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+ 野辺送り・・・ 悲しみとは何か、優しさとは何か  愛についての考案  日高義樹の警告

2009年09月24日 07時47分20秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 羽を合わせ  野辺送りせむ  虫の声  

   馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 九月二十三日(水)


 今日はお彼岸。

 虫の声も、心境によってさまざまに聞こえるものであ

る。

 歓喜の歌にも聞こえ、煙立つようにも、あるいは、野

辺送りの経文のようにも聞える。

 草場に立つ托鉢の僧でもあるかのように数珠を切る虫

の声に聞こえる今朝は、少し悲しい気分である。

 

 この、悲しいと言う気分は一体何なのだろうか。

 終わりを迎えるとき、別れるとき、人の苦しみに接す

るとき、人は悲しく思うものだ。


 呆然と立ち尽くす無力感が悲しみなのだろうか。

 悲しさが明るくなったとき、優しさになるのかもしれ

ない。

 悲しさが、ただいたたまれない悲しさのままでは不幸

である。

 

 優しさとは何か。

 思いやりと言う言葉が分かりやすい。

 人の悲しみが分からずして思いやることは難しい。

 

 だが、優しさとは、もっと奥が深い。

 大川隆法著『限りなく優しくあれ』(幸福の科学出版

刊)という、20年ほど前の本を紐解いてみた。

 女性には必読の書である。


 イエスキリストの霊指導による文集とあったが、聖書

の香りがする。

 しかし、家庭愛の大切さが語られているのは、現代的

である。

 

 やはり、優しさとは、愛の姿なのである。

 ただ、悲しみに打ちひしがれていてはいけない。

 所詮、人は魂の揺らぎの中で、試行錯誤しながら無様

に生きる修行者なのだ。

 修行者同士が、その無様を裁いてはならないし、嘆き

悲しんでばかりもいられない。

 

 修行が許されていると言うことは、過ちを正す時を待

ってくれているという、神の愛である。

 地獄の存在もまた、悪霊の抹殺ではなく、反省して正

しくなるための修行場として与えられているということ

でもある。

 

 修行者同志は、やはり、思いやり、助け合いつつも、

一定の距離をとることが大切だと思う。

 悲しみとは、その距離のことかもしれない。

 愛の観点から見るとき、自由とは、悲しみを伴うもの

であることよ。

 

 しかし、愛なくして自由なし。

 愛なくして学びなし。

 愛なくして修行なし。

 愛なくして発展なし。

 

 愛こそは全ての始まりであり、全てが目指す方向であ

る。

 あの山に登ろうという「志し」というべきか。

 

 

  

 

日高義樹の警告】 


 日高義樹著『不幸を選択したアメリカ』(PHP出版)

は、今年二月に出版されたものであるが、日本を取り巻

く危機的状況が的確に指摘され、警鐘を鳴らしている重

要な一冊である。

 にもかかわらず、日本国民もまた、オバマの二番煎じ

を選んでしまった。

 不幸を選択したのである。

 

 そこには、重大な政治環境の変化が警鐘として指摘さ

れている。

 アメリカの政治家との唯一の接点ともいうべきロビー

ストが駆逐されていること、韓国の優秀な実戦部隊が撤

退していること、陳水扁前総統一とする台湾独立派30名

以上が拘束されたこと等々である。

 

 アメリカの人々は国家というものを重視しなくなって

きている、という指摘もこわいことである。

 

 「オバマ大統領を選んだことがそれを証明しているが、

アメリカが世界の責任者として世界を動かして行くため

には、戦争を避けることはできない。外交の先には常に

戦争が存在しているのだ。」

 

 「国家の最も大事な任務は、国民を守ることである。

戦争も辞さないと言う覚悟がいる。安全保障政策はその

根幹になるものだが、その担当者にまったく戦争を知ら

ない人物を置くことは危険極まりない。アメリカ国民の

意識が変わったとはいえ、戦争を知らない大統領の登場

もまた国際社会にとっては恐ろしい出来事といえる。」

 

 一読を奨める。 


 

立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi

 

 

 

 ※失われた9月23日原稿の再興。 

 

 

 

 

 

 

 

 

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