すぶんろこ!のジャパニーズドリーム

■『すぶんろこ』とは、コロンブスの逆転の発想

■日本国独立宣言!「日本国憲法」無効宣言、日本軍再構築宣言!

+ 紅日出る曼珠沙華・・・ 痴呆撃退! 人生所詮無様なり。 寿命とは目出度いことである。

2009年09月19日 20時48分45秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

  日出る  その紅kurenai の  曼珠沙華    

    馬糞 Bafun

 

  

 

 

 田に紅の彼岸花を、今年はまだ見ていない。

 田に真っ赤な彼岸花の光景は、神秘である。

 あの鮮烈な紅色が、大好きである。

 

 しかし、今日は、一歩も外には出なかった。

 心が重かった。

 電話で聞く、父の病状が、日に日に正気を失っている

からである。

 

 シベリア帰還兵の父が、せっかく楽しみにしていた夏

休みのグランドゴルフの旅の直前に歩けなくなり、夏の

間にみるみる正気ともいうべき気力さえもが衰えてし

まった。

 交通事故よりは緩やかであるが、突然という戸惑いが

ある。

 

 母は、入院先で毎日付き添い、老いた手でマッサージ

までしてやっているという。

 それでも、今は反応がなくなっているらしい。

 悲しいことだ。

 何れ、去るべきこの世であり、母もその覚悟はできて

いるであろうが、死ぬ直前まで、心の幸福を見失なわな

いで欲しいものだと思う。 

 

 

 

 

痴呆撃退!


 家族の寝たきりや痴呆症ほど、悲しいことはない。

 こんな悲しいことを、もっと辛い痴呆症の看病の苦し

みを、身近な人々が背負っていたことを、その励ましの

言葉から気づかされる。

 

 おもえば、亡くなった友人も、痴呆の母親の看病に活

路を見失い、どうしようもないよ、と電話をしてきたの

が最後だった。

 

 父が、思いがけずこのようになってしまったのは、糖

尿病と、悲観的な考え方に誘引があったのではないか。

 たしかに、人生はままならず、悲しいほどに未熟で、

悲しいほどに貧しい。

 しかし、悲しくも、滑稽ではないか。

 

 人生に悲観などいらない。

 笑いながら、この世を旅立つことができるのだ。

 人間は、所詮、無様に生きているのだから。

 その無様がおかしくもあり、楽しくもある。

 

 生活力が乏しく、老後が不安であっても、食えなくな

ったら安らかにねばよい。

 最後まで努力してやまなければ、それもまた、寿命で

ある。

 だから、老後に不安を抱く必要はないのだ。


 寿命とは、目出度く、毅然としてこの世の命が尽きる

ことである。

 

 祖母は、洗濯物をたたみながら、眠くなったと言って

横になったまま往生したのだと言う。

 その祖母の面影の残る父のことである。

 安らかに、旅立って欲しい。

 

 明日は、かすかな父の正気に会いに行こうと思う。

 

 全国の痴呆の老人たちよ、毅然として生き、笑ってこ

の世を去りたまえ!

 あなたたちは、「生きがいがない、誰にも期待されて

いない、もう終わっている」などと悲観したに違いない。

 その結果として、痴呆を招いたのではないか。

  

 

 

  

 しかし、衰えて寝たきりになった老人であっても、他

人に何の貢献もできないのではない。

 死に臨んで、その伴侶が、その子が望むのは、その安

らかな境地である。

 慈眼愛言というが、最後まで輝きつづける、与える愛

の最大というべきではないか。

 人間の存在とは、いかにも大きいのである。

 

 痴呆とはいえ、魂は 正常に考えているはずである。

 よくよく、反省することだ。

 寿命の目出度さを悟ったならば、寿命尽きるまで、毅

然として生きると誓え。

 その寿命尽きることを悟ったならば、潔く、この世を

去るべきである。

 

 あの世こそは、本来の住処である。

 帰るところがあり、待つ人がいる。

 人間は、永遠の生命であるということを信じよ。

 

 そして、再び、地上に生まれるときが来るのである。

 

 生命が永遠であること。

 この世を去ったところには、あの世と言われる心の世

界があること。

 心の世界とは、幻ではなく、実在の、人間本来の世界

であること。

 そして、魂修行のために、転生輪廻を繰り返している

存在であることを信じることである。

 

 彼岸の入りに、悲しい人々に、愛と勇気の引導を渡し

たい。  

             


立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

+ 曼珠沙華、田の端を染める・・・ 老後の幸福について  仕事と宗教の役割  

2009年09月19日 12時01分18秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

  

 曼珠沙華  目を閉じし田の  端を染めて  

    馬糞 Bafun

 

