すぶんろこ!のジャパニーズドリーム

■『すぶんろこ』とは、コロンブスの逆転の発想

■日本国独立宣言!「日本国憲法」無効宣言、日本軍再構築宣言!

+ 筥崎宮の放生会に新生姜かおる・・・ 縁起物商売に活路あり  経済もまた信仰の時代を迎える

2009年09月13日 15時10分35秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

      放生会houjouya   生姜shouga  の縁起   担いだり

     馬糞 Bafun

 

  

 

 筥崎宮の放生会は、昨日が初日で、今週の金曜日まで

続く。

 初日の昨日、一泳ぎしてから参戦した。

 大変な賑わいだった。

 とにかく、屋台町が大規模である。

 お化け屋敷まであった。

 

 放生会の縁起物といえば、チャンポン、ビードロとい

う硝子のおもちゃと、笹のような葉っぱのついた新生姜

である。

 スーパーで買えば百円そこらの新生姜だが、縁起物と

なると500円~2000円という高値である。

 

 「縁起物だよ~」という景気のいいおばさんの一声に

乗って、一束1500円+おまけ一本をもらった。

 

 まさに縁起物、大勢の人出の中を、新生姜の笹を担い

で歩くと言うのは、通行手形を持って闊歩するような得

意な気分である。

 手もカメラも泥だらけになったが、縁起を担ぐ気分は

爽快であった。

 

 この賑わいの中で、昼飯抜きの空腹と、ビールの渇き

を癒したい!

と、縁起を担ぎながら放浪した。

 早速ご利益かなって、筥崎宮庭園の出店ビアガーデン

を見つけて、ビールとたこ焼きと、鳥の香草焼き、しめ

て1500円のディナーでリッチな気分に浸ることができた。

 

 ものの価値というのは、そこに込められた縁起である

ことよと、あらためて確信したことである。 

 

 

 

  

 

高値で売れる商売繁盛の秘訣

 適正利潤を犠牲にする安売り競争は、店の健康、会社

の健康を害する。

 数字を作れとまくし立てられて、赤字の売り上げ競争

をしている会社もあるはずだ。

 

 売り上げが減るということは、客を失い、会社の信用

が落ちることを示唆する。

 信用が落ちると、融資が受けにくくなる。

 やがては倒産が待っている。

 しかし、赤字売り上げでは、早晩行き詰まることも目

に見えている。

 結局、進むも地獄、戻るも地獄という苦境に立たされ

る。

 

 どうせ地獄道なら、 別の道に活路を見出すほかはな

いだろう。

 

 ではどうするか、覚悟を決めなければならない。

 自民党も同じだ。

 公務員による浪費で財政破綻している苦境をごまかし

て、不況になりすました増税で賄おうと画策したが、結

局は、大幅に議席を失い、政権も失った。

 

 企業だけではなく、政府も、公務員の不祥事を隠して、

ごまかしてきたのだ。

 その結末が、アメリカ同様、「不幸を選択した日本」

という選挙結果となった。

 責任回避、責任転嫁は、やはりよくない。


 社会保険庁に関わった退役公務員を含む全公務員の刑

事、民事の責任を取らせなければなるまい。

 それが、官主導状況の不都合として是正すべき初手と

言うべきであろう。

 

 

 

 

✿ 縁起のよい商売のすすめ 

 値引き競争をしなくても売れる商売の方法とは何か。

 縁起物の商品開発、縁起のいい商売方法を開発するこ

とである。

 縁起がいいとは、神の力を宿す、あるいはあやかると

言う意味である。

 その代金は、神への感謝奉納であり、清めると言う意

味もある。

 そこに、信仰心が問われ、正しさが問われる。

 

 まがい物を身に着けると縁起が悪いと言われる。

 偽ブランド、偽宝石、産地偽装商品などなど、偽物が

あふれている。

 中国、韓国、台湾、そのた東南アジア諸国では、偽物

商売で日銭を稼ごうとしている人がたくさんいる。

 しかし、これを続けていると、貧乏神経済がしみこむ

ことになる。

 

 まがい物とは、騙そうと言う気持ちで作られたもので

ある。

 偽ブランド商品を身につけている人は、気をつけたほ

うがよい。

 

 そこで、自社商品を縁起物にするにはどうしたよいか

を考えるとよいのだ。 

 

 

 

  

 修業を積んだ本物の技術には神が宿るものである。

 人助けの情熱で開発されたものにも、物語があり、神

の力が宿る。

 歴史や由来の中にも、神の力がある。

 

 このように、技術、美意識、物語や歴史の中に、神の

力、縁起が宿るものである。 

 食べ物の滋養にも、その食べ物となった生き物の育ち

や本来の性質の中に、生命力の根源が潜んでいる。


 たとえば、大川隆法著幸福の科学出版刊『太陽の法』

に紹介されているミュートラム文明(かつては温暖な気

候だった南極大陸に栄えていた文明)は、食文明であっ

たことが記されている。

 食品開発には多くのヒントや示唆がある文明である。

 

 そうした、由来、物語の中に、物質を超えた縁起の力

が潜むものである。

 それを読み取り、商品力にすることが、縁起のよい商

品開発の考え方だと言えるのではないか。

 

 ただし、こうした縁起の力は、無神論者や邪教徒には

無縁のものである。

 これからの経済もまた、信仰の時代を迎えることにな

るであろう。

 

 さて、今夜は、霊験新たかな放生会の新生姜で、生き

のいいかつおのタタキをいただくとしよう。

 

             

立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 放生会に跳ねる・・・ ブログタイトル変更のお知らせ  日本国としての独立運動を!

