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■日本国独立宣言!「日本国憲法」無効宣言、日本軍再構築宣言!

+ つくつく法師、経を読む・・・ 企画の時代~ どう変える、政党再編・マスコミ解体後の日本

2009年09月22日 15時07分23秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

  

 彼岸入り  つくつく法師の  経を聞き 

    馬糞 Bafun

 

  

 

 蝉もすっかり、姿を消したと思ったが、どっこい、つ

くつくぼうしがつくつくと鳴いた。

 「つくつくぼ~し、つくつくぼ~し」、と法師の名前

を連呼していた。

 つくづくと、嵐のような夏を思うことである。

 くよくよなど、していられるものか!

 

 つくつくぼ~し、

 つくつくぼ~し、

 つくつくぼ~し。

 あれわいさ~そ、あ~しょんがね~。

 

 法師さん、私の台湾総統腑の帽子、知りませんか。

 「それもね~え、しょ~んがね」・・・ か。

 

  

 

  

企画の時代~ どう変える、政党再編・マスコミ解体後の日本


 さて、自民党が下野し、お勉強を始めたことであろう。

 自由民主で未来が語れるものか。

 党名から考え直してはいかがか。

 あるいは、派閥を政党化して、ホールディングス政党

を上においてはどうか。


 ホールディングス政党は、立候補ではなく、傘下の政

党の調整と政策研究、広報活動、マスコミ活動をする専

門家集団とするのだ。

 幸福実現党こそは、その役割に最もふさわしいのでは

ないか。

 

 保守再編を目指したはずの離党グループは、民主党左

翼政権に堕してしまった。

 ミイラ取りがミイラになったという始末である。

 同時に、自民党の時代も終わった。

 毅然とした勇気がなかったからである。

 

 マスコミに負けない政党を再編して欲しい。

 

 そのためには、公職選挙法改正、選挙制度の改正が求

められる。

 もはや、憲法改正のために小選挙区制を導入した意味

は失われた。

 再び、中選挙区制に戻すべきである。

 小選挙区制は、民意を忠実に反映する選挙制度ではな

い。

 正常化するべきである。

 

 「憲法改正」については、無効宣言総選挙、新憲法制

定総選挙でけじめをつけるべきであろう。

 これが、「日本国憲法」の正しい扱いである。

 太平洋戦争は終わったのだ。

 

 また、企業も、マスコミとの付き合い方を反省すべき

である。

 日々のニュースと読み物を分ければ、新聞に依存する

必要がない。

 もう、新聞はいらない。

 コンビニエンスが、これに取って代わればよい。

 

 チラシも、デジタル時代には、テレビチラシで十分で

あろう。

 

 マスコミ再編が始まった。

 マスコミ支配の時代が終わろうとしている。

 電通の時代が終われば、芸能界も変わる。

 スポーツビジネスも変わる。

 一層、多様な文化が花開くことであろう。

 マスコミは、多くの人の自由を縛っていたのだという

ことに気づかされることであろう。

 

 さて、どう変えるか。

 これからは、企画の時代である。

 

 

立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 煙立つ虫の声・・・ 仕事と愛  介護職と送り人の愛  個別指導教育と送り人の愛

2009年09月22日 11時10分27秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

 

  羽をこすり  煙立ちたり  虫の声  

 
     馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 すっかり、秋になった。

 虫たちが、煙が立つのではないかと思うほど羽をこすって、秋の世を

奏でている。

 

 紅葉には早いが、秋の今朝は小雨である。

 博多の左右に、停滞前線があって、秋場所に夏と冬とががっぷり四

に組んでいると言う格好である。

 

 そういえば、そういえば、今日は、大相撲秋場所十日目である。

 朝青龍が快調のようだ。

 朝青龍、白鵬というモンゴル力士のおかげで、大相撲が甦っている。

  このように、日本の未来は、アジア諸国の優秀な青年たちに発展の

チャンスを与える国でありたいものだ。

 

 そのための基礎作りとして、マンツーマンで教育できる留学生基礎

教育スクールを開設したいものだ。

 言葉だけではない。

 日本の秩序と文化、世界の情勢、未来のビジョン、そうしたことを教

えて日本の教育で伸びるように下ごしらえをしたいと思うのである。

 そこで、英語教材に手を出そうとした。

 しかし、思いとどまった。

 「これで解決!」というのが、昔からの英語教材のキャッチコピーで

ある。

 

