mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

石垣島(1) 自然に浸るありよう

2017-11-05 11:04:48 | 日記
 
 石垣島に着いたとき、Mさんが出迎えてくれました。まだ若い。私より一回り半も若く、五十歳代の後半。8人乗りのバンにMさんを入れて6人。このあと三日間、早朝から陽が落ちるまで文字通り東奔西走の探鳥でした。石垣島に、じつは、何のイメージももっていなかったのですが、途中で石垣島の地図を手に入れてみて、その大きさに驚きました。
 
 石垣島を単純化していうと、北斗七星の柄杓の柄の部分が北の方へと伸びている形。南北300km、下方の方形の部分が東西160kmという大きさ。その方形部分の南部約6割が平地、北部に於茂登岳526mを最高峰とする山地が、柄の1/3まで伸びて標高212mの野底岳で、東シナ海と太平洋によってくびれる伊原間の町。くびれ部分の幅は400mほどしかなく、柄はさらにその先110kmほど伸びて続いています。島の南端部に宮良港があり、そこから東へと中心街が広がっていて、石垣島の新空港は街の東端から2kmほどのところにあります。
 
 Mさんは牧場主。空港近くの牧場で牛を肥育している。仔牛を9カ月ほど育て、本土各地の酪農家に売りに出す。彼の牛舎には成牛が30頭ほどいたろうか。仔牛は生まれたばかりから生後6カ月ほどのまで十数頭いて、ちょうど私たちが預けた荷物を受け取りに立ち寄ったとき、一頭が生まれ落ちようとするところでした。まだ二度目の出産で右往左往する母牛から出た仔牛の脚に縄をかけて一人が引っ張り、Mさんが脚をつかんで引くと仔牛の頭が現れ、ドサッとコンクリートの床に落ちてきました。予定より三日早く生まれてきたということでした。仔牛の出産があるときには鳥のガイドはしないということでしたから、間一髪の主の帰宅だったわけですね。経営が順調かどうかはわかりませんが、親しくしているTさんの話では、牧場経営が本業、鳥のガイドやカメラマンやイラストレーターはサイドビジネスと言いましょうか、趣味と言いましょうか、別に分けて考えることはないほど彼の暮らしそのものになっているようでした。
 
 石垣島の三日間は、Mさんのガイドで満たされました。空港に着いたのが午後2時半。すぐに空港周りの牧草地に車を走らせる。背の高いサトウキビやカヤが道路わきを覆っている。いつもここにいる(本土の私たちにとっては珍しい鳥)カタグロトビを片づけてから先へ行こうという算段だったのですが、台風の名残の風が強く、姿を現しません。何カ所か、心当たりを子細に見て回ったが、ついにダメ。Mさんはずいぶん気落ちしたようで、その翌日も見て回ったがダメ。最終日にやっと飛んでいるを発見、都合3回飛来して木の枝にとまるのを視認しカメラにも収めて、Mさんも安堵したようでした。
 
 Mさんの案内は、ピンポイント。どこの田にアボセット(セイタカソリハシシギ)がいる、あちらの草地にヅグロミゾゴイ、こちらの牛舎にインドハッカ、この水路にクロツラヘラサギ、あそこにムラサキサギ、ここにカンムリワシという具合。しかも、巣の位置や生まれて3カ月の幼鳥がどこにいると、事細かく石垣島中の鳥の素性をつかんでいる様子に思えるほどでした。にもかかわらず彼は「珍鳥は電線から」と、電線に止まる何羽もの鳥を一括せず、ホシムクドリ、コムクドリ、ギンムクドリ、ムクドリと見分ける。あるいはキジバトに混ざって止まるベニバトを指摘する。
 
