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+ 彼岸前・・・ 父への鎮魂歌  死苦八苦の時は死なない時であり、悟りへの時である

2009年09月21日 21時53分53秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

  彼岸前  かすかな父の  手を握り 

    馬糞 Bafun

 

  

 

 7月24日の誕生日、おめでとうと、電話で話したのだっ

た。

 8月13日には、雲仙に泊まりにゆくのが楽しみだと話し

ていた。

 ところが、時々弱気になって、 もうだめかもしれな

いとも言っていた。

 突然動けなくなって、緊急入院してからも、宿のキャ

ンセルに反対した。

 

 それから、一ヵ月半で、父は正気を失いつつある。

 夜は縛られ、昼に意識がもどると、縛られているから

と、「おかあさん、はさみ!」ともどかしそう叫んだ。

 そのときの顔が、地獄に落ちているであろう祖父の顔

とダブって見えた。

 

 父を養子に出し、シベリアから戻ってきた父から、そ

の相続財産をすべて奪った祖父が、その父を憑依するこ

とは、許さない!

 悪夢の夜と現とが分からなくなってきていた。

 歯を磨き、鼻毛を切ってやると、ありがとうと、手を

合わせた。

 

 これが、父に見る、生老病死の現実である。

 人はみな、この儚さから逃れることはできない。

 生老病死は定めである。

 

 しかし、何ゆえに狂気に陥らなければならないのか。

 脳溢血か、脳梗塞か、物理的な事件が起こったのかも

しれない。

 それでも、狂気に陥るいわれはない。

 

 なぜ、助けるのかと抗議しているのだろうか。

 なぜ、病院から出してくれないのかと、抵抗し、どう

しようもなく、失望しているのか。

 それならば、なぜ、退院するその日に暴れたりしたの

か・・・。

 母は、お赤飯を用意して、病院に行ったのに・・・。

 

 自由だったそのときに、父は理性を失い、抵抗し、退

院をふいにしたのだ。

 だから、その責任は父にある。

 

 父には霊的世界の真実を信じてもらいたかった。

 キリスト教は、罪である。

 キリスト教は、父の魂に引導を渡すことができない。

 なぜ、霊的世界を語らず、転生輪廻を否定するのか。

 

 何も恐れることはないのだ。

 愛するわが子が、貧しく老いて死ぬのだとしても、哀

れではない。

 何も案ずることはないというのに、それを案じて、己

の死を恐れて、

それで体の自由を奪われたときに、放せ、放せと、暴れ

るのか。

 

 父よ、暴れるな。

 父よ、観念せよ。

 父よ、家に帰ろうではないか。

 

 あなたが暴れれば、母がかわいそうだ。

 だから、理性を取り戻して欲しい。

 安らかに、現実を受け入れて欲しい。

 

 生老病死を四苦という。

 苦しいのか。

 たしかに、腸炎を患ったときは、死ぬほど苦しかった。

 風邪を引いて、咳が止まらなかったときも、死ぬほど

苦しかった。

 もう、ずっと治らないのではないかと思えるほどに長

い間の苦しみだった。


 確かに、病は苦しい。

 しかし、理性を失うほどではなかった。

 苦しいときは、死なないときだ。

 

 ひき逃げで意識を失い、右半身骨折という重症を負っ

たときは、苦しくなかった。

 死んでいてもおかしくはなかった。

 ところが、回復して骨折を抱えた数ヶ月は苦しかっ

た。

 

 高熱で5日間、一人臥せっていたときも、苦しくなか

た。

 ところが、それから回復して、ふらふらと買い物に行

くときは苦しかった。

 そんなものだ。

 

 父の苦しみに取って代わるわけにはゆかない。

 それは、父の修行である。

 父よ、その修行が苦しいか。

 苦しいのならば、あなたは助かっているのだ。

 その苦しみを喜べ。

 

 何ゆえに狂気になるか。

 その怒り、その憤懣、その恨み、それは、あなたのわ

がままである。

 キリスト教に信仰を得たのであるならば、愛を忘れて

はなるまい。

 あなたは、まだ、死ぬべき時にはないから苦しいのだ。

 

 悪霊などに、その正気を奪われてはならない!

 あなたには、守護霊が助け、キリストの愛が護り、家

族の祈りが護っているではないか。

 今こそ、あなたの信仰が問われているのだ。

 

 悪霊などに負けてはならない!

 あなたの平安が、周囲の人々の願いであり、救いである。 

 ああ、父よ、完全なる狂気に陥る前に、平安が訪れま

すように!

 

 父の不幸は辛い。

 しかし、悩んでどうなるものではない。

 父の修行である。

 父よ、もはや、あなたは平安の内にあることを忘れるな。

 平安こそが、あなたの最後の修行である。

 

 

 上級者の修行は、正しい信仰によってのみ、苦しみを

悟りの喜びに至らしめるであろう。

 だから、幸福の科学という、奇跡の法門をたたくべき

である。

 それは、選ばれたる者ではない。

 選びし者である。

 

 信仰者は、毅然として生き、毅然として死ぬ。

 微笑んで。

 再会Saichen 、左様なら、また会いましょう、と。

  

              

立憲女王国・神聖九州やまとの国   

梅士 Baishi

  

 

 

 

 

 

 

 


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