2009年09月12日 13時49分37秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

  放生会houjouya  屋台の尾ひれ  雨に跳ね 

   馬糞 Bafun

 

 

 

 筥崎宮の放生会は、昨日がお上りだったらしい。

 土曜日の今日は、ずいぶんとにぎわうことだろう。

 と言っても、今朝は肌寒い秋雨が降っている。

 儀式に放たれるのは鯉だろうか、その魚の気持ちにな

れば、雨の方が元気になれそうである。

 

 さて、思い切って、縁起物の葉っぱ付新生姜を買って

風流に闊歩してみようか。

 そして、生姜風呂に入り、新生姜でかつおのタタキで

時代劇を見ながらいっぱいやる。

 

 今日は、休日としよう。

 雨の日は、読書に限る。 

 

 

 

  

ブログタイトル変更のおしらせ


 これまで、四年余、『すぶんろこ!の九州独立運動』

と冠して俳諧してまいりました。

 しかし、放生会の今日よりは、『すぶんろこ!のジャ

パニーズドリーム運動』にタイトル変更することにいた

しました。

 ジャパニーズドリームと言う言葉は、新世界建設とい

う言葉同様、わが愛用のタイトルであり、魂に刻まれた

言葉であります。

 

 さて、その真意は、幸福実現党が立党宣言をし、そこ

に明確な日本独立、再生への道筋が公布された以上、巷

の道州制ないし、かつての幕藩体制への後戻りという誤

解を与えるべきではないとの判断によるものであります。

 

 それまでは、およそ、独立国家とはいいがたい日本の

現状を憂い、独立放棄の植民地条約ともいうべき「日本

国憲法」を金科玉条の憲法として恥じない状況に対する

反骨として、九州の使命を自覚するべく、九州独立運動

の旗を掲げたのでした。

 

 すなわち、九州こそは、日本国の原点であり、皇室の

発祥の地であり、日本の危機に立ち上がって闘ってきた

誇りと伝統を持っているという気概でもあります。

 

 日本政府が拉致された国民をさえ救おうとせず、ミサ

イルを向けられても毅然とした独立国家としての行動を

とるどころか、おもねてさえいたのですから。


 一見、潔く罪を認め、「悪い国でしたから、どんなこ

とをされようと、仕方がないことではありますが・・・」

から始まる対チャイナ、コリア外交を連綿として続けて

きたことは、国民に対する罪を忘れた亡国の政治と言わ

ざるを得ません。

 

 これからの民主党政権は、さらに頭を下げ、金を献上

する外交を展開することでしょう。

 しかし、それは、植民地としての平和を望む卑屈で都

合のよい姿勢にほかなりません。


 そんなことを、貧乏神の朝鮮やチャイナが許すはず

ないではないですか。

 そこに想定できない鳩ぽっぽ政府ができるとは・・・。

 

 このように、日本国が、台湾同様、中国を畏れて独立

宣言をすることができないのならば、九州から、独立国

家としての気概を示し、日本の盾となるべきである、と

いうのが、九州独立運動の真意でありました。

 

 にもかかわらず、地方に甘んじて、地方公務員に血税

を吸い取られ、経済も文化も萎縮してしまっていること

は、まことに情けない状況と言わざるを得ません。

 中央政府同様に、地方が地方に甘んじて独立の気概を

忘れているから、寂れてしまったのだとも考えられます。

 

 それが、九州独立運動の二つ目の真意であります。 

 

 

 

 

 しかし、幸福実現党が立ち上がり、日本国独立運動を

開始した今、九州一人が独立運動として展開する必要は

なくなりました。

 

 たしかに、地方の活性化をどうするかと言う問題は残

ります。

 そのためには、地方の独立精神は不可欠であると思い

ます。

 ただし、地方の政治的独立を最善とするものではあり

ません。

 伝統的、文化的誇りと言うべきものであります。

 ましてや、公務員の温床となりかねない道州制論議と

は明確に一線を画したいと思います。

 

 かといって、地方長官を置いて、完全な中央集権制と

するのがよいのかは議論の余地があるのではないでしょ

うか。

 その根底には、官僚、公務員に対する不信感が根強く

あるからです。

 公務員採用には、兵役3年を課するべきです。

 結局は、政府や公務員に対する信頼性の問題と言うべ

きかも知れません。

 

 地方経済繁栄のためには、かつての薩摩や長崎、佐賀

のように、貿易によって経済を繁栄させる必要がありま

す。

 たくさんの裕福な外国人に来てもらい、住んでもらう

必要があります。


 そのためには、銀行と情報バンクと、格安の高速交通

手段の整備が必要です。

 さらには、関税をなくし、消費税をなくすことが効果

的でしょう。

 大きな政府、複雑な手続き、高い税金は、鎖国政策で

あるといわざるを得ません。

 

 そうしたことが、今後、国政問題として正面から議論

できる維新の旗印が立ったことは、まことに希望あるれ

る出来事でありました。

 今まさに、神話の時代が始まっていることを実感する

ものであります。

 

 立憲女王国・神聖九州やまとの国は、日本国の真なる

独立と、ジャパニーズドリームを実現してゆく大和魂と

して、今後も活動を継続する所存です。

              


立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 合歓の木のハワイアンな花・・・ 新世界建設  就職についてのハワイアンな考え方

2009年09月11日 21時36分50秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

   

 合歓nemu の木に  ハワイアンな  花揺れて      

    馬糞 Bafun

 

 

 今日は二百二十日、二つ三つ、台風が上陸してもよい

季節だが、CO2の影響でか、北の勢力が強く、静かな初秋

である。

 

 それほど暑くはなかった夏だったが、合歓の木には、

フラダンスのような赤い花が咲いて、まるでハワイアン

のようである。

 かつて、ハワイアンダンスを取り入れた呼吸法という

のを指導してもらったことがある。

 自分がやしの木になって、ゆったりとした風にそよぐ

のである。

 

 何かとストレスの多い世の中であるならば、ハワイア

ンな風に歌い、揺れてみるのもよさそうだ。

 男のハワイアンというのもどうかと思うが、男はバッ

クに立って、やしの木になればよいのだ。

 

 情熱のフラメンコと風になるハワイアン、どちらも習

得したい歌と踊りである。

 さあ、気分一新、世の中の「不況風」をハワイアンに

してゆこうではないか

 

 

 

 

就職についてのハワイアンな考え方


 今の自分が学生だったら、求人の有無に関わらず、面

白そうな企業を探して、自分だったら、こういう仕事が

して見たいと提案型の営業を仕掛けるだろう。

 

 ところが、学生にとっては、提案が浮かばない。

 なぜなら、勉強が足りていないからだ。

 そう気づいたならば、やはり、本気で勉強するべきだ

ろう。


 今の日本にとって何が必要か、世界に向かって何をな

すべきなのかを考えて、それにふさわしい企業を探すと

いう活動ができたら、就職活動は楽しくて仕方がないだ

ろう。

 発想をするためには、ハワイアンになって、熱帯の海

風に揺らいで見ることだ。

 

 就職活動とは営業である。

 人材としての自分に先行投資するように提案する営業

活動である。

 先行投資をさせるのだから、夢を語らなければならな

い。

 しかし、自分の夢ではない。

 

 投資をすれば、こんなに素晴らしい未来が開かれます

よという、相手の夢を描いて見せるのである。

 実は、それが自分の夢でもあるのだ。

 利自即利他、これが、営業で提案できる夢なのである。

 

 企業にとっての夢とはなんだろうか。

 従業員に給料を払いたい、その家族を養いたいという

のが、社長の最低限の夢である。

 しかし、従業員にとっても、その家族にとっても、そ

の会社で働いていることが誇りでなければならない。

 夢でなければならない。

 

 稼ぎたい。

 だが、誇らしい仕事で稼ぎたいのである。

 ありがとうと言ってもらえる仕事をしたいのである。

 与えることが喜びである。

 

 そんな仕事をしたいという具体的な提案を持っている

人材であるならば、それこそは、企業の希望である。

 

 こういうことを学生に語ると、なるほどと思ってくれ

る。

 しかし、それをするとなると、恥ずかしがるのだ。

 え~、ほんとにするんですかぁ~。

 

 先日、前イスラエル駐日大使、エリ・コーヘン著『グ

ローバル時代のビジネス武士道』という本のタイトルが

気に入って30分ほど読んでみた。

 「最近の若いもんは」というけれど、それでも、外国

人から見れば、武士道の発想で考え行動しているのが日

本人だと言うのである。

 しかも、それこそが、世界を救う力を持っていると言

うのである。

 

 そんなにおだてられると、つい、うれしくなるが、た

しかに、武士道とは、命がけの忠誠と利他の精神である。

 礼の心は、競争社会に欠かせない切磋琢磨の精神と、

相手を尊敬する人間神の子思想を持っている。

 それこそは、スポーツマンシップの極致である。

 現代、競争社会に欠かせない境地なのだ。

 

 だから、企業は、必ず採用すると約束しないでもいい

から、いい人材がいたら是非、働いてもらいたいという

気持ちを堅持して欲しい。

 

 そこで、学生が就職立候補し、企業も逆境にこそチャ

ンスありという気概を持って求人票を立てるという、新

しいスタイルの『就職フェスタ』を企画中である。

 学生には、幸福実現党の志士のごとくに獅子吼して欲

しい。

 企業には、そうした若獅子に未来を投資してほしい。

 

 12月2日、アクロス福岡地下、イベントホールを予定し

ている。

 

 学生の武士道、企業の武士道が、新世界を建設する。

 土方仕事こそは、新世界建設の夢である。 

                


立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 豊穣の風が吹く・・・  チャンスの時代、チャレンジの時代  不況などと愚痴るなかれ!

2009年09月10日 22時04分17秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

   

 不況風  知らず実りの  風は吹き      

    馬糞 Bafun

 

 

 

 田舎には風が吹いている。

 その風が、みかんを育て、稲穂を実らせている。

 不況風なんて、いわないほうがいい。

 人は、悪い空気に流されやすいものだ。

 

 田舎には、いい秋風が吹いている。

 都会にも、娘の髪をすくおしゃれな風が吹いている。

 気持ちがよどんでいてはいけない。

 心の窓を開いて、いい風を入れよう。

 

 気分一新、青い実を育て続けたいものだ。

 世の中には、爽やかな、いい風が吹いている。

 もうすぐ放生会である。

 解き放て、魂の、豊穣への自由を!

 

 

 

 

不況とは・・・ 病は気から


 すっかり不況という気分が定着してしまった。

 失業率が5.7%にもなったといっては、社会主義者

が活気付いている。

 貧乏神とは、そうしたものだ。

 

 病は気からという。

 不況も気からである。

 

 チャンスの風が吹いているのだ。

 チャンスがいっぱいだと思うことだ。

 

 世の中は不況なのではない。

 「況」とは、有様、おもむきという意味であるが、チ

ャンスを見るものにはこれほどわくわくする時代はない

であろう。

 世の中は、新況とでもいうべきか。

 新鮮、新しい、わくわくする、チャンスがいっぱい、

そんな時代である。

 

 売れなければ、売れるようにしよう。

 誰かのせいで売れないのではない。

 新しい工夫はないですかと問いかけられているのであ

る。

 

 不況で仕事がないのではない。

 新しい仕事を始めませんかと、問いかけられているの

である。

 武士道とは、死ぬこととみつけたり。

 しからば、チャレンジしようではないか!

 

           

立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ スイカの種ほども鳴く・・・ 放生会の頃  中小企業の活路  大川隆法著『経営学入門』

2009年09月09日 21時00分40秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

    

 すずすずと  スイカの種ほど  虫鳴いて      

    馬糞 Bafun

 

 

 

 スイカを食いながら、満開の虫の音を聞いているのも、

夏と秋とが重なって風流なことである。


 筥崎宮では、放生会houjouya の屋台が立ち始めた。

  屋台には、縁起物の新ショウガが山積みされる。

 ショウガの葉っぱを風呂に入れて夏の疲れを癒すとい

うことだろうか。

 

 今日は9月9日、新暦ではあるが、重陽の節句、菊の節

句である。

 それだけで、菊の香りを感じる。

 菊の香りは、ピリッとした生命感が、とても健康的だ。

 

 もう一つは、我輩の旧暦の誕生日である。

 菊の酒で、旧暦の誕生日をひそかに楽しみたいものだ。

 ちょっと、ずれているところが風流なところである。

  

※重陽の節句
⇒ http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/0f/85986c27ff88788468728bb63655bdd4.jpg

 

   

 

 

中小企業の活路~ 大川隆法総裁の叡智


 大川隆法著 幸福の科学出版刊『経営入門~人材論か

ら事業繁栄まで~』という名著がある。

 価格は一万円だが、中小企業主にとっては、申し訳な

いほどに安い本であろう。

 活路を求めている経営者には、目からうろこの、経営

悟りの書というべき指南書である。

 深い教養と経験と深い思考に裏付けられた叡智に満た

されている。


 その中に、「小さな会社の社長へのメッセージ」とい

う章がある。 

 「従業員の数が数人から百人までの小さな会社の経営

者はオールマイティーでなければならない。」

 「従業員は社長の苦悩は理解できないし、社長に取っ

て代われる者もいないということを知らなければならな

い。」

 「トップの限界が、会社の発展の限界になる」

 「経営とは、日々の発明の連続である」

 「社員を改造する前に、まず自己を改造せよ」

 

 経営にも、悟りが求められていることが分かる。

 経営者とは、まさしく修行者であると思えてくる。

 やはり、優れた師を見出すことができるか否かも問わ

れていることであろう。

 


 

 