 

 

 

 今日は新月、午前3時44分頃、月が地球の黄道に入

り、直列した。

 潮は大潮である。

 新月というのは、事を始めるという目出度い日だとい

う。

 

 明日は彼岸の入り、頭をたれた稲田には、真っ赤な彼

岸花が咲いていることだろう。

 日の出の勢いの彼岸花を見たいものだ。

 彼岸花は、田んぼのおしゃれである。

 

 だから、農作業も、思い切りおしゃれをしてやったら

いいのだ。

 豊穣の田の神を招く稲刈り祭りを定めて、思い切りお

しゃれをして農作業をするのはいかがか。

 そんな田んぼ祭りを春と秋の年二回やるとよい。

 

 春の田祭りには、田に水を引いて、どじょうを放ち、

田植えの儀式をする。

 秋の田祭りには、彼岸花の赤でおしゃれをして、稲刈

りの儀式をする。

 農業は、もっとおしゃれを楽しむべきだと思う。 

 

 

 

   

幸福な老後と仕事

 老後とはいえ、人生は修行であり、社会貢献の生きが

いがなければ不幸である。 

 仕事に恵まれ、経済に恵まれた不自由のない老後であ

るならば、余生を日々安穏と暮らす縁側の猫のような暮

らしもよいのだろうが、それが10年、20年と続くことが

果たして幸せだろうか。


 まして所在無く、病院やパチンコ屋にたむろする老人

の姿は情けないことである。

 元気なうちは、マイペースでもよいから、仕事をした

いものである。 

 

 だから、労働力としての高齢者の活用こそは最大の高

齢者福祉といってよい。

 企業にも、その役割と責任の一端があるであろう。

 

 高齢者の自立的職業の道として、職人になるという道

がある。

 3年から5年修業すれば、ある程度やれる伝統工芸やも

のづくりがあるはずである。

 手工業的ものづくりを一から始めてはいかがか。

 

  

 

 

幸福な老後と宗教の役割

 収入を得る必要のない高齢者にとって、最大の生きが

いと平安な死を迎える方法は、宗教活動にある。

 信仰こそは、生きがいの根源である。

 

 キリスト教、仏教、神道、イスラム教、そうした伝統

宗教、宗派は、幸福の科学の宗教理論に学ぶべきである。

 宗教は、幸福な生き方を教えるのがその使命である。

 だからこそ、幸福とは何かを原点から考え、学ぶ必要

がある。

 まさに、『幸福の科学』とは、宗教のあるべき姿を教

えているといえる。

 

 『幸福の科学』とは、宗教界を指導する最高権威の教

団である。

 世界の宗教を統合する権威である。

 この秋、一般公開される映画『仏陀再誕』を観れば、そ

の権威の一端を感じることができるのではないか。

 『幸福の科学』に学ぶことは、宗教、宗派、教団の恥

ではない。

 教育指導する者として、誠実な求道心である。

 

 キリスト教教会は、本気で高齢者の生きがい活動をす

るべきである。

 日曜日に教会に集まり、牧師の平凡な説教を聴いて、

同好会のようなおしゃべりをして帰るというのでは宗教

の役割を果たしているとはえない。

 

 日常的に、高齢者信者が活動できるように工夫するべ

きである。

 介護ボランティア、保育ボランティア、教育ボランテ

ィアなど、いくらでも高齢者信者によってなされるべき

役割がある。

 

 活動継続できるだけの対価は求めてもよいのではない

か。

 プロのレベルは企業活動として、そこに至らない素人

仕事はボランティア活動としてやればよい。

  

 キリスト教だけではない。

 天理教や神社、立正佼成会や寺院なども正統派宗教団

体として、高齢者の生き甲斐の仕事に取り組んで欲しい。

 信仰と職業の統合は、高齢者の至高の幸福である。

 その拠点が、宗教団体であると思うのである。

 

 ただし、邪教にあっては、『幸福の科学』の経典に触

れて、よくよく反省をし、その教義や活動を正すべきで

ある。

 そうしないと、そこの信者を不幸にしてしまうからで

ある。 

 

 SG、桐山(アゴン)、真如、統一、ものみ、エホバの、

GL系などは、邪教である。

 霊界や転生輪廻を否定するような浄土宗系の寺も葬式

詐欺というべき邪教である。

 

 信仰が正されなければ、高齢者の幸福な道筋が見えな

いではない

 生きがいについて考える人、生と死について考える人、

老後の生き甲斐について考えている人は、『幸福の科学』

に学ぶべきである。

 月刊誌『リバティー』が、そのよすがとなるであろう。

 

 修行者として、天寿を全うしたいものである。  

 

              

立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする