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+ たますだれの道・・・ 宗教入門Ⅲ  NHKの邪見番組

2009年09月04日 12時35分57秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

  

 

 彼岸道  咲き清めたり  たますだれ

   馬糞 Bafun

 

 

 

 今日は、旧暦の盆の送り火、三度目の盆であるが、も

う、彼岸の連休が見えている。

 田んぼの土手には、彼岸花が朱に染まりつつあるのか

もしれない。

 通りがかりの庭先には、タマスダレが列を作って咲い

ている。

 

 タマスダレの花は、夏場の水仙という風情であるが、

彼岸花の一種だそうである。

 彼岸花の鮮烈さはないが、よく見ると、純白の蓮華の

花のようにみえる。

 

 幼くしてこの世を去らなければならない魂もあろう。

 小さな子供には、道に沿って咲くタマスダレの花は、

美しく、導きの花ともなろう。

 タマスダレの花に沿って、無事に、彼岸に渡らむこと

を。

 

 

 


 たますだれ  子の魂の  道に沿え

 小さき蓮華の  指差し添えて

    馬草 Magusa

 

 

NHKの邪見放送番組


 NHKの番組を誰が作っているのか、その責任所在は明

らかにされていないが、その基本思想は、政治的には反

日社会主義左翼の立場であり、その価値観は、唯物論で

ある。

 いずれも、現代日本の闇と言うべき思想を、「公共放

送」と称して税金を徴収して流布しているのだから許し

がたい精神公害である。

 

 邪見とは、人間を不幸にする考え方、間違った価値観

のことを言う。

 それが、マスコミによって流されると、社会が暗黒思

想に穢されてゆくことになる。

 

 そうした、邪見放送は巧妙な偽装を施している。

 たとえば、「プロフェッショナル・・・仕事の流儀」

では、「脳科学者」と称する茂木健一郎を使った唯物論

を流布する番組である。

 仕事の苦労話はよいが、そうしたプロの生き様を、脳

という物質が生み出す現象だという前提で取り上げるの

だから、実に失礼な話である。

 

 その茂木健一郎の研究課題は、「なぜ、脳から心が生

ずるのか」だそうである。

 それが、科学だと言うなら、問題意識の前提となって

いる「脳から心が発生している」ということが正しいと

言う証明をこそするべきである。

 

 脳波が反応したことはその証明にはならない。

 なぜなら、脳は計算機に過ぎないという仮説を排除で

きないからである。

 証明されない重大な仮説を前提とした次の問題意識な

ど、科学者の持つべき問題意識ではあるまい。

 

 もう一つの例は、同じくNHKの『ダーウィンが来た』

という、動植物の不思議な生態を紹介する番組である。

 ダーウィンといえば、生命は魂ではなく、偶然の産物

であり、生存競争という環境適合によって多種多様な進

化を遂げてきたのだという主張である。

 

 結果、人間も元を正せば、アメーバーのような微生物

から進化して、直前の祖先は猿だという大胆な発言を科

学と称して言うのである。

 すなわち、人間の本質は精神ではなく、物質にすぎな

いという人間観を普及する番組というわけである。

 そこに使われる動植物こそ、迷惑な話である。

 

 それが、なぜ科学なのか。

 進化論の手法である偶然論こそは、非科学的であろう。

 

 こうした、唯物論、唯脳論という、人間の精神性を現

象程度にしか扱わない考え方は、どれ一つとして証明さ

れたわけではなく、思い込みに過ぎない。

 しかも、根拠のない思い込みが、人を貶め、不幸にす

る思想である以上は、地獄的暗黒思想であり、邪見なの

である。

 その邪見を普及する者たちを邪教徒という。

 

 人間の本質は心にこそある。

 霊生命体であるからこそ、永遠の生命としての継続性

がある。

 存在とは、永遠でなければ論理的につじつまが合わな

い。

 

 多くの霊現象は、肉体を離れた人格の存在を示唆して

いる。

 それを錯覚だと言うのは苦しい言い訳にすぎない。

 少なくとも科学的反論ではありえない。

 

 さて、人間が永遠の魂としての存在であり、それが、

肉体に宿って数十年、この世の厳しい生存競争を通して

心の修行をしている存在なのだという仏教思想と、人間

は所詮偶然の産物であり、生命機能を持った物質である

という考えとを対比して、どちらが豊かな人生観を生む

ろうか。

 

 神も仏もないというNHKの唯物思想と、仏神の心をわ

が心として生きようとする信仰ある人生観とで、どちら

が人間関係を幸福にするだろうか。

 

 よくよく考えてみることだ。

 

 思考停止して安易に、「宗教っぽくてい嫌だ」などと

言ってはなるまい。

 神も仏もない人間には、信じる力がないということで

ある。

 自分勝手こそが原則だと言っているようなものである。

 実に不道徳な考えである。

 

 それが、好ましい人間かどうか、反省してみることだ。

 

 信仰を、安易に軽蔑し、危険視し、嫌悪してはならな

い。

 それは罪なことであり、不幸を呼び込む考え方なので

あるから。

 幸福をこそ、探求したいものである。

 

              

立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi

  

 

 

 

 

 

 

 

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