中小企業の活路~ 発明の連続


 業績がうまくゆかなくなると、組織改変ばかりに腐心

する経営者がいる。

 業績不振は、従業員のせいだと考えるからであろう。

 しかし、上記「経営入門」によると、すべては、経営

者の責任である。

 日々発明、売れる商品、売れる方法を日々考案するこ

とが肝要という趣旨が述べられている。

 

 自分の努力だけで、このような確信を持つに至るかと

いうと、そうはゆくまい。

 これは、悟りなのだと思う。

 

 中小企業の活路は、ヒット商品の発明と、販売方法の

発明にある。 

 スーパーに依存する商品を作っても儲からないであろ

う。

 独自に販路を広げる商品開発戦略が活路を開く。

 

 腹を決めて、取り組むことだ。

 

 私も、水産会社を経営している従兄弟から相談を受け

て、商品開発に智慧を貸すことにした。

 幸福の科学出版の本を読むようになってから、アイデ

アが泉のようにあふれるようになっている。

 人助けしてみたいと思う。

 

 中小企業にとって、現代はまさにチャンスの時代であ

る。

 ただし、発想の転換ができるか否かが問われることに

なる。

 

 私のブログタイトルに使っている「すぶんろこ」とは、

コロンブスの卵にあやかって、コロンブスを逆転して呼

んだものである。

 すなわち、すぶんろことは、逆転の発想で活路を開く

という意味がこめられているのである。

 

 チャンスは、試練の顔をしてやってくる!

 経営者よ、どんなに苦しくても、自殺なんかするな!

 自己破産か、大成功か、どちらも修行者として生かさ

れているドラマである。

 がんばってゆこう!

                 

                   

立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 白露と千日紅・・・ ■現代の最大論点 ■亡国思想の正体「唯物論」「社会主義」「邪教」

2009年09月08日 10時37分03秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

    

 庵なす  千日紅の  甘露かな      

    馬糞 Bafun

 

 

 昨日は白露である。

 朝露を集めて入れるお茶はまさに甘露であろう。

 朝夕が涼しくなって、草木が玉のような朝露を宿すと

いう季節である。

 ちなみに、千日紅は、薬草茶としても用いられるらし

い。

 美肌効果や、喘息など気管系の病気にも薬効があると

う。

 甘露でいれる千日紅茶とはいかがな味わいであろうか。 

 

 朝露といえば、愛犬が健在だった頃を思い出す。

 いてもたってもいられないという様子で誘われて朝早

くからランニングに出たものである。

 草地に出ると、足元はすっかりびしょぬれになる。

 家に帰ると、愛犬の手足を一つ一つタオルで拭って朝

飯前の儀式が終わるのだった。

 年老いても、愛犬のいる元気な暮らしを続けたいもの

だ。

 

 都会では、借家暮らし、マンション暮らしとなると、

犬を飼うことが禁止される。

 潤いのない契約が強制される。

 犬を飼っていても、やれ糞をするな、散歩をするな、

放すなと禁止規制ばかりで、窮屈なことである。

 だから、運動不足社会、メタボ社会になるのだ。

 愛犬の散歩公園をたくさん作ることが、生涯スポーツ

振興になることであろう。

 

 犬を怒らせてかまれたと言っては大騒ぎする。

 犬との付き合い方、遠慮の仕方も世の中の礼儀であり、

やさしさであった。

 狂犬病などの防疫は大切であろうが、殺すことはない

ではないか!

 再び、生類憐れみの令など出してみてはいかがか。

 

 

 

 

     千日紅  庭師の裾に  じゃれており      

     馬糞 Bafun

 

 

 

 花が少ない夏場にも、墓場にも、千日紅は、永遠の紅

を添えようとしているかのようである。

 そんな毎日の千日紅の花が、長年住み着いた猫のよう

に、世話をしてくれる庭師にじゃれている。

 そんな草花にも、やはり心はあるのだ。

 

 

 

 

現代の最大論点・・・ 正邪の見分け方

  神も仏もない唯物論教育と、傲慢というマスコミ自由

主義、いたわりのない合理主義、人間中心主義が、世の

中を殺伐として自滅へと転落している。

 天に唾する、そういう輩のなんと多いことか。

 

 あちこちにしゃがみこんで携帯電話をしたり、タバコ

をふかしたり、車道を逆走する自転車、携帯画面を見な

がら自転車こいでいる危険な人間、道にゴミを捨てる人

間・・・。

 巷に広がった、日常的現代の姿である。

 それが、現代教育、政治、経済の果実でもある。

 神も仏もない人間たちの姿である。

 

 現代の最大論点は、反省から発展へと舵を切れるかど

うかにある。

 『仏神は、人を教え生かし、その修行を許す愛の根源

的存在である。

その愛と慈悲の仏神の思いをわが思いとして生きること

が人間としての自尊心であり、生きがいの原点である』

という文明が投げかけられている。

 これをめぐって、闇の勢力が抵抗勢力として湧き立っ

ているのだといえる。

 

 現代の激動は、光と闇の戦いにある。

 このまま亡びるのか、それとも新たな文明を開くのか

の瀬戸際である。

 

 闇の勢力とは悪魔とも言われる。

 その悪魔の思想は次の三つに集約されるのではないか。

 

 唯物論・・・ キーワードは「幽霊がいるものか、あ

の世などあるものか、神がいるなら出してみろという

神論」「生物とは偶然に生まれたものであり、進化とは

環境に適応する偶然の遺伝子組み換えによる変化なのだ

という、ダーウィンの進化論」、「医術とは機械の修理

であるという人間機械論」「機能的に故障して役に立た

なくなったら生ゴミであり、つかえる部品があれば移植

して生命延長の役に立てるべきであるという脳死推進、

臓器移植」「心は脳の電子現象だという脳論」。

 

 社会主義・・・ キーワードは「平等」「福祉」「

持ち敵視・嫉妬」「差社会論」。平等と言うイデオロ

ギーの下に、他人の成功、発展を妬む嫉妬心を合理化す

る、独裁と暴力の政治思想である。

 

 邪教・・・ 詐欺、恐喝、殺人、誘拐、婦女暴行、い

やがらせ、呪いの儀式、超能力を売り物にするなど、自

己中心のご利益主義、破壊的で、ネクラの特色が馬脚を

現す。

 

 鳩山由紀夫氏は、超能力信仰の危険な真光嵩教の熱心

な信者だと言う噂が気になるところである。

 

