mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

人生の区切りを思い起こさせる「集い」

2017-12-10 09:51:20 | 日記
 
 師走になると人と会う機会が増える。つい何年か前まで「忘年会」と呼んだのは、まだ若かったのだと思う。つまり、「忘年会」というのは、日ごろ顔を突き合わせている人たちが、節季の区切りをつけるために、あらためて「集う」儀式だった。だが歳をとると、会う機会を持つために、年に一回か二回「集う」。半年ぶりの人、一年ぶりの人、時には9年ぶりの人というのにも会う。
 
 昨日、その9年ぶりという山の仲間・Mさんに会った。彼もすでに定年を迎え、でも延長の仕事をして二年目、何と私が退職した仕事現場に、今いるという。おのずから山の話になる。
 
「昔Oさんと一緒のときに、山岳部を連れてどこの山に行ったか覚えていますか」
 
 と、突然に言う。Oさんというのは、私の仕事現場にいた、若い山のベテラン。彼は転勤してきて、私の現場にいたKさんと結婚し(同一勤務場所にさせないという方針に従って)翌年配転になった。だから私とは、一年だけ一緒だった。山を通じて、それ以前より私はOさんを知っていたし、それを問うたMさんを知ったのも、Oさんを介してであった。でも、Oさんと一緒のときというと、37年も昔になる。
 
 「いえね、あなたがたと山を下山したところで会ったんですよ。覚えてますか」
 
 とっさには思い出せない、と思ったが、でもすぐに、そうだ、彼とは仙丈岳を登り野呂川の両股に降り、今度は前白根沢沿いをたどって北岳に登るルートをとった。あの沢沿いのへつりと最後の岩稜が思い浮かんだ。当初、あの厳しいルートを山岳部員を連れて登ることに私は不安をもっていたが、Oさんが一緒だということですっかり安心して歩いたことが胸中に甦った。その、想起したことに、私自身が驚いていた。覚えていたんだ、と。だが北岳からどこへ降りたか、やはり忘れている。
 
「ひょっとして奈良田で?」
「そう奈良田」
 
 Mさんは笑う。そうか、あのとき奇遇だねとか言って言葉を交わしていたのはMさんであったか。私にとって奈良田の印象は、20年前。(たぶん)仕事ですっかりくたびれ果てていたのに山に向かい、その最終日、農鳥岳からの下りで、山岳部員より先に私がへばってしまった。そのときは、いまもOさんと一緒に埼玉の登山部を率いているベテランのTさんが同行していて、彼が私の荷をかついで一時間ばかり助けてくれたおかげで、なんとか奈良田に降りつくことができた。その印象が強いから、すっかりOさんと一緒に歩いた奈良田の印象が蒸発してしまっていた。
 
 記憶というのは、変というか、面白いものだ。人をきっかけにした想起域、自身の不安とか疲労困憊するといった特徴的な出来事をきっかけにして、引き出すようになっているのだ。その印象の強さが、前の印象の記憶を覆ってしまって、想い起せないということにもなっていると言えそうだ。
 
 そのOさんもTさんも、来年とか再来年には還暦を迎えるという。私が後期高齢者になっているというのも、無理からぬ話。節季の区切りばかりでなく、人生の区切りを思い起こさせる「集い」であった。