の充足感に結びついている。それがすべてだということを、この歳になって、思う。それは、自然(しぜん)と自然(じねん)がひとつになって、ここにあるとわが身が受け止めている。高村薫(をインタヴューした記者)は「命の喜び」と記しているが、そういうと語弊が生まれる。土も石も、大地もそこを流れる水も、ことごとくがなべて生きているとみれば、「命」といってはばかるところはないが、無機質のものもまた、「かんけい」のなかで息を吹き込まれ、「自然/しぜん/じねん」としてわが身とかかわりわが身を包む。こうして人は、自然存在として土を耕し、水の管理をし、そこに残る記憶と記録を胸中のイメージや言葉にして、実在してきた。
 
 『土の記』の上巻を呼んでいるとき私の心裡は、ざわざわとしたちょっと不快ともいえる毛羽立ちに襲われた。昔の記憶が身の裡に甦って来たのだ。疎開していたときの田舎の泥壁のような感触、揺れる肥担桶から零れ落ちる糞尿の臭い、稲田を吹き渡る夜の闇の風の響き、蕭蕭と降る雨の視界を遮る烈しさと恐ろしさ。こうした「自然」の感触が、何をどうしていいかわからぬままに埃まみれになってそこにある恐ろしさとして身の裡に湧き起ってくるように思った。
 
 ひとつ、そうだ、私たちは今、すっかり「自然」を忘れて暮らしている。人工的な与件のことごとを「しぜん」と感じて、不思議と思っていない。わずか75年生きてきただけで、すっかり私の自然感覚は廃れてしまった。いやそうではないのかもしれない。若い人たちはそれを、廃れたというよりは発展したと呼ぶかもしれない。体の内奥から呼び起こされた私の「しぜん」は、「不快ともいえる毛羽立ち」と感じている。すっかり人が変わってしまったと、別のわが身が声を荒立てようとしている。
 
 選考委員の鷲田清一が「どこにでもいそうな人たちのどこにでもありそうな思いと出来事が、まるで絨毯のような緻密さで描きこまれている」と表現した後につづけて、「それがかぎりなくリアルに迫ってくるのは、逆説的にもその意識の輪郭があいまいだからだ」と「不快な毛羽立ち」の根源に言い及んでいる。自然と一体になった人の意識に違和感を覚えるこのわが身(のリアリティ)は、いま一体、どこにいるのだろうか。「自然(じねん)」の神髄は、そう心地よいものとは限らないところに降り立ってから、再構成されなければならないのかもしれない。