 何事も、楽しめなくてはならない。

 言葉は、文化を楽しむためにある。

 そこで、安くなった昔の名画DVDを楽しみながら、英語に慣れようと

思う。

 海外に行ったことがなく、映画だけでTOIEC900点という先生がいた。

 日本語も、映画を通して勉強してもらうのがいいのではないか。 

 

 

 

 

 

 

 

仕事と愛~ 介護職の使命感 


 父に、介護の真似事をしていて思ったことがある。 

 不自由な患者をきれいにしてやり、少しでも快適になるよう、一人ひ

とりにかまってやる仕事には想いがこもるものである。

 生活してゆけない安い賃金で、過重な労働日々が続く介護職なのに、

それでもやろうとする人がいるのは、使命感にも近いやりがいがある

からだろう。

 それなのに、賃金を見ると、仕事としては認められていない状況であ

る。

 せめてに、20万円の手取りを保証してあげたい仕事である。

 

 昨日、たまたま、「送り人」という映画の最後のあたりを見た。

 思いを込めて、鮮やかに着替えをし、身を清め、納棺する様子は、映

画とはいえ、感動的だった。

 

 介護の仕事もそのような仕事だ。

 看護士の仕事も同様である。

 本来、医者の仕事もそのようでなければならない。

 

 患者も遺体も、物のように扱ってはならない。

 そこに求められているものは、愛にほかならないからである。

 

 仕事とは、人を相手にするものである。

 物を製造する仕事であっても、それを使う人の姿を思い描いて作る

ことが仕事である。

 

 大川隆法著 幸福の科学出版刊『仕事と愛』という書籍がある。

 仕事の本質を「愛」という言葉で語るものは、それまでなかったので

はないか。

 とても新鮮な印象だったことを覚えている。

 人に優しく接すると言うことが仕事の原点にあるということである。

 

 ちなみに、これからの仕事について、「医者や理工系の博士号さえ

も惜しげもなく捨てて、違った世界に転出してゆくケースが出てくるで

しょう。自分の資格にふさわしい素晴らしいという世界に行くのではな

く、自分の技能を生かしつつも、あまり日のあたらないところをあえて

選んで、パラシュートで落下して行くようなチャレンジの時代が来ます」

という趣旨の記述もある。

 これからの仕事を考える上で、学生必読の名著であろうと思う。

 

 

 

 

 

 

仕事と愛~ 個別指導教育と送り人


 教育もまた、一対多のスタイルだけではなく、患者と接するような、

心のこもった一対一の個別教育の学校が必要だと思う。

 教育もまた、旅立ちへの送り人というべきかもしれない。

 

 大学の講師とも話したことだったが、今の学生の学力の低さは、も

はや大学のものではないと。

 少子化の学生を確保しようとして、学力のない推薦入学という制度

も禍している。

 少子化だからこそ、子供はしっかりと育てなければならない。

 しっかりと鍛えて、世界で通用する仕事能力を養わなければならな

い。

 

 「そのためには、大学よりも、しっかりとした専門スクールに入れたほ

うがいいと思う」とその講師は言っていたが、そうだと思う。

 

 四苦八苦は、この世の人生を火宅の世界にする火種かもしれない

が、人に、愛の本質を気づかせるための仕掛けであるかもしれない。

 

 光明なき人生など、ありえないことである。

 さあ、新しい世界に落下してゆこうではないか!

 

 

              立憲女王国・神聖九州やまとの国

               梅士 Baishi      
              

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 彼岸の空・・・  魂の自由  父の人生にみる人生修行  父よありがとう 

2009年09月22日 09時10分52秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

  

 身を抜けて  飛びたちてもみよ  彼岸晴れ    

    馬糞 Bafun

 

  

 

 病床ならずとも、肉体の身は不自由である。

 出かけること自体が億劫である。

 東京は、いろんなイベント、展示会、研究会、名所が

あちこちに花咲いて、まさに花の都である。

 しかし、いざ、東京に住んでみると、壁一枚、敷居一

段隔てた外界は、近くのスーパーでさえ遠くに感じるも

のだ。

 

 まして、病床にあれば、手足でさえもままならず、言

葉もろれつがらず、体というものがかくも人型の壁で

あることかと情けなく思うことであろう。

 肉体とは、スポーツ選手やダンサーのように躍動する

ものかと思えば、諸行無常、いつしか錆び付いて、動か

なくなるものである。

 

 しかし、魂は自由である。

 肉体につながれているときでも、閉じ込められている

わけではない。

 するりと抜け出して、魂の自在を得ることも可能であ

る。

 それが、眠ると言うことであろう。

 催眠療法があるように、人は眠ることによって、魂の

自由を回復することが可能となる。

 

