しゅんと立つ 上り梅かな 花兜
馬糞 Bafun
しゅんと立ち上がった梅の枝を見上げていると、兜
飾りのような勇壮と風流を感じる。
やはり、武士mononofu の花である。
今週は、二月が逃げる週である。
といっても、閏年であるから、貴重な29日がもらえる。
一日少ないと思えば損をしたようだが、一日もらった
と思えば、貴重な一日をもらって得をしたのである。
人の命も、人が作ったわけではない。
もらった命である。
生まれながらに得をしているのだ。
ならば、思い切りチャレンジして、恩返しの人生を生
きたいものだ。
【不登校の背景について】
不登校の子供たちがたくさんいる。
病気でもなく、いじめられたわけでもなく、登校して
も保健室に引きこもる子も少なくないようだ。
学校に行く意味があまりないと感じている。
確かに、学校は勉強するにしても効率の悪いところだ。
自分でやっていたほうがいいし、塾に専念したほうが
どんどん進める。
自分のレベルよりはるかに低い授業につき合わされる
のもいやだと思うのももっともなことだ。
結局、何のために学校に行くのかというと、形式的学
歴を取得するためと、友達付き合いと部活のためという
ことになる。
大学も同じだろう。
入試で選別された人脈と入試学歴に意味があるのであ
って、授業の魅力でも、教授の魅力でもない。
「遊びに行く大学」現象が、義務教育にも広がってい
るのである。
学校は、文武両道の学習のためにある。
その目的を持った競争社会であり、その試練があるか
らこそ友達もできる。
ところが、その目的が見失われ、堕落と犯罪の巣窟に
成り下がってしまった。
そのしわ寄せが、通信制高校という高校教育の空洞化
の制度化が公認されているのである。
ならば、通信制小学校からつくったらどうなのか。
学校とは何ぞやが深刻に問われている。
公立学校の地獄化・無法化は、未だ制度的な対策が採
られていない。
改革までの学校の治安維持が急務である。
是非、派出所と監視カメラの設置などを進めて欲しい。
同時に、教師リストラ、教職資格制度と採用制度の抜
本的な改変が不可欠であろう。
学校の不合理と淀みと不条理に足をとられた子供たち
を助け出さなければならない。
勉強をさせなければならないのである。
梅士 Baishi