 正邪の区別がつかなければ、人の心も世の中も健康で

はなくなる。

 不幸になる。

 そして、自滅する。

 

 やはり、正しさとは何かということを、いつまでも追

求することをやめてはならないのである。

 それが、人間にとって大切な謙虚であり、向上心では

ないのか。 

              

立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi

  

 

 

 

 

 

 

 

  

 

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+ 紅葉葵の風車・・・ 公職選挙法の違法性  光と闇の戦い

2009年09月06日 19時07分20秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

    

  風車  もみじ葵に  風吹いて    

    馬糞 Bafun

 

 

 

 庭園の端に、風車のような大きな花弁を広げて突っ立

っている花が目を引いた。

 どこからやってきたのだろうか、とおもうほど、外人

のような背の高い花である。

 紅葉葵というのだそうである。

 

 意外に日本的な名称だ。

 そういえば、風車のようでもある。

 赤い風車といえば、水戸黄門を影で護る弥七の風車を

思い出す。

 

 その風車をまわそうというように、ふっと風が吹くの

だが、なかなか回らないので、また、ふっと風が吹く。

 それでも回らないので、次には思いっきり強い風が吹

くのかもしれない。

 

 そろそろ、大型台風が来てもよいころなのだが・・・。

 

 台風は、博多では神風である。

 その神風で、この世の邪悪を吹き払ってもらいたい。

 彼らの弱点は、天災、人災で損をすることなのだ。

 

 光と闇の戦いは、善念と悪想念の相克であり、妄語や

悪口との相克である。

 善なる言霊は、その言葉そのものが光を放つ。

 邪悪な言葉は、闇であり、それを放つ者自身を蝕むも

のである。

 勝敗はついているのである。

 

 かつて言霊をやどした万葉の時代があったものを、現

代には病変した邪悪な言葉が目立つことである。 

 

 悪霊、悪魔は、マスコミだけではなく、インターネッ

トにも潜んでいる。

 幸福実現党や幸福の科学を罵り、貶めることはいかよ

うにもできるのだろうが、その邪見で己の魂が穢され、

裁かれることになるのだ。


 病原菌はなくならないものであるが、殺菌消毒するこ

とと、免疫力をつけることが肝要である。

 ここに免疫力とは、信仰と教養であろう。

 正見、正思、正語を心得たいと思う。

 

 

 

 

公職選挙法の違法性について


 公職選挙法の不条理は、新規参入の政党を拒絶してい

るところにある。

 法律の違法性とは何かというと、不正義であるという

ことである。

 法とは、正義を明らかにするところに正統根拠がある。

 司法の基本原理である、法の支配という考え方である。

 

 立候補を300人以上立てて、最も充実した選挙公約

や国家としてのあるべきビジョンを示した幸福実現党を

政党として扱わず、公職選挙法の騙し絵のような規定を

盾にとって、候補者の政党名を空白にする行為のどこに

選挙の公正さがあるというのか。


 国民の知る権利を妨げ、差別する行為のどこに、合理

的根拠があると言うのか。

 公職選挙法そのものが悪徳かつ正義の法の精神に反す

る違法性を帯び、これを実現する者の行為もまた強度の

違法性を帯びることになる。

 

 しかも、選挙表現の自由を、事前に抑制する一連の規

正は、表現の自由に対する致命的規制効果であるところ

の萎縮効果をもたらす。

故に、検閲同様に、違憲無効の推定が働くと言うべきで

ある。

 

 逮捕されたくなければ、黙るほかないというほどの、

複雑な事前抑制なのである。

 それならば、マスコミを黙らせればよかったのだ。

 

 選挙の公正といっても、現行法の下でも、買収がまか

り通っている。

 票を取りまとめて売りつける投票ブローカーもいる。

 そのような票を買い付ける政党もある。

 

 規正法をどんなにきめ細かにしたところで、禁酒法同

様、マフィアの収入源を作るばかりである。

 

 選挙の公正は、票の買収行為の禁止と、公正な選挙倫

理の教育と、愛国の教育に委ねるべきなのである。

 法は、単純明快でなければならない。

 周知され、良識に担保されてこその法だからである。

 

 愛国教育がどおのという輩はどうぞ、母国北朝鮮にで

も帰省してください。

 

 選挙の公正実施に責任を持つはずの選挙管理委員会の

責任は、公職選挙法によって正当化されませんよ。

 民主主義の大前提である、国民の知る権利を侵害し、

不合理な差別をしたのであるから。

 

 悪霊どもよ、お前たちのさかしらな正義こそは、この

世の邪悪であると知れ!

 そして、後生恐るべし!

 

             

立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 夏越の風(門司港駅)・・・ 交通革命  地方活性化の処方箋

2009年09月05日 20時21分55秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

  海峡に  夏越しnagoshi の風は  往き来して    

    馬糞 Bafun

 

 

  

 

 数年ぶりに、門司港駅に降り立った。

 残暑にまぶしい港町は、閑散としていた。

 かつては、石炭景気で羽振りのよかった北九州を背景

に、関門連絡船の港町として賑わったところである。

 

 木造の駅舎は、大正ロマンの風情を残している。

 やはり、日本には木造建築がよく似合う。

 学校などは、木造建築でよいのだ。

 

 門司港の賑わいも今は昔、かつての繁栄を取り戻すに

は、バナナの叩き売りを再現してみても所詮、無理な話

である。

 再び交通の要衝となるような発想の転換がなければ、

観光地としての復活もないであろう。

 

 交通の要衝とは何か。

 やはり貿易であろう。

 バナナ輸入港とするか、旅行者を輸入するかである。

 高速旅客ボートで博多、山陰や四国、大分、鹿児島ま

でも結ぶ港町にするか、工夫はあるであろう。

 

 なにしろ、萩の松下村塾を訪ねたいと思っても、直通

の電車がない。

 バスはあるのかもしれないが、窮屈で年寄り向きでは

ない。

 門司港駅はホテルや港が一体の便利な位置にある。

 港は世界に通じている。


 せめて、交通不便な萩や出雲に直行する高速艇を売り

にするべきであろう。 

 高齢者が憩える港町として、創意工夫して欲しいレト

ロ地区である。

 レトロとは、蓮都路、蓮の都の通りとでも訳して、発

想してみてはいかがだろうか。 

 

  

 

  

交通革命こそは、地方を若返らせる


 交通は、国の血管である。

 体の血管を見ると、大動脈、大静脈を柱に、枝のよう

に細い血管が張り巡らされているものだ。

 血管の血の巡りが悪ければ、壊死を起こす。

 同様に、町も、交通不便であれば、活気を失う。

 

