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+ 書の奥道・・・ 仕事の本質

2007年11月24日 12時48分58秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 


  旅もあれど  書の奥道に  行く秋もあれ 

 
     馬糞 Bafun

 

 

 

 

 紅葉の奥山に分け入りたいとも思う。

 温泉を訪ねて、憩いたいとも思う。

 しかし、心の扉をこそ開こう。

 書を開いて、知をたずねよう。

 やり遂げなければならないことが山ほどあるのだから。

 

 人の心はままならない。

 結局、仲間か否かを選別している。

 仲間は同時に、師としての品格も求められる。

 しからされば、人は離れるものである。

 

 人は、力量に優劣があり、

 その仕事に優劣がある。

 謙虚でなければ、連鎖が途切れる。

 

 仕事の劣等は、愛の強さと、

 反省と学びの素直さによって贖われる。

 

 ボランティアであっても、その仕事の質が問われる。

 してやっているという仕事は、手抜きであることが多い。

 仕事は与える愛である。

 

 仕事は人間関係である。

 誠意が問われ、他人の幸福に責任を負っている。

 

 だから、商品は目的に対して最高の価値を提供するもので

なければならない。

 目的が同じなら、値段によって品質が変わるべきではない。

 

 価格はいかに決定されるべきか。

 結局は、仕事を安定して継続発展するための資源の公平配分

である。公平とは、愛の想いの広さを推し量るべきである。

 想定した人々がそれを望むなら、買い手がつく。

 判断するのは、市場の人々なのだ。

 

 仕事は、市場への問いかけである。

 先行投資である。

 与えきりであることの覚悟がなければならない。

 

 愛とは、共感を呼び、協力者を呼び、尊敬を呼ぶ。

 それが、信用である。ブランドである。

 だからこそ、仕事とは愛と智慧と勇気の結晶であるのだ。

 

 人材の基礎教育もまた、

 この愛と智慧と勇気を育てるものでなければなるまい。

 人々の目標となるプロフェッショナルよ、

 人々に、その愛を語れ。智慧を語れ。決断を語れ。

 

 新たな発展のために、

 仕事の原点に返って反省すべきときが来ている。

 

 

             立憲女王国・神聖九州やまとの国

              梅士 Baishi                            

 

 

  

 2005年リバイバル(黄金の国ジパング・・・ 神功皇后の系譜)

⇒ http://blog.goo.ne.jp/fds31/e/683f65a7cdd96b61f56234b8db1bae41

 

 

 

 

 

 

 

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+ 冥福を祈って・・・ 八女の娘への挽歌

2007年11月24日 08時40分45秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

  もみじ葉に   あらざるものを   散りて逝き

 
     馬糞 Bafun

 

 

 

 

 挽歌

 活発だった八女の娘が、見守る親の悲しみの中で、

 心停止した体の霊子線を切ろうとしている。

 バイクによる交通事故だった。


 

 天上界の七色の光が注いで、傷ついた霊体を癒していた。

 肉体も蘇るのではないかと期待したが、

 肉体生命を回復することはできなかった。

 

 これから、CGデザイナーとして育ってゆくはずだったのに・・・。

 「人前で話せなかった私が、こんなに話せるようになりました」

とはしゃいでいたのに・・・。

 日本の黄金時代がその人生だったはずなのに。

 

 若い人の死は、痛ましい。

 人生で計画された死ではなかっただろうに。

 親の悲しみはいかばかりか。

 

 

 

 

 

 

 

 秋山の   紅葉を茂み

 迷いぬる   妹を求めむ   山道知らずも        

   柿本人麿の挽歌

 

 

 

 

 しかし、心を乱してはならない。

 全ては、自己責任なのであるから。

 夢から覚めて、いったいどうしたのだろうと思うのだろうが、

 

 肉体を失ったのだから、

 わが身に起こったことを理解して、反省をし、

 父母にお詫びを申し上げて、

 あの世に還るが良い。

 

 

 

 

 

 

 

 仕方がない。

 この世の修行は、出直しである。

 次の時代には、もはや、交通事故ということのない世の中になっ

いるであろう。


 

 現代の交通は、誰にも慣れない危険な道具だった。

 そういう私も、ひき逃げに遭って、命を落とすところであった。

 後ろから迫ってくるライトは、暴走していたように思う。

 その者たちの罪は、魂に刻まれて地獄の苦しみに裁かれるこ

とであろう。

 

 そのような理不尽が、現代の交通便利の代償なのだ。

 

 娘よ、安らかに旅立つことが、今世の親孝行である。

 

 

                           J.D.Subunroco. 

 

 

 2006年の挽歌

⇒ http://blog.goo.ne.jp/fds31/e/1d5cdda4f558a80012e569ab713a20e1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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