 夕方になってリュウキュウコノハズクを観に行ったときには、風の強さから「ここは条件がよくない」と南側の森の入口に場所を変え、車から降りて耳を澄ます。「今から呼びますから、私のそばにいてください。やってきたら(懐中電灯を)照らすから、そこを見てくださいね」と断って、ホホウ、ホホウと声を発てる。と、やがて暗い森の中からホホウ、ホホウと応じる鳴き声が聞こえてくる。Mさんは「いま、5羽きています」と見回す。キャー、キーッという声も聞こえる。よそ者が来たと怒っている声だそうだ。「こちらです」といいつつMさんが懐中電灯をつける。と、枝にとまったリュウキュウコノハズクがこちらを観ている。のちにMさんが見せてくれた写真には、リュウキュウコノハズクの幼鳥が5羽、ひとつ枝に並んでいるのが映っていた。
 
 こうして三日間、石垣島の南部の平地は何度も訪れ、於茂登岳の山中にも入り込んだ。西海岸沿いの川平湾周辺を経めぐり、浦底湾を左に見ながら針路を北へ向けて、柄杓の柄の部分に入り、野底地区を経て伊原間のくびれを通過し、その先の明石食堂脇の明石小学校まで足を延ばした。Mさんの暮らしが、彼の牧場も鳥も虫も、食べ物も空気もみな、石垣島と一体になっていると感じられ、ああこういうのを「自然に浸る」というのだと感じさせられた。

石垣島(2) 自然と一体になる暮らし

2017-11-05 10:55:28 | 日記
 
 石垣島の探鳥の案内役Mさんのありようを観ていると、鳥の専門家というよりも、石垣島の自然と一体化して存在しているという思いが強くする。彼の牧場を見せてもらったというほど見たわけではないが、彼の「本業」といわれる牛との向き合い方をみていると、「仕事」というよりも、それなくしては暮らしそのものが成り立たない「生業(なりわい)」と思われた。なるほど生産と流通の流れでみるだけなら、育牛が仕事なのであろう。だが、仔牛を生ませ9か月育て「和牛」として出荷するというだけなら、もっと効率的に、もっと生産能力をあげられるように工夫する余地があると思う。実際酪農の現場でも自動機械化がすすんで、人手を省き、牛舎の清掃や給餌を機械任せにすることが「最先端」とされるようになってきている。むろんその規模と資金がなくてはできないことではあるが、Mさんはそうすることよりも、野において育て、牛たちの間を何種類かの鳥たちが虫を啄ばんで右往左往しているのを見るのが、何より好き、仔牛の間は手間をかけ慈しんでやるのが大切と思っているように感じられた。彼自身が石垣に生まれて育ってきた在り様と重ねて感じているように思ったのは、単なる私の錯誤ではあるまい。
 
 Mさんは牧草地の片隅の森近くに水溜りをつくり、観察舎を手作りして黒い紗の覆いをかけ、そこからやってくる鳥などを「観察」し、カメラに収めるようにしようとしている。ホースを引いて水の流れをつくっているのを、いずれ噴水にでもして、鳥たちが喜ぶような処にしたいと話していた。その姿はまるで子どものまんまのようであった。
 
 もちろん「生業」は、心優しいロマンティックな物語で彩られるわけではない。母牛を妊娠させ仔を産ませ、それを肥育して9カ月ののちには出荷するという、命をいただいて暮らしを立てる私たちの「自然(じねん)」の冷徹な「生態系」を体感するように組まれている。だからこそ、自らの「じねん」と「しぜん」とを重ね合わせて「暮らし」として一体化する、彼一流のありようの「本態」が欠かせないのだと思える。分業と商品交換によって、すっかり「自然(しぜん)」から切り離された都会生活を「身」につけてしまっている私たちからすると、冷徹な「生態系」の汚れた、臭い、厳しいところを埒外の人々にことごとく任せてしまって、素知らぬ顔で、うまい、清潔な、楽しいところだけを頂戴している本態を、つくづく実感させられるようであった。
 
 バードウォッチングをして回ったくらいで自然に浸っていると思うほど大きな勘違いはないと、Mさんの在り様が示す「神髄」を受けとめた。はたしてMさんがそう思っているかどうかは、聞いてみなかったのでわからない。だが機会があれば、いつか再び石垣島を訪れて、島と一体化したMさんの「暮らし」の傍らに居させてもらいたいと思った。