 情報は、神経網に相当するであろう。

 しかし、血管が神経細胞を維持するように、交通が情

報網の前提である。

 

 血液は、物流と人流、金流であろう。

 血液の必要が血管を作る。

 と言うことは、人、物、金の流を生み出す産業、商業、

サービス業が交通需要を生み出すと言うことになる。

 

 しかし、大きな産業でなくてもよい。

 小さな産業、商業、サービス業があれば、そこに、交

通サービス業が先行投資すればよいのだ。

 すると、人が集まり、産業や商業がさらに膨らんでく

る。 

 交通サービスが、成長を生み出すのだ。

 

 人が少ないから一時間一本の連絡船では発展がない。

 大きな交通として、都市圏を結び、その枝交通として、

文化のある地方都市を高速で結び、さらに、小さな島を

結ぶというように、小型高速直通の交通網を構築するこ

とである。

 

 

  

 

 交通革命は先行投資である。

 成功したら、大きな繁栄をもたらす。

 福祉の発想ではない。

 産業投資である。

 

 その投資に耐える融資を、人々がすればよいのだ。

 投資は国づくりである。

 その投資を、銀行が仲介してもよい。

 コンビニが仲介してもよい。

 証券会社である必要はない。

 

 国民の税金で運用されるよりも、国民の直接投資で運

用されるほうが夢がある。

 出資者カードを使えば、一定の割引サービスを与えて

もよい。

 これこそが自由主義経済の基本と言うべきではないの

か。

 

 このような発想で、小型ジェットによる地方都市間航

空交通網、小型高速艇による海洋交通網、1時間5回は往

復する鉄道網が整備されればよい。

 これが、地方活性化のカルテである。

 

 こうした需要のために、三菱重工は小型ジェット旅客

機を生産するべきである。

 川崎重工は、小型高速艇を量産すべきである。

 

 ついでに、小型無人戦闘機を生産すべきである。

 小型無人高速駆逐艇を生産すべきである。

 ホンダは、水陸両用の仕事ロボットと戦闘ロボットを

地上に放つべきである。

 

 これで、九州は半島や大陸に勝てる。

 

            

立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ たますだれの道・・・ 宗教入門Ⅲ  NHKの邪見番組

2009年09月04日 12時35分57秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

  

 

 彼岸道  咲き清めたり  たますだれ

   馬糞 Bafun

 

 

 

 今日は、旧暦の盆の送り火、三度目の盆であるが、も

う、彼岸の連休が見えている。

 田んぼの土手には、彼岸花が朱に染まりつつあるのか

もしれない。

 通りがかりの庭先には、タマスダレが列を作って咲い

ている。

 

 タマスダレの花は、夏場の水仙という風情であるが、

彼岸花の一種だそうである。

 彼岸花の鮮烈さはないが、よく見ると、純白の蓮華の

花のようにみえる。

 

 幼くしてこの世を去らなければならない魂もあろう。

 小さな子供には、道に沿って咲くタマスダレの花は、

美しく、導きの花ともなろう。

 タマスダレの花に沿って、無事に、彼岸に渡らむこと

を。

 

 

 


 たますだれ  子の魂の  道に沿え

 小さき蓮華の  指差し添えて

    馬草 Magusa

 

 

NHKの邪見放送番組


 NHKの番組を誰が作っているのか、その責任所在は明

らかにされていないが、その基本思想は、政治的には反

日社会主義左翼の立場であり、その価値観は、唯物論で

ある。

 いずれも、現代日本の闇と言うべき思想を、「公共放

送」と称して税金を徴収して流布しているのだから許し

がたい精神公害である。

 

 邪見とは、人間を不幸にする考え方、間違った価値観

のことを言う。

 それが、マスコミによって流されると、社会が暗黒思

想に穢されてゆくことになる。

 

 そうした、邪見放送は巧妙な偽装を施している。

 たとえば、「プロフェッショナル・・・仕事の流儀」

では、「脳科学者」と称する茂木健一郎を使った唯物論

を流布する番組である。

 仕事の苦労話はよいが、そうしたプロの生き様を、脳

という物質が生み出す現象だという前提で取り上げるの

だから、実に失礼な話である。

 

 その茂木健一郎の研究課題は、「なぜ、脳から心が生

ずるのか」だそうである。

 それが、科学だと言うなら、問題意識の前提となって

いる「脳から心が発生している」ということが正しいと

言う証明をこそするべきである。

 

 脳波が反応したことはその証明にはならない。

 なぜなら、脳は計算機に過ぎないという仮説を排除で

きないからである。

 証明されない重大な仮説を前提とした次の問題意識な

ど、科学者の持つべき問題意識ではあるまい。

 

 もう一つの例は、同じくNHKの『ダーウィンが来た』

という、動植物の不思議な生態を紹介する番組である。

 ダーウィンといえば、生命は魂ではなく、偶然の産物

であり、生存競争という環境適合によって多種多様な進

化を遂げてきたのだという主張である。

 

 結果、人間も元を正せば、アメーバーのような微生物

から進化して、直前の祖先は猿だという大胆な発言を科

学と称して言うのである。

 すなわち、人間の本質は精神ではなく、物質にすぎな

いという人間観を普及する番組というわけである。

 そこに使われる動植物こそ、迷惑な話である。

 

 それが、なぜ科学なのか。

 進化論の手法である偶然論こそは、非科学的であろう。

 

 こうした、唯物論、唯脳論という、人間の精神性を現

象程度にしか扱わない考え方は、どれ一つとして証明さ

れたわけではなく、思い込みに過ぎない。

 しかも、根拠のない思い込みが、人を貶め、不幸にす

る思想である以上は、地獄的暗黒思想であり、邪見なの

である。

 その邪見を普及する者たちを邪教徒という。

 

 人間の本質は心にこそある。

 霊生命体であるからこそ、永遠の生命としての継続性

がある。

 存在とは、永遠でなければ論理的につじつまが合わな

い。

 

 多くの霊現象は、肉体を離れた人格の存在を示唆して

いる。

 それを錯覚だと言うのは苦しい言い訳にすぎない。

 少なくとも科学的反論ではありえない。

 

 さて、人間が永遠の魂としての存在であり、それが、

肉体に宿って数十年、この世の厳しい生存競争を通して

心の修行をしている存在なのだという仏教思想と、人間

は所詮偶然の産物であり、生命機能を持った物質である

という考えとを対比して、どちらが豊かな人生観を生む

ろうか。

 