 富士の高嶺に座することもできる。

 太平洋上に禅定することもできる。

 月面に瞑想することもできる。

 

 風となり、吹き渡ることもできる。

 彼岸に渡って、故郷の人たちと会うこともできる。

 だから、病床にあって嘆くことはない。

 魂は、自由自在である。

 いつでも、夢の裏木戸からするりと抜け出すことがで

きる。

 

 魂を縛っているものがあるとしたら、間違った考え方

である。

 この世の目に見えるものだけが全てであり、神も仏も

ありはしないという唯物論ほど魂の自由を奪う邪見はな

い。

 魂は、物ではないからである。

 魂は、肉体を離れることができる異次元の生命エネル

ギーの本体だからである。

 

 

 


 シベリアの  兵は彼岸に  還らんと

    馬糞 Bafun

 

 

 

 だから父よ、病床にあって、安らかに羽ばたいてくだ

さい。

 あなたは立派に生きた人である。

 家族の縁薄く、養子に出された。

 しかし、養子の母は心から愛して育ててくれた。

 「禍福はあざなえる縄の如し」である。

 

 唐津商業を卒業すると、やがて母に反抗して満州に渡

った。

 満州の電電公社で技術者として奉職した。

 しかし、戦争に借り出され、朝鮮人の兵を指揮したと

言う。

 部下思いの父は慕われていたようだ。

 敗戦の色が濃くなった末期、ロシアの思いがけない参

戦で、カチューシャ砲がヒュンヒュンと音を立てて頭上

を飛び交って恐ろしかったと言っていた。

 

 日本の敗戦で、帰国できるかと思いきや、部隊ごとと

どめられ、そのままシベリア抑留の惨劇に引きずられる

ことになる。

 食べるものがないそのわずかな食べ物を掠め取るロシ

ア兵もいたと言う。

 道端の食えそうなものは何でも食って、飢えをしのい

だとも言った。

 過重な労働と飢えと寒さで、次々に戦友たちが死んで

いった。

 朝起きてみると、となりの戦友の顔に霜が降りていた

と。

 

 作業現場から落下して怪我をしたり、ついには、アメ

ーバー赤痢で死の淵をさまよった。

 三年後の帰国は、奇跡のようなものだった。

 帰国しても、待っている人はいなかった。

 育ての親は、医療ミスによって亡くなっていた。

 腹の中に、注射針が折り込まれたままになっていたと

いう。


 その上、仕事もなかった。

 なじみの薄い育ての親を頼って島原の実家を訪ねたが、

そっけなかったと言う。

 お国のためにと言う大義名分がなくなると、みんな貧

乏で、地獄のような生存競争が始まったというべきなの

か。

 

 残された資産は、見知らぬ田舎の親戚が持ち去ってい

た。

 相続した造り酒屋の大きな家も、やがて生みの親から

移転登記されていた。

 残ったのは膨大な固定資産税だけだった。

 家族を養うために、炭鉱にもぐって働いていた時代で

ある。

 それでも、幸せな暮らしがあった。

 島の高台に小さな家を建てた。

 五球スーパーの父の手作りラジオで、母はラジオ番組

を楽しんだ。

 なぜ、ラジオができるのか、不思議だったが、私がパ

ソコンを組み立てているのと同じ感覚だったのかもしれ

ない。

 

 ある日突然、知らない男たちが数人、住居侵入して、

箪笥にも、火鉢にも、次々に赤札を貼っていった。

 そして、鶏やヤギと仲良く暮らした小さな自宅も失っ

た。

 それでも、父は、炭鉱が閉山になるまで、切り端に立

って危険な炭鉱夫を続け、家族を養い、子供を大学にま

で出して養い続けた。


 その間、大怪我をし、胆のう摘出手術を受け、直腸が

ん摘出手術を受けて人工肛門となり、まさに、満身創痍

の人生であった。

 なんという難行苦行の人生であったかと思う。

 しかし、家族の喜びもまたあった。

 

  父の人生は、ほんとうに荒修行というべき人生だった。

 だから、帰るべきところは天国である。

 病床にあっても、肉体を抜け出て羽ばたき、巣立ちの

練習をし、自由を楽しんでもらいたいと思う。

 父よ、ほんとうにありがとう。

 

 父以上に苦労をした人々も多いだろう。

 老いて報われてよいものを、老いの苦しみ、病の苦し

み、死の苦しみは理不尽なほどに覆いかぶさってくるの

だ。

 しかし、それも、この世へのとらわれであろう。
   

 

             

立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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