 神も仏もないというNHKの唯物思想と、仏神の心をわ

が心として生きようとする信仰ある人生観とで、どちら

が人間関係を幸福にするだろうか。

 

 よくよく考えてみることだ。

 

 思考停止して安易に、「宗教っぽくてい嫌だ」などと

言ってはなるまい。

 神も仏もない人間には、信じる力がないということで

ある。

 自分勝手こそが原則だと言っているようなものである。

 実に不道徳な考えである。

 

 それが、好ましい人間かどうか、反省してみることだ。

 

 信仰を、安易に軽蔑し、危険視し、嫌悪してはならな

い。

 それは罪なことであり、不幸を呼び込む考え方なので

あるから。

 幸福をこそ、探求したいものである。

 

              

立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi

  

 

 

 

 

 

 

 

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+ 芙蓉の花も晴れ・・・ 政治の楽しみ  信仰は盲人の杖のようなもの  人生は修行である

2009年09月03日 21時23分07秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 コスモスの  ように芙蓉も  晴れわたり

   馬糞 Bafun

 

 

 

 博多の空は、台風一過のように晴れ渡った。

 日差しが強くて、目が開けられないほどだが、残暑の

蒸し暑さがない。

 『地球温暖化』が嘘のようであり、嘘であろうと思う。

 とかくこの世は冷えやすい。

 温暖化であるとすれば、それはありがたいことではな

いか。

 

 芙蓉の花がコスモス色に、満面に晴れていた。

 そして、優雅な気持ちにさせる。

 

 ああ、初陣の総選挙が思い出され、もう楽しくて止め

られないという気持ちになっているのではないだろうか。

 

 客商売というのは、目の前に見知らない支持者が集ま

るともう止められないものであろう。

 「飴屋でも商売」、「こじきも三日したら止められな

い」、などといわれる。

 

 飴屋でも工夫をしている。

 こじきは、役者である。

 自分の芸が認められ、期待され、ファンになってくれ

る人たちをもっと増やしたい、それが、やりがいになる。

 

 政治家というのも、お客さんあってのものだ。

 人間の文化というものは、政治も、経済も、商売も、

芸術も、参加するものである。

 一方がサービスし、他方は受け取るだけと言うもの

はない。

 

 政治は、政治家と支持者が参加して国づくりをする。

 商売は、売り手と買い手が参加して店作りをする。

 

 だから、もう、政治からは逃げられない。

 何のために働いているのか。

 政治に参加するためである。

 どんな仕事、境遇であっても、その立場が国づくりを

する。

 

 台風一過、さわやかな風を楽しみたいものだ。

 未来とは希望以外のなにものでもない。

 

 

 

 

宗教入門Ⅱ 神に手を合わせる目的とは

 

 「まるで、宗教のようだ」とか、「宗教は恐ろしい」

とか、常識でもあるかのように言っている者がある。

  その無教養、神も仏もないその人格のほうがいかにも恐

ろしい。

 

 宗教とは、尊い神仏を実感して、その教えに帰依する

という、人間の精神の至高である信仰に導くものである。

 信仰にいたるには、必ずそこに悟りというべき気づき

があるものである。

 そうした神秘性のない人間は、要するに卑しいのであ

る。

 きれいな表現を使えば、俗物なのである。

 突き詰めてゆけば、人間には尊さと言うべきものはな

いことにもなる。

 その傲慢は、どのように死を迎え、死後の世界を迎え

るのだろうか。

 

 尊い仏神に手を合わせるということは、心が洗われる。

 神聖な気持ちになることができる。

 敬虔な気持ちになることができる。

 

 しかし、邪教は宗教ではない。

 邪教とは、悪魔が主催するものである。

 その心は、恨み、憎しみ、仕返しの正当化である。

 あるいは、自己嫌悪であり、支配欲である。

 

 いかに神秘であっても、正義ではない。

 悪魔の導きを宗教といってはならない。

 おそらく、邪教でない新興宗教は、幸福の科学以外で

は、立正佼成会、生長の家、天理教が考えられるが、年

々天の理が見えなくなりつつあるのではないだろうか。

 

 だまされてはならない

 人生は修行なのである。

 ご利益を求めるべきではない。

 ご利益は与えられるものである。

 

 人生これ修行、自助努力と他人のために生きる霊的人

生観(愛と慈悲)が正しい宗教の基本にある。

 

 正しい信仰なくして、国づくりはできない。

 日本の国を築いたのは、ほかならぬ、八百万の神々で

ある。

 信仰なくして政治を語るものは、自我我欲の卑しい打

算によるものである。

 よく考えてみるといい。

 国のために死ぬ覚悟があるか。

 

 過激なイスラム教徒でさえ、信仰なき俗物とは比較に

ならない神聖さを持っている。

 ただ、知恵が足りないために、感情に流され、報復戦

に駆り立てているのである。

 宗教も、はやり、イノベーションが求められている。

 

 

 信仰とは、知性であり、情熱であり、純情であり、潔

いものである。

 己の信仰心に気づいていない者たちよ、己の神聖に気

づくべきである。 

 

            

立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 新秋刀魚・・・ 新世界建設 政党の役割(政治教育論)

2009年09月02日 22時18分15秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

  新秋刀魚  となりの客も  細長く

   馬糞 Bafun

 

 

 

 秋刀魚の季節になった。

 大根おろしと、じゅうじゅうの焼き立てがおいしい季

節である。

 昼の定食、となりの客もさんまだった。

 

 総選挙から三日目、新聞を見るのも嫌な気分である。

 焼け跡に、まだ煙がくすぶっているような気分である。

 しかし、全力をつくした人たちは、完全燃焼であった

ろう。

 

 選挙結果としては大敗であったが、この世が感化され

るまでの時差として辛抱しなければならない挑戦であっ

た。

 弓はぐっと引かれるものであり、津波の前触れは潮が

ぐっと引いてゆくものである。

 

 「新世界建設」

 作業ヘルメットにそう書いていたこともあったが、そ

んな会社を作って仕事がしたいものだ。

 心の世界では、新世界建設の仕事が始まっている。

 


 


政党の果たすべき役割・・・ 情報提供、民意反映、政治教育 

 
  日本人の大半の政治意識は、政治が何をしてくれたか

ということである。

 マスコミが、所詮政治には期待できない、政治家は金

に汚い、悪徳だというイメージを作り続けたからである。

 

 そのイメージが、ライバルを追い落とすのに有効とみ

るや、政治家自身がそのイメージを使ったりもする。

 その返す刃で、政治そのものが傷つけられると言うの

にである。

 なんという本末転倒であることか。

 鳩山民主党も、その本末転倒を利用して大勝した。

 しかし、その返す刃で自らの政治生命も絶たれること

にもなろう。

 

  国民の政治意識の低さは、政党が政治教育を怠ってき

た結果だともいえる。

 

 政党の役割要件には三つある。

 ① 国政の情報を有権者に伝えること

 ② 国民の政治的意見、要望を吸い上げて国政に反映

すること

 ③ 国民の政治教育をすること

 以上の三つが基本要件である。

 

 ところが、情報提供はマスコミに支配され、マスコミ

の情報は、マスコミの政治的意見・評価と不可分一体に

加工されている。

 であるならば、マスコミに出演しないことも一つの戦

略であろう。

 報道特権など、与えるべきではあるまい。

 マスコミが政治権力として国政を左右している以上、

協力すべき義務はないというべきである。

 

 自民党も、やはり、情報提供手段を持たなければなら

ない。

 経済に強いなら、日経新聞並みの独自のメディアを持

つべきなのある。

 しかし、最も大切な情報提供は、選挙地盤に帰ってす

る講演、勉強会、出版と言うものであろう。

 

 国民の意見を国政に反映する方法としては、やはり、

戸別訪問をしたり、セミナーをしたり、公聴会を開いた

りという活動が欠かせない。

 その最大の時期が選挙期間中にある。

 

 ところが、さまざまな活動規制のために、有権者との

接触ができにくい状況にある。

 公職選挙法は、民主主義の理念、表現の自由に対する

過度の規制として、違憲無効というべきであり、廃止す

べきであろう。

 

 国民の政治教育というにいたっては、ほとんどその役

割を果たしていない。

 共産党の政治教育は、恐るべき偏向、偏見である。

 洗脳に近いものがあり、やはり、共産主義は恐ろしい。

 

 では、自民党はどんな政治教育をしてきたと言うのか。

 党員募集がどれほど熱心に行われたのか。

 大半は政治資金集めであったろう。

 

 しかも、公教育では、まともな政治教育は行われてい

ない。

 政治家が学校に行って、政治教育を担当してもいいく

らいなのである。

 

 

 

 

 自民党は、そうした政党の役割の原点に立ち返って、

再生しなければならない。

 幸福実現党は、政党としての役割をこれからも継続し

ゆかなければならない。

 

 民主党政権の政治生命は、それほど長くは続くまい。

 だれも、好んで国家を滅亡させたくはないからである。

 経済を破綻させたくはないからである。

 政権を変えれば何とかなると言うものではないことを

知るべきである。

 

 「宗教は恐ろしい」という妄想が、大衆的日本人だけ

の妄想であることに気づかなければならない。

 

 民主党に投票したと言うことが、大衆性の表れなので

ある。

 大衆とは、民主主義を愚かにする人々と言う意味であ

る。

 本来の日本人ではあるまい。

 

 亡国の民となることなかれ!

 

                

立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi

 

 

 

※ 危機管理とはリアリティーである 

http://www.youtube.com/watch?v=qCNTh7_cggk&eurl=http%3A%2F%2Felhappy%2Eblog51%2Efc2%2Ecom%2Fblog%2Ddate%2D20090901%2Ehtml&feature=player_embedded#t=12

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 天使の羽の休みたる・・・ 北朝鮮のミサイル  幸福実現党シカト選挙  選管による不正選挙

2009年09月01日 20時25分29秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

    

  白桔梗  天使の羽の  休みたる    

    馬糞 Bafun

 

 

 

 さあ、今日から九月である。

 今日から本気になる人も多かろう。

 無責任な空気、臆病な空気を一掃しなければならない。

 天使はいつも一生懸命、汗を流して働くものだ。

 

 北朝鮮のミサイルが不発に終わってよかった。

 しかし、日本に、北の息のかかった左翼政権が誕生す

るのだから、ミサイルが着弾したようなものである。


 民主党政権になれば、公約どおり、あれが只、これも

只になると、期待している向きも多いのだろう。

 それが、貧乏の始まりである。

 

 

 

 

選管による不正選挙と法の正義


 『幸福実現党』という新しい政党が旗揚げして、初め

ての選挙に臨んだ。

 もちろん、議席のない政党である。

 まったくの新人政党である。

 

 その新政党を、マスコミは無視し続けた。

 名前を出さないのである。

 そのうえ、選管もこれにならった。

 それが、法の趣旨であり、そうしなければならなかっ

たというのである。

 

 法の正義と合憲解釈の精神を無視すれば、法は膨大な

記述を要求され、実質的な権力の恣意を許すものとなる。

 法は、正しい解釈によって、そのメタボ体質を回避し、

健康を維持するものである。

 

 素人は、法とは記述されたそのものだと勘違いをする。

 良識として、その法解釈は正しいのか、おかしくはな

いか、という目で観察してみるとよい。

 悪法は法ではない。

 悪法がまかり通るのは、権力の威圧によるものである。

 法ではなく、力、暴力である。

 法は正義でなければならないからである。

 

 では、今回の、候補者の所属する新政党を表示しない

というやり方は正しいのか。

 民主主義の方法として、代表を選ぼうとする選挙のあ

り方として正しいか、考えてみよ。


 国民の公平な代表選択の自由に対して、重要な情報を

秘匿するやり方のどこに、公正選挙としての合理性があ

るか。 

 選挙管理委員会は、断罪されなければならない。

 

 法とは、正義でなければならないのである。

 法の精神を、法律家だけの秘密の部屋にしてはならな

い。

 教育なくして、法治主義なし。

 教育なくして、民主主義なし。

 

 日本は、世界の範となる国家として新生しなければな

らない。

 アメリカのまねをして、「民主党」という、社会主義

を隠匿した偽民主党を作り上げ、チェンジというオバマ

のキーワードをまねて「政権交代」という中身のないキ

ャッチフレーズを掲げて、そのアメリカのまねをして、

民主党を大勝させた日本国民の愚かさよ。

 

 しかし、民主党が馬脚を現すのは、オバマよりもさら

に早いことであろう。

 亡国の左翼政権だからである。

 宗教が麻薬なのではない。

 福祉、平等を掲げる共産主義、社会主義こそが麻薬な

のである。                


立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi

                  

 

 

 

 

 

